82 / 109
其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)
十八
しおりを挟む
百花の語る不穏な言葉にも、風見は黙って耳を傾けていた。
思わず息をのんでしまった初名に、百花は悲しげな面持ちを向けた。
「やっぱり、嫌やんな……自分のおばあさんが、そんな目で見られてたやなんて」
「そ、そんな……ちょっとびっくりしただけで……」
「ええの。ええのよ。だって、うちは嫌になったから。そんな風にちょっとでも考えてしもた自分が、心底から嫌になった。その時になってようやく気付いたんや。結局、あの子のことを外へ出る道具みたいに思てたんやって……外へ出してくれへんのやったら、せめて血や肉を貰いたい、なんて……そんなおぞましいことを……!」
悲しげだった百花の瞳が、じわりと滲んだ。初名が思わずその手を重ねようとすると、百花はやんわりとそれを振り払った。
「そうか……だからお前は、あんなこと言うたんか」
背を向けたまま、風見がぽつりと呟いた。その声に、百花は小さく頷いた。
「あれだけ一緒におるのが楽しいと思てたのに、もう外に出してくれへんとわかった途端、喰いとうて仕方なくなった。このままやったら、うちは取り返しのつかんことをしてしまう。そう思て、うちはあの子を突き放したんや。『もうここへは来んといて。大嫌い』って言って……そうしたらあの子、泣いて帰って、二度と来んようになってしもた」
「正確には、俺がもう来んように言うた。このままやったら、喰われるかもしれん、て言うてな……すまんかった」
百花は、肩をふるわせながら、頭を振っていた。
「それでええ。ありがとう、風見さん……こんな酷い女、友達やない方がええのよ。嫌いになってくれて、良かったんや」
「嫌いには……なってないと思います」
初名は、遠慮がちではあるが、はっきりと言い放った。百花の目からこぼれ落ちる涙が、ぴたりと止んでいた。
「そんなわけあれへんわ。大嫌いとか、喰われるとか言われてるんやで」
「私よりも、百花さん自身の方がわかってるんじゃないんですか? 私なんかよりずっと前から、わかっていたんでしょう?」
そう言うと、初名は自分の鞄を引き寄せて、百花の前に差し出した。梅の柄が描かれた着物を再利用して作られた鞄だ。
梅の花が散らした柄は可憐であり、華やかだった。何かの祝い事のように。
「おばあちゃん、この着物のこと、ずっと大事にしてました。私が成人式の時に着せてあげるって言ってくれました。自分が、成人式の時に、大事な友達が作ってくれたものだからって」
「……梅子が、そう言うてたの?」
初名が頷くと、百花はその白い手をそっと伸ばした。そして慈しむように、そっと触れていた。
「……結局、自分のお迎えの方が、成人式より先に来るだろうって言って、こうして鞄にしてくれたんです。あなたも、同じくらい大事な友達を見つけなさいって言って」
「友達……?」
その言葉の意味を、百花は信じられないようだった。初名は強く頷いて見せた。そして風見も、しっかりと頷いていた。
そう、思っていいのだと、示した。
「ああ……梅子……!」
初名が手を離すと、百花は鞄を受け取って、そっと優しく抱きしめた。始めは壊さないように、だがだんだんと強く、噛みしめるようにその腕に収めていた。
「実を言うと、私はこっちの方が好きなんです。この方が、いつも一緒にいられるから」
「確かに、そうやね」
百花はそう言って初名の鞄をもう一度優しく撫でると、静かに立ち上がった。そして、戸棚から何か小さなものを取り出していた。
百花はそれを、初名に差し出した。巾着よりも小さな、手のひらサイズほどの袋だ。
「あげる」
「え、これをですか? い、頂けません!」
初名は思わずためらってしまった。
手渡されたそれは、おそらく正絹のとても上等な布地で、染めは入っていないものの、梅の柄の刺繍が入っていた。
ぽんと貰ってしまえるようなものではないと、一目でわかった。
だが百花はクスクス笑ってもう一度差し出した。
「ただの匂い袋や。それもうちの着物から作った再利用……そんな恐縮するようなもんとちゃうよ」
そう言って、百花は強引に匂い袋を初名の鞄に結いつけた。
「女はな、気ぃ抜かれへんのよ。いつでもどこでも、綺麗にしておくんが女の戦支度なんや。香りも含めてな」
匂い袋は、鞄のお守りと同じ場所に重ねてつけられていた。揺らすと、お守りについた竹刀のストラップと共に、淡い香りがほんのり香ってくる。不思議と、気持ちが落ち着くように感じた。
「これも、お守りや」
そう言った百花の言葉は、とても力強く、頼もしかった。
まだ涙がじわりと滲んだままの瞳は、悲しさと喜びと慈しみと、そして初名への激励で、太陽のような輝きを放っていた。
思わず息をのんでしまった初名に、百花は悲しげな面持ちを向けた。
「やっぱり、嫌やんな……自分のおばあさんが、そんな目で見られてたやなんて」
「そ、そんな……ちょっとびっくりしただけで……」
「ええの。ええのよ。だって、うちは嫌になったから。そんな風にちょっとでも考えてしもた自分が、心底から嫌になった。その時になってようやく気付いたんや。結局、あの子のことを外へ出る道具みたいに思てたんやって……外へ出してくれへんのやったら、せめて血や肉を貰いたい、なんて……そんなおぞましいことを……!」
悲しげだった百花の瞳が、じわりと滲んだ。初名が思わずその手を重ねようとすると、百花はやんわりとそれを振り払った。
「そうか……だからお前は、あんなこと言うたんか」
背を向けたまま、風見がぽつりと呟いた。その声に、百花は小さく頷いた。
「あれだけ一緒におるのが楽しいと思てたのに、もう外に出してくれへんとわかった途端、喰いとうて仕方なくなった。このままやったら、うちは取り返しのつかんことをしてしまう。そう思て、うちはあの子を突き放したんや。『もうここへは来んといて。大嫌い』って言って……そうしたらあの子、泣いて帰って、二度と来んようになってしもた」
「正確には、俺がもう来んように言うた。このままやったら、喰われるかもしれん、て言うてな……すまんかった」
百花は、肩をふるわせながら、頭を振っていた。
「それでええ。ありがとう、風見さん……こんな酷い女、友達やない方がええのよ。嫌いになってくれて、良かったんや」
「嫌いには……なってないと思います」
初名は、遠慮がちではあるが、はっきりと言い放った。百花の目からこぼれ落ちる涙が、ぴたりと止んでいた。
「そんなわけあれへんわ。大嫌いとか、喰われるとか言われてるんやで」
「私よりも、百花さん自身の方がわかってるんじゃないんですか? 私なんかよりずっと前から、わかっていたんでしょう?」
そう言うと、初名は自分の鞄を引き寄せて、百花の前に差し出した。梅の柄が描かれた着物を再利用して作られた鞄だ。
梅の花が散らした柄は可憐であり、華やかだった。何かの祝い事のように。
「おばあちゃん、この着物のこと、ずっと大事にしてました。私が成人式の時に着せてあげるって言ってくれました。自分が、成人式の時に、大事な友達が作ってくれたものだからって」
「……梅子が、そう言うてたの?」
初名が頷くと、百花はその白い手をそっと伸ばした。そして慈しむように、そっと触れていた。
「……結局、自分のお迎えの方が、成人式より先に来るだろうって言って、こうして鞄にしてくれたんです。あなたも、同じくらい大事な友達を見つけなさいって言って」
「友達……?」
その言葉の意味を、百花は信じられないようだった。初名は強く頷いて見せた。そして風見も、しっかりと頷いていた。
そう、思っていいのだと、示した。
「ああ……梅子……!」
初名が手を離すと、百花は鞄を受け取って、そっと優しく抱きしめた。始めは壊さないように、だがだんだんと強く、噛みしめるようにその腕に収めていた。
「実を言うと、私はこっちの方が好きなんです。この方が、いつも一緒にいられるから」
「確かに、そうやね」
百花はそう言って初名の鞄をもう一度優しく撫でると、静かに立ち上がった。そして、戸棚から何か小さなものを取り出していた。
百花はそれを、初名に差し出した。巾着よりも小さな、手のひらサイズほどの袋だ。
「あげる」
「え、これをですか? い、頂けません!」
初名は思わずためらってしまった。
手渡されたそれは、おそらく正絹のとても上等な布地で、染めは入っていないものの、梅の柄の刺繍が入っていた。
ぽんと貰ってしまえるようなものではないと、一目でわかった。
だが百花はクスクス笑ってもう一度差し出した。
「ただの匂い袋や。それもうちの着物から作った再利用……そんな恐縮するようなもんとちゃうよ」
そう言って、百花は強引に匂い袋を初名の鞄に結いつけた。
「女はな、気ぃ抜かれへんのよ。いつでもどこでも、綺麗にしておくんが女の戦支度なんや。香りも含めてな」
匂い袋は、鞄のお守りと同じ場所に重ねてつけられていた。揺らすと、お守りについた竹刀のストラップと共に、淡い香りがほんのり香ってくる。不思議と、気持ちが落ち着くように感じた。
「これも、お守りや」
そう言った百花の言葉は、とても力強く、頼もしかった。
まだ涙がじわりと滲んだままの瞳は、悲しさと喜びと慈しみと、そして初名への激励で、太陽のような輝きを放っていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる