となりの天狗様

真鳥カノ

文字の大きさ
15 / 99
弐章 比良山の若天狗

しおりを挟む
 トントントン、と軽快な音が響く。ジュウジュウと勢いのいい音も、ぐつぐつと静かな熱の籠る音も、そしてそれらを生み出す人物がパタパタと走り回る音も。
 それはこの山南家の娘・藍のものではない。藍は壁際で所在なさげに立っていた。
 その目の前を忙しなく走り回る人物。それは髪はぼさぼさで、目の下に隈があり、緩んだ甚兵衛を着ていかにもこの家に馴染んでいる、下宿人・愛宕おたぎ太郎たろう……またの名を愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼう……愛宕山に棲む、天狗だ。付け足すならば、藍のことを『許嫁』と称して、愛宕山からこうして追いかけてきた天狗だ。
 山南家の離れをシェアハウスということにして店子募集をしたところ、いの一番に手を挙げて入居してきたのだった。
 入居当日に『母君は店の切り盛りで忙しいんだから、炊事洗濯切合切はお任せください』と言い切ってしまった”優良物件”だ。実際、藍たち親子よりもずっと手際よく、上手だった。
「藍、もうちょっと待ってね。すぐに朝ご飯ができるから」
「……はい」
 太郎は朝の陽ざしのように爽やかな笑顔でそう言うのだが、藍はどうしても手放しでは受け入れられなかった。理由はいくつかあるのだが、そのうちの一つは、藍が太郎に毎朝言っていることに関わっている。
「太郎さん、こんなところにいていいんですか?」
「いいに決まってるよ。どうして悪いの?」
「悪いに決まってるでしょうが。だって太郎さんは、て……!」
 大声で言ってしまいそうになり。太郎にそれを止められた。
 藍は慌てて、事情を知らない母・優子が近くにいないか確認してから訴えた。
「太郎さんは、天狗……それも大天狗なんでしょ」
「大天狗なのはうちの頭領。僕は部下の平天狗」
「何ですか、その平社員みたいな言い方……平でも幹部でも同じですよ。お役目があるんですよね。登山者の警護って言ってたじゃないですか。ここは愛宕山どころか平地ですよ」
「いやいや、お役目は他にもいっぱいあるし。藍が見てないところでちゃんとやってるから、心配いらないよ」
 しているのは”心配”と言うよりも”敬遠”なのだが、どうも通じていないようだ。太郎はさらに藍の顔近くまで近づいて、囁いた。
「あとは、君へのアフターケアかな」
「あ、アフターケア?」
「あんなに危ない目に遭ったんだから、しばらく傍で見守った方がいいかと思ってね」
「結構です」
 藍は太郎の顔をぐっと押し返した。話している間も着々と料理を仕上げている手際の良さが、また小憎らしかった。
「だいたい何でこんな春先に甚兵衛なんて……あのぼんぼりみたいなのとかついた服はどうしたんですか?」
 思えば、初めて会った時は全身がやる気に満ちていたようにも見えた。今の格好は、服装からしてやる気を感じない。太郎の言うことをいまいち真剣に受け取れない理由はそこにもある。
「ぼんぼりって梵天房のこと言ってる? あれはいわゆるユニフォーム。警護の時以外は誰も着てないよ。今は家だし」
「ユニフォームって……」
「だって皆、天狗と言えばあの装束って思ってるから。でもここではねぇ……悪目立ちするし」
 そこまで聞いて、確かに、と藍は思った。山であの格好に遭遇すれば恐れと敬意を抱く気もするが、この近隣で見かければ即通報するだろう。時と場を考えていたのは太郎の方だったようだ。
「藍が着てほしいなら着るけど」
「いいです。仕舞っといて下さい。あの服の代わりが、黒スーツってことなんですね……あれも目立ちますけど」
「え? 人里ではスーツが標準だって聞いたよ? しかも黒はどんな場面でも通用するって……」
「はい、そうです……その通りです……」
 藍はもはや言葉を失くしていた。太郎の言うことはいちいちもっともすぎるのだった。ただ、藍の考えるテンポと合わない、ただそれだけなのだ。
 現に母は太郎を気に入り、うまく付き合っている。今も、通りすがりに台所に顔を出してにこやかに挨拶を交わしている。
「あら太郎さん、おはよう。今日の朝ご飯は何?」
「おはようございます、母君。今日は焼き魚と小松菜の煮びたしです」
「嬉しいわぁ。太郎さんの煮びたし好きよ。でも無理しないでね」
「恐縮です」
 この通り、わずか1週間でこの山南家の家長・優子の胃袋を掴んでしまった。料理人である優子があっさり陥落したのは藍にとって予想外だった。藍は誰にも頼らず、自らの立ち位置を奪還せねばならないのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

#秒恋3 友だち以上恋人未満の貴方に、甘い甘いサプライズを〜貴方に贈るハッピーバースデー〜

ReN
恋愛
悠里と剛士の恋物語 ♯秒恋シリーズ第3弾 甘くて楽しい物語になっているので、ぜひ気軽にお楽しみください♡ ★あらすじ★ 「あのね、もうすぐバレンタインじゃん! その日、ゴウの誕生日!」 彼の誕生日を知らせてくれた剛士の親友 拓真と、親友の彩奈とともに、悠里は大切な人の誕生日サプライズを敢行! 友だち以上恋人未満な2人の関係が、またひとつ、ゆっくりと針を進めます。 大好きな人のために、夜な夜なサプライズ準備を進める悠里の恋する乙女ぶり。 みんなでお出かけする青春の1ページ。 そして、悠里と剛士の関係が深まる幸せなひととき。 ★シリーズものですが、 ・悠里と剛士は、ストーカー事件をきっかけに知り合い、友だち以上恋人未満な仲 ・2人の親友、彩奈と拓真を含めた仲良し4人組 であることを前提に、本作からでもお楽しみいただけます♡ ★1作目 『私の恋はドキドキと、貴方への恋を刻む』 ストーカーに襲われた女子高の生徒を救う男子高のバスケ部イケメンの話 ★2作目 『2人の日常を積み重ねて。恋のトラウマ、一緒に乗り越えましょう』 剛士と元彼女とのトラウマの話 こちらもぜひ、よろしくお願いします!

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

逢生ありす
ファンタジー
 女性向け異世界ファンタジー(逆ハーレム)です。ヤンデレ、ツンデレ、溺愛、嫉妬etc……。乙女ゲームのような恋物語をテーマに偉大な"五大国の王"や"人型聖獣"、"謎の美青年"たちと織り成す極甘長編ストーリー。ラストに待ち受ける物語の真実と彼女が選ぶ道は――? ――すべての女性に捧げる乙女ゲームのような恋物語―― 『狂気の王と永遠の愛(接吻)を』 五大国から成る異世界の王と たった一人の少女の織り成す恋愛ファンタジー ――この世界は強大な五大国と、各国に君臨する絶対的な『王』が存在している。彼らにはそれぞれを象徴する<力>と<神具>が授けられており、その生命も人間を遥かに凌駕するほど長いものだった。 この物語は悠久の王・キュリオの前に現れた幼い少女が主人公である。 ――世界が"何か"を望んだ時、必ずその力を持った人物が生み出され……すべてが大きく変わるだろう。そして…… その"世界"自体が一個人の"誰か"かもしれない―― 出会うはずのない者たちが出揃うとき……その先に待ち受けるものは? 最後に待つのは幸せか、残酷な運命か―― そして次第に明らかになる彼女の正体とは……?

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...