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勇者をデコピン一発で吹っ飛ばしたら、妖精が取り残されていた

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 何度目の勇者だろう。
 打倒・魔王を掲げ、勢いよく乗り込んできた一行(パーティ)を、余はまた指先ひとつで追い返してしまった。

 別に彼らが弱いというわけではない。
 余が強すぎるのだ。
 現に勇者一行(やつら)は余の家臣・ザザエルを打ち倒している。

 魔王城にはびこる魔物たちをたった一人で統率していたあのザザエルをである。
 おかげで、魔王城から魔物たちが逃げていってしまった。
 次は自分たちが狩られる番だと思い込んだのだろう。

 それほどまでに、今回の勇者たちは強かった。


 ……が、それでも余には遠く及ばなかった。


 神の化身、光の勇者とまで言われていたからどれほどのものかと思っておったのだが。
 とんだ期待外れだった。
 ド派手で神々しい剣にワクワクしていたのに、余に傷一つつけることなくポッキリと根元から折れてしまった。
 あの勇者たちの唖然とした顔。
 瞬時に凍りついた空気。
 見るに堪えず、デコピン一発でさっさと戦闘を終わらせてやった。

 死んでなかったのが不幸中の幸いだ。

 失神した勇者一行をテレポートの魔法で近隣の村に転送してやったから、今頃はそこで介抱されていることだろう。

「おお、勇者よ。失神してしまうとは何事だ」
 とか、神父に言われているかもしれない。

 まあ、余の知ったことではないが。


 それよりも、だ。


 勇者たちがいなくなって、この玉座の間に一人取り残されたヤツがいる。
 手のひらサイズで、背中に4つの小さな羽が生えている小娘だ。
 キラキラと何やら光の粉をまぶしながら飛び回るその姿。
 人間界で言うところの妖精(フェアリー)というヤツに違いない。

 小娘は余のデコピンで勇者が吹っ飛ばされた瞬間に慌てて彼から離れたらしい。
 さすが動きが素早い。
 だが、余が勇者たちをテレポートさせるとは思っていなかったらしく、一人取り残されてしまったようだ。

 別にとって食いやしないのに、「食べられる~」とか言いながら逃げ惑っている。
 ふん、魔界の住人が妖精など食べるものか。
 妖精だとて、魔界のものを口にはせぬだろうに。
 まあ他の魔物はどうかわからんが。


「おい」


 余は、全力でカーペットの下に潜り込もうとしている妖精に声をかけた。
 小娘は「ひいっ」と小さく叫んで必死にカーペットの下に頭を突っ込んでいる。

 ……何がしたいのかわからん。

「お助け~……お助け~……」

 どうやら、余の視界から逃れたいらしい。

「安心せい、殺しはせぬ。姿を見せろ」
「どうかご慈悲を~……」

 魔王に慈悲を乞うとは。
 とんだ妖精だな。

「だから殺さぬと申しておる。そこから出てこい」
「命だけはご勘弁を~……」
「力づくで引っ張り出してやろうかッ!!!!」

 少し語気を強めてやったら、妖精は「ぎゃー」と叫びながらようやくカーペットから顔を出した。
 金色の長い髪、白い肌、青くて透き通った瞳。
 美人の部類に入るだろうそれは、余の顔を見るなり可哀想なくらい青ざめていた。

「まずは名を聞こうか」

 なるべく落ち着かせようと、低く小さな声で尋ねてみる。


「マ……マリベルです……」


 余の千里離れた物音をも聴き分けられるこの耳をもってしても、やっと聞こえる声だった。

「そうか。余は魔王だ」
「……知ってます」
「見たところ、お前は勇者の仲間というわけではなさそうだが、なぜヤツらと一緒にいたのだ」
「み、道案内です……」
「道案内?」
「この魔界に来るには妖精のエナジーが必要で、そのために私が選ばれたのです」
「言っていることがよくわからぬが、要するに貴様が勇者たちを引き連れてきたというわけだな」

 その瞬間、マリベルと名乗った妖精は「うにゃー!」と叫びながら再びカーペットの下に潜り込んだ。

「ごごごご、ごめんなさい~!」
「別に怒ってなどおらん」

 そう言うと、おずおずと顔を出した。

「お、怒ってない?」
「ああ、怒ってはおらん」
「……でも、大事な家臣さんを退治しちゃいましたし」

 変なところで律儀な妖精だ。
 ザザエルが敗れたのは、結果論だ。
 あやつのほうとて勇者を殺そうとしたし、弱かったから負けたのだ。
 弱肉強食の魔界ではよくあることで、負けたほうにこそ責任がある。
 勇者一行に罪はない。

