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第1章
赤髪あらわる
しおりを挟む練習場を駆け出したアイシャに、もう涙を堪えるすべはなかった。泣きながら走り続け、人気のない宿舎裏の林に逃げ込むと、膝を抱え、声を殺して泣き続けた。
(なによ、なによ、なによぉぉぉ。貴方に言われなくたって自分の実力くらい分かっているわよ! 師匠に迷惑をかけている事も……)
それでも、五年間続けて来たのには、理由があった。
始めは男同士の色んな意味での熱い戦いを見たいという不純な動機だった。しかし、真剣に剣を教えてくれる師匠とのやり取りや、少しずつ上手くなる剣の扱いに、アイシャの考えも変わっていった。
始めは振ることすら出来なかった剣が、毎日の基礎練習と、地道なトレーニングで身体を鍛え続けた結果、徐々に扱えるようになって来たのだ。
そして、『出来た』という小さな喜びと共に、剣を学ぶことで芽生えた新たな将来の展望。
手に職を持ち独立するには、護身術を学ぶ必要がある。伯爵家を出て、ただのアイシャとして生きるには自分の身は自分で守らねばならない。
ここで学ぶ剣が、将来必ず役に立つ時が来る。
アイシャは将来のため、自分の未来をつかむため、辛くとも五年間、剣を握り続けてきた。
その努力を、あの男は切り捨てた。
(許せない。許せない……)
でも、何よりも許せないのは、あの男に全く歯が立たなかった自分自身だ。
あの男の殺気のこもった目に、無様に倒されたまま起き上がることも出来なかった。
(負け犬のままでいいのか!)
アイシャの中の怒りが、闘争心へと切り替わる。
「お前、アイシャなのか?」
突然名前を呼ばれたアイシャは、伏せていた顔を上げる。すると、目の前には赤髪のアイツが夕陽を背に立っていた。
「――――リアムなの?」
「やっぱりアイシャか。お前、こんな人気のない所にいたら危ない! 来い!!」
腕をつかまれ、引き上げられそうになったアイシャは抵抗する。
「やめて! ほっといてよ!! リアムには関係ないでしょ!!!!」
つかまれた腕を離そうと暴れ出したアイシャをリアムが抱き寄せる。
「少し落ち着け」
耳元でささやかれた優しい声にアイシャの力が抜ける。
「お前、泣いて……、どうしたんだ? 何があった?」
アイシャの顔が歪み、止めどなく涙があふれ、こぼれ落ちていく。ヒックヒックと泣き続けるアイシャを抱きしめ、リアムは彼女が落ち着くまで、背を撫で続けた。
♢
「――――はははっ、俺はてっきり誰かに襲われたのかと思ったよ。服は泥だらけで髪はボサボサ、……ぷぅ、くくっ、顔も汚れてるしな」
腹を抱えて笑うリアムをアイシャがジト目で睨む。
「そんなに笑うことないでしょ!! しょうがないじゃない。キースに吹っ飛ばされたんだから!! あぁ、全身痛い……」
泣き止むまで何も言わず背を撫で続けたリアムにアイシャは、今日の顛末を全て暴露させられた。
「アイシャが、剣を学んでいたことにも驚いたけど、あのキースがねぇ。剣を習いたての、しかも令嬢を容赦なく吹っ飛ばしたことの方が驚きだ」
「そんなこと言ったって、アイツが私を吹っ飛ばしたのは事実よ」
「だよなぁ……、キースは騎士団でも後輩たちに慕われてんだよ。教えを乞われれば丁寧に教えてやってるしな。自分より弱い奴を、理由もなく吹っ飛ばすような奴じゃないんだが? お前、キースの逆鱗に触れるような事、したのか?」
アイシャの脳裏に脱衣所での事が浮かぶが、たぶん違う。あの憎悪と殺気は本物だった。
「さっき師匠に紹介されたばかりよ! なんで殺気のこもった目で見られて、理不尽なことを言われなきゃならないのか、全くわからないわよ! あぁ、悔しいぃぃぃぃぃ。どうにかアイツをギャフンと言わせたい!」
「はは、それこそ無理だろうなぁ。キースは最年少で部隊長補佐に任命される程の実力者だぞ。剣を習い始めたばかりのひよっこが敵う相手じゃない。まぁ、アイツの剣は正統派だから、姑息な手段をつかえば、運が良ければ当たる可能性もあるがなぁ。ただ、お前じゃ無理だ」
「リアム、確かアイツと幼なじみだったわね? アイツの剣技にも詳しい」
(ニヤリ、獲物を発見!)
「リアム様、わたくしどうしてもキースに勝ちたいの。負け犬のままでは、わたくしの自尊心が傷ついたままだわ。女性の涙を無理矢理見たリアム様は、私のピュアな心まで傷つけた」
アイシャはリアムの手を握り、引きつった顔の彼の瞳を見つめ一粒涙をこぼす。
「お願いです! わたくしに剣を教えてください」
「いや、俺関係ないだろう。それに、お前ルイス副団長にも教えを乞うているじゃないか。俺にも習うのはマズい」
引きつった顔のリアムが逃げをうつ。
(逃がさないわよぉ)
「問題ございませんわ! 師匠にはわたくしから伝えます。リアム様にはぜひ、キースを倒す姑息な手段を習いとうございます!」
「あぁ、すでに姑息な手段を使って勝つつもりだし……」
「リアム様は、キースの事を熟知しておられます。アイツを倒すために、ぜひ協力くださいませ」
アイシャはリアムの胸に飛び込み、上目遣いでお願いしてみた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ、分かったからひっつくなぁぁぁ!!!!」
そしてアイシャは、若干顔が赤いリアムから協力をもぎ取ることに成功したのだった。
(第二の師匠ゲット!)
