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第二話 武芸大会開幕
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馬場に陣幕が引き渡され、その最も奥まったところに床几が三つ並べられている。向かって左から桐島家当代弾正忠是久、源心入道、そして鞍山禅師の順で腰を据えるための床几である。
鞍山禅師は桐島家累代の崇敬を受ける菩提寺の霊山禅師であり、平時戦時問わず桐島源心入道の諮問に答える謂わば軍師であって、十年前、にわかに発心し入道を決意した弾正忠是綱の頭を剃り、源心の法名を授けた授戒の師でもあった。公私にわたり桐島家とのつながり深く、この武芸大会においてもご意見番として源心入道そして弾正是久と肩を並べるほどの権勢を桐島家中に誇る文字どおり怪僧だ。
仕合場となる馬場で、参加を認められた牢人どもが、或いは威嚇まじりの素振りを繰り返し、或いはじっと目を閉じて精神を集中させるなどして皆思いおもいに過ごしていたところに打ち鳴らされる陣太鼓。
続いて桐島の奉行が
「お成りである! 下に~、下に~!」
と大音声に呼ばわれば、いずれ劣らぬ百戦錬磨の旗本どもに警固された件の三名が、陣太鼓の激しく打ち鳴らされる音と共に床几に腰掛けるまでの流れは顔役の登場もかくやといった風情である。
「これより大殿のお言葉を賜る! 者ども頭が高い、控えおろう!」
いつもであればこう言われて素直に頭を下げるとも思われぬ牢人連中が、この時ばかりはまるで事前に打ち合わせでもしていたかのように揃って座礼の儀をとったのは、いうまでもなく桐島源心入道の圧倒的カリスマの為せる業。のみならず下手にはね返って無礼の態度を取れば、桐島家首脳陣の身辺をガッチリ固めるこれら旗本どもに寄ってたかって切り刻まれるであろうことが、やってみる前から明白でもあったのだから尚更だ。
桐島源心入道は牢人どもに向かって訓示した。
「いやしくもこの桐島源心入道、戦陣に日を過ごして幾星霜。武によって周辺を切り従え斯くの如く大身となった。
今日ここにて行われる仕合は各々にとっては合戦と同じである。桐島の禄を勝ち取り大身となるか、武運つたなく討ち死にするかは腕次第。
者ども励め!」
斯くしてここに、高禄をかけた桐島家主催武芸大会が幕を開けたのである!
桐島源心入道が宣言したとおり、仕合は死を厭わぬ合戦そのものであった。
刀槍はいうまでもなく、分銅、金棒、鎖鎌など、およそ飛び道具以外のありとあらゆる物の具を得手とする牢人どもに、それぞれの機能を模した安全用具を準備できるほど桐島家も閑ではない。自然仕合は刀であれば抜き身、金棒であれば本人が常日頃愛用しているそれで行われる仕儀となり、互いに戦闘不能となるまで斬り結んでは殴打するものだから殺し合いになること自明の理であった。
なお博識の読者諸氏には今さら説明不要であろうが一応申し上げておくと、この場にて弓鉄炮の使い手が排除された所以は、
「牢人といえど武士と名が付くからには弓など使いこなせて当たり前、鉄炮の使用はさらに卑怯なり」
という建前論以外に、まさに今この時も虎視眈々と桐島領をつけ狙う周辺諸勢力の意を受けた何者かが、いわゆる暗殺者として牢人衆のなかに混入し、桐島源心或いは弾正是久を射殺すことを警戒してのことであった。身辺の警固を怠らないという心構えはこんなところひとつ取ってみてもとことん貫かれていたのである。
陣幕の内側からすさまじい断末魔が聞こえてきたかと思えば、桐島家の小者どもが、斬り死んで真新しい遺体を運び出し並べていく。その数既に十指に余るほどだったから酸鼻そのものだ。陣幕の外側に待機する牢人の中には、かかる光景を目にして早くも戦意を阻喪し、