「まあ、ザザエルも千年もすればよみがえろうし、気にするな」

 魔族は魔界の瘴気に当てられて復活する。
 ザザエルほどの実力者なら千年単位は必要だろうが、完全に死んだわけではない。

「それよりも、お前はこれからどうするのだ?」
「どうするって……?」
「帰ろうにも帰れぬのではないか? ここは魔界の最深部だしな」

 魔界の中でも特に邪悪な種族が集まるこの地方。
 おそらく、外に出た瞬間にアースドラゴンあたりに瞬殺されるだろう。

「あの……、魔王さんのお力で、妖精の村に還してはくださらないでしょうか」
「無理だな」
「な、なぜですか?」
「行ったことのない場所には送れぬ。仮に送れたとしても、お前のその小さな体ではおそらく余の魔力に耐え切れずバラバラになってしまうだろう」

 バラバラ、という言葉でこの妖精はさらに「ひいい」と叫んでカーペットの下に潜り込んでしまった。

「じ、じゃあ私、二度と帰れないのですか!?」
「帰れぬことはない。次の勇者が来たら、一緒に村へと送り返してやろう。勇者の懐におれば魔力の影響は少ないから大丈夫のはずだ」
「つ、次の勇者……?」
「何年後か、何十年後か……。永遠に来ぬかもしれんがな」

 とたんに泣きそうになる妖精。
 瞳を潤ませながら「そんな……」と言っている。

「こ、こら泣くでない。例えばの話だ。ここ数年は、勇者の来訪頻度は上がっているから、何十年とかからぬはずだから安心せい」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ、余が保証する」

 ホッとため息をつく妖精。
 まさか魔王たる余がたかが妖精ごときに気を使うとは。
 今までは敵意むき出しの人間相手ばかりだったから、どうもやりにくい。

「……では、それまで私はどうすれば」
「だから、それを聞いておる!」

 妖精とはこういうものなのか?
 マイペースというか、なんというか。

「わからぬようであれば、余の側にいろ。外は危険だし、城の魔物たちは逃げて行ったが、いつ戻って来るとも限らん。お前のような存在など、見つかったら即殺されるからな」
「ひいいっ!」

 またカーペットの中に頭を引っ込めた。
 どうやら、そこが好きなようだ。あまり意味はないが。

「おい、マリベルと言ったな」
「は、はい……」
「お互いすることもないなら、ゲームをしようではないか」
「ゲーム?」

 ひょこっとカーペットから顔を出すマリベル。
 その顏は意外そうな表情をしている。

「チェスというものを知っているか?」
「チェス?」
「盤上の駒を動かして、相手の王を取るゲームだ」
「……わかりません」
「教えてやる。一人でやるには退屈でな。遊び相手を探していた」

 そう言って玉座の横の机に並べたチェス盤を指差す。
 余のサイズのチェス盤のため、マリベルには大きすぎる盤だ。

「動かすのは余がしてやろう。お前はどこに置くか指示するだけでいい」

 相手になるかどうかはわからんが、多少なりとも退屈しのぎにはなるだろう。
 お互い、暇を持て余す身。
 どうせなら二人でできそうな何かを試してみても悪くはない。
 そう思いながら、余は彼女にチェスのルールをひとつひとつ教えていった。


