となりの天狗様

真鳥カノ

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参章 飯綱山の狐使い

十七

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「さて、あとはあいつらについてだったな。お嬢、よっぽどあいつらのことを気に入ったんだな。主として嬉しいぜ」
「気に入ったってほどじゃ……目の前で泣かれたら誰だって何とかしてあげたいって思うでしょ」
「へぇ、そうかいそうかい」
 三郎はニヤニヤしながら、藍の顔をじろじろと覗き込んだ。
「何ですか?」
「いや、良い子だなぁって思ってよ。えーと何だったっけ……」
 三郎は先ほど藍が挙げた質問を反芻して、指を立てていった。そして、捲し立てて言った。
「『ご主人様』と呼ばせて恥ずかしくないのか? だって主だからな。それ以外にどう呼ぶんだ?」
「……わ、わかりません」
「はい、じゃあ『ご主人様』継続で……次、泣いてたのに放置するなんて酷い……か。まぁ会話ができなくなったのはお嬢の二重結界の干渉があったからなんだよなぁ」
「それはまことに申し訳ございません……」
「いいって。お嬢が悪いわけではないからな。ただ、俺もちょっと困らされたから、この件は不問ということでよろしく。で、最後……クレープとドーナツとアイスの料金か。正直なところ、余計なことしてくれたと思ってるんだよなぁ。あいつら絶対、食べたいって言い出すだろうし……だから払いたくない」
「それは困りますよ! 私だって少ないお小遣いの中でやりくりしてるんですから!」
 三郎もまた、どうしても払うのが嫌らしい。苦々しい面持ちで、首をかしげていた。
「金がないなら太郎に言えばいいんじゃねえか? 喜んで色々貢ぐぞ」
「やめてください! ますます許嫁って言われちゃうじゃないですか!」
「……え、困ることか?」
「困りますよ!」
 三郎は、今日色々と話した中で最も驚いていた。藍にとっては、最も不本意なことだった。
「だってあいつ、皆に文を送ってたぞ。『千年待ち望んだ許嫁とようやく再会できた。これからは離れることがないよう彼女のもとで暮らす』って」
「うちが離れを下宿にしたから住み込んでるだけです。色々助かってるのは確かですけど、大家と店子以上の関係ではないです!」
「『毎日僕のご飯を食べて美味しいと言ってくれる。こんな至福の時がこれまであっただろうか』とか『時々一緒に厨房に立つ。はやくも夫婦として手を取り合うことができた』とか書いてあったが?」
「誤解です。誇大表現です。尾ひれがつきまくりです……! そもそも許嫁ではないんですから!」
 はっきりとそう言い放つと、三郎は唖然としていた。先ほどまで見せていた余裕などどこかに吹き飛んだかのように目を瞬かせ、立ち尽くしていた。
 それほどに意外だったらしい。意外と思われることが、藍にとって何より不本意でならない。
「何だそりゃ。どうなってんだ?」
「こっちが聞きたいです」
「……そうだな。聞いてみるか」
 三郎は何かに気づいたように空を見つめている。呆然としているのではなく、何か遠くのものを見つめているようだった。
「何かが迫って来てる。たぶん太郎か治朗じゃないか? お嬢の二重結界を解いたから、気を感じ取れるようになって飛んできてるんだろ」
 三郎と同じ方向を見つめていると、確かに何かが迫っている音がした。藍にも感じ取れるほどだからもうだいぶんと近づいているのだろう。
 だがその音の方をじっと見ていても、いっこうに人影らしきものは近づいてこなかった。代わりに、もう少し小さな、塊のようなものがぐんぐん近づいてきていた。
「……うん?」
 三郎が、咄嗟に藍の目の前に手を突き出した。次の瞬間には、その手のひらには何かが収まっていた。
 三郎と二人、何かと覗き込むと、手のひらほどの大きさの石が目に入った。
「……石?」
つぶてが何でいきなり、こんな街中に降って来てんだ?」
 三郎は空を見上げていた。だが、何か目にとまった様子はない。そうしている間にも、また風切り音が聞こえてきた。
 また藍の頭上に降ってきたところを、三郎が払い落とした。
「お嬢を狙ってやがる。参ったな」
 三郎が言葉を句切ると同時に、また礫が飛んできた。一つ一つたたき落としながら、三郎は藍の腕を掴んだ。
「屋根のあるところまで走るぞ。ここにいたら周りが危ない」
「は、はい!」
 降ってくる礫が徐々に大きく、速く、鋭くなっている。
 藍は公園にいた親子の悲鳴が聞こえないうちにと、走り出したのだった。
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