さあ異世界へ行くぞ! しかし、入り口が小さすぎて通れなかった——って話ね。

新人賞落選置き場にすることにしました

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勇者編

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 俺が小説を書く理由の8割は下心である。


 9割から8割へと、下心が減少を見せているではないか! 
 これは我ながら興味深い気持ちの揺らぎであった。


 N番書庫の魔女である椎名先輩に入部を断られてしまい、俺の野望は潰えたかに見えた。実際、数日は潰えていた。自暴自棄になって、アイスを3つも食べて、お腹を壊してしまったほどだ。しかし腹痛から快復すると、まるで生まれ変わったように気持ちもサッパリしていた。


 潰えたと言っても、べつにバベルの塔に雷が落っこちたわけではない。椎名先輩は「また作品を持って来てください」と言ったのだ。まだチャンスはあるということである。


 そこで下心の代わりに生まれたのは、「もうちょっと面白い小説を書いて見せようではないか」という気持ちであった。
 とはいえ、いまだ8割下心ではある。



 作品を書いて、持って行けば、椎名先輩と話をする機会が得られるということだ。


 消極的有性生殖動物である俺にとって、異性と話をする機会など滅多にないのだ。この好機。ふいにするわけにはいかぬ。地球生物たちがあの手この手で、異性を物にしようとしているなか、手をこまねいているわけにはいかぬ。こまねく手があれば、さっさと筆を進めようと決意した。


 で。
 大木荘。自室。


 1万円をはたいて購入した中古のパソコンの前に、俺は座り込んでいた。決意したは良いものの、1文字たりとも進まない。大陸でももうちょい速く進むだろう。


「苦戦しているようだな。コウコウセイ殿」


 机に端に腰かけている勇者がそう言った。
 勇者。
 異世界より訪れし勇者である。
 ただし小人である。


 俺の部屋には、異世界へと通じる穴がある。穴があったら入りたいと言うが、俺の心境たるや、まさにその額面通りのままである。今すぐにでも、心躍る大冒険にくりだしたい。冒険者になって、モンスターをなぎ倒していったり……どこぞの貴族に雇われて、他貴族との政争に明け暮れたり……地球文明をかさに着て、一国一城の主になったり……。


 夢はふくらむものの、なかなか異世界へ足を踏み出せないでいる。踏み出せない原因は、いたってシンプル。出入口が小さすぎるのである。
 人差し指から小指までは通るが、親指までは入らない。その程度の大きさなのだ。


「俺の身体が、もうすこし小さければ、さっさと異世界へ行くんだけどな」


「なあに。コウコウセイ殿が向こうへ行く間でもない。ここに居ながらも、コウコウセイ殿の活躍は、向こうにまでちゃんと行き届いている」


「俺の活躍?」


「コウコウセイ殿がくれたカレーのおかげで、飢餓から解放されたのだ。カレーを輸入することによって、我が国は確固たる基盤を築きあげることに成功したのだ」


「おめでとう」


 香辛料諸島から、香辛料を英国に持ち帰ったフランシス・ドレークのように、勇者は異世界にカレーを運び込むことに成功したらしい。


「何はともあれ、飢えをしのいだ我らは、ふたたびチカラを取り戻し、魔王軍を押し返しはじめたのだ」


「そりゃ喜ばしい」


「魔王軍に占拠されていた国境砦を2つも取り返した。これもすべて、コウコウセイ殿のおかげだ、と向こうでは話題になっている」


「へえ」
 と、生返事。
 むかしむかしあるところに――と話を切り出され、いちいち相槌を打つやつはいない。いるかもしれないが、俺は打たない。他人が物語っているときは、大人しく聞く性質だった。それと同じだ。異世界の話など、足を踏み入れられないのなら、昔話と大差ない。


 俺は机の下を覗き込んだ。
 平積みにされた書籍の奥の壁穴。
 異世界への入口。


 著名な学者先生にでも見せれば、何かしらわかるのかもしれない。コヒーレンスだとか、カフェインレスだとか、小難しい理屈を並べ立てて、穴の正体をきれいサッパリと解明してくれるかもしれない。そうなりゃ、穴を広げることも出来るだろう。


 物理学者のファイマンは言った。「作れてはじめて理解したって言うんや」と。ならば、解明さえされれば、自在に穴を作ることだってできよう。そこいらに穴を開けまくって、軌道エレベーターより先に、異世界エスカレーターが出来るのも夢ではない。


 異世界へ通じる穴が開通してくれるのは、俺にとっても喜ばしいことである。
 が――。
 しかし。
 悪くはないが、この穴を世間に公表しても良いものか、という悩みもある。


 世間に公表でもしてみろ。そりゃもう、政府の人たちが大挙して押しかけてくるに違いない。この大木荘は、しかるべき学術機関に引きわたされることになるだろう。最終的に、学者たちの研究によって、この穴がよしんば解明されたとしても、だ。そのときには、俺でない誰かが最初に、異世界へと足を踏み入れていることだろう。


 異世界へ最初に足を踏み入れるのはこの俺でなくてはいかぬ、という使命感を抱いているのだ。その使命感の強さたるや、月面に足をつけたアームストロングに負けぬ自負がある。異世界転移の特権を、他人に奪われてなるものか。
 そう考えると、やはり黙っているほうが良い、という結論にいたる。


「コウコウセイ殿は、それほどまでに、私の国へ行きたいのか?」
 と、勇者は首をかしげた。


「何か行く手段でもあるのか?」

「いいや。私には思いつかぬ」

「魔法とかあるんじゃないのか? 身体を小さくする魔法とかないのか?」

「魔法はある。しかし、図体を変化させる魔法など、私は聞いたことがない」

「魔法はあるのか?」

「うむ」

「なにか使って見せてくれよ」


 魔法などという怪異は、そうそうあってはならない。そんなものが存在したら、熱力学うんちゃら法則とやらが、どうにかなってしまう。うんちゃらがどうなるかは、わからぬが、いちおう俺とて現代人だ。安っぽい手品などには騙されぬ。弁惑物さながらに、その種を暴いて見せようではないか。
 机の上に立つ勇者に目を凝らし、耳をすました。


「これでどうであろうか?」
 と、勇者は手のひらに、炎を発生させて見せた。


「ほほっ!」
 と、俺は喜悦の声を漏らした。


 間違いなく魔法である。
 今日をもってして、熱力学うんちゃら法則は、どうにかなってしまった。


「たいした魔法ではないが」
 と勇者は照れるように、そそくさと魔法を消し去った。


「いやいや、たいしたものだったよ。俺には魔法が使えないからね」


「コウコウセイ殿にも、そのような欠点があるのだな。しかし、気を落とすことはない。人には誰しも欠点があるものだから」


「いや。慰められるにはおよばないよ。俺の欠点は、魔法を使えないというただその一点だけだから」


「ふふっ。それは頼もしい御仁だ」
 と、勇者は微笑んだ。
 その微笑みに、俺はちょっと心揺らぐものがあった。


 ブロンドに碧眼。現実離れした美女である。
 百歩ゆずって、異世界へ行けないにしても、だ。せめて人間サイズであって欲しかった。勇者のこの美貌で、人間サイズだったならば、それはもう凄まじい美女だっただろう。クレオパトラの鼻が3センチ高かったら歴史が変わっていたと言う。勇者よ。君の身長があと160センチほど高かったら、それはそれで歴史が変わっていたことだろう。椎名先輩には申し訳ないが、俺の気持ちも揺らいでいたことだろう。


「勇者はどうして勇者なんだ?」


「はて。どういう意味だろうか?」
 と、勇者は首をかしげた。
 ブロンドの長髪がはらりと揺れる。



「生まれたときから勇者ってわけでもないんだろ? どうしてその地位におさまることになったのかと思ってさ」


「私は、もともと農村の生まれだった。家は貧しく、食う物も少なかった。そこで冒険者になって、すこしでも稼ごうと決意したわけだ」


「なるほど。その決意には、親近感があるな」


 俺も、高校2年生という時間を、有意義に過ごそうと決意して、こうしてノートパソコンを前にすることになったのだ。


「そして冒険者としてモンスターを討伐していくうち、私の武勇が広まっていった。モンスターに困っている村を救い、町を救い、都市を救ってきたのだ。そしてついには国王陛下の耳にまで届いた」


 俺の小説も、そのうち世界中に名をとどろかせ、ギルガメッシュ叙述史ぐらい有名になる予定であるから、やはり俺と勇者の境遇は似ている。


「それで勇者に?」


「そう。爵位ではないが、特別な位を用意していただいたのだ。勇者には重要な任務がある。それは、魔王軍総大将である魔王を討つことである」
 と、勇者は使命感からか、握りこぶしを固めていた。


 異世界。冒険者。モンスター。国王。勇者。耳に入ってくる言葉には、どれも非常になじみがある。実家の間取りでも聞いている気分だ。聞けば聞くほどに、異世界へ訪問したい気持ちに駆られる。


 何かの間違いで、穴が大きくなってないだろうか……と、机の下を覗き込んでみるものの、穴は依然小さいままだ。


「勇者は独り身なのか? そもそもそっちの世界に結婚っていうものはあるのか?」


「私の国にも結婚という概念はある。しかし、私は冒険者として身をささげてきたゆえ、独り身だ」


「わかるよ」


 戦場に身を置く戦士には、恋だの愛だのと軟弱なことを語る暇はないというわけだ。その境遇には、俺も共感をおぼえる。学生という苛烈な立場にさらされて、女の子とイチャイチャするような余裕はなかったのだ。


「私のことよりもコウコウセイ殿」

「ん?」

「私は先日、こちらの国で奇怪なる生物を発見したのだ」



 君がいちばん奇怪なる生物だと思うけどね。
 他人の外見を揶揄するというのは低俗きわまった発言であるため、口には出さなかった。


「まあ、俺の部屋には、有象無象の連中がいろいろといるからね。蜘蛛やら蛇やらカエルやら」
 部屋を見渡す。
 その悪魔の手先どもは、いまのところ鳴りをひそめている。夜になるとヒョッコリ顔を出しやがる。


 弁解しておくが、俺が不潔というわけではない。俺が快く迎え入れるのは乳酸菌と納豆菌ぐらいのもので、その他もろもろの不潔なる輩には、お帰りいただいている。ゴキブリやらムカデやらが我が城に出没するのは、俺の警備がゆるいのではなく、大家さんの不手際である。そもそもアパートがボロいのだ。


「我々、冒険者はそういった異形の者たちと戦うことも、また仕事のうちである。良ければ討伐してしんぜよう」

「良いのか?」

「まだコウコウセイ殿にカレーのお返しができていないからな」

「それはありがたい」


 害虫駆除に悩まされる日々だったのだ。小人たちが追い払ってくれるのなら、殺虫剤やらなにやらを買い揃える手間もはぶける。
「冒険者組合のほうに、招集をかけてみよう。腕に自信のある冒険者たちが集まってくることだろう」
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