あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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緋色の螢 4

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※ 

 戸惑いと驚きが入り混じった悲鳴は無理やり乾いた喉の奥に呑み込んだ。
 ゆっくりと振り返ったのは黒の着物に銀鼠の袴の――多分、男。
 緩く結わえた羽織帯まで黒い。今では滅多に見ない羽織の喪服。
 なにより異様なのはその顔――夜闇に浮かぶような白い狐面。赤い隈取が目を引く。
 菜月は表情を強張らせたまま、距離を置くように退いた。

 困ったことにそれで終わりではなかった。
 男の後ろでひときわ濃い闇が揺れ、落ち葉を踏む音を響かせたのは狐面をつけた和装の男女。そのどれもが黒い着物を着ている――合計三人。
 なにかの呪文をつぶやいているようだが、くぐもった声は聞き取れない。
(……気味が悪い)

 得体の知れない相手に鼓動が跳ね上がり、身体が強張った。
 逃げたいと思ってもどの方角へ逃げていいのかが分からない。間違えてこれ以上深い場所に行って戻れる自信はない。

「……た? ……せ」

 なにかを問われているらしい。意味が分からず眉根を寄せて顔を上げる。

何処いずこから、来た? を寄越せ」

 鼓動が跳ね上がって耳が痛い。握った手のひらがしっとりと汗ばんだ。
 喘いだ口から肺の奥深くまで入り込むような香の匂い。
 ぐにゃりと世界が歪むような感覚は。足元の感覚さえ虚ろになる。
 甘みや苦みが複雑に絡み合うような香りは――しきみだ。
 それは焼香の時に焚かれ、魔を寄せ付けないように場を清めるためのもの。

をかえよ」

 口々に、同じ言葉を繰り返す。わけが分からない。
 狐面に会ったら、ついて行ったり話しかけてはいけないそう教えられた。
 だとしたら、問いに答えるのもアウトだろうか。
 こういう時になにかを唱えろと呪文を教えられたはすだ。だが、その呪文を思い出せない。思い出そうとするが近づいてくる男に混乱して思考が纏まらない。躊躇う菜月の腕を、誰かが強く引いた。

「――なにっ?」

 捕まったと身を固くした菜月の手を引くのは――銀鼠色の着物の女性。
 顔を確認する間もなく背中を返し、驚く菜月の腕を強く引いた。
 狐面の男は当然のように歩き出した二人を追いかける。その足取りは氷の上を滑るようになめらかで一定の距離でついてくる。
 なぜか女性は青竹の間を縫うように進む。
 菜月は振り回されるままついて行くが、わけが分からない。
(どうせ逃げるなら真っすぐの方が早いのに……?)

 ようやく気付いたのはしばらくしてから。
 菜月を追う男たちと距離が当初よりずいぶんと開いていた。
 どうやら三人そろって同じ方向にしか歩けないルールがあるのか、竹をどちらに避けるかで揉めて立ち止まっている。
(だから、ジグザクに歩いてたのか)

 温かい手と百合に似た香りになぜか胸の奥が痛んだ。
 手を引かれて進むとほどなく視界が開けた。飛び込んできた光の洪水に顔をしかめて、手で顔を覆う。

「――――もう大丈夫。行きなさい」

 耳元で響いた女性の声は柔らかい。それは聞き覚えがある声だ。

「菜月、どこに行ってたんだよ!」

 相手を確かめようとする前に腕を掴まれ、前後に揺さぶられた。
 足元もおぼつかず、体の中でなにかが渦巻くような感覚は車酔いのよう。
 幾度か瞬きをして、間近にあるそれに不覚にも鼓動が跳ね上がった。

「ちょ……っ! どええぇぇえっ?」

 口を突いて出た驚きと疑問が入り混じった悲鳴。
 なぜならくっつきそうなほどの距離にあるものが悪い。
 中身は化け物だが外側は真顔のイケメン。不覚にもお年頃の乙女の鼓動が跳ね上がり、反射的に手を振り払ってその場にしゃがみ込んだ。
(ない! 絶対にない! わけが分かんないんですが!!)
 すかさずアカリが駆け寄って河野との間に割って入って吼えた。

