57 / 109
其の肆 涙雨のあとは
十三
しおりを挟む
「で? いったいどこの”おじいさん”に恨まれたんや?」
「う、恨まれてなんか……」
階段を抜けて、長い道を歩いて「ことこと屋」に入るなり、辰三は初名に詰め寄った。
注文をとりにきた琴子は、いつもと違う空気に気づいたのか、おしゃべりなどせずにさっさと奥に戻っていった。
そうまで迫る理由がわからず、初名が答えられずにいると、再び店の戸が開いた。入ってきたのは、風見と弥次郎だった。
来た理由は辰三と同じなのか、神妙な面持ちで、まっすぐに初名たちの座る机に向かってきた。
「風見さん、これ見てや」
辰三がそう言って初名の腕の痣を指すと、風見は予想していたというように頷いた。弥次郎の方は所見のようだが、見るなり眉をひそめていた。
「な、何か悪いことでもあるんですか? この痣……」
おそるおそる尋ねると、呆れたように苛立ったように、辰三が答えた。
「悪いなんてもんやない。積年の恨みがそこに籠もっとる。いったい何したんや」
「何もしてないです! あの人とは昨日会ったばかりですよ」
「ほな、昨日、何したんや」
「だから何もしてなんか……」
「まあまあ、落ち着けや」
そう宥めたのは風見だった。
だが、二人を宥めたものの、険しい面持ちは変わらない。いつもの明るい空気はすっかり鳴りを潜めていた。
「初名、この痣つくったんは誰や」
尋ねる風見の声は、答えを強要する声音だった。答えないということは、出来なかった。
「昨日、初めて会ったおじいさんです」
「ほぅ……どこで会うたんや」
「お初天神です」
「昨日初めて会うた者に、何でこんな痣こさえられたんや」
「わからないです。急に腕を掴まれて、なかなか離してくれなくて」
その答えに、風見だけでなく、辰三も弥次郎も眉をひそめた。
「何やそれ? 真面目に答えてや」
「真面目です。そのおじいさん、足下がふらついていたから、一緒にお参りしたんです。その後座ってお話ししてたら、急に……」
「話て、何の話を?」
噛みつきそうな気迫の辰三を制止して、風見は先を促した。初名は、あの時何を話したか、一つ一つ思い返して伝えた。
「まず、おじいさんがお花を供えていたんです。その後境内に入って、お参りして……そうだ。『あいつと別れてわしと一緒になってくれ』って言われました」
「別れて、一緒に?」
「『自分が結婚の約束をしていたのに』とか『タンポポなんか外せ』とか……ああ、そうだ。撫子の花を挿してあげるって言ってました」
その時、風見たちが三人揃って顔を見合わせた。
「初名、その老人、花を供えてたって言うたな? どんな花か、覚えとるか」
急に言われて、初名は記憶の中を漁った。
「えーと、確か……白とかピンクとかの、小さい花をたくさん束ねた花束だったと思います」
「ああいう、花束か?」
そう言って風見は、指さした。指した先には、花瓶が置いてある。今まさに、初名が伝えた花束通りの花が生けてある花瓶が。
「はい、あんな感じ……いえ、あの通りです。あれ? それって……?」
昨日、お初天神に供えてあった花が、どうしてことこと屋の中にあるのか。ここでは不可思議なことがよく起こっているが、それにしても説明がつかない。
あの花は、老人が、おそらく初恋の人に供えたものだろうに。
初名が思考を巡らせていると、何も言わず、弥次郎が立ち上がった。そしておもむろに花瓶に手を伸ばした。
「ことちゃん、この花しおれてきてるで。水切りしたるわ」
「いやぁ、ホンマ? やじさん、ありがとうねぇ」
そう言い、弥次郎は花瓶を持って席に戻ってきた。そしておもむろに、花弁に触れた。一つ一つに、優しく、語りかけるように触れていく。
何をしているのか理解できていない初名に、風見がそっと伝えた。
「弥次郎は付喪神や言うたやろ。まだ付喪神になっとらんモノでも、ああして触れることで”声”を聞き取ることができるんや」
その言葉でようやく理解した。弥次郎は今、確認しているのだ。あの花の贈り主が誰か。そして聞き取れたのか、目を開けた弥次郎は、深く長いため息をついた。
「思った通りや」
「やっぱり、その花、あのおじいさんが供えたものだったんですね」
弥次郎は小さく頷いた。同時に、苦々しい顔をした。
「それだけやない。その花、ずっと贈り主と同じように言うてるわ。許してくれってな」
「そういえば、許してくれって……何を許して欲しいんで……」
そう尋ねようとして、声が出なくなった。急に、清友が呟いた言葉を思い出したからだ。
あの時、老人の戒めから解放してくれた後、清友は老人に向けて何を言ったか。
『この子は、きみの探す人とは違う』
『きみの探す人は、もうこの世にはいない。きみが、殺したんやから』
そう、言っていた。
「まさか……!」
風見が、静かに頷いた。
「この花の贈り主……それが、琴子と礼司を殺した男や」
