となりの天狗様

真鳥カノ

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壱章 愛宕山の天狗様

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 三月某日。その日は快晴だった。山道にはまだ冬の名残がちらほら見える。そんな中でも、春にしては少し強い日差しが道行く登山客をぽかぽかと温めていた。木々の間から差し込む光を受けながら、広い山道を二人の人影が歩いていた。
 瞳をキラキラさせながらはしゃぐのは高校生くらいの少女。もう一人はその母親だ。
 二人ともマウンテンパーカーにスポーツウェア、トレッキングシューズを身につけ、登山リュックを背負っている。
 二人が臨むのは、京都左京区にある愛宕山。標高千メートルで、火伏の神を祀っていることで有名な山だ。頂上の愛宕神社に参拝する者は絶えず、平日でも多くの者が訪れる。
 この親子……山南藍とその母・優子もそんな参拝者の一人だ。
 頂上までの道のりは約4キロ。決して平坦ではないが、子供や登山初心者も挑みやすい、比較的親しみやすい山と言われているため、二人して山に挑むことにしていた。
「お母さん、見て。休憩所だよ!」
「本当ね。ああ疲れた」
「疲れたって……まだ四分の一くらいだよ」
「だって……藍ちゃんたら速いんだもの。やっぱり私も空手とか柔道とかで鍛えてた方がよかったわぁ」
「はいはい。とりあえず休憩所まで行って一息つこうね~」
 少女の名は『山南藍』、母親の方は『優子』と言った。
 登山口から頂上までの道のりはおよそ四キロ。二人は勾配のきつい上り坂を何とか登り切り、長い工程の中の最初の休憩所に到着したのだった。
 開けた場所にちょこんと建つ東屋に滑り込む優子に、藍は苦笑いした。
 母親に比べて疲れた様子の薄い藍だったが、それでも座って荷物を下ろすと、ふぅと息をついた。
「おやまぁ、おのぼりやす」
 ふわりと声を掛けてくれたのは、少女とは逆に頂上から下って来た男性だった。今度は、振り返るとちゃんとそこに居て、にっこり笑い返してくれた。
 その男性は見たところ、60代ぐらいで、少し年季の入った登山装備を身に着けていた。お年寄りのようではあったが、歩く様子はしっかりしている。いかにもベテラン登山者という風貌だった。
 対して少女たちはいかにも初心者。親子で仲良く連れ立っている姿が微笑ましかったのか、男性は東屋に腰を下ろして、続いて訊ねた。
「ええなぁ、親子で愛宕参りて。きみ、今日は学校休みなんか?」
「はい、この前卒業式があって、今は春休みなんです」
「そうかそうか。そらおめでとうさん。ほな4月からは……大学生? 高校生?」
「高校生です!」
「そうか。重ねてめでたいなぁ」
「ありがとうございます」
 人の好さそうな笑みに、優子も合わせてお辞儀を返した。男性はそのまま、優子の方に質問を続けた
「愛宕参りは初めてなんかな?」
「いえ、以前に一度……と言っても10年以上前になりますけど。藍ちゃんがまだずっと小さい頃だったわよね」
「うん。3歳くらいの頃だったと思う」
「そらええなぁ。お姉ちゃん……えぇと藍ちゃんか、一生火事に遭わんですむわ」
 男性はからから笑って言った。三歳までに愛宕神社に詣でれば、生涯、火の災難に遭わないと言われている。男性が言ったのは、その言い伝えのことだろう。
「でもそれやったら、何でまた登ろうとしてるんや?」
「お札を貰いに、と思って」
 優子はそう言って、リュックの中から古びたお札を出した。真っ白な……正確には真っ白だった紙に書かれている文字は、黄ばんでいたり掠れていたりして、読めない。
「なるほどなぁ。新しい『火迺要慎ひのようじん』のお札を貰いに行くんやな。愛宕さんはご利益あるからなぁ」
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