「菜月をいじめちゃダメっ!」

 甲高い声が耳に突き刺さる。

「いじめてねぇよ。心配してただけだって……大丈夫か?」

 アカリを一撫でして黙らせて膝に手をついて菜月の様子を伺う。
 声にうなずくが、緊張を解いたとたん体の力が抜けた。立てない。
 頭の上で二人が言い合う声を聞きながら安堵の息を吐いた。
(戻って、これた。女の人に手を引かれて……? どうしてここに?)
 周囲にあるのは人のざわめきと薪の爆ぜる音。そして線香の匂い。
 砂利を敷き詰めた地面は――境内。闇に沈んだお堂は黄泉寺だろう。
 篝火をたいた境内で籠を持った子供が蛍を追いかけている。

「なんで、ここに?」
「ここで待ち合わせだって言って別れただろ?」

 そんなことを言っていたような気がする。迷い込んだ竹林からどうやってここにたどり着いたのか分からない。
 女の人に手を引かれて歩いた記憶はあるのだが、どこを歩いてきたのか、夢を見ていたように曖昧だ。

「キツネの面、見た」

 これははっきりと覚えている。喪服に赤い隈取を描いた狐の面。
 思い出すと香の匂いまで蘇ってくるようで気分が悪い。立ち上がろうとしたが膝に力が入らずふにゃりと再び座り込んだ。

「――っ」

 血が足りていない時のように世界が回る。慌てた河野になにか言われたが、答えられない。
 体を強張らせた菜月の膝の裏と背中に手を差し入れて、引き上げられた。驚いて身を捩った菜月に諫めるような声が落ちて来る。

「疲れたんだろ、少し休んで帰るか。子供を襲うつもりはないが暴れると落としちまうぞ。アカリ、遠くに行くなよ」
「えー、もっと蛍を捕まえる~」

 遊び足りないと不満を口にするアカリの声を聞きながら眉根を寄せる。
 鼻の奥にあの香の匂いが沁み込んでいるようで気分が悪い。格好悪いが抵抗する気力は萎えた。歩き出した河野に体を預けて大人しくすることにする。

「急に姿が見えなくなったから探したぞ。寺で待ち合わせにしてたからアカリと待ってたんだよ。そしたら竹林から走って出てくるし……」
「赤い蛍を見つけて迷い込んだの……香の匂いがすごくて、女の人が助けてくれたの。女の人っ、どこに行ったの?」
「オレが見たときはいなかったぞ。……そっか、菜月の親は正太郎の」

 事情は知っているようで語尾を濁した。
 女性の甘い匂いに覚えがあるはずだが、思い出せない。

「女の人。……見覚えがある気がするの」
「そりゃ藪入りで戻ってるはずだしな。狐に連れて行かれなくて良かった」

(藪入りで戻るって、どういう意味?)

「菜月、平気?」

 寺の縁側に降ろされた菜月をうかがうアカリの声。空気を読まない屈託のない笑顔に苦笑して、うなずいた。
 頭の上にオレンジ色に瞬く籠を掲げて上機嫌だ。震えるように瞬く光をぼんやりと眺めた。

「蛍狩りはもう終わり?」
「菜月を探してて捕まえ損ねた。アカリと菜月の方が多く捕まえたよ」

 いうことを聞く約束だ、望みを言えと促された。あるのは望みというか。

「だったら、狐面の男を見た事は黙っててくれる?」
「あん? 別にいいけど、いいのか?」
「正太郎やタキさんが知ったら、どうなると思う?」
「――確かに、マズいな」

 正太郎やタキさんに知られたらタダでは済まない気がする。
(砂を投げつけられる程度で済まない気がする……)

「そろそろ撤収するぞ。蛍を捕まえて届けに来るから宿は賑やかになる。無理に蛍を追いかけなくても誰かが捕まえるさ」


※※※
 前章でやらかしたエピソード。
 「水たまりでお風呂~」が正解です。( ̄▽ ̄;)
 真っ白な猫のヌイグルミを真っ黒にしちゃいました。
 綺麗になると思ったんですかねぇ。子供の頃の自分に聞いてみたいわ。
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