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前編
メイシン公爵令息
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「ティアナちゃ~ん!よく来てくれましたわ‼︎‼︎」
「おおおオバさまぁぁぁぁ……」
メイシン公爵家のエントランスにて馬車を降りた私に向かい突進して来る可憐な巨体。思わず二、三歩後退ったが遅かった。ふくよかなお胸とお腹に抱きしめられ息が出来ない。
「たた助け……て……」
「母上、そろそろ解放なさいませ。死にますよ」
何処かで聞いたセリフだなぁとデジャブを感じていた私の上から重みが消える。
「王妃様も、座り込んでいないでさっさと立ってくださいね」
ヘタリ込んでいる私に手を差し伸べる美丈夫。オバさま譲りの深緑色の髪を背後でひとつにまとめ、金色の瞳を細めて立つ美丈夫こそ、メイシン公爵家の次期当主であるタッカー様だ。
言葉の節々に散りばめられた嫌味と口元に浮かべられた冷笑から、彼が私を歓迎していないであろう事は分かる。
この男に会いたくないから態々、面会時間を調節したのに、なんで居るのよぉ。王宮での仕事はどうした?サボりか?サボりなのか?
悪態でもついていないとやっていられない。
しかし、差し伸べられた手を取らない訳にもいかない。仕方なく、手に手を重ねれば、強い力で引かれ、奴の胸に抱き止められていた。
「ティアナ、しっかり食べているのか?痩せたのではないか?」
耳元で囁かれた言葉に思わず視線を上げれば、細められた金の瞳とかち合い、頬に赤が走る。慌てて視線を下すが、一瞬変わった表情が頭に残り消え去らない。
何なの?さっきまで嫌味な笑みを浮かべていたのに、今の顔は何なのよぉ……
今の映像を打ち払うように頭を振り、慌てて距離をとる。
「タッカー様、女性にそのような事をお聞きになるのは、マナー違反ですわ。それに挨拶もまだですし」
「……あっあぁ、すまない」
「あら、まぁまぁ。これはタッカーが悪いわね。ティアナちゃんごめんなさいね。いくつになっても口下手なんだから。これでは、何処ぞの殿方と変わりないわね」
二人の間に割って入って来たオバさまが、にこやかにタッカー様に釘を刺す。
「そもそもの原因は母上ではありませんか!客人に抱きつき、押し倒すなど公爵夫人に在るまじき行動です。ご自身のサイズ感をきちんと考えてください」
「うっ、まぁ‼︎ タッカー、貴方ぁ‼︎‼︎ もう少し女心を理解しなさい。そんなだから、好きな女性に勘違いされるのよ!もぉ、知らないわ。せっかく久々の再会をセッティングしてあげたのに。ティアナちゃん、行きましょ」
「えっ、えぇ。オバさま……」
プリプリと怒るオバさまに手を掴まれ歩き出す。すれ違いざまに見た彼の表情は何だか寂しそうにも見えた。
※
オバさまに連れられ歩く事数分、美しい花々が咲き、見事な噴水がキラキラと輝く庭を見渡せるサンルームへと通され、本来の目的であるお茶会が始まった。
目の前には、美味しそうなお菓子のタワーに、可愛らしい花柄のカップが置かれている。ソーサーを手に持ち、カップを口元へと運べば、鼻腔を抜けていく心地よい紅茶の香りにやっと気分を落ち着かせる事が出来た。
今でもドキドキが収まらない。
タッカー様って、あんなだったかしら?
昔の彼が脳裏に浮かぶ。
『こんな簡単な事も出来ないのか』
『カトラリーすらまともに扱えないのか』
嫌味や叱責しか受けた事が無かったように思う。辺境から出て来た礼儀知らずの田舎令嬢だと蔑まれていると、ずっと思っていた。そして、馬鹿にするように歪められた口元を見るたびに彼の事が嫌いになっていった。
だからこそ、結婚を機に今日まで彼と会う事を避けて来た。ただ、久々に再会したタッカー様は、私の知る彼ではないのかもしれない。昔の彼なら、手を差し伸べる事すらしなかっただろう。
陛下に嫁いで早数年、彼も私もあの頃の二人ではない。様々な経験をし成長もした。彼もまた、変わったのかもしれない。
「本当、ごめんなさいね。あの子ったら昔から、女心が分かっていないというか、未だに成長出来ていないのね。だから、好きな女性にも勘違いされるのに、分かっているのかしら。ティアナちゃん、気分を害したでしょ」
「いいえ。こちらこそ大人気なかったと反省しております。それよりも、タッカー様には、お相手の女性がいらっしゃるのですか?まだ、誰とも婚約の話は出ていなかったと記憶しておりますが」
メイシン公爵家のタッカー様と言えば、未だに婚約者がいない将来有望な独身貴族として、うら若い令嬢達が婚約者の座を狙う筆頭である。あの冷徹な物言いを抜きにしても、家柄とあの容姿で、虜になる令嬢は数知れずと、社交界で話題になる事も多い。
ただ今まで噂になった令嬢はいなかったと思うが、まさかの片想いなのか?
