62 / 98
第二章 四品目 ころころ”パンダさん”
5 動画の中の『ねね』
しおりを挟む
動画の中の奈々は、少し緊張しながらも目一杯の笑顔で観客にお辞儀をし、子供用の補助ペダルを置いてもらって、ピアノに向かっていた。深呼吸をして、そっと鍵盤に指を置くと、小さな手のひらからは想像できない艶やかな音を紡ぎ出した。
それまでのぎこちない動きとは打って変わって、しなやかに、優しく、だがしっかりと鍵盤の上に指を走らせていく。まるで吸い寄せられるように、奈々の指は次々音を奏で、音はメロディを紡いでいった。
「上手だなぁ……」
「ああ。得意だと聞いてはいたが、これほどとはなぁ」
竹志と野保が、口々に称賛する。それらを奈々は肩を竦めて聞いていた。だけど奈々の演奏に魅入られている竹志たちは、そんな様子に気付いていなかった。
「ねね、きれい! じょうず!」
「……そう」
今度は天が、奈々の周りをぴょんぴょん跳ねて叫んだ。されるがままになっている奈々だが、何故か、目を合わせようとしない。
「ねね、あれやって!」
「……あれって……」
「ぽろろん、てやって! さっきのみたいにやってや!」
天は動画の中の奈々の真似をしていた。しなやかな動きで、架空の鍵盤をぽんぽんと叩いているのがわかる。だけど本当は、真似したいのではなくて、奈々の演奏の方が聞きたいのだ。今、目の前で。
天の期待に満ちた視線が奈々にまとわりつく。
「やらへん。やめて」
奈々の低い声が、静かに、だがはっきりと居間に響いた。竹志と野保は視線を交わした。
「天ちゃん、今はピアノがないからさ。いくら奈々ちゃんが上手でもできないよ」
「すまんな、天ちゃん」
二人から揃ってそう言われ、天はちょっとしゅんと俯いてしまった。だが、めげていない様子ですぐに顔を上げた。
「ほな家帰ったらやって!」
「……家でもできへんよ。ピアノなんて、捨てたもん」
その言葉には、竹志も野保も驚いた。理由を聞きたい気持ちも湧いたが、今は、それよりも他に気遣うことがあった。
今目の前で、全部否定されたと感じてむくれている天だ。
「なんで? なんで捨てたん!? さっきの、ききたい!」
天は地団駄を踏んで、喚くのだった。隣に座っていた竹志だけが、奈々がぐっと拳を握りしめたことに気付いた。
「やってやって、やってぇや! ねね! やって!」
その時、ドンッと大きな音がした。そして――
「やめてって言ってるやろ! 誰のせいやと思ってんの!」
奈々の声がやむと、今はしんと静まりかえった。
竹志は、奈々を止められなかったことを悔やんだが、それ以上に今、どうしていいのかがわからない。それは野保も同様だったようで、奈々と天を交互に見ていた。
やがて、ひくっと、しゃくり上げる声が聞こえた。はっと天の方を向いた時には、もう遅かった。
天の両目から、ぽろぽろと大粒の涙がいくつもこぼれ落ちているところだった。
「ねね……やってくれへん……うああああぁぁぁぁぁ!」
奈々もまた、はっとして天の泣き声を聞いていた。だが、朝とは違って抱き寄せることも、頭を撫でてやることもしなかった。できなかった。
代わりに野保が天の背中を撫でてやると、絡みつくように野保に抱きついた。
それを見た奈々は安堵したような、だが同時に、また複雑そうな顔をしていた。
竹志はどちらに声をかけるべきか、決めあぐねていると、玄関の方で音がした。そして――
「ちょっとどうしたの? 大きい声だして……外まで聞こえてるわよ」
「晶さん!」
入ってきたのは、スーツ姿の晶だった。そういえば今日は外勤先から直帰して、少し早く帰宅すると言っていた。
晶の声に弾かれたかのように、奈々は踵を返して居間から出て行った。そして、足音は玄関から出て行ったように聞こえた。
「晶! 追いかけてくれ」
「え? なに?」
野保から指示が飛ぶと、晶は困惑していた。
「奈々ちゃんが一人になっちゃいかん。追いかけて、話を聞いてやってくれ」
「わ、わかった」
切羽詰まった野保の表情に気圧されたのか、晶は珍しく文句一つ言わずに玄関から出て行った。慣れない土地を歩き回る奈々が相手なら、晶はすぐに追いつけるだろう。
竹志も野保も、そう思うことにして、今はひとまず天のことを宥めることに専念した。
居間には未だ、空を突き破るような天の泣き声が響き渡っているのだった。
それまでのぎこちない動きとは打って変わって、しなやかに、優しく、だがしっかりと鍵盤の上に指を走らせていく。まるで吸い寄せられるように、奈々の指は次々音を奏で、音はメロディを紡いでいった。
「上手だなぁ……」
「ああ。得意だと聞いてはいたが、これほどとはなぁ」
竹志と野保が、口々に称賛する。それらを奈々は肩を竦めて聞いていた。だけど奈々の演奏に魅入られている竹志たちは、そんな様子に気付いていなかった。
「ねね、きれい! じょうず!」
「……そう」
今度は天が、奈々の周りをぴょんぴょん跳ねて叫んだ。されるがままになっている奈々だが、何故か、目を合わせようとしない。
「ねね、あれやって!」
「……あれって……」
「ぽろろん、てやって! さっきのみたいにやってや!」
天は動画の中の奈々の真似をしていた。しなやかな動きで、架空の鍵盤をぽんぽんと叩いているのがわかる。だけど本当は、真似したいのではなくて、奈々の演奏の方が聞きたいのだ。今、目の前で。
天の期待に満ちた視線が奈々にまとわりつく。
「やらへん。やめて」
奈々の低い声が、静かに、だがはっきりと居間に響いた。竹志と野保は視線を交わした。
「天ちゃん、今はピアノがないからさ。いくら奈々ちゃんが上手でもできないよ」
「すまんな、天ちゃん」
二人から揃ってそう言われ、天はちょっとしゅんと俯いてしまった。だが、めげていない様子ですぐに顔を上げた。
「ほな家帰ったらやって!」
「……家でもできへんよ。ピアノなんて、捨てたもん」
その言葉には、竹志も野保も驚いた。理由を聞きたい気持ちも湧いたが、今は、それよりも他に気遣うことがあった。
今目の前で、全部否定されたと感じてむくれている天だ。
「なんで? なんで捨てたん!? さっきの、ききたい!」
天は地団駄を踏んで、喚くのだった。隣に座っていた竹志だけが、奈々がぐっと拳を握りしめたことに気付いた。
「やってやって、やってぇや! ねね! やって!」
その時、ドンッと大きな音がした。そして――
「やめてって言ってるやろ! 誰のせいやと思ってんの!」
奈々の声がやむと、今はしんと静まりかえった。
