想い出に変わるまで

豆ちよこ

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沢田雄大

もう一度、素敵な恋を

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 「沢田さん、資料ありがとうございました」

 昼飯から戻ると、営業課の入島誠司が貸出していた資料を返しに来ていた。

 「何だ。わざわざ待ってたのか? デスクに置いといて良かったのに」
 「沢田さんが貸してくれた、大事な資料ですよ?放置なんか出来ません」
 「ふふ、 変な事言う奴だな」

 入島は3年後輩の、営業課の時期エースだ。企画課の俺とは殆ど接点は無かったが、半年程前、とある土地の開発事業を賭けた社外コンペにと、集められたチームのメンバーとして、初めて一緒に仕事をする事になった。
 名前ぐらいは認識はあったが、口を利くのは初めてだと思っていた俺に、
 『憧れの沢田さんと、一緒に仕事が出来るなんて夢みたいです』
 そう言われ、悪い気はしなかった。ここ数年、仕事ばかりに力を注いできたからか、純粋にその賛辞が嬉しかった。

 大切な人を見失い、他に誇れるものも無い俺にとって、手掛けた仕事だけが唯一の財産だからだ。
 ただし、相手は営業職。しかもやり手の時期エースときてる。まぁ、煽てるのも手腕の一つだろう。

 「また一緒に仕事したいなぁ。この前のは本当、悔しかったし」
 「そうだな。 ま、入島なら次は採れるんじゃないか。 頑張れよ」

 社外コンペは残念ながら落ちたが、あの時の入島のプレゼンは、傍で見ていても気持ちが良かった。
 堂々とした口調に説得力のある解説。企画の意図を正確に伝えようとする姿勢が、頼もしく見えた。よっぽど企画書を読み込んだんだろう。流石、ナンバー2は伊達じゃなかったな。
 お陰で落ちたとはいえ、清々しい気持ちになれた。もしまた同じチームを組む事があれば、今度はもっといいものを作りたい。

 「俺は…、沢田さんと、一緒に仕事したいんですよ。そんな、他人事みたいに励まさないでください」
 「おいおい。いい大人が拗ねるなよ。 でもまぁ、俺も。また入島とは組んでみたいと思ってるよ」
 「え! 本当ですかっ?」
 「あの時も言っただろ。おまえのプレゼン、気持ち良かった、って」

 コンペの選考結果に、1番落ち込んだのも入島だ。企画した俺達より悔しがっていたっけ。 

 「あの、沢田さん。聞いてもいいですか?」
 「ん? なんだ」
 「そのカレンダーの印。 昨日のあれ、何の予定だったんですか?」
 
 入島が指を指したのは、デスクに置いてある卓上カレンダー。 その18日の日付に付けた星印。
 
 「…あぁ、これか。 神に感謝した日、ってとこかな」

 持ち上げたカレンダーを眺め、印の付いた数字を見つめた。
 ーーー神に感謝した日
 そうだ。これは和真の誕生日だ。とっくに別れた筈なのに、未だに忘れられない大切な人。最後に、悲しい笑顔だけ残して消えてしまった、元恋人。

 「だから、予定という訳じゃない。強いて言うなら、懺悔と戒めの日だよ」
 「………へぇ。 そうなんですか」
 「それより入島。時間大丈夫なのか? そろそろ午後の始業だぞ」
 「え? ぅわっ、やば! ミーティング始まるっ」
 
 腕時計を確認した入島が慌てる。その顔が子供っぽくて、クスッと笑ってしまった。
 同じ位の高さにある、入島の目がそれを捉えて瞠目する。
 なんだ?

 「沢田さん。 今度ゆっくり、俺のプレゼン、聞いて貰えますか?」
 「プレゼン? 何の?」
 「それはまだ内緒です」

 ふぅん。随分と力入れてるんだな。予行練習ってところか。

 「そうか。 ま、聞いてやるよ」
 「ありがとうございます!」
 
 満面の笑みで礼を言われるとは…。そんなに喜ぶ事か?