「途端に腹が痛くなって参った。禄は惜しいが万全ではないのに戦って敗れるはなお痛恨の極み。無念であるが今回は辞退致し申そう」
などと青い顔をしながら負け惜しみを言い残して退出する者を止めもしなかったのは、闘志の薄い者を事前に排除し無駄な犠牲者を減らそうという桐島家なりの配慮だった。
繰り広げられる死闘。
護神流剣術の使い手菅野甚右衛門が新山妙法流槍術の芝田青嵐斎と一閃交わるや、青嵐斎の槍の穂先を寸手のところで躱した甚右衛門の刀がその手首を切り落とし、青嵐斎が片膝突いたところで源心入道は傍らの旗本に小声で訊ねた。
「あの扇丸とか申す小僧はまだ控えておるか」
「知り申さず」
「見て参れ」
「ははっ!」
しばらくして旗本が戻ると、戸板に横たわる青嵐斎が小者によって幕外に運び出されるところであった。戸板の脇からぶらんと垂れ下がる先のない手首からは、心臓の鼓動に同期してびゅるっ、びゅるっと大量の血液が噴出し、この状態から蘇生するなど万に一つもないことは誰の目にも明らかだ。かような光景を目の前において眉ひとつ動かさぬ桐島家首脳陣の胆力こそ恐るべし。
さてその眉ひとつ動かさぬ源心入道に旗本が復命した。扇丸のことである。
「いまだ控えおり候」
「これへ」
「は……?」
旗本が逡巡したのも無理はない。ここに集った諸国武芸人どもは己が腕前ひとつを頼りに仕官を望んで命懸けの仕合に臨んでいるのである。武を前にしては何者であっても皆平等であらねばならず、桐島源心入道が扇丸と面接する行為は、主催者が牢人のひとりに肩入れしたとの誹りを受けかねない軽はずみの行動であった。
しかし源心入道より重ねて
「聞こえなんだか。扇丸をこれへ呼んで参れと申したのだ」
と下命されれば、いかな戸惑いを隠せない旗本といえどこれ以上命令を拒否することなど出来るはずもなかった。
鞍山禅師は桐島家累代の崇敬を受ける菩提寺の霊山禅師であり、平時戦時問わず桐島源心入道の諮問に答える謂わば軍師であって、十年前、にわかに発心し入道を決意した弾正忠是綱の頭を剃り、源心の法名を授けた授戒の師でもあった。公私にわたり桐島家とのつながり深く、この武芸大会においてもご意見番として源心入道そして弾正是久と肩を並べるほどの権勢を桐島家中に誇る文字どおり怪僧だ。
仕合場となる馬場で、参加を認められた牢人どもが、或いは威嚇まじりの素振りを繰り返し、或いはじっと目を閉じて精神を集中させるなどして皆思いおもいに過ごしていたところに打ち鳴らされる陣太鼓。
続いて桐島の奉行が
「お成りである! 下に~、下に~!」
と大音声に呼ばわれば、いずれ劣らぬ百戦錬磨の旗本どもに警固された件の三名が、陣太鼓の激しく打ち鳴らされる音と共に床几に腰掛けるまでの流れは顔役の登場もかくやといった風情である。
「これより大殿のお言葉を賜る! 者ども頭が高い、控えおろう!」
いつもであればこう言われて素直に頭を下げるとも思われぬ牢人連中が、この時ばかりはまるで事前に打ち合わせでもしていたかのように揃って座礼の儀をとったのは、いうまでもなく桐島源心入道の圧倒的カリスマの為せる業。のみならず下手にはね返って無礼の態度を取れば、桐島家首脳陣の身辺をガッチリ固めるこれら旗本どもに寄ってたかって切り刻まれるであろうことが、やってみる前から明白でもあったのだから尚更だ。
桐島源心入道は牢人どもに向かって訓示した。
「いやしくもこの桐島源心入道、戦陣に日を過ごして幾星霜。武によって周辺を切り従え斯くの如く大身となった。
今日ここにて行われる仕合は各々にとっては合戦と同じである。桐島の禄を勝ち取り大身となるか、武運つたなく討ち死にするかは腕次第。
者ども励め!」
斯くしてここに、高禄をかけた桐島家主催武芸大会が幕を開けたのである!
