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弐章 比良山の若天狗
十七
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太郎による愛の告白は止まなかった。
「藍、愛してるーっ! 僕のお嫁さんになってーっ!」
「や、やめ……やめてくださいぃぃ!!」
ここは、藍の家の近所。つまり、藍のことを子供の頃から知っている人たちで溢れかえっている。今叫んでいる言葉を最も聞かれたくない場所だ。
ひとしきり叫んだ後、太郎は一旦止めて、耳を澄ませていた。だが、声は再び響いた。
「藍、好きだー愛してるー」
「な、なんでまた言うんですか!!」
「今のは僕じゃないよ」
がくがく揺さぶられながらも、太郎は天から降ってくる声に耳を傾けていた。確かに、今は太郎は叫んでいない。にもかかわらず、太郎の言葉は聞こえてくる。
「これが、さっき言ってた……?」
「たぶんね」
見ると治朗もまた、反芻している声に耳を澄ませていた。声の主を、探し当てようとしているのだろうか。そんな疑問は、太郎と治朗が二人同時に一点をにらんだ瞬間に確信に変わった。
「治朗!」
「はい、兄者!」
言うが早いか、治朗が翼を広げて舞い上がった。目にもとまらぬ速さで社殿の屋根の高さまで飛び上がったかと思うと、ある一点に向けてまっすぐに飛んだ。この境内で最も太く、もっとも枝葉を生い茂らせた、ご神木に。
治朗は風を切って旋回し、その勢いでご神木の幹に大きな蹴りを入れた。ただの人間が同じことをしてもはじき返されるだけだろうが、治朗は違った。
幹から枝葉のすべてを震わせ、同時に根元まで震え上がらせた。ご神木は震えながらミシミシと軋み始め、徐々にその体を傾けていく。
大きな衝撃と地響きと共に、ご神木がその巨体を地面に横たえるまで、それからさほど時間がかからなかった。
「ご、ご神木が……倒れた」
決してひ弱な木ではない。近隣のどの家屋の屋根よりも高く、大人が十人以上手を繋いでやっと囲めるほどの太さをした木だ。それを、今、一蹴りで倒してしまった。
藍は思わず、化け物を見る目で治朗を見てしまった。だが治朗と太郎は、別の場所をにらんでいた。
倒れたご神木の枝葉の中から何者かが飛び出したのだ。その何者かの影は素早く風のように走り去ろうとした。
その影を、太郎が飛びついてむんずと掴み取った。掴みあげたその何者かの姿を、太郎は大きく掲げて見せた。
「え……犬?」
その何者かは、四つ足で、犬のような頭で、長い耳があった。だが犬にしては少しばかり足が長く、猿にも似ているかもしれない。どちらとも言えない姿だった。
「動物じゃないよ。これは『呼子』。いわゆる『山彦』のあやかしだね」
「山彦……ですか」
「ね、そうだよね? 呼子くん」
呼子と言われたあやかしは、呼びかけには答えずじたばたともがいていた。だが太郎の手から逃れられないと悟ったのか、徐々におとなしくなっていった。それでも、太郎に対する返答はない。
「さて……藍、好きです。僕のお嫁さんになってください」
「はぁ?」
「あいすきですおよめさんに……」
「はぁぁ!?」
「ほら、真似した。会話より真似が得意なんだよ。とはいえ、まったく話せないわけではないんだよ」
太郎は、呼子の体をくるりと自分に向けた。呼子が、びくりと震えたのが見えた。
「さて、話してもらおうか。何で山にいるはずのあやかしくんが、こんな街中にいるのかな? 何で人を脅かすなんてこと、してたのかな? うん?」
藍たちから見れば、普段の調子と何も変わらないのだが、初めて会うからか、それともこの呼子にだけ見える何かがあるのか、呼子はすくみ上がっていた。声を震わせながら、おそるおそる、声を発した。
「あ……『あやかし』『が』『きた』」
「藍、愛してるーっ! 僕のお嫁さんになってーっ!」
「や、やめ……やめてくださいぃぃ!!」
ここは、藍の家の近所。つまり、藍のことを子供の頃から知っている人たちで溢れかえっている。今叫んでいる言葉を最も聞かれたくない場所だ。
ひとしきり叫んだ後、太郎は一旦止めて、耳を澄ませていた。だが、声は再び響いた。
「藍、好きだー愛してるー」
「な、なんでまた言うんですか!!」
「今のは僕じゃないよ」
がくがく揺さぶられながらも、太郎は天から降ってくる声に耳を傾けていた。確かに、今は太郎は叫んでいない。にもかかわらず、太郎の言葉は聞こえてくる。
「これが、さっき言ってた……?」
「たぶんね」
見ると治朗もまた、反芻している声に耳を澄ませていた。声の主を、探し当てようとしているのだろうか。そんな疑問は、太郎と治朗が二人同時に一点をにらんだ瞬間に確信に変わった。
「治朗!」
「はい、兄者!」
言うが早いか、治朗が翼を広げて舞い上がった。目にもとまらぬ速さで社殿の屋根の高さまで飛び上がったかと思うと、ある一点に向けてまっすぐに飛んだ。この境内で最も太く、もっとも枝葉を生い茂らせた、ご神木に。
治朗は風を切って旋回し、その勢いでご神木の幹に大きな蹴りを入れた。ただの人間が同じことをしてもはじき返されるだけだろうが、治朗は違った。
幹から枝葉のすべてを震わせ、同時に根元まで震え上がらせた。ご神木は震えながらミシミシと軋み始め、徐々にその体を傾けていく。
大きな衝撃と地響きと共に、ご神木がその巨体を地面に横たえるまで、それからさほど時間がかからなかった。
「ご、ご神木が……倒れた」
決してひ弱な木ではない。近隣のどの家屋の屋根よりも高く、大人が十人以上手を繋いでやっと囲めるほどの太さをした木だ。それを、今、一蹴りで倒してしまった。
藍は思わず、化け物を見る目で治朗を見てしまった。だが治朗と太郎は、別の場所をにらんでいた。
倒れたご神木の枝葉の中から何者かが飛び出したのだ。その何者かの影は素早く風のように走り去ろうとした。
その影を、太郎が飛びついてむんずと掴み取った。掴みあげたその何者かの姿を、太郎は大きく掲げて見せた。
「え……犬?」
その何者かは、四つ足で、犬のような頭で、長い耳があった。だが犬にしては少しばかり足が長く、猿にも似ているかもしれない。どちらとも言えない姿だった。
「動物じゃないよ。これは『呼子』。いわゆる『山彦』のあやかしだね」
「山彦……ですか」
「ね、そうだよね? 呼子くん」
呼子と言われたあやかしは、呼びかけには答えずじたばたともがいていた。だが太郎の手から逃れられないと悟ったのか、徐々におとなしくなっていった。それでも、太郎に対する返答はない。
「さて……藍、好きです。僕のお嫁さんになってください」
「はぁ?」
「あいすきですおよめさんに……」
「はぁぁ!?」
「ほら、真似した。会話より真似が得意なんだよ。とはいえ、まったく話せないわけではないんだよ」
太郎は、呼子の体をくるりと自分に向けた。呼子が、びくりと震えたのが見えた。
「さて、話してもらおうか。何で山にいるはずのあやかしくんが、こんな街中にいるのかな? 何で人を脅かすなんてこと、してたのかな? うん?」
藍たちから見れば、普段の調子と何も変わらないのだが、初めて会うからか、それともこの呼子にだけ見える何かがあるのか、呼子はすくみ上がっていた。声を震わせながら、おそるおそる、声を発した。
「あ……『あやかし』『が』『きた』」
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