冷やし上手な彼女

カラスヤマ

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パパとママの出会い

化け物

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零七の秘密を知ってから半年が過ぎた。その間に俺自身もやっとクラスに馴染むことが出来た。

俺の中では、ここからが高校生活スタートだ。


「あのさ、悪いんだけど昨日の塾の宿題範囲教えてくれない?」


俺と同じ塾に通っている深津涼(ふかつりょう)に声をかけた。無口の涼は、登校して席に座ってからずっと漫画を読んでいる。漫画から目を離さないで、カバンの中から一冊のノートを取り出すと器用にスラスラと宿題のページを書き連ねていく。俺は、急いで自分のノートにそれをメモする。


「ありがと。助かったよ」


優しい学友の存在に感謝、感謝。まぁ、無口過ぎるのが玉に瑕だけど。俺は、気分よく自分の席に着こうとした。すると、この学校の次期生徒会長 最有力である前園美魅(まえぞのみみ)が、ズンズンと大股で俺の前まで来た。


「また、塾休んだでしょ? 最近、たるんでるんじゃない? もっと、しっかりしなさいよ。だいたいーーー」


それから数十分、担任が教室に入ってくるまでの間、俺は延々と前園に説教された。前園は、クラスでもリーダー格の恐い存在なので誰もその行為を止めることが出来ない。苦手なタイプだった。唯一、前園と正面から堂々とケンカ出来るのが、零七だった。零七は、前園と廊下ですれ違っただけで口喧嘩を始める。その声は、扉を閉めた教室の中にまでうるさく響くほど大音量だった。

犬猿の仲と辞書で引けば、二人の顔写真が載ってるくらい二人は仲が悪かった。


「朝からついてなかったね。前園さん、今日も機嫌悪いみたいだね」


「うん。まぁ………塾をサボった俺も悪いから何にも言えないけどさ。でも、あんなに大声で説教することないって。ほんと恥ずかしいよ」


「ハハ、そうだね。廊下にいても普通に聞こえるしね。塾をサボったって言ったけど、何してたの?」


「う~ん。特に何もしてない」

本当は、零七と一緒にゾンビゲームをしていた。さすがに付き合うところまではいかないが、友達程度にはなれたと思っている。


俺の前の席に座っている田中未来(たなかみらい)は、頬杖をついてうとうとし始めた。


「なぁ、未来。今日は、一日起きていられそう? 一時間目から古文だけどさ」


「……」


「未来、聞いてる?」


「…………」


「おいって!」


腕を枕にして、既に寝息をたてている未来。彼の前世は、ナマケモノに違いないと確信する。それにしても、未来は異常なほど良く寝る。学校にいる時も大抵寝ている。教室にいない時は、学校の屋上で寝ている。三度の飯より睡眠をとる男だ。

ほんと、どうしようもない奴。しかし、こんな奴だが女子にはモテる。彼の顔は、モデルのように整っているし、背も高い。極めつけは、普段寝てばっかいるくせに学校のテストでは学年一位と信じられないような好成績を連発している。悔しいが、俺の頭では彼の足元にも及ばない。未来は、俺と違い、塾にすら通っていないのに……。

昼休みになると、零七がメイドから受け取った昼食を持ってきた。最近、昼飯は一緒に食べるようになっている。正直、クラスの冷ややかな視線もあるし、一人で食べたいのだが………。恐くて、そんなことは本人には言えない。


「ねぇ、正義。帰りに、ゲーセン行こうよ。私、欲しいヌイグルミがあったの。また、取ってもらいたいから」


はぁ、また小遣いがなくなる。零七の家は金持ちなんだから、自分で金出せばいいのに………。毎回、俺がなけなしの金を使い、彼女の欲しいものを取っている。俺達は、週に二回のペースで近所のゲーセンでUFOキャッチャーをしていた。


「放課後になっても先に帰らないでね。もし、いなかったら家まで行くから。居留守しても私には分かるから」


「………あぁ」


ほぼ脅迫だし。

 