「う、恨まれてなんか……」
階段を抜けて、長い道を歩いて「ことこと屋」に入るなり、辰三は初名に詰め寄った。
注文をとりにきた琴子は、いつもと違う空気に気づいたのか、おしゃべりなどせずにさっさと奥に戻っていった。
そうまで迫る理由がわからず、初名が答えられずにいると、再び店の戸が開いた。入ってきたのは、風見と弥次郎だった。
来た理由は辰三と同じなのか、神妙な面持ちで、まっすぐに初名たちの座る机に向かってきた。
「風見さん、これ見てや」
辰三がそう言って初名の腕の痣を指すと、風見は予想していたというように頷いた。弥次郎の方は所見のようだが、見るなり眉をひそめていた。
「な、何か悪いことでもあるんですか? この痣……」
おそるおそる尋ねると、呆れたように苛立ったように、辰三が答えた。
「悪いなんてもんやない。積年の恨みがそこに籠もっとる。いったい何したんや」
「何もしてないです! あの人とは昨日会ったばかりですよ」
「ほな、昨日、何したんや」
「だから何もしてなんか……」
「まあまあ、落ち着けや」
そう宥めたのは風見だった。
だが、二人を宥めたものの、険しい面持ちは変わらない。いつもの明るい空気はすっかり鳴りを潜めていた。
「初名、この痣つくったんは誰や」
尋ねる風見の声は、答えを強要する声音だった。答えないということは、出来なかった。
「昨日、初めて会ったおじいさんです」
「ほぅ……どこで会うたんや」
「お初天神です」
「昨日初めて会うた者に、何でこんな痣こさえられたんや」
「わからないです。急に腕を掴まれて、なかなか離してくれなくて」
その答えに、風見だけでなく、辰三も弥次郎も眉をひそめた。
「何やそれ? 真面目に答えてや」
「真面目です。そのおじいさん、足下がふらついていたから、一緒にお参りしたんです。その後座ってお話ししてたら、急に……」
「話て、何の話を?」
噛みつきそうな気迫の辰三を制止して、風見は先を促した。初名は、あの時何を話したか、一つ一つ思い返して伝えた。
「まず、おじいさんがお花を供えていたんです。その後境内に入って、お参りして……そうだ。『あいつと別れてわしと一緒になってくれ』って言われました」
「別れて、一緒に?」
「『自分が結婚の約束をしていたのに』とか『タンポポなんか外せ』とか……ああ、そうだ。撫子の花を挿してあげるって言ってました」
その時、風見たちが三人揃って顔を見合わせた。
「初名、その老人、花を供えてたって言うたな? どんな花か、覚えとるか」
急に言われて、初名は記憶の中を漁った。
「えーと、確か……白とかピンクとかの、小さい花をたくさん束ねた花束だったと思います」
「ああいう、花束か?」
そう言って風見は、指さした。指した先には、花瓶が置いてある。今まさに、初名が伝えた花束通りの花が生けてある花瓶が。
「はい、あんな感じ……いえ、あの通りです。あれ? それって……?」
昨日、お初天神に供えてあった花が、どうしてことこと屋の中にあるのか。ここでは不可思議なことがよく起こっているが、それにしても説明がつかない。
あの花は、老人が、おそらく初恋の人に供えたものだろうに。
初名が思考を巡らせていると、何も言わず、弥次郎が立ち上がった。そしておもむろに花瓶に手を伸ばした。
「ことちゃん、この花しおれてきてるで。水切りしたるわ」
「いやぁ、ホンマ? やじさん、ありがとうねぇ」
そう言い、弥次郎は花瓶を持って席に戻ってきた。そしておもむろに、花弁に触れた。一つ一つに、優しく、語りかけるように触れていく。
何をしているのか理解できていない初名に、風見がそっと伝えた。
「弥次郎は付喪神や言うたやろ。まだ付喪神になっとらんモノでも、ああして触れることで”声”を聞き取ることができるんや」
その言葉でようやく理解した。弥次郎は今、確認しているのだ。あの花の贈り主が誰か。そして聞き取れたのか、目を開けた弥次郎は、深く長いため息をついた。
「思った通りや」
「やっぱり、その花、あのおじいさんが供えたものだったんですね」
弥次郎は小さく頷いた。同時に、苦々しい顔をした。
「それだけやない。その花、ずっと贈り主と同じように言うてるわ。許してくれってな」
「そういえば、許してくれって……何を許して欲しいんで……」
そう尋ねようとして、声が出なくなった。急に、清友が呟いた言葉を思い出したからだ。
あの時、老人の戒めから解放してくれた後、清友は老人に向けて何を言ったか。
『この子は、きみの探す人とは違う』
『きみの探す人は、もうこの世にはいない。きみが、殺したんやから』
そう、言っていた。
「まさか……!」
風見が、静かに頷いた。
「この花の贈り主……それが、琴子と礼司を殺した男や」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる