あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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境界の町の特別な日

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 よもつひら坂を上って宿に戻ると太陽は頂上を過ぎていた。
 真夏の日差しに竹葉がきらめいて地面に伸びる影は小さく縮む。
 熱を孕んだ風に竹葉がなびいて涼やかな波音を響かせる。

「ずるい、ずるい、ずるーいっ!」

 短い夏を謳歌するラブソングを熱唱する蝉の声に割って入った甲高い声。
 びっくりした蝉が一斉に鳴きやんだ。

「ずーるーいーっ!」

 甲高い声は――段ボールから解放されたアカリ。
 血色のいい頬をぷっくり膨らませ、栗色の巻き毛を揺らして地団太を踏む。
 にらむ相手は――河野。

「ずるくねぇよ」
「アカリを閉じ込めて菜月と一緒にお出かけするなんてずるいっ!」
「――うるさい」

 湯呑を手に冷たく水を差した正太郎を振り返った。
 両足を肩幅に開いて両手は腰に添えた仁王立ち。
 口の端を下げて目を吊り上げた顔は、愛らしさはあっても限りなく威厳はない。

「なんで河野はよくてアカリは置いてけぼりなのっ!?」
「ほんっと、チビのくせにうるせぇな」

 わざとらしく耳に指を突っ込んで河野が文句をたれた。

「チビじゃないもん!」
「それは正太郎がオレと一緒にデートしたかったからに決まってるだろ?」

 言いながらにんまり笑って背中から正太郎の肩を抱き寄せる。

「――なっ?」

 驚いて危うく茶をこぼしそうになって慌てて湯呑を座卓に戻した。

「オレと正太郎の仲だ。人目がない場所でチャンスがありゃ、押し倒してキスの一つぐらい……なっ?」

 年ごろのお姉さまのハートを鷲掴みしそうな笑顔で爆弾発言をぶちかます。

「いらん!」
「すまん、オレとしたことがキスだけじゃ足りなかったことに気付かなかった。心配するなすぐにでも先祖伝来の奥義を――」

 河野がすべてを言い終わるのを待たずに正太郎の拳が落ちた。

「あだだ……っ!」
「阿呆。お前は菜月の護衛だ」
「それはついでだろ。っていうか役に立ったんだから褒美を――」

 凝りもせず唇を尖らせて抱きつこうとする顎を下から押し上げる。

「やめんか、阿呆」
「……ケチ。愛情表現のキスぐらいいいじゃねぇか。海外じゃハグやキスは挨拶と一緒だぜ」
「ここは日本だ。礼節をたっとぶ民族だ。あいにくと俺は衆道に関心はない」
「だったら二人で新しい世界を知ればいいだろ? 河野家に代々伝わる因果骨の奥義の数々をオレが優しく手ほどきしてやる」
「――尻子玉を引っこ抜かれて調伏されたいか?」
「調伏は困るが……正太郎に尻子玉を引っこ抜かれるってのはちょっと考えてもいいかもしれん」

 声を落として冷や水を浴びせる。
 が、相手は――カッパ。
 カエルの面にぶちまけるほども効果はなく、むしろ喜んでいる。

「そこは嫌がるところだろうが、阿呆!」

 菜月はすべてを聞こえないふりでタキさんが淹れてくれたさして熱くないほうじ茶を吹いて冷ます。
 タキさんはタイミング悪くお勝手で作業中だ。
(この二人……不思議なくらいなにを言ってもそうなる)

「アカリは菜月のそばを離れるなっていう約束を守れなかっただろう?」

 正太郎はため息をついて少し乱れた襟元を直しながらアカリをにらむ。
 菜月が緋色の蛍を追いかけて迷子になったのは昨日のこと。

「…………」

 アカリはなにかを言いかけてぐっと口をつぐむ。

「それにちっこい付喪じゃいざっていうときに役に立たねぇだろ」

 ここぞとばかりに河野が傷口にたっぷりと塩を塗り込む。

「でも河野よりアカリの方が可愛い!」
「うるせぇ、ポリエステル!」
「なによカッパっ!」

 座卓を挟んで威嚇し合う河野とアカリ。
 その実、カッパと熊のヌイグルミ。
 その言い合いは――限りなくレベルが低い。
 厄介払いができた正太郎は座卓を挟んで火花を散らすにらみ合いを完璧に無視して涼しい顔で湯呑を取り上げてほうじ茶を啜る。

「いちいちうるさいねぇ、もう少し静かに話ができないのかい?」

 低レベルな争いに終止符を打つような声はお盆を手にようやく戻ったタキさん。
 アカリはお盆の上に乗った皿に目を輝かせた。

「今晩は迎え火ですがお支度は大丈夫ですか?」

 そっと座卓に置かれたのはおやつに用意された黄粉を添えた白団子。

「毎年のことですから。問題はありませんよ」
「お団子だぁ!」
「こら、行儀が悪い。食べるんだったらちゃんと座んな!」

 伸ばしたアカリの手をぴしゃりとはたいて目を吊り上げた。
 食欲には叶わない。
 タキさんに怒られてすぐに背筋を伸ばして座布団の上にちんまりと座ってご褒美をねだる子犬のように目を輝かせた。
 アカリに団子を取り分けて当然のように河野にも視線を走らせる。

「あんたもだよ。化けカッパ」
「なんでオレまで……」
「文句があるなら、帰んな」

 鋭くにらまれてしぶしぶと正太郎の隣に腰を落ち着けた。

「日暮れから縁日が始まりますね。今年は菜月さんの浴衣も用意しなきゃなりませんね」

 独り言のようにつぶやいて目元を下げると口の周りに黄粉を付けて団子を頬張るアカリの口元を布巾で拭ってやる。
 幼子にするような自然な仕草がまるで親子のようでほほえましい。

「アカリも、アカリも!」
「はいはい。あんたはいつものやつを用意しておくよ」
「菜月には――千珠の浴衣があるはずです」
「ああ……たしか撫子の浴衣ですね」
「地の色は白じゃなく藍色ですよ。撫子は菜月のための柄ですから」

 正太郎が応じるとタキさんが嬉しそうにうなづく。

「別にお寺の縁日に遊びに行くだけにわざわざ浴衣を着て行かなくてもいいんじゃないの?」
「昔っから黄泉寺の縁日は着物か浴衣で行くなんだよ」

 団子には手を付けず、冷えた白湯を啜りながら河野が口を挟む。
 風流だが変わったしきたりだ。
 なにより困ったことに菜月は浴衣の着付けの経験はない。

「ご心配なく菜月さんの浴衣は私が着付けますよ。あの浴衣を着る日が来るなんて千珠さんも喜びますね」
「……白とか藍ってなにか決まりがあるの?」
「当たり前だろ」

 鼻を鳴らして河野が教えてくれる。
 黄泉寺の縁日は死者と区別するために藍色の浴衣を身に着けて訪れなければならないと伝わるのだという。
(そういえば幽霊のイメージは白い着物だ)
 亡くなって生まれ変わるための輪廻の光明を与えられた人は白い着物を身に着けている。
 対して輪廻のレールから外れた人は黒い着物を着て鬼の顔を狐面で隠して他人の光明を奪いに来るのだと。

「だから狐面に近づいちゃいけないんだとさ」
「境界の町にある黄泉寺は特別な場所だ。お盆の縁日はあの世との縁を繋ぐ場所になる。お盆でこの世に戻って来た人と会うことができる場所だ」
「――お母さんにも、会えるの?」

 躊躇いがちに問うと、居合わせた全員が揃ってうなずいた。

「千珠が帰る家はここだ。今もいるはずだけど姿を見せられるのは黄泉寺の境内だけだ」

 宿の裏でうっそうと茂る竹林もよもつひら坂も境内の一部だという。
 思い出されるのは竹林の中で見かけた姿。
 懐かしいあの香りは――。
(やっぱり……)

「正太郎もいい加減に身を落ち着かせないと千珠さんも安心できません」
「そんならオレが正太郎を嫁にもらってやる」
「ミサキ旅館の跡取りはカッパとウブメの子のハーフですか? どちらに似ても構いませんがくれぐれも人型にしておいてくださいませ」
「河野となにをどうやって子を成せというんですかっ、それよりどうして俺が河野の嫁なんだ!」

 ため息混じりに呟いたタキさんに正太郎がすかさず吼えた。

「なるほど正太郎はネコじゃなくタチのほうか、なるほど」
「阿呆! そういう意味じゃない」

 吼えて正太郎はぐったりと湯呑を取り上げて残り少ない茶を一気に飲み干して音を立てて座卓に戻した。

「――菜月は千珠に大事な報告があって来たんだろう?」

 ほとんど唸るような声で問われた。
 菜月は父と亜希子さんの新婚夫婦から半ば逃げ出すような形で九十九町にやって来た。
 それは叔父と母に報告することをことづかったから。
 亜希子さんのことは仏壇で報告はしたが――返事は聞いていない。
 父から託された報告は母にとって嬉しいことなのか悲しいことなのか――恐らく後者である可能性が高い。

「菜月?」

 暗い顔で口をつぐんだ菜月を不安そうにアカリが見上げる。
 それに答えることなく硬い表情のまま窓の外へ視線を逸らせた。
 夏の太陽に照らされた竹林の向こうには綿菓子のような入道雲。
 青く澄み切った空とは対照的に菜月の心は灰色にくすんでいく。
(父が亜希子さんと再婚したことを――どう思ってるんだろう?)


※※※
 縁日にお出かけする前にどうしても文句が言いたかったアカリちゃんがメインのターンです! ←吼えてます!
 河野は抜群の安定感。うん。常に衆の道。
 河野家に伝わる秘儀がどういったものなのか気になりますねー( *´艸`)
 モヤモヤ気分の菜月さん。ちゃんと伝えることができるのか。
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