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「いや。やっぱりオレも行くよ。もしかしたら重いかもしんないし」
 と、フェレスは読んでいた本を閉じて立ち上がった。


 ベッドに仰向けに寝転がっていた。急に立ち上がったせいか、すこしメマイがした。慣れない環境に来たことで疲れたのかもしれない。ベッドや机の置かれた部屋の景色がぐらりと揺れて見えた。


「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんですか?」
 と、ウルミナがよろめいたフェレスのことを支えようとしてくれた。


「い、いや、大丈夫だから。ちょっと立ちくらみしただけだ」
 と、フェレスは、ウルミナの差し出した手をやんわりと押し返した。


「そうですか。無事なら良かったです」
 と、ウルミナは胸を撫で下ろしていた。


「う、うん……」
 と、フェレスは戸惑いを禁じ得なかった。


 妙に親切すぎる気もする。
 フェレスが本を読んでいたときも、ずっとウルミナが視線を向けていたことも、フェレスは感づいていた。


 これから6年間ともに過ごす相手のことを伺おうという気持ちは理解できる。けれど、そういった探るような目でもなかった。向けてくる琥珀色の目には、「尊敬」とか「崇拝」とか、そういうものが含まれている気がするのだ。


 人が人を尊敬するときの目つき――というものをフェレスは良く知っている。


 たとえばフェレスの父親であるファルティマ・アンダインは、周囲から良く尊敬の眼差しを向けられる人だった。フォルテも周囲から尊敬されたり、崇拝されたりすることが多かった。


 父と弟にかすんで、フェレス自身が尊敬されるようなことはなかった。フェレスも、周囲から尊敬されるような実績を残したことがほとんどないからだ。ウルミナに見られていると、心臓のあたりがくすぐられているようで落ちつかなかった。


(まさか、オレがアンダイン家ってことに気づいてるのか?)


 アンダインの名を名乗ったつもりはない。
 が。
 知られている可能性はある。


「はぁ」
 と、ため息を吐いた。


 アンダイン家の長男なのに、実際はたいして魔力値が強くないのだから。期待されるのは辛かった。
 あとで幻滅されるだけだ。


「大丈夫ですか? やはりどこかお加減が?」


「いや、大丈夫。マジでなんともないから。ってか、オレに気を遣いすぎだろ」


「失礼しました。お厭でしたか?」
 と、ウルミナは心底申し訳なさそうな顔をした。


 顔が女の子っぽいものだから、こっちも変に気をつかってしまう。フェレスのほうも申し訳ない気持ちになった。


「厭――ってわけでもないけど。まぁ良いや。とにかくさっさと荷物を取りに行こうぜ」


「はい」
 部屋を出た。


 フェレスたちと同じく、新入生たちの何人かは、部屋から出ていた。竜便を受け取りに行こうとしているのだろう。


「寮から出る道って、あの談話室を通る以外はないのかな」
 と、フェレスは疑問を口にした。


「見た感じ、なさそうですよね」
 と、あたりを見渡してウルミナは答えた。


「だよな」


 見渡すほどの部屋でもない。人が2人並んで歩くのがやっとな幅の、石造りの通路が伸びているだけだ。


 まっすぐと伸びている石造りの通路の左右に、各部屋のトビラがある構図だった。


 トビラは古びた木造で、強く蹴ったら穴でも開きそうだった。くすんだ石壁に、古びた木造――。


(幽霊でも出るんじゃないだろうな)
 と、フェレスは軽く身震いをした。


 らせん階段をくだると、談話室に入る。おそるおそる談話室をのぞきこんだ。ホッと胸を安堵の息を吐いた。あの不良生徒がまだ居座ってるかもしれないと、怖れていたのだ。


 居なくなっていた。部屋に戻ったのか、あるいは別の場所に行ったのかもしれない。ほかの新入生からも安堵の気配が伝わってきた。みんな似たような気持ちなんだろう。


「それにしても、汚い談話室だな」


 壁は下品な落書きで埋め尽くされているし、ソファからは綿がはみ出ている。赤いカーペットを噛んでいるネズミがいた。フェレスとネズミは目があった。ネズミは逃げようともせずに、カーペットをかじり続けていた。よく見るとカーペットはあちこちに穴が開いていた。かじり慣れているのだろう。


