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第2章 芋聖女と呼ばないで

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――じゃあ、またね、元気に育つのよ

 昨日、レティシアは確かにそう言った。そしてできる限りの力を振り撒いておいた。
 それが今日、来てみるとレティシアが望んだとおりの大豊作になっていた。

 畑は白い可憐な花で埋め尽くされ、地面を掘れば大きく膨らんだジャガイモたちがどっさり現れた。

 掘っても掘っても、ジャガイモは出てきた。そう、掘っても掘っても……畑を越えて、どこまでもそれは続いた。近隣で一番大きな屋敷の敷地内、その中でも艶やかに咲き誇っている花園までが、今やじゃがいもの真っ白な花に埋め尽くされていた。

「申し訳ございません……!」

 レティシアは、そう言うしかなかった。
 丹精込めた花がジャガイモに侵食されたと憤慨する青年に、どんな反論が出来ようか。いや出来ない。

 青年はレティシアがどれだけ深く頭を垂れても、その整ったまなじりをつり上げたままだった。

「いったいどんな手品を使った? わずか一晩でこんな……嫌がらせにも限度があるぞ。それもこんな忌まわしい花ばかり……」
「い、忌まわしいって……」
「だいたいお前は誰なんだ? この領地の者ではないだろう」

 レティシアは、頭を垂れたまま何も言えなかった。
 言えるはずがない。王太子の元婚約者で、偽聖女のレッテルを貼られた者だなんて。そして植物を育てすぎたから証拠隠滅のために、ただただ、だだっ広い土地を求めてやってきた余所者だなんて。

「どうした、答えないか」
「え、えぇと……」
「……名は?」
「レティシ……レティです」
「どこの領地の者だ?」
「お、王都……」
「ふざけているのか。ここは王都から遠く離れた北の国境だぞ」
「北の!?」

 まさかそんなところまで飛んでしまっていたとは。どうりでひんやりするはずだ。そして恵みが行き届いていないわけだ。

「ここがどこかも知らずに来たというのか。王都から流れてきた者か?」

 流れ者は、自分が住んでいた土地を捨てて余所の土地に移り住む者だ。きちんと領主の許可を得て移る者もいれば、無断で逃げ出す者もいる。当然、後者は罰を受ける。

 だから、領主の許可を得ている者は必ず持っているものがある。

「通行手形を見せろ」
「ど、どうしてそんな……」
「俺が、このバルニエ領の領主であるアベル・ド・ランドロー伯爵だからだ。この地に踏み入るからには、まず俺の許可を得て貰おうか」

 冷や汗が、一筋背中を伝った。

 王都から転移魔法でぽーんと飛んできたレティシアが、手形なんてものを持っているはずがないのだ。

 それなのに、いきなり、よりによって領主に遭遇してしまった。

「さあ、早く見せろ」
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