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視力0.3→0.1 「授業中だけメガネをかける人」を貫いた中高時代
中学に入ると、いよいよ近眼が深刻になってきた。
たぶんこの頃の視力0.3くらい。後ろの席に座ると、黒板はほぼ解読不能。席替えのたびに「目が悪いから交換してもらっていい?」と前方の席に移してもらう日々だ。
しかも、この頃になってくると目を細めないと人の顔も判別できない。おかげで、無意識に目つきが悪くなり、根暗キャラがますます定着していった。声、シルエットと髪型、そして雰囲気だけを頼りに同級生を見分けるという、超高度な個人認識スキルが身につく。が、精度はガバガバだ。
間違えたら恥ずかしいので、こっちからは積極的に話しかけない。至近距離で声をかけられたら反応するだけ。たまに、僕に向かって手を振っていると思ったら、実は後ろの誰かへの挨拶だった、なんてことも日常茶飯事なので相手が近寄ってくるまでは反応しない。
と、思ってると本当に僕に手を振っているのにずっと無視してた形になって文句を言われたりする。
そりゃあ、愛想の悪い奴扱いにもなる。ひたすら僕が悪い。
この頃になると、クラスでもメガネ人口はぐっと増えてきた。
もうメガネをかけても浮かないはずなのに、僕はまだ「メガネ=根暗ガリ勉」という小学生の時の固定観念を捨てられなかった。
そのせいで体育ではボールが全く見えない。もともと運動音痴なうえに、視界不良で球技は壊滅的。勘で行動する。運動能力の評価まで地の底に落ちた。
視力検査でも、ついに近眼を隠しきれなくなる。視力は0.1以下。裸眼で生活しているのがもはや狂気の沙汰だった。
そしてついに、中2のころ僕は人生初のメガネを作った。乱視も入っていたし普通のレンズで作ると牛乳瓶の底くらい分厚くなってしまうので、ワンランク上のオプションで高級レンズを採用しないといけないレベルだった。
ただし、あくまで「授業中だけメガネをかける人」というスタイルで妥協した。完全なメガネキャラにならないための、最後のあがきである。
でも初めてメガネをかけた瞬間、世界が変わった。
黒板はもちろん、クラスメイトの顔や表情もクリアに見える。「こいつ、こんな顔してたのか……」「この女子、肌がめっちゃ綺麗で意外とかわいいな……」と、衝撃の連続。
逆に今までこれだけの視覚情報を全て無視して生活していた自分が恐ろしい。
授業中だけメガネをかけることで、まるで霧が晴れるように視界がクリアになる。
視力という名の未知なる力を手に入れた気分だった。
この期に及んでも僕は意地を張り、授業以外では裸眼を貫いた。
この「授業中だけメガネ生活」は高校に入っても続く。
とはいえ、見てくれを気にしなくていい自宅では堂々とメガネをかけるし、クラスメイトに会わない外出時もメガネを解禁した。
偶然外でクラスメイトに会ってしまった時には、「今はたまたまメガネをかけていただけですよ~。」という顔をしてちょっと経ったら外す。ぶっちゃけ誰も僕がメガネ姿か裸眼かなんて気にしてなかっただろうと思う。
それでも僕は学校では「裸眼キャラ」を死守し、メガネの使用比率を絶妙にコントロールしていた。今思えば、ただの自意識過剰である。
高校くらいになってくるとコンタクトをつけているクラスメイトも増えていた。
僕にもコンタクトを選択するというオプションはあったはずだ。
でもしなかったのは色気づいたと思われるリスクを避けたのが一つ、もう一つはある印象的な出来事を目撃してしまったからだ。
学校終わりに当時大流行していたロマンチックな映画を見に行った。
陰キャの僕なので残念ながら女の子とデートではない。男友達と二人で行った。
映画館のホールで鑑賞終わりの列と入れ違いに僕たちの入場列がごちゃごちゃとすれ違う。
見終わった人はかなりの率でハンカチで涙を拭っている。相当感動のラストらしく、僕たちの期待が膨らむ。
と、一人の泣いていた女性が「あ!コンタクト落とした!」と叫び、連れの男性と雑然とした映画館の床を這いつくばって探していた。どこにあるかわからないそのコンタクトを踏んづけないように遠巻きに歩く他の客。どう考えても見つかりそうに無い。
僕の中で、「コンタクトってちょっと泣いただけで落ちちゃう代物なのか、そして透明だから一度落としたら見つからないよな。高かっただろうに。便利そうだけど面倒なんだな。」という印象だけが残った。
実にしょうもない理由だがとにかく僕は高校でコンタクトを選ばなかった。
ちなみに、その映画のラストシーンで僕は単なる男友達と一緒になってメガネを外して泣いた。
高校は自転車通学だった。ある冬の夜、裸眼の帰り道、サイクリングロードでふと空を見上げると、夜空に星がちらほら見えた気がした。
周囲に知っているクラスメイトが誰もいないのを確認し、こっそりメガネをかける。
途端に広がる満天の星空。メガネをかけただけで、こんなに世界は鮮やかになるのかと衝撃を受けた。
この夜をきっかけに、僕のメガネ生活はちょっとだけ変わった。
気づけば、メガネ7割、裸眼3割の比率に移行。
自分でも気づかぬうちに、メガネをかける時間が少しずつ増えていった。
でも高校3年くらいになると受験勉強という建前が生まれる。
「基本は裸眼キャラだけど受験勉強中だからそのままメガネを掛けてるだけですよ~。」という顔をして過ごす。
何度も言うが、誰もそんな僕のことなんか気にしてなかっただろう。
率はメガネ8割、裸眼2割くらいになっていた。
自意識過剰な僕のメガネに対する無駄なこだわりがいくつかあった。
メガネ=ガリ勉に思われないためにメガネを掛けている時は極力メガネを意識させない態度を貫いたのだ。
どういうことかというと、人差し指でクイッとメガネを上げるあの秀才仕草。あれは絶対にしない。
メガネ拭きでゴシゴシとレンズを磨く知的な仕草。それもなるべくしない。
息をハアハアレンズに吹きかけて曇らせて磨くなんてもっての他だ。
メガネクリーナーをスプレーしてレンズを磨くなんて人前では絶対できない。
メガネを制服の胸ポケットに掛けるとか、シャツの首元に引っかけるなんてのもダメ、絶対ダメ。
なに言ってんだコイツって感じだが、とにかく僕がメガネを掛けていることを他の友達に印象づける仕草を極力避けていた。
そうなってくると、メガネはどんどんずり落ちるし、顔の脂が付くと曇ってくる。
家ではメガネも上げるし、その分丁寧に拭いていた。
扱いが雑なのでよく踏んづけて潰して鼻あてが変になった。無理矢理手で直そうとしてボキっと折れて買い直したことも何度もあった。フレームは常に歪んでは無理矢理直してもっと変になる繰り返しだった。たまにレンズがぽろっと取れる。
僕が馬鹿なだけだが、とにかくメガネを掛けて生活するのもそれなりに不便が伴った記憶が強い。
高校生活の最後。
卒業アルバムの僕は、無理して裸眼で目を細めた表情で写っていて非常に人相が悪い。
たぶんこの頃の視力0.3くらい。後ろの席に座ると、黒板はほぼ解読不能。席替えのたびに「目が悪いから交換してもらっていい?」と前方の席に移してもらう日々だ。
しかも、この頃になってくると目を細めないと人の顔も判別できない。おかげで、無意識に目つきが悪くなり、根暗キャラがますます定着していった。声、シルエットと髪型、そして雰囲気だけを頼りに同級生を見分けるという、超高度な個人認識スキルが身につく。が、精度はガバガバだ。
間違えたら恥ずかしいので、こっちからは積極的に話しかけない。至近距離で声をかけられたら反応するだけ。たまに、僕に向かって手を振っていると思ったら、実は後ろの誰かへの挨拶だった、なんてことも日常茶飯事なので相手が近寄ってくるまでは反応しない。
と、思ってると本当に僕に手を振っているのにずっと無視してた形になって文句を言われたりする。
そりゃあ、愛想の悪い奴扱いにもなる。ひたすら僕が悪い。
この頃になると、クラスでもメガネ人口はぐっと増えてきた。
もうメガネをかけても浮かないはずなのに、僕はまだ「メガネ=根暗ガリ勉」という小学生の時の固定観念を捨てられなかった。
そのせいで体育ではボールが全く見えない。もともと運動音痴なうえに、視界不良で球技は壊滅的。勘で行動する。運動能力の評価まで地の底に落ちた。
視力検査でも、ついに近眼を隠しきれなくなる。視力は0.1以下。裸眼で生活しているのがもはや狂気の沙汰だった。
そしてついに、中2のころ僕は人生初のメガネを作った。乱視も入っていたし普通のレンズで作ると牛乳瓶の底くらい分厚くなってしまうので、ワンランク上のオプションで高級レンズを採用しないといけないレベルだった。
ただし、あくまで「授業中だけメガネをかける人」というスタイルで妥協した。完全なメガネキャラにならないための、最後のあがきである。
でも初めてメガネをかけた瞬間、世界が変わった。
黒板はもちろん、クラスメイトの顔や表情もクリアに見える。「こいつ、こんな顔してたのか……」「この女子、肌がめっちゃ綺麗で意外とかわいいな……」と、衝撃の連続。
逆に今までこれだけの視覚情報を全て無視して生活していた自分が恐ろしい。