「予算がないんでしょうね」と談話室を見渡しながらウルミナが答えた。「アインヘルヤルの日で勝ち上がった学校ほど、予算を多くもらえるって聞いたことありますよ」


「アインヘルヤルの日って、学校対抗の魔法試合だっけ?」


「ええ。各校から3人の代表選手が選ばれるんです。で、各校、魔法を競い合う。ロキ魔法学校はずっと最下位ですからね」


「あの人とか強そうだったけどな」


「あの人?」


「ほら、生徒会長のマハルさんだっけ? 不良生徒を殴りつけてた人」


 コブシに炎を宿すエンハンス系の魔法を使っていた。あれだけでは、実力をはかりきれない。でも、迫力はあった。


「マハル生徒会長は、国家12魔術師であるヘイン・ヴォルケルスのひとり娘ですからね」


「へぇ。国家12魔術師の娘さんなのか」


 初耳だった。


 怖そうな人だと第一印象で抱いた。国家12魔術師の娘だと聞くと、フェレスと境遇は似ている。すこし親近感をいだいた。


「1枠は間違いないでしょうね。もう2枠は知りませんが。フェレスくんは出場しようとは思わないんですか?」


「えッ? オレ?」突拍子もない質問にたいして、フェレスは越えが裏返った。「オレなんかが出場できるわけないだろ。べつに出場したいとも思わないし」


「そうですか。まあ、いきなり目立つようなことしたら、不良生徒たちに目をつけられるかもしれませんしね」
 と、ウルミナはうなずいていた。


「うん。まあな」


 不良生徒たちに目をつけられるウンヌン以前に、そもそも出場できるほどの実力もない。


 談話室を出る。


 連絡通路から本校舎へとわたって、本校舎から外へ出る必要があった。外。石造りの広場。今しがた話題になった生徒会長と不良生徒の騒動があった場所だ。


 ちょうど郵便物が届けられている頃合いだった。竜が飛んで来た。黒い竜の脇腹のあたりに紙包みに梱包された荷物が大量にくくりつけられていた。竜のうえに乗っていた配達員が、その場に荷物を落として行った。荷物を落としきると竜はふたたび空へ帰って行った。


「荒っぽいな。割れ物とかあったら割れてるかもしれないぜ」


「まあ、配達先はどれもこの学校に指定されてますからね。自分の荷物はおのおの自分で見つけてくれってことなんでしょう」


「探すか」


 山のように積まれた紙袋にくくりつけられてある伝票を確認していった。「ハティア・ハルアッロさま」違う。「ブン・コンドリッドさま」違う。「フェレス・アンダインさま」。見つけた。


 紙包みの大きさは、人によって違っていた。フェレス宛ての物は、人の頭ぐらいの大きさをしていた。たいして重くはないので、その場で開けてみた。なかには金貨が数枚と小説が3冊入っていた。


(また小説かよ)
 と、ヘキエキした。


 べつに読書は嫌いではない。ただ、ふつうの小説ではない。父のファルティマが趣味で書いている小説なのだ。小説を書くには飽き足らず、息子に読ませるところまでが趣味になっているらしい。


 くわえて手紙が一通入っていた。『ロキ魔法学校への入学おめでとう。足りない物があったら手紙で知らせなさい。フォルテは首席でオーディン魔法学校に合格して、アインヘルヤルの日の選手に抜擢された。お前も負けずに頑張りなさい』とあった。


(そうか)


 フォルテは首席か。


 オーディン魔法学校で首席と言うと、今の世代では最強と言っても過言ではない。なんだかもう嫉妬や屈辱を通りこして、もはや笑ってしまう。


 兄のフェレスは最下位の学校に入って、弟のフォルテは最高位のなかでも、首席なのだ。
 双子の兄弟で一番上と一番下だ。


「荷物はありましたか?」


「ああ。ウルミナのほうは?」


「ボクのほうもありました。魔法に関する教本と、生活費がいくらか入っていました」


「寮にいるのに、生活費が必要になるのか?」


 フェレスの紙包みにも、金貨が数枚入っていた。


 金貨を見せると、ウルミナが「金貨はあまり見せないほうが良いですよ。取られるかもしれませんから」と耳打ちしてきた。


 この学校の治安を考えれば、さもあらんことだ。


「基本的な生活費は、払っている学費のなかで賄われます。でも、追加でお菓子とか夜食とか、あと参考書とか買うときに必要になるはずですよ。あと外出が許されるときとかは、街で使うこともあると思います」


「へぇ。夜食が自由に買えるのは良いな」


 フォルテのことを知って沈んでいた気分が、すこし晴れた。そうだ。ここには父のファルティマ・アンダインも、弟のフォルテだって関係はないのだ。劣等感に悩まされる心配もない。
 自分なりに努力してやっていけば良いのだ。入っていた手紙をくしゃくしゃに丸めて、着ていたチュニックのポケットに押し込んだ。


「部屋に戻る前に、売店に寄って戻りますか? なにか必要な物が売ってるかもしれません」


「良いな。でも、売店の場所とか知ってるのか?」


「ええ。任せてください。本校舎3階のガーゴイルの石造裏から行けるはずです」


「ウルミナって、兄貴とか姉貴とかいるのか?」


「どうしてですか?」


「いや。妙にこの学校について詳しいんだな――と思って。兄貴とかに聞いたのかなって」


「いえ。兄弟姉妹はいません」とウルミナはかぶりを振った。「一人っ子です。ロキ魔法学校について詳しいのは、入学する前に下調べをしておいたからです」


「意外と几帳面というか、シッカリした性格してんだな」


「意外ですか?」
 と、ウルミナは首をかしげた。


「うーん。見た感じだからは、あんまりそういう印象受けないかな」


 フェレスは、あらためてウルミナの風貌を見た。風貌から受ける印象は、とにかく可愛いということだ。栗色の毛も細くて艶やかだし、琥珀色の瞳も可憐だった。どう見ても女の子なのだ。声音まで女の子のそれだから、男だと言われた今でも、ちょっと信じられない。


「まあ、ボクのことはどうでも良いじゃありませんか。さあさあ売店に行きましょう。案内しますよ」
 と、ウルミナはフェレスの手を引っ張ってきた。


「あ、ちょ……」


 男に手を握られるのはゴメンしてもらいたい。女の子に手を握られるのも、緊張するからそれはそれで遠慮願いたい。


 男だか女だかわからないウルミナに手を握られると、複雑な気持ちだった。手を払いのけるのも失礼な気がする。結局、フェレスはウルミナに連れて行かれるカッコウになった。
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