「それがねぇ、あの子の片想いなのよ。初恋を拗らせているというか、未だにその女性の事が忘れられないみたいなの。だからね、誰とも結婚しないのですって」
「それはまた、難儀な事ですね」
「本当よ。本人にもパートナーがいなければ、次期当主は務まらないと言っているのだけど、結婚するくらいなら家督を弟に譲るとまで言い出す始末で、わたくし達も、後継の座を捨ててまで貫く想いを無碍にも出来なくて、未だに婚約者を決められないでいるの」
「そうですか……
その女性とは婚約は結べないのですか?身分が低いだけなら、後見人をつけるなどすれば」
「それがね、どうやら想い人は人妻らしいのよ」
「はっ⁈ 人妻ですか?」
信じられない。あの辛辣な物言いを武器に、夜会で群がる令嬢達を容赦なく切り捨てるタッカー様の想い人が人妻だなんて。潔癖そうに見えて、人は見かけに寄らないのだろうか。
「そうなのよぉ。本当、想い人が人妻だなんて難儀な男よね。でも、その想い人どうやら夫と上手く行っていないとかで、別れる別れないの瀬戸際らしいのよ。だから、タッカーの恋心も再燃しちゃったというか、本当執念深いわよね。誰に似たのかしら」
おっとりとした口調で、息子の事をこき下ろすイザベラ様。間違いなくタッカー様は、オバさまに似たのだろうなぁと思いつつも、愛らしい笑みを浮かべ紅茶を嗜む彼女に、その事を告げる勇気はない。
「はは、ははは……さぁ?」
「それでね、私達もあの子の気持ちを考慮して、その方が現夫と離縁して、タッカーの気持ちに応えるなら認めようと思っているの」
夫に相手にされない妻というのは、珍しいものではないのかもしれない。特に、この国の後継制度では、暗黙の了解のように愛人を持つ事を黙認している。その結果、後継の男児を産んだ愛人に正妻の立場を奪われたり、逆に産んだ男児だけを奪われ、捨てられる女性が後をたたない。絶対的に女性の立場が弱いこの国では、妻という立場だから安心という訳ではない。政略結婚が当たり前の貴族社会では、不幸な妻が多いのが現実だった。
後継の座を捨ててまで愛を貫こうとするタッカー様の気持ちは、夫の愛を得られなかった妻にとっては眩しく映ることだろう。そんな真っ直ぐな想い向けられて心が動かない筈がない。
「タッカー様の気持ちをお相手の女性は知っているのですか?」
「どうでしょう。きっと、タッカーの事は何とも思ってないのではないかしら。あぁ、違うわね。どちらかというと嫌っているというか、避けているというか……」
「えっと、何と言えばよいか。また、どうして?」
「単純な話ね。好きな娘ほど虐めちゃう男心ってやつかしら。本当馬鹿らしい」
「どういう性格して……」
「本当よね。どうやら本人も無自覚でやっていたらしいわ。その娘が人妻になって、自分の恋心に気づいたって、手遅れなのにね。でも、散々後悔したらしいし、母親としては最後の足掻きくらいは協力してあげようと思ってね。でも、あの様子じゃあ、成長してないわ。ティアナちゃん、どう思う?久々にタッカーに会った感想は?」
「タッカー様に会った感想ですか⁈ えっとそのぉ……」
本当の事なんて言える訳ない。苦手ですなんて。
「そうよねぇ。本当、あの性格どうにかならないかしら。ティアナちゃんは、タッカーに会いたくないから、あの子の勤務時間に合わせて、態々面会時間を指定してきたのですものね」
「いやぁ……そんな事は……」
「いいのよ。昔のあの子の態度を考えれば、苦手意識を持っても仕方ない。全面的にタッカーが悪いわ。しっかり反省すればいい。ただね、あの子に会うリスクを侵してでも、わたくしに会わなければならなかったのはどうしてかしら?」
にこやかに微笑んでいたオバさまの表情が変わる。手に持っていたカップをソーサーに戻し、視線を上げた彼女のキラリと輝く金色の瞳とかち合う。
やはり、オバさまの目は誤魔化せない。今回のお茶会の真の目的にも気づいている。
「オバさまは、ご存知ですか?バレンシア公爵家の闇を……」
「おおおオバさまぁぁぁぁ……」
メイシン公爵家のエントランスにて馬車を降りた私に向かい突進して来る可憐な巨体。思わず二、三歩後退ったが遅かった。ふくよかなお胸とお腹に抱きしめられ息が出来ない。
「たた助け……て……」
「母上、そろそろ解放なさいませ。死にますよ」
何処かで聞いたセリフだなぁとデジャブを感じていた私の上から重みが消える。
「王妃様も、座り込んでいないでさっさと立ってくださいね」
ヘタリ込んでいる私に手を差し伸べる美丈夫。オバさま譲りの深緑色の髪を背後でひとつにまとめ、金色の瞳を細めて立つ美丈夫こそ、メイシン公爵家の次期当主であるタッカー様だ。
言葉の節々に散りばめられた嫌味と口元に浮かべられた冷笑から、彼が私を歓迎していないであろう事は分かる。
この男に会いたくないから態々、面会時間を調節したのに、なんで居るのよぉ。王宮での仕事はどうした?サボりか?サボりなのか?
