それでは明るくさようなら

金糸雀

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浸透されました(宮君が)

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『ボク!初めてだったんだからね!!』


腕の中でそう宣った先輩を衝動的に反射的に、骨が軋みそうなくらい強く抱きしめた自分は悪くない。
先輩はうげっと不可思議な声をあげていたが自分は悪くない。

絶対に、悪くない。





1つ上の葉海先輩は、出会った当初から摩訶不可思議な生き物だった。他人から見たらそうでは無い可能性はあるが少なくとも自分にとっては、この上なく。
今にして思えば最初から。




『宮君?ほらほらお酒ばかり飲まずにこれお食べ。』










自分の人生は、独りで。


それまでの稀薄な人間関係同様、いや、それ以上に。
大学生活では必要最低限、出来るならば他人と関わらずに過ごしたい。大学とは正しく学ぶ場所であり手段であり、同学部生や同期は将来的に関わりを持つ可能性のある、コネクション。それだけ。
高校までは自分の容姿が優れていることにも別段気にも止めずそのままにしていたがそれすら煩わしいものだと気づいて、わざと隠すことにした。眼鏡もかけ、素顔をわかりづらく、服装も無頓着にすれば面白いほどに誰も近づいてこない。独りで過ごすことの気楽さと勉学に集中できる快適さに満足していた。
新たに始まった生活にほんの僅かな息抜きとして望んだのは高校から続けていた弓道だった。
弓を引く、その目的だけで入部。
縦も横も繋がりを求めてない。周囲の人間も人間関係も興味は無い。
だから。学年も学部も、出身地も出身校も重ならない、同じサークルに所属するだけの葉海先輩とも当然関わるつもりも予定も無かった。
なのに。

葉海先輩は視界にいた。




意図せずに。
別段意識もしていない、視線で追っているわけでもない、にもかかわらず。
いつのまにか視界にいる。
特別射形が綺麗だとか容貌が秀でているとか自分の好みだとか、そういった類の話ではない。
どちらかといえば射形は汚くて雑。よく言えば自己流。あれでよく中るものだと変なところで感心したのが、先輩を認識した最初だった。
射形を気にしていないのだ。ただ楽しく引ければいい。
いつだって楽しげで。外しても笑っている姿に、そういうスタンスなのだと推測してからも、やたらとその楽しげな姿が笑顔が視界に入る。
容貌は世間一般的に見て、おそらく悪くはないがすこぶる良くもなく、あえて分類するなら、平凡より。背も平均並みか低いくらい。
自分にはそもそも、好みが無い。



好みが無い。

他人に、大して興味を持たない人種。
そう感じ始めたのは小学生の頃。
友達はいた。けれど特別に思える友達は1人もいない。
成長するにつれ周囲が騒めき出す頃になれば、自分が他人に恋愛感情を持つことも性的欲求を感じることもないことに気づいた。
何も思わない。
けれど周囲は自分に対して特別を求めてくる。
群がる同級生に適度に対応し深く関わることはしなかった。
それでも寄ってくる。


誘われ、少しだけ沸いた興味。
相手の顔も声も身体も記憶にない。
出来ないこともないのだと、感慨深く眺めた天井の白さだけが印象に残った。それだけ。


自分はある種の性的少数派に分類されるだろうと、高校生の頃には理解した。
他の誰も特別に思わず。
自分の何もかも浸透されず、誰の何もかも浸透させず。
そうやって最後まで独りで生きて、逝くのだと知った。
その。
はずだった。





『宮君。』

視界のどこかにいただけのその先輩が、気づいたら何故だかよく隣にいる。
最初は道場で。それから、校内のカフェテラス、食堂で。重なった講義では当たり前のように隣に座り。断り切れず参加した飲み会など、スタート時には遠くにいたはずが最後は隣でやたらと甘い酒を飲んで自分に話しかけてくる始末。
その都度、自分はろくに答えてない。相槌を打てば良い方、ほとんど何も返さず静かに酒を煽るのがほとんどだ。
にもかかわらず。
その先輩は大して気に止めた風でもなく、かといって押し付けがましくもなく、隣に座っては話しかけてくる。


