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終章 となりの天狗様
三
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「へ? あ、ああ……感謝の形……何がいいですか?」
「そうだなぁ」
じっくり考える太郎を見ていると、不安が増した。とんでもないことを言われたらどうしようと。
時計の音が、いやに耳についた。秒針が何度目かの音を鳴らしたとき、太郎の考え事が終わった。
「じゃあ……次の試験では全科目一〇〇点」
「……勘弁して下さい」
崩れ落ちる藍に、太郎はさらにたたみかけた。
「あと、呼子はいいけど、慧は藍と距離をとること」
「え? はい、まぁ……離れにいてもらえば……って、住むんですか!?」
「眷属だからね。それと、僕か治朗が指南するから、もうちょっと力の使い方を覚えた方が良い。何かあった時の護身のためにも」
「う……はい、わかりました」
ここまで迷惑をかけてしまったからには、断れるはずもなかった。頷く藍を見て、太郎は満足げに笑った。
「じゃあ、もう一つ」
「まだあるんですか!?」
藍の叫びに構わず、太郎の顔がぐっと近づく。夜のように深い色をした瞳が、まだほんの少しだけ涙で滲んだ名残で潤んでいる。
じんわりと滲みつつ、藍の瞳をまっすぐに覗き込む。
「……おにぎりと、煮っころがし」
「はい?」
覚悟を決めていた藍の前には、先ほど、空で見たのと同じ笑みがあった。
「君の作ったおにぎりと、煮っころがしが食べたい。できれば他の料理も、君が作ったものをたくさん食べたい」
「う……」
「ダメ?」
どこで覚えたのか天然なのか……上目遣いなその目は、捨てられた子猫のように藍の心に深く突き刺さろうとしていた。
「ダメ……………………じゃないです」
「本当に? やった! 嬉しいよ、藍!」
この人は本当にあの天狗様なんだろうか、と藍は目を疑いたくなった。何度も自分を助けてくれた勇ましい姿と、無邪気に小躍りしている今の姿……それらはどうしても重ならない。
「それじゃあ、最後の一つ」
「まだあったんですか!?」
太郎は悪びれもせず頷いて、藍の前に正座した。
「今言った”感謝の形”をぜーんぶ貰うまで……君のとなりにいてもいい?」
答えなど分かりきっていると言いたげな太郎の瞳を見て、藍は悟った。藍の、負けなのだ。
あの時、茜空に照らされた横顔に一瞬でも心を奪われてしまった自分の負けだ。例え、この人が本当に笑顔を向けたいのが自分ではなく、はるか昔にいなくなってしまった女性だとわかっていても。
それでも、またあんな風に笑いかけて欲しいと思ってしまう藍の、負けなのだ。
(ごめんなさい”姫”。ごめんなさい、太郎さん。今だけ……ほんの少しの間だけでいい。太郎さんの、このご厚意を借ります)
届くはずのない声で呟いて、藍は太郎の顔を見つめ返した。そして、神妙に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします……!」
「うん。よろしくね!」
顔を上げると、太郎の喜色満面の顔と、治朗たちの呆れたような、面白がるような、苦いような笑いが、目に入った。
こうして、泣き虫でちょっとだいぶ面倒くさい天狗様は、まだまだ私のとなりにいてくれることになりました。
完
「そうだなぁ」
じっくり考える太郎を見ていると、不安が増した。とんでもないことを言われたらどうしようと。
時計の音が、いやに耳についた。秒針が何度目かの音を鳴らしたとき、太郎の考え事が終わった。
「じゃあ……次の試験では全科目一〇〇点」
「……勘弁して下さい」
崩れ落ちる藍に、太郎はさらにたたみかけた。
「あと、呼子はいいけど、慧は藍と距離をとること」
「え? はい、まぁ……離れにいてもらえば……って、住むんですか!?」
「眷属だからね。それと、僕か治朗が指南するから、もうちょっと力の使い方を覚えた方が良い。何かあった時の護身のためにも」
「う……はい、わかりました」
ここまで迷惑をかけてしまったからには、断れるはずもなかった。頷く藍を見て、太郎は満足げに笑った。
「じゃあ、もう一つ」
「まだあるんですか!?」
藍の叫びに構わず、太郎の顔がぐっと近づく。夜のように深い色をした瞳が、まだほんの少しだけ涙で滲んだ名残で潤んでいる。
じんわりと滲みつつ、藍の瞳をまっすぐに覗き込む。
「……おにぎりと、煮っころがし」
「はい?」
覚悟を決めていた藍の前には、先ほど、空で見たのと同じ笑みがあった。
「君の作ったおにぎりと、煮っころがしが食べたい。できれば他の料理も、君が作ったものをたくさん食べたい」
「う……」
「ダメ?」
どこで覚えたのか天然なのか……上目遣いなその目は、捨てられた子猫のように藍の心に深く突き刺さろうとしていた。
「ダメ……………………じゃないです」
「本当に? やった! 嬉しいよ、藍!」
この人は本当にあの天狗様なんだろうか、と藍は目を疑いたくなった。何度も自分を助けてくれた勇ましい姿と、無邪気に小躍りしている今の姿……それらはどうしても重ならない。
「それじゃあ、最後の一つ」
「まだあったんですか!?」
太郎は悪びれもせず頷いて、藍の前に正座した。
「今言った”感謝の形”をぜーんぶ貰うまで……君のとなりにいてもいい?」
答えなど分かりきっていると言いたげな太郎の瞳を見て、藍は悟った。藍の、負けなのだ。
あの時、茜空に照らされた横顔に一瞬でも心を奪われてしまった自分の負けだ。例え、この人が本当に笑顔を向けたいのが自分ではなく、はるか昔にいなくなってしまった女性だとわかっていても。
それでも、またあんな風に笑いかけて欲しいと思ってしまう藍の、負けなのだ。
(ごめんなさい”姫”。ごめんなさい、太郎さん。今だけ……ほんの少しの間だけでいい。太郎さんの、このご厚意を借ります)
届くはずのない声で呟いて、藍は太郎の顔を見つめ返した。そして、神妙に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします……!」
「うん。よろしくね!」
顔を上げると、太郎の喜色満面の顔と、治朗たちの呆れたような、面白がるような、苦いような笑いが、目に入った。
こうして、泣き虫でちょっとだいぶ面倒くさい天狗様は、まだまだ私のとなりにいてくれることになりました。
完
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