前の席では、まだ未来が寝ていた。さすがに昼飯抜きは可哀想なので、未来の体を激しく揺すった。


「う~ん、うん? あぁ良く寝たぁ。おはよう。零七ちゃん。今日も可愛いね~」 


「朝から寝てたの? 相変わらず、どうしようもない男だね」


「ハハ、そうだよ。僕は、どうしようもなくバカで一途な男さ」


「一途?」


「零七ちゃんに惚れてるってこと。あぁ、恥ずかしい」


自分で言ってて、何が恥ずかしいだ。はぁ、こんな男よりバカだなんて。世の中不公平。間違ってる。


「何度言ったら分かるの? 私は、正義しか好きにならない。あなたじゃ、ダメなんだよ」


「そんな悲しいこと言わないでよ………。はぁ、悲しい。そして……眠ぃ」


「どこ行くんだ?」


「この悲しみが消えるまで、屋上で寝てくるよ。僕は君が心底羨ましいよ。彼女の心を独占してさ」


独占するつもりは、全くないんだけど。肩を落とし、教室を出て行く未来。その背中が、ひどく小さく見えた。


「なんなの、アイツ。良く分からない。私の苦手なタイプです」


「ーーーーでもさ、未来は顔も頭もいい。女として、惹かれないのか?」


「全ッ然! 冗談でしょ。ミジンコほども惹かれない」


「そうなんだ…………」


そのミジンコより成績悪いのか、僕は。鬱だ。

米粒を一つも残さず自分の弁当を食べ終えた零七が、買ってきたお茶と一緒にいつものように茶瓶から取り出した『赤いカプセル』を一粒飲み込んだ。この高校に入学してから毎日、この光景を目の当たりにしている。


「あのさ、その赤いカプセルって健康サプリなんだろ? ずいぶん長い間流行ってるよな。気になって薬局やコンビニで同じものを探したんだけど、全然見つからなくて」


「これは、正義には関係ないものだよ。だから、気にしなくていい。すっごく、苦くてマズイしさ」


「ふ~ん。それ飲むと体調良くなるんでしょ?」


「これについては、もうおしまいっ!」


「えっ、でも。一度くらい試してみたい。一粒ちょうだい」


「何度も同じこと言わせないでっ! お尻ひっぱたくよ、いい加減にしないと」


零七は、立ち上がると左手をブンブン鞭のように左右に振っている。この歳で、しかも教室でお尻叩かれたんじゃ、洒落にならない。本当にやりかねない、彼女の行動力が恐いのだ。


「分かったよ。もう言わないから……」

仕方なく頭の隅にこの関心を封印した。


放課後。 

午後の授業を軽く受け流した俺は、教室で一人、零七が来るのを待っていた。

 

「遅いな、何してるんだ」

空いた前の席を見た。未来の席は、もちろん無人で。今度は、窓の外を見る。雲行きが大分あやしくなっている。雨が降るのも時間の問題だろう。一度気になり出すと、もう自分ではその悪い予感を追い出すことが出来なかった。今も学校の屋上で寝ているであろう友達が、雨に濡れた姿を想像する。


「仕方ないな。起こしに行くか」


生徒立ち入り禁止となっている学校の屋上。そこへ続く階段は、薄く埃が積もっていた。未来の歩いた跡をなぞって静かに歩いていく。


カツッ、カツッ、カツッ。

カツッ、カツッ。ギィィィィ……。

ガッシャンッ!


鉄扉を静かに閉めたつもりが、驚くほど大きな音が出た。小走りで未来の姿を探す。すぐに寝ている未来の姿を発見した。背を丸くして寝ている。時折、体が痙攣していた。夢でも見ているのだろうか。


「未来っ! いつまで寝てんだよ。そろそろ起きろ」


「……」


近づいていく。


「もうすぐ、雨が降る。早く起きないとびしょ濡れになるぞ。なぁ、未来」


さらに一歩。もう一歩。徐々に俺と未来との距離が近づく。それに伴い、ある違和感が生まれた。さっき見た時よりも未来の背中が大きくなった? ような気がする。目の錯覚かな。


「未来、なにしてんだよ! さっさと起きろって。もう帰る時間なんだよ」


緊張と焦りーーーー。

俺は、何を恐れているんだ。

 

「……僕から……離れ…て……」


えっ。


「何言ってんだよ。ワケ分からないこと言ってないで、早く起き」


「カプセルを飲むのを忘れてた。もう時間がない……。理性があるうちに早くこの場から逃げて。さぁ、早くっ!」


未来の顔を見て絶句した。 

理科準備室にある狼の剥製。未来は、それと同じような目をしていた。口からは、牙のようなものも確認できる。さっきからずっと未来は、重苦しい息を吐き続けていた。小さな雨粒が、俺の頬を流れる。とうとう降ってきた。


「なっ! なんだよ、それ。悪い冗談はやめろ」


冗談なんかじゃないこと。分かっていた。『化け物』前に零七が放ったその言葉が真っ先に頭に浮かんだ。どういう理由かは分からないが、未来も零七と同じ化け物に違いない。

とにかく今は、この場から逃げよう。ようやく、正常な判断を下せるようになった頭が、止まっていた両足に指令を出す。


「いっ!!!」


しかし、その意思に反して左足しか動かせなかった。その原因は、俺の右足を未来の巨木のような手が掴んでいるからで。信じられない速さで、未来は俺との距離を詰めていた。


「痛っ……」


無理に動かすと激痛がした。足の骨が折れそうだ。

お前を絶対に逃がさない! 言葉を発しなくてもその手からは、嫌というほど未来の意志を感じた。未来の鋭い爪が足に食い込むと、頭がチカチカと明滅するような痛みが全身に走った。


ヤバイ。

ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。


このままじゃ、未来に喰われる。

ここで死ぬのかよ……。嘘だろ。


両者の力の差を感じ、すでに逃げる気すら失せていた。口を開けた未来が、俺に覆い被さる。一瞬で殺してくれ。せめてもの願いだった。



ヒュゥウオッッ!


谷間風のような音。それと同時。

何かが、顔の前を横切った。数秒遅れで、それが手だと分かった。その両手は、顔の半分まで裂けている未来の口を強引に押し広げた。呻き、必死に暴れて抵抗を続ける未来だったが、その手には抗えなかった。白く透き通った右腕が、未来の口の中に関節までズッポリと入っている。細枝のようなこの手のどこに、変異した未来に対抗できる力があるのか不思議だった。この手の主。雨に濡れた短いスカートが、風になびいている。


「零七……」


ジュポッ。

未来の口から手を抜いた彼女は、俺をチラッと見た。彼女の目。血が溶けたような真っ赤な目の中にゴマのような細い瞳だけが浮かんでいた。その目を見て再び、死を覚悟した。未来の姿も恐ろしいが、彼女の目はそれ以上に俺に恐怖と絶望を与えた。自分が、喰われる存在であるとはっきりと分かった。


「震えてる。でも、もう大丈夫だよ。カプセルを無理矢理飲ませたから」


零七は、一度目を閉じた。次に目を開けると、人間の目に戻っていた。その柔らかい顔を見て安心した俺は、口を微かに動かすことが出来た。


「ありが…と」


自分でも聞き取れないくらい声が小さい。もし、彼女の登場があと十秒遅れていたら、俺の頭は砕かれ、未来の腹の中に収まっていただろう。確実に殺されていた。今も倒れている未来。その体は、次第に縮小し、元の姿に戻りつつあった。

「未来は、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。何の問題もない。私の手が汚れた以外はね」


彼女は、俺にあの『赤いカプセル』を見せた。


「そのカプセルは、何に効くんだ?」


「これは、私達『化け物』の発作を抑えることが出来る唯一の薬なの。でも未来は、妹がオリジナルの私に似せて作った紛い物だけどね。今は、妹に飽きられて捨てられたみたいだけど………。でも未来って、本当にマヌケ。薬を飲むのは、私達には空気を吸うのと同じくらい自然な行動なのに。それを忘れるなんて信じられないよ」

「妹がいたんだな。話を聞いた感じだと相当ヤバそうだから、絶対に会いたくはないけど」

「うん。それ、正解。妹に会ったら、正義もすぐに実験されちゃうし」


俺は、ずっと前から気になっていたことを質問した。


「あのさ……お前のヤバい妹が作り出した化け物モドキって、そんなに何人もいるの?  未来以外に」


「何体って言わないところが、正義の優しいところだよね。そういうところ好きぃ」


「いいから、それは」

「ねぇねぇ。寒いから、中で話そうよ」

「ん、そうだな。未来は、どうする?」


さすがに、服も破れてほぼ全裸に近いあの姿じゃ風邪を引くかもしれない。

「あのままにしておけばいいよ。罰よ、罰」


「いやっ、あの姿じゃさすがに可哀想だ」


鉄扉を開けると階段を駆け下り、教室に戻った。体操着が入っている袋を持って、また屋上に行く。走る途中、多少足は痛んだが、特に問題はなかった。手形はくっきりと足についているが、すぐに消えるだろう。 

俺は、赤ちゃんのように安らかに寝ている未来の頬を軽く平手打ちし、起こした。


「風邪引くから、これ着な」 


「……ごめん。襲ったりして……。僕、なんて君に謝ったらいいか……」 


「いいよ、別に。化け物時は、理性がないんだろ? なら、仕方ない。未来のせいじゃない。でも、かなり命の危険を感じたからさ、ジュース三本でチャラにするわ」


「うぅ………ありがとう。君は、なんて優しい心の持ち主なんだ」


まるで、舞台で演じているかのようなオーバーアクションで(全裸で)抱きつこうとする未来を、初めてやったバックステップで避けた。

ベシャッと雨で濡れた地面に全身を強打する未来。頭を両手で抱え、ジタバタと暴れていた。


「あれだけ、元気なら大丈夫。行くよ、ほら」


「だな」


俺と零七は未来を残し、屋上を後にした。二人で、教室前の廊下を歩く。生徒の大半は、すでに帰宅したり、部活動の為に外に出ている。廊下には、俺達以外誰もいなかった。


「教室で話す? 今は誰もいないだろうから」


「ん………もしかして、誰もいない教室でエッチなことするつもりじゃないよね? いやっ、私はいいんだけどね。……でも、あれかな。まだ、心の準備が出来てなぃかも……しれない…」

モジモジしている。 

漫画の読み過ぎじゃないか?


「そんなことしないよ」


「え~~!  話なら、メイドちゃんに聞いたほうが早いかも。まだ、校長室にいるだろうし」


俺の手を引き、走り出す。


「ち、ちょっと待って!  いきなり、校長室に行ったら失礼だって」


その言葉は、彼女には届いていなかった。校長室の前で立ち止まった零七は、元気良く叫んだ。


「ここ開けてぇーーー。正義がね、話したいことがあるんだってぇ」


正気か。

家ならともかく、ここは学校。こんな大声で叫ぶのは非常識すぎる。


「入りなさい」


中から、校長の声がした。少し怒気を含んだ声色をしているのは気のせいかな。

零七が思い切り扉を開け、俺は静かにその扉を閉めた。校長室に入るのは、初めての経験なので、内心かなりドキドキしていた。部屋に入った瞬間、古紙の匂いがした。小学生の頃、何度か利用した視聴覚室の雰囲気に似ている。歴代校長の写真が、天井近くの壁に飾られていた。その下に、分厚い本がびっしりと入っている書棚がある。

大きな窓は、少し開いており、外から湿気を帯びた風が部屋に入りこんでいた。どうやら雨は止んだらしい。その窓の前で、執務机に座っている女性。

眼鏡をかけて、髪を後ろで束ねている。神華のメイド長であり、この学校の校長でもある女性が、僕たちの目の前にいた。やっぱり威厳がある。雰囲気が、家にお邪魔した時とだいぶ違う。