『今日は何飲んでんの?』


自分が飲むのは、その先輩がまず頼まない辛口の日本酒。
銘柄を答えても『ふーん』で終わり。
聞くだけ。肯定も否定も、飲みたいも言わない。
『ふーん。』
恐らく興味もない。
ただ確認するかのように尋ね、返答を聞き。それから別の卓から少しずつお皿に盛ってきた料理を摘む。何故か自分も一緒に。
『宮君も摘もう。こちらはなかなか美味しいよ。』
もぐもぐと、男にしては小さな顔の小さな口に後から後から料理を放り込んでは、自分に薦めてくる。
『これは美味しい、けど。うーん。こっちはちょっと味が薄いなぁ。宮君、こっちをお食べ。』
などと。食べる端から選別してはまた自分に薦めてくる。その先輩の好みに合った料理を。美味しいと思ったものだけを。
本人談、料理するのが好きらしい。




『今度作りに行くよ!』


ある時の飲み会で、その日出された料理は口に合わなかったらしい。その先輩はお皿から摘んでは唸り摘んでは顔を顰め、とうとう箸を置いたと思えばそんなことを言い出した。
『はぁ。』
唐突過ぎて。
自分でも間の抜けた声だなぁと思わずにいられない、肯定でも否定でもないそんな声で返した3日後。
所謂その場のノリ、だと思ったその提案は驚くことに実行された。



『もしもーし。宮君今からご飯作りに行ってもいい?』





それからだ。
葉海先輩は突然に電話を掛けてきては、自分の家に寄って、料理するようになったのは。









『宮。お前葉海に懐かれたなぁ。』
そのうち他の先輩たちまでもが自分に話しかけてくるようになった。
懐かれた。
実に端的で的確な表現だ。
『そうですね。』
否定はしない。事実だ。
道場で校内で自分の家で。
そうして葉海先輩は、どうしてだか自分に懐いて、なぜたかそれまで以上に自分の視界に入り込んできて。
けれどそれだけだった、はずだ。
サークルの先輩と後輩、たまに料理をしに家に来るだけの。
酒も、ださなかった。夜遅くまでいることも、まして泊まることもなかった。
料理をする先輩の隣で偶に手伝い、出来上がった料理を向かい合って食べ、遅くならずに帰る。
最近までは。



最近は。
そして。



その、自分より小さな背丈や筋肉の付きにくそうな華奢な手足が、視界にちらつく。
自分の真っ暗な髪の毛と違って、少しばかり色素の薄い細くて柔らかそうな頭が、視界で動く。
『宮君!』
若干高めの声で朗らかに名前を呼ばれる度、すぐさまその姿を探し出してしまうことに。
『今日泊まってっていい?』
いつだってそのマイペースさでじわりじわりと、けれど確実に葉海先輩が侵食してくることに、そのことを不快に感じないこと、寧ろ嬉しいと歓喜することに気づいてしまった。




先輩の視線の先に自分がいない。
隣に他の人間がいる、なによりあの男が、存在する。
先輩の中にあの不用ブツが。
吐き気がする。





気づいてしまった。





何も。特別な人も、誰に対しても何も感じない、欲を感じることのなかった自分が。
その先輩、葉海にだけは心が動くこと。


吐いた。
葉海の隣にアレがいて、笑い合い、アレの手が葉海の腰に回された光景を見た瞬間、気持ち悪さにトイレに駆け込み吐いた。
吐いて。
滲み出た涙。喉の奥、そのずっと奥、腹の底で、じくりと沸き立つ。酷くどろりとした仄暗いものに。
あの日とうとう気づいてしまった。



『宮君!』

駆け出した自分を追って、トイレに飛び込んできた姿と声に気づいてしまったんだ。







あぁ。
葉海が自分を、侵食してきたんだ。と。

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