桐島源心入道が宣言したとおり、仕合は死を厭わぬ合戦そのものであった。
刀槍はいうまでもなく、分銅、金棒、鎖鎌など、およそ飛び道具以外のありとあらゆる物の具を得手とする牢人どもに、それぞれの機能を模した安全用具を準備できるほど桐島家も閑ではない。自然仕合は刀であれば抜き身、金棒であれば本人が常日頃愛用しているそれで行われる仕儀となり、互いに戦闘不能となるまで斬り結んでは殴打するものだから殺し合いになること自明の理であった。
なお博識の読者諸氏には今さら説明不要であろうが一応申し上げておくと、この場にて弓鉄炮の使い手が排除された所以は、
「牢人といえど武士と名が付くからには弓など使いこなせて当たり前、鉄炮の使用はさらに卑怯なり」
という建前論以外に、まさに今この時も虎視眈々と桐島領をつけ狙う周辺諸勢力の意を受けた何者かが、いわゆる暗殺者として牢人衆のなかに混入し、桐島源心或いは弾正是久を射殺すことを警戒してのことであった。身辺の警固を怠らないという心構えはこんなところひとつ取ってみてもとことん貫かれていたのである。
陣幕の内側からすさまじい断末魔が聞こえてきたかと思えば、桐島家の小者どもが、斬り死んで真新しい遺体を運び出し並べていく。その数既に十指に余るほどだったから酸鼻そのものだ。陣幕の外側に待機する牢人の中には、かかる光景を目にして早くも戦意を阻喪し、
「途端に腹が痛くなって参った。禄は惜しいが万全ではないのに戦って敗れるはなお痛恨の極み。無念であるが今回は辞退致し申そう」
などと青い顔をしながら負け惜しみを言い残して退出する者を止めもしなかったのは、闘志の薄い者を事前に排除し無駄な犠牲者を減らそうという桐島家なりの配慮だった。
繰り広げられる死闘。
護神流剣術の使い手菅野甚右衛門が新山妙法流槍術の芝田青嵐斎と一閃交わるや、青嵐斎の槍の穂先を寸手のところで躱した甚右衛門の刀がその手首を切り落とし、青嵐斎が片膝突いたところで源心入道は傍らの旗本に小声で訊ねた。
「あの扇丸とか申す小僧はまだ控えておるか」
「知り申さず」
「見て参れ」
「ははっ!」
しばらくして旗本が戻ると、戸板に横たわる青嵐斎が小者によって幕外に運び出されるところであった。戸板の脇からぶらんと垂れ下がる先のない手首からは、心臓の鼓動に同期してびゅるっ、びゅるっと大量の血液が噴出し、この状態から蘇生するなど万に一つもないことは誰の目にも明らかだ。かような光景を目の前において眉ひとつ動かさぬ桐島家首脳陣の胆力こそ恐るべし。
さてその眉ひとつ動かさぬ源心入道に旗本が復命した。扇丸のことである。
「いまだ控えおり候」
「これへ」
「は……?」
旗本が逡巡したのも無理はない。ここに集った諸国武芸人どもは己が腕前ひとつを頼りに仕官を望んで命懸けの仕合に臨んでいるのである。武を前にしては何者であっても皆平等であらねばならず、桐島源心入道が扇丸と面接する行為は、主催者が牢人のひとりに肩入れしたとの誹りを受けかねない軽はずみの行動であった。
しかし源心入道より重ねて
「聞こえなんだか。扇丸をこれへ呼んで参れと申したのだ」
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