授業中だけメガネをかけることで、まるで霧が晴れるように視界がクリアになる。
視力という名の未知なる力を手に入れた気分だった。
この期に及んでも僕は意地を張り、授業以外では裸眼を貫いた。
この「授業中だけメガネ生活」は高校に入っても続く。
とはいえ、見てくれを気にしなくていい自宅では堂々とメガネをかけるし、クラスメイトに会わない外出時もメガネを解禁した。
偶然外でクラスメイトに会ってしまった時には、「今はたまたまメガネをかけていただけですよ~。」という顔をしてちょっと経ったら外す。ぶっちゃけ誰も僕がメガネ姿か裸眼かなんて気にしてなかっただろうと思う。
それでも僕は学校では「裸眼キャラ」を死守し、メガネの使用比率を絶妙にコントロールしていた。今思えば、ただの自意識過剰である。
高校くらいになってくるとコンタクトをつけているクラスメイトも増えていた。
僕にもコンタクトを選択するというオプションはあったはずだ。
でもしなかったのは色気づいたと思われるリスクを避けたのが一つ、もう一つはある印象的な出来事を目撃してしまったからだ。
学校終わりに当時大流行していたロマンチックな映画を見に行った。
陰キャの僕なので残念ながら女の子とデートではない。男友達と二人で行った。
映画館のホールで鑑賞終わりの列と入れ違いに僕たちの入場列がごちゃごちゃとすれ違う。
見終わった人はかなりの率でハンカチで涙を拭っている。相当感動のラストらしく、僕たちの期待が膨らむ。
と、一人の泣いていた女性が「あ!コンタクト落とした!」と叫び、連れの男性と雑然とした映画館の床を這いつくばって探していた。どこにあるかわからないそのコンタクトを踏んづけないように遠巻きに歩く他の客。どう考えても見つかりそうに無い。
僕の中で、「コンタクトってちょっと泣いただけで落ちちゃう代物なのか、そして透明だから一度落としたら見つからないよな。高かっただろうに。便利そうだけど面倒なんだな。」という印象だけが残った。
実にしょうもない理由だがとにかく僕は高校でコンタクトを選ばなかった。
ちなみに、その映画のラストシーンで僕は単なる男友達と一緒になってメガネを外して泣いた。
高校は自転車通学だった。ある冬の夜、裸眼の帰り道、サイクリングロードでふと空を見上げると、夜空に星がちらほら見えた気がした。
周囲に知っているクラスメイトが誰もいないのを確認し、こっそりメガネをかける。
途端に広がる満天の星空。メガネをかけただけで、こんなに世界は鮮やかになるのかと衝撃を受けた。
この夜をきっかけに、僕のメガネ生活はちょっとだけ変わった。
気づけば、メガネ7割、裸眼3割の比率に移行。
自分でも気づかぬうちに、メガネをかける時間が少しずつ増えていった。
でも高校3年くらいになると受験勉強という建前が生まれる。
「基本は裸眼キャラだけど受験勉強中だからそのままメガネを掛けてるだけですよ~。」という顔をして過ごす。
何度も言うが、誰もそんな僕のことなんか気にしてなかっただろう。
率はメガネ8割、裸眼2割くらいになっていた。
自意識過剰な僕のメガネに対する無駄なこだわりがいくつかあった。
メガネ=ガリ勉に思われないためにメガネを掛けている時は極力メガネを意識させない態度を貫いたのだ。
どういうことかというと、人差し指でクイッとメガネを上げるあの秀才仕草。あれは絶対にしない。
メガネ拭きでゴシゴシとレンズを磨く知的な仕草。それもなるべくしない。
息をハアハアレンズに吹きかけて曇らせて磨くなんてもっての他だ。
メガネクリーナーをスプレーしてレンズを磨くなんて人前では絶対できない。
メガネを制服の胸ポケットに掛けるとか、シャツの首元に引っかけるなんてのもダメ、絶対ダメ。
なに言ってんだコイツって感じだが、とにかく僕がメガネを掛けていることを他の友達に印象づける仕草を極力避けていた。
そうなってくると、メガネはどんどんずり落ちるし、顔の脂が付くと曇ってくる。
家ではメガネも上げるし、その分丁寧に拭いていた。
扱いが雑なのでよく踏んづけて潰して鼻あてが変になった。無理矢理手で直そうとしてボキっと折れて買い直したことも何度もあった。フレームは常に歪んでは無理矢理直してもっと変になる繰り返しだった。たまにレンズがぽろっと取れる。
僕が馬鹿なだけだが、とにかくメガネを掛けて生活するのもそれなりに不便が伴った記憶が強い。
高校生活の最後。
卒業アルバムの僕は、無理して裸眼で目を細めた表情で写っていて非常に人相が悪い。
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