悪態でもついていないとやっていられない。
しかし、差し伸べられた手を取らない訳にもいかない。仕方なく、手に手を重ねれば、強い力で引かれ、奴の胸に抱き止められていた。
「ティアナ、しっかり食べているのか?痩せたのではないか?」
耳元で囁かれた言葉に思わず視線を上げれば、細められた金の瞳とかち合い、頬に赤が走る。慌てて視線を下すが、一瞬変わった表情が頭に残り消え去らない。
何なの?さっきまで嫌味な笑みを浮かべていたのに、今の顔は何なのよぉ……
今の映像を打ち払うように頭を振り、慌てて距離をとる。
「タッカー様、女性にそのような事をお聞きになるのは、マナー違反ですわ。それに挨拶もまだですし」
「……あっあぁ、すまない」
「あら、まぁまぁ。これはタッカーが悪いわね。ティアナちゃんごめんなさいね。いくつになっても口下手なんだから。これでは、何処ぞの殿方と変わりないわね」
二人の間に割って入って来たオバさまが、にこやかにタッカー様に釘を刺す。
「そもそもの原因は母上ではありませんか!客人に抱きつき、押し倒すなど公爵夫人に在るまじき行動です。ご自身のサイズ感をきちんと考えてください」
「うっ、まぁ‼︎ タッカー、貴方ぁ‼︎‼︎ もう少し女心を理解しなさい。そんなだから、好きな女性に勘違いされるのよ!もぉ、知らないわ。せっかく久々の再会をセッティングしてあげたのに。ティアナちゃん、行きましょ」
「えっ、えぇ。オバさま……」
プリプリと怒るオバさまに手を掴まれ歩き出す。すれ違いざまに見た彼の表情は何だか寂しそうにも見えた。
※
オバさまに連れられ歩く事数分、美しい花々が咲き、見事な噴水がキラキラと輝く庭を見渡せるサンルームへと通され、本来の目的であるお茶会が始まった。
目の前には、美味しそうなお菓子のタワーに、可愛らしい花柄のカップが置かれている。ソーサーを手に持ち、カップを口元へと運べば、鼻腔を抜けていく心地よい紅茶の香りにやっと気分を落ち着かせる事が出来た。
今でもドキドキが収まらない。
タッカー様って、あんなだったかしら?
昔の彼が脳裏に浮かぶ。
『こんな簡単な事も出来ないのか』
『カトラリーすらまともに扱えないのか』
嫌味や叱責しか受けた事が無かったように思う。辺境から出て来た礼儀知らずの田舎令嬢だと蔑まれていると、ずっと思っていた。そして、馬鹿にするように歪められた口元を見るたびに彼の事が嫌いになっていった。
だからこそ、結婚を機に今日まで彼と会う事を避けて来た。ただ、久々に再会したタッカー様は、私の知る彼ではないのかもしれない。昔の彼なら、手を差し伸べる事すらしなかっただろう。
陛下に嫁いで早数年、彼も私もあの頃の二人ではない。様々な経験をし成長もした。彼もまた、変わったのかもしれない。
「本当、ごめんなさいね。あの子ったら昔から、女心が分かっていないというか、未だに成長出来ていないのね。だから、好きな女性にも勘違いされるのに、分かっているのかしら。ティアナちゃん、気分を害したでしょ」
「いいえ。こちらこそ大人気なかったと反省しております。それよりも、タッカー様には、お相手の女性がいらっしゃるのですか?まだ、誰とも婚約の話は出ていなかったと記憶しておりますが」
メイシン公爵家のタッカー様と言えば、未だに婚約者がいない将来有望な独身貴族として、うら若い令嬢達が婚約者の座を狙う筆頭である。あの冷徹な物言いを抜きにしても、家柄とあの容姿で、虜になる令嬢は数知れずと、社交界で話題になる事も多い。
ただ今まで噂になった令嬢はいなかったと思うが、まさかの片想いなのか?