     ※


「ま、また負けた……」

 なんということだ。
 チェスのルールを教えてから一週間。
 マリベルの成長速度は目を見張るものがあり、気づけばここ10戦全敗している。

「すいません、また勝ってしまいました……」

 相変わらずビクビクオドオドしてはいるが、一週間も経てばマリベルも余を怖がることがなくなり、今では肩に止まって会話ができるようにもなっていた。

「なぜだ、なぜ勝てぬ」
「お、おそらく魔王さんの戦略パターンが、わかりやすすぎるのだと思います」
「わかりやすいだと?」

 ギロリと目を向けると、「きゃー!」と叫んで逃げていってしまった。
 相変わらず、潜り込む先はカーペットの下だ。
 余は「ふう」と息をついた。

「頼むから逃げるでない。ただ聞いただけだ」

 どうも、マリベルといい他の魔物といい、余が少し声を荒げると逃げていくようだ。

「お、お、お、怒ってませんか?」

 おずおずとカーペットの下から顔を出す。
 またもや泣顔になっている。

「だからその顔をやめぬか。怒ってはおらんから」

 精一杯穏やかな声でそう告げると、マリベルはひょこっとカーペットから抜け出して余の肩に止まった。

「わかりやすいというのはどういう意味なのだ?」
「え、と……。魔王さんの戦略はクイーンを動かすことを基本としていて、そのために全部の駒をどかしてるんです」
「ふむふむ」
「駒にはそれぞれ特徴がありますよね? ですが、魔王さんはそれを活かすことなく、すべてクイーンでやろうとしてるんです」
「ふむふむ」
「ですので、クイーンの動きさえ封じてしまえばいいわけなんです」
「なるほど」

 言われてみれば確かに。
 余は縦横無尽に動き回れるクイーンが好きだから、この駒ばかり使っていた。
 そこを逆に狙われたわけか。

「ふうむ、自分一人でやってるとわからぬものだ」
「あの……、魔王さんはずっと一人でチェスをやってらしたんですか?」
「ああ、数千年もな」
「す、数千年……」

 別に驚くこともあるまい。
 時をつかさどる女神は、たった一人で数百万年も機織(はたお)りをしていると聞いたことがある。
 それに比べたら微々たる年数だ。遊びだしな。

「数千年も対戦相手がずっと自分だったなんて、寂しいですね」

 マリベルの口から、意外な言葉が出た。

「寂しい?」
「寂しいですよ。ずっと相手のいないチェスを指し続けるなんて」
「寂しい……か」

 魔族にとって無縁の言葉だ。
 魔族は寂しさなど感じない。虚しさも感じない。
 魔族の王たる余にとってはなおさらだ。
 しかしマリベルが言うと、なぜか説得力があった。

 余は……寂しかったのか?

「だから私にチェスを教えてくれたんですね」
「そんなことはない。退屈だったから教えただけだ」
「ふふ、一緒ですよ」

 マリベルが笑った。
 初めて見た笑顔だった。
 なるほど、笑うとなかなか可愛いものだ。
 人間界では可憐なものを妖精(フェアリー)と呼称しているようだが、わかる気がする。

「ところで、マリベルは家族はおるのか?」

 ふと、気になった疑問をぶつけた。
 勇者と共にこの城まで乗り込んで、マリベルだけを残して勇者たちを返してしまった。
 きっと向こうではマリベルは殺されたと思っているだろう。

「家族は……いません」
「いない?」
「物心ついたころからずっと一人です」
「そうか」
「実は私、妖精の村では落ちこぼれで、いつもバカにされていたんです」
「落ちこぼれ?」
「魔法も使えないし、いつも逃げ回ってるだけだったし」

 逃げ回ってる、それは言えている。
 最初に出会った時を思い出し、余は心の中で笑った。

「今回、勇者様をお連れしたのだって、本当は誰でもよかったんです。妖精のエナジーさえあればいいんですから。ですから、村にいても役に立たない私が選ばれたんです」
「なるほどな」

 妖精の世界にもいろいろあるのだな。

「しかし、役に立たないなど卑下することはないぞ?」
「……魔王さん?」
「現に今、余の遊び相手になっている。余が数千年かけて磨いたチェスの腕を一週間であっさり抜いて、さらには余の欠点まで見抜いた。立派に役に立っているぞ。むしろ立ちすぎているぐらいだ」
「魔王さん……」

 肩に止まったマリベルの頭を指先で撫でてやると、嬉しそうに目をつむった。


 それに、こうして余の心を和ませてくれているしな。


 そう言おうとして、口をつぐんだ。
 これは魔族の王たる者が言う言葉ではない。


 と、その時。
 玉座の間の扉が開き、一匹の獣人が姿を現した。
 すかさずマリベルが余の肩の後ろに隠れた。

「魔王様! ご無事でありますか! オークキングのヒューリッヒです!」
「おお、ヒューリッヒ将軍か」

 イノシシの頭、でっぷりと太った巨体、手には血染めの棍棒。
 世界各地に散らばるオークの群れを束ねる将軍だ。
 その攻撃力、回復力は魔界随一である。

「ザザエル卿が倒されたと聞いて、飛んでまいりました。ご無事で何よりでございます」
「うむ、心配をかけた。勇者は追い返したから問題ない」
「さすがは魔王様……おや? 何やら、変なにおいがしますな」