「あのね。正義が、メイドちゃんに聞きたい事があるんだって」 


「零七。学校では、メイドちゃんではなく校長先生って言いなさい。前にも注意したでしょ?」


「うん……。ごめんなさい」


反省している。 


「竹島君。話って何かな?」


ダークグレーの回転椅子から立った校長が、俺の前まで来て微笑んだ。相変わらず、美人。応接時に使用するためのソファーに腰掛けた校長は、俺たちにも座るように促した。座った瞬間、尻が予想以上に深く沈んで驚いたが、慣れてくるととてもリラックスできた。目の前のセンターテーブルには、見たことのない外国のチョコがあり、零七は無言でそれを食べていた。遠慮という言葉は、彼女の辞書にはないらしい。


正直、俺も一口味わいたかったが、気になっていたことを先に聞いておこうと思った。


「お忙しいところすみません。仕事の邪魔をしてしまって。どうしても気になったことがあったので来ました」


「早く聞きなよ。これから、ゲーセンに行くんだから。時間がなくなっちゃう」


軽く睨むと話を続けた。


「な、なによ!  正義が怒っても全然恐くないんだからね」


「少し静かにしなさい。ごめんね。話を続けてちょうだい」


「あ、はい。今さっき、学校の屋上で僕の友達が化け物になったんです。最初は、悪い冗談かと思ったんですけど。零七が助けてくれなかったら、今頃喰われていました」


「そのお友達は、薬を飲むのを忘れていたのね。あれは、発作を抑える薬だから。一日一回は必ず飲まなくちゃダメなのよ」


手の平にかいた汗をズボンで拭った。部屋は適温のはずなのに、額にも汗が浮かんでいた。


「俺のクラスでも五人は、あの赤いカプセルを飲んでいました。ってことは、つまり彼らも化け物になるってことですよね。最初は、零七。彼女だけが特別な存在だと思っていたんですけど……。そもそも何人、いるんですか?」


いつの間に用意したのか。零七は、冷たい麦茶の入ったグラスを俺に手渡した。それを一気に飲み干した。


「美味しい? この部屋乾燥してるから喉渇くよね」


「うん。ありがとう」


嬉しそうに笑っていた。髪を手の甲で撫でている。とても落ち着きがなく、足をバタつかせていた。彼女の無邪気な姿に思わず、口がにやけた。


「この学校にはね、零七の妹である暁七(あきな)が生体実験で作り出した化け物の子達を日本中から集めた特別な学校なの。弱味を握られ、仕方なく実験に参加した可哀想な子ばかり………。普通の学校では、馴染めない彼らを監視付きで保護、教育してるの」


「そうだったんですか……。ってか、妹、相当ヤバいな……。保護する場所。確かに同じ仲間がいたほうが安心でしょうし、何かと協力出来ますね」


たしか、次期生徒会長の前園も赤いカプセルを飲んでいた。彼女もそうだったのか…………。


「他に何か聞きたいことある? 時間ならあるから気にしなくて大丈夫よ」


「ないってば! ねぇ~ねぇ~。早く帰ろうよ。ゲーセン、ゲーセン」


駄々をこねだした零七を無視して、さらに質問した。


「その……彼らが飲んでる赤いカプセルって、どこで入手しているんですか? もちろん市販はされていないでしょうし、毎日飲むなら相当数の確保が必要になると思うんですけど」


「なかなか鋭い質問ね。赤いカプセルは、私たちの仲間が秘密の場所で大量に製造しているの。私たちは、あの薬を『ブラックモンキー』って呼んでいるわ。まぁ、薬の原料となる動物の名前がそのまま薬品名になっているんだけどね」


ブラックモンキー?