「それがねぇ、あの子の片想いなのよ。初恋を拗らせているというか、未だにその女性の事が忘れられないみたいなの。だからね、誰とも結婚しないのですって」
「それはまた、難儀な事ですね」
「本当よ。本人にもパートナーがいなければ、次期当主は務まらないと言っているのだけど、結婚するくらいなら家督を弟に譲るとまで言い出す始末で、わたくし達も、後継の座を捨ててまで貫く想いを無碍にも出来なくて、未だに婚約者を決められないでいるの」
「そうですか……
その女性とは婚約は結べないのですか?身分が低いだけなら、後見人をつけるなどすれば」
「それがね、どうやら想い人は人妻らしいのよ」
「はっ⁈ 人妻ですか?」
信じられない。あの辛辣な物言いを武器に、夜会で群がる令嬢達を容赦なく切り捨てるタッカー様の想い人が人妻だなんて。潔癖そうに見えて、人は見かけに寄らないのだろうか。
「そうなのよぉ。本当、想い人が人妻だなんて難儀な男よね。でも、その想い人どうやら夫と上手く行っていないとかで、別れる別れないの瀬戸際らしいのよ。だから、タッカーの恋心も再燃しちゃったというか、本当執念深いわよね。誰に似たのかしら」
おっとりとした口調で、息子の事をこき下ろすイザベラ様。間違いなくタッカー様は、オバさまに似たのだろうなぁと思いつつも、愛らしい笑みを浮かべ紅茶を嗜む彼女に、その事を告げる勇気はない。
「はは、ははは……さぁ?」
「それでね、私達もあの子の気持ちを考慮して、その方が現夫と離縁して、タッカーの気持ちに応えるなら認めようと思っているの」
夫に相手にされない妻というのは、珍しいものではないのかもしれない。特に、この国の後継制度では、暗黙の了解のように愛人を持つ事を黙認している。その結果、後継の男児を産んだ愛人に正妻の立場を奪われたり、逆に産んだ男児だけを奪われ、捨てられる女性が後をたたない。絶対的に女性の立場が弱いこの国では、妻という立場だから安心という訳ではない。政略結婚が当たり前の貴族社会では、不幸な妻が多いのが現実だった。
後継の座を捨ててまで愛を貫こうとするタッカー様の気持ちは、夫の愛を得られなかった妻にとっては眩しく映ることだろう。そんな真っ直ぐな想い向けられて心が動かない筈がない。
「タッカー様の気持ちをお相手の女性は知っているのですか?」
「どうでしょう。きっと、タッカーの事は何とも思ってないのではないかしら。あぁ、違うわね。どちらかというと嫌っているというか、避けているというか……」
「えっと、何と言えばよいか。また、どうして?」
「単純な話ね。好きな娘ほど虐めちゃう男心ってやつかしら。本当馬鹿らしい」
「どういう性格して……」
「本当よね。どうやら本人も無自覚でやっていたらしいわ。その娘が人妻になって、自分の恋心に気づいたって、手遅れなのにね。でも、散々後悔したらしいし、母親としては最後の足掻きくらいは協力してあげようと思ってね。でも、あの様子じゃあ、成長してないわ。ティアナちゃん、どう思う?久々にタッカーに会った感想は?」
「タッカー様に会った感想ですか⁈ えっとそのぉ……」
本当の事なんて言える訳ない。苦手ですなんて。
「そうよねぇ。本当、あの性格どうにかならないかしら。ティアナちゃんは、タッカーに会いたくないから、あの子の勤務時間に合わせて、態々面会時間を指定してきたのですものね」
「いやぁ……そんな事は……」
「いいのよ。昔のあの子の態度を考えれば、苦手意識を持っても仕方ない。全面的にタッカーが悪いわ。しっかり反省すればいい。ただね、あの子に会うリスクを侵してでも、わたくしに会わなければならなかったのはどうしてかしら?」
にこやかに微笑んでいたオバさまの表情が変わる。手に持っていたカップをソーサーに戻し、視線を上げた彼女のキラリと輝く金色の瞳とかち合う。
やはり、オバさまの目は誤魔化せない。今回のお茶会の真の目的にも気づいている。
「オバさまは、ご存知ですか?バレンシア公爵家の闇を……」
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