 ヒューリッヒがクンクンと豚鼻をひくつかせる。
 とたんに、余の肩の後ろに隠れていたマリベルがブルブルと震えだした。
 そのわずかな変化をヒューリッヒは見逃さなかった。

「や、やや!? そやつは妖精ではございませんか!?」

 さすがは闇夜を好むオークを束ねる将軍。
 余の肩の後ろに隠れていたマリベルを発見するとはたいしたものだ。
 ヒューリッヒは棍棒を構えて雄たけびを上げた。

「おのれ、小娘! 魔王様の近くで何をしている!」
「ひっ」

 マリベルが悲鳴を上げる。
 余は慌てて制した。

「よい、ヒューリッヒ将軍。下がれ」

 しかし忠実なるこの将軍は余の肩にいるマリベルしか目に入っていないらしく、耳を貸そうとしなかった。

「ええい、不埒な輩め! 八つ裂きにしてくれるわ!」

 瞬間、手に持った棍棒をマリベルめがけて突き出してきた。
 並の人間であれば、何が起きたかわからぬうちにあの世行きだっただろう。
 事実、余の肩にいたマリベルも、身動きひとつとれずにいた。

 だが、ヒューリッヒ将軍の棍棒は余の手によって遮られた。
 棍棒がマリベルに激突する直前に、余が右手でその攻撃を防いだのだ。

「ま、魔王様!?」

 慌てて棍棒をひくヒューリッヒ。
 さすがは魔界随一の攻撃力を誇る将軍だ。
 防いだ手の平にうっすら血がにじんでいる。
 ザザエルを倒した勇者でさえ傷をつけられなかった余の身体にである。

「魔王様、お怪我を!?」
「よい、ヒューリッヒ。大事ない」
「で、ですが……」
「それよりもヒューリッヒ将軍。ひとつ言っておく。この妖精を殺してはならん」
「な、なんですと!? なぜです!?」
「余の大事な客人だからだ」
「き、客人!? そやつは妖精ですぞ!?」
「妖精だろうとなんだろうと、客人は客人だ。無礼は許さぬ」
「し、しかし……」

 なおも棍棒に力を込めるヒューリッヒに気づき、余はゆっくりと右手を将軍に向けた。

「ほう? 余の命令が聞けぬか」

 小さな魔力を右手に集中させる。
 と、ヒューリッヒは慌てて棍棒を床に落とした。

「め、め、め、滅相もございませぬ! 魔王様の命令は絶対であります!」

 右手にためた魔力を解くと、ヒューリッヒはその場で膝をついて「ハアハア」と息切れを起こした。
 こやつほどの実力者ともなれば、攻撃せずとも余の殺気である程度動きを封じ込めることができる。
 にしても、息切れを起こさせてしまうとは。
 少しやりすぎたか。
 いつも以上に強い殺気を表に出し過ぎてしまったかもしれん。

「マリベルは余の側に置いておく。少しでも殺意を抱いたら、その場で殺すから覚えておけ」
「……は、はっ!」

 退室するヒューリッヒを見送りながら、余はマリベルに目を向けた。

「家臣が失礼した。おぬしは絶対に殺させぬから、安心せい」

 瞬間、ドキリとした。
 当の本人、マリベルは潤んだ瞳で余を見つめていたからだ。
 それほど怖かったのだろうか。
 まあ、殺されかけたのだから当然か。

 しかし、彼女の口から出た言葉は意外なものだった。

「魔王さん。ありがとう」
「なにがだ?」
「守ってくれた」
「当然だ。おぬしは大事な客人だからな」
「えへへ、嬉しい」

 涙を拭いながらニッコリと笑うマリベルに、何かこそばゆいものを感じた。
 なんだこの感情は。
 妖精を見て心が温まるなど。
 今までになかった感覚だ。

「私も、魔王さんにありがとうって言ってもらえるよう、がんばります」
「うむ」

 肩の上を飛び回るこの小さな妖精を見て余は思った。
 マリベルにありがとうと言える日が来るまで、次の勇者は来ないでもらいたいと。

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