♢
「おーい。寝てても強くなれないぞぉ。俺はすぐ辞めてもいいんだけど」
「リアムさま……、まだまだよ」
キースに敗北を期してから数週間後、師匠の許可も得られたアイシャは、リアムとの稽古を開始した。しかし、リアムから受ける実践稽古は、アイシャの想像を優に超えるほど過酷なものだった。
(アイツは鬼よ。鬼……)
自分の不甲斐なさに歯を食いしばり、立ち上がる。
いかに、師匠が手加減して教えてくれていたかがわかる。足や腕を模擬刀で打たれる度、痛みが走り顔を歪ませる。そして、地面に転がされ、ぶつかった肩や背中が痛みを訴える。
笑いながら繰り出される緩急をつけた剣技は、はっきり言って容赦がない。しかし、手加減されているとわかっているから、なおさら悔しい。
「まだまだ、これからよ」
フラフラする足を叱咤し、走り出したアイシャは、リアムに向かい剣を振り下ろす。
『ガッ! ドンっ』
片手でアイシャの剣を受け止めたリアムに押され、吹っ飛ばされる。荒い息を吐き、仰向けに倒れ込んだアイシャは、もはや剣を握る力も残っていなかった。
「アイシャ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよぉ」
起き上がることも出来なくなったアイシャをリアムが抱き上げ、芝生の上へと彼女を寝かせる。
(もう、一歩も動けないわぁ)
「なぁ。アイシャは何で辛い思いまでして剣を習っているんだ? 伯爵令嬢なら、別に剣を習わなくたって護衛を雇えるだろう?」
(まぁ、確かに伯爵令嬢が剣を習う必要は、全くないわよねぇ。騎士団の練習を見ながら、妄想パラダイスに浸りたかったなんて言ったら完全に変人扱いだろうしね)
「確かに伯爵令嬢は剣を習う必要なんてないわよね。強いて言うなら将来の自分の為かしらねぇ~、たぶん未来の私は、自分の身は自分で守れるように、強くならなくてはいけなくなるから」
「はぁ~? それこそ必要ないだろう。リンベル伯爵家から嫁ぐ貴族家の候補は、高位貴族ばかりだろう。平民にでもならない限り、嫌でも護衛がつくぞ」
「だって、結婚するつもりないもの」
「お前、なに言ってんだ!? 貴族令嬢が結婚せずに、どう生きて行くつもりなんだよ?」
「それこそ偏見じゃないかしら。貴族令嬢は結婚して当たり前って言う考えが古いんじゃないの。私は自分の夢や趣味を捨ててまで、意思にそぐわぬ結婚をするのは絶対に嫌なのよ。そのために今から出来る事はやるの」
「それ、本気なのか?」
「もちろん本気よ。将来の自分に必要だと思えば剣だって握るし、勉強だって疎かにしないわ。リアム様だって自分の夢のためなら何だって頑張れるでしょ?」
「アイシャみたいに考えられる奴の方が少ないよ。誰しもが何かしらの柵に囚われているものだよ。その柵に囚われ夢を捨てる者が多いのが現実だ」
「リアム様は悲しいことを言うのね。確かに誰しも、柵に囚われているものよね。私だって伯爵令嬢っていう柵に囚われているわ。でもね、だからって夢まで捨てる必要はないと思うの」
前世の私は二十九年という短い生だったけど、趣味に仕事に、自分のやりたい事はやって来たつもりだ。
幸せだったかと言われれば、胸を張って幸せだったと言える。
確かに貴族社会は、想像する以上にたくさんの柵に支配されて回っている。しかし、そんな些末なことに囚われ生きるなんて、つまらい。
「ねぇ、リアム様。私達、まだ子供よ。これからの人生が、どうなるかなんてわからない。今、夢を捨てたら、きっと後悔する。大人になって夢と現実は違うんだって思い知らされるまで、足掻いてみたいのよ。夢に向かって足掻けば、将来、何かが変わるかもしれないじゃない!」
今世も自分の趣味に生きると決めたのだ。前世のように人生いつ何が起こるかもわからない。
だからこそ悔いのないよう、心のままに生きたい。
「夢に向かって足掻けば何かが変わるかもしれない、か。俺も変われるのだろうか……」
「――――えっ? 何か言った?」
「いいや、何でもない。がんばっているアイシャに、ひとつアドバイスをやろう。お前の持っている剣、こっちにしてみな。これは、護身用に使う短剣なんだけど、長剣より軽くて扱いやすい」
手渡された短剣を持ち、軽く振ってみる。
「確かに、軽いわね」
「だろぉ。女性は小さくて身軽だから男の懐に飛び込めば短剣でも致命傷を与えられる。護身術を身につけるならこっちの方が向いている。姑息な手段を繰り出すのにも、な。やるよ! 刃を潰せば練習用になる」
爽やかな笑顔でアイシャを見つめるリアムに、頬が熱くなる。
(そんな笑顔も出来るなんて、ずるいわよ)
アイシャは赤くなった頬を隠すように、リアムにもらった短剣を胸に抱き、うつむいた。
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