そんな動物がこの世の中にいるのか。聞いたことのない名前。


「興味あるって顔してるわね。君は特別だから、見せてもいいわよ。どうする?」


「見たいです、すごく」


「じゃあ、ちょっと待っててね。今、準備するから」


校長は、鍵のついた金庫から、重量感のあるメタリック塗装の箱を取り出した。その箱にも暗証番号を入力する画面がついていた。厳重に保管されているのは分かったが、この箱の中じゃ、中の動物は息が出来ないんじゃないかな。


「これよ。これが、私たちを救う希望『ブラックモンキー』」


校長は、黒い毛の塊のようなものを握っていた。強く握っているらしく、手には軽く血管が浮かんでいる。


「死んでいるんですか? 毛だらけで、中の様子がまるで分からないですけど」


「生きてるよ。君の持っている動物のイメージからは、かなりかけ離れていると思うけどね。手に持てば、ちゃんと体温を感じることも出来るし」


「そうなんですか……。でも、あんな密閉された箱の中で息は出来てるんですか?」


「このブラックモンキーはね、あまり息をしないのよ。無呼吸状態で一週間は生きられるの」


「無呼吸で一週間。凄いっ!」


こんな不思議な動物が、この世界にいたのか。興奮していた。そして、この動物を欲しいとすら思っていた。触りたい、そんな俺の心を見透かしたように校長は忠告した。


「あぁ、でも竹島君には飼ったり、触ったりすることは難しいかな。こうやって握ってないとすぐに逃げちゃうし。逃げ足が速いのよ、この子」


校長は、ゆっくりと手を広げた。さっきまで、瓢箪のように潰れていたブラックモンキー。解放された瞬間、目の前から姿を消した。別によそ見をしていたわけじゃない。さっきまで校長の手の中に確かにいた。でも今はいない。煙のように消えてしまった……。


「んんっ?」


校長の足下や辺りを探した。


いない、どこにも。


「彼をあまり困らせないで」


零七は、立ち上がるとキョロキョロと目を動かし、手を伸ばした。一瞬、ハンマーを振り回した時のようなブンッ! と言う音が聞こえた。音の後、その手を見るとブラックモンキーがすでに手の中に収まっていた。一瞬の出来事。突然、消えたり現れたり、マジックのようだ。


「普通の人間の動体視力では、ブラモンの動きは速すぎて見えないんだよ。だから、私たちみたいな異常な眼力と俊敏な動きがないと捕獲も出来ない。そもそも常に握ってないとすぐ逃げちゃうしね。とっても面倒な動物だよ」


「へぇ………そうなんだ。飼うのは、無理だな。でもせめて少しだけでも触りたかったなぁ」


「今度、触らせてあげるね。コイツが冷たくなったら」


生きているうちにお願いします。


今も彼女の手の中で窮屈そうに暴れているブラックモンキー。苦しそうだ。


町は、うっすらと夜に染まってきていた。どこか寂しく、最も嫌いな時間になっていた。思いの外、校長室に長居してしまった。


「そろそろ帰ろうか」


「うん! 帰ろう」


「竹島君。一つだけ、お願いがあるんだけど、聞いてくれない?」


両手を合わせ、上目遣いでお願いする校長。その仕草が、餌をねだるアライグマのようでなんとも愛らしかった。


「えっと……なんでしょうか? 俺にできることならなんだってしますけど」


「零七と仲良く。お嬢様を幸せにしてほしいの」
 
 
後頭部に何か柔らかいものが当たっている。なんだ? 俺の耳元で、零七が囁いている。


「私は、今のままでも十分幸せだよ」


その言葉はとても優しくて、甘く心に響いた。 

「胸が、当たってるよ」 


「っ!?」


零七は、飛び上がると俺から離れた。視界が、パッと明るくなる。やはり、後ろから抱きしめていたようだ。今考えるとかなり恥ずかしい状況。しかも目の前には、校長もいるし。


「零七って意外と胸あるのよ。フフ、将来楽しみでしょ? 色んな意味で」


校長は、エロ親父のような目で俺を見ていた。肯定も否定も出来ず、ただ黙ってうな垂れていた。それから、すぐに校長室を出た。なんだか、居心地が悪くなったから。


「また、夕飯一緒に食べましょうね。今度は、板前さん呼んで美味しいお刺身を用意して待ってるから。竹島君。零七のことこれからも宜しくね。悲しませたら、内申に響くから」


軽く脅された。
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