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其の弐 指輪は待っている
五
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「訊いても、いいですか?」
「なに?」
和子は、気を許してくれたのか、とても柔らかな笑みを向けてくれる。また、この顔を曇らせてしまうかもしれないと思うと、初名はほんの少し胸が痛んだ。
「あの……旦那さんとは、どうして結婚なさったんですか? 出会いとか……?」
「ああ、それはお見合いよ。ええ歳やのに結婚相手が全然いなかったから、お見合いさせられてね」
意外にも、和子はからから笑いながら答えた。だが、すぐにその瞳に影が差した。
「そんな馴れ初めなもんやから、そらもう扱いの酷いこと……」
和子の小さなため息が聞こえたような気がした。
「お客さんの前で『おかめ』やて……不細工て笑われたし、他所に愛人もいたみたいやし、収入の大半は仕事の設備投資か酒か博打に消えた。息子が産まれた時なんか、半日経ってから酔っぱらって病院来て、私に似てブスやから嫌やって言われたわ。ホンマに、酷い人やった……」
初名は言葉を失くした。だが和子はため息をつきながらも苦笑いしていた。
「まぁ、あの人が亡くなってからは、ちょっと自由になれたからええんやけどね」
その声音から、それが本心であることがうかがえた。夫のことを話している時の沈んだ声、自由になれたと語る軽やかな声、二つはまったく違う声音だった。
くすくす笑ってはいるが、和子の心が浮かべている笑みほど爽やかなものではないことは、想像に易かった。
「じゃあ、息子さんが味方に?」
「息子なんて、あの人そっくりやったわ。自分が上手くできへんことは何でも人のせい。『オカンのせいや』て、大人になっても言うてた。夫が亡くなった後の私なんて、お荷物以外の何でもなかったみたいでねぇ」
「ご、ご両親は?」
「親は……さっき話した夫を、ちょっとだけマシにした人らやったわ。ああいう人らにとって、私はどうも捌け口にしやすいらしいのよ」
「……」
声を詰まらせた初名に、和子はほんの少し眉を下げて、困ったように見つめた。初名が無意識に浮かべてしまった表情を見て、気に病んでしまったようだ。
「そんな顔せんといて。きっと家族には恵まれへん星の元に生まれたんやわ。そう思たら、諦めもつくやろ」
「そ、それって……」
その先の言葉を、初名は飲み込んだ。和子はにこりと笑い、頷いた。その笑みが自虐的なものだと、伝わって来た。
「気付くのに、長いことかかってしもたけどね。あの人が亡くなって、自分が悲しんでないことに気付いて、ようやくわかったんよ」
何に、とは訊ねなかった。和子はこともなげに答えるだろう。とてもとても、悲しい言葉を。
「あの……じゃあ探してる指輪って、結婚指輪……じゃなくて?」
「結婚指輪なんか無かったんよ。『そんなもん、いらん』の一言で済まされたわ」
和子のその言葉で、彼女が夫に対して抱く思いが読み取れてしまった。まるで吐き捨てるような物言いに、初名はもはや何も言えなかった。
だが同時に、先ほど抱いた疑問がいよいよ深まっていった。
「じゃあ、指輪っていったい……?」
そう訊ねると、和子はそれまでと打って変わって、微笑んでいた。嬉しそうに、心躍らせているように、まるで恋に落ちた乙女のように。
「とっても大事な人から貰ったものなんよ」
「なに?」
和子は、気を許してくれたのか、とても柔らかな笑みを向けてくれる。また、この顔を曇らせてしまうかもしれないと思うと、初名はほんの少し胸が痛んだ。
「あの……旦那さんとは、どうして結婚なさったんですか? 出会いとか……?」
「ああ、それはお見合いよ。ええ歳やのに結婚相手が全然いなかったから、お見合いさせられてね」
意外にも、和子はからから笑いながら答えた。だが、すぐにその瞳に影が差した。
「そんな馴れ初めなもんやから、そらもう扱いの酷いこと……」
和子の小さなため息が聞こえたような気がした。
「お客さんの前で『おかめ』やて……不細工て笑われたし、他所に愛人もいたみたいやし、収入の大半は仕事の設備投資か酒か博打に消えた。息子が産まれた時なんか、半日経ってから酔っぱらって病院来て、私に似てブスやから嫌やって言われたわ。ホンマに、酷い人やった……」
初名は言葉を失くした。だが和子はため息をつきながらも苦笑いしていた。
「まぁ、あの人が亡くなってからは、ちょっと自由になれたからええんやけどね」
その声音から、それが本心であることがうかがえた。夫のことを話している時の沈んだ声、自由になれたと語る軽やかな声、二つはまったく違う声音だった。
くすくす笑ってはいるが、和子の心が浮かべている笑みほど爽やかなものではないことは、想像に易かった。
「じゃあ、息子さんが味方に?」
「息子なんて、あの人そっくりやったわ。自分が上手くできへんことは何でも人のせい。『オカンのせいや』て、大人になっても言うてた。夫が亡くなった後の私なんて、お荷物以外の何でもなかったみたいでねぇ」
「ご、ご両親は?」
「親は……さっき話した夫を、ちょっとだけマシにした人らやったわ。ああいう人らにとって、私はどうも捌け口にしやすいらしいのよ」
「……」
声を詰まらせた初名に、和子はほんの少し眉を下げて、困ったように見つめた。初名が無意識に浮かべてしまった表情を見て、気に病んでしまったようだ。
「そんな顔せんといて。きっと家族には恵まれへん星の元に生まれたんやわ。そう思たら、諦めもつくやろ」
「そ、それって……」
その先の言葉を、初名は飲み込んだ。和子はにこりと笑い、頷いた。その笑みが自虐的なものだと、伝わって来た。
「気付くのに、長いことかかってしもたけどね。あの人が亡くなって、自分が悲しんでないことに気付いて、ようやくわかったんよ」
何に、とは訊ねなかった。和子はこともなげに答えるだろう。とてもとても、悲しい言葉を。
「あの……じゃあ探してる指輪って、結婚指輪……じゃなくて?」
「結婚指輪なんか無かったんよ。『そんなもん、いらん』の一言で済まされたわ」
和子のその言葉で、彼女が夫に対して抱く思いが読み取れてしまった。まるで吐き捨てるような物言いに、初名はもはや何も言えなかった。
だが同時に、先ほど抱いた疑問がいよいよ深まっていった。
「じゃあ、指輪っていったい……?」
そう訊ねると、和子はそれまでと打って変わって、微笑んでいた。嬉しそうに、心躍らせているように、まるで恋に落ちた乙女のように。
「とっても大事な人から貰ったものなんよ」
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