 「ーーー絶対に落とすんで、覚悟しといてくださいね」

 へぇ。またえらく自信満々だな。
 それじゃ、と、踵を返し急いで部屋を出て行く。
 爽やかな好青年って、あんな奴の事を言うんだろうな。俺とは大違いだ。
 
 ーー辛気臭い
 ーー未練タラタラ虫

 昨夜久々に顔を出した、行きつけのバーで言われた言葉を思い出した。まったく。酷い言われようだ。
 けれど次に顔を出す時は、それも幾分マシになるだろう。完全に吹っ切れた訳ではないが、ずっと燻っていた、胸のつかえが下りたのも確かだ。

 カレンダーの星印。昨日は元恋人、和真の誕生日だった。この世でたった一人しかいない、大切な人が生まれた日。毎年この日だけは、気が済むまで彼との思い出に浸ると決めていた。
 今年も家で一人飲み明かすつもりだったが、残業で退社が遅くなり、余り気乗りはしなかったがいつもの店に顔を出したのだ。
 けれど、時間が遅くなるにつれ賑やかになるその店では、物思いに耽るのも気が引けて、そこを早々に立ち退いた。
 まだ帰るには早いかと、ふらりと立ち寄った、静かで落ち着いたバーで、まさか本当に神に感謝をする事になるとは思わなかった。

 3つ離れたカウンターで、バーテンと会話を交わすその人は、記憶にある姿より少しだけ大人になり、俺の知らない話をしていた。『先生』等と呼ばれていたが、何の仕事をしているのか。もう知る機会も無いかもしれない。誕生日に待ち人を恋しがる彼に、最初は少なからずショックを受けた。けれど相手が現れると知った時の、彼の幸せそうな様子に、こちらまで嬉しくなったのも事実だ。


 『ーー今、凄く幸せだ』

 綺麗な笑顔で、そう和真は言っていた。実際、幸せそうだった。恋人からの連絡に頬を緩めた顔を見せられた時感じたのは、ささやかな嫉妬心と、それを上回る安堵。
 後悔が無いと言ったらウソになるが、去り際に絡んだあの視線がせめてもの救いだ。

 ーーーありがとう。もう、忘れていいよ。

 ……そう言われた様な気がした。


 もう一度、手元にあるカレンダーを見る。
 やはりこの日は、神に感謝する日で正解だな。お陰で少し、前を向いて歩けそうだ。来年からはもう、この印も付かないだろう。

 カレンダーをデスクに置き直し、席に着こうと椅子を引いた。上着の内ポケットから振動するスマホを取り出す。

 「ん? 入島から?」

 画面上に、先程慌ててミーティングに向かって行った、好青年からのメッセージが届いてる。


 『神に感謝する日なら俺にもあります。
  但し星印じゃなくてハートマークです。
  プレゼン、楽しみにしててください!』

 
 「……意味分かってんのか、あいつ」

 ハートマークとは…。また意味深なメッセージだな。ーーーまさか、な。

 昨夜最後に飲んだカクテルを思い出す。なんて名前のカクテルだったか。

 手の中のスマホがまた震え、新しいメッセージが届いた。躊躇しながら画面を開く。


 『6月7日』

 それだけの短いメッセージ。
 何で知ってるんだよ。いつの間にリサーチしたんだ。
 
 「 …流石時期エースだな」

 思い出した。あの赤いカクテル。
 
 ーーーメリー・ウィドウ。
       もう一度、素敵な恋を。

 首の後ろ側がチリチリとこそばゆい。何が、絶対に落とす、だ。生意気な奴め。出来るものならやってみろ。言っておくが、俺はそんなに簡単じゃないぞ。何しろジンソーダを8年近く飲み続けた男だからな。

 気付くと午後の始業時刻が過ぎている。まったく。ミーティングの最中に、何やってんだあの営業マンは。

 既読スルーも大人げ無いと、一言だけ入れて返信を送った後は、ミュートにしてスマホを抽斗にしまった。
 送ったメッセージを見たあいつが、どんな顔をしているのか、怖いような楽しみなような気分だ。
 久しぶりの感覚に、またカレンダーをつい見てしまった。まったく。冗談だろ。今更ガキじゃあるまいし。


  『プレゼンに期待する』


 あんなメッセージ、ちょっと早まったか?
 まぁ、いいか。それより仕事だ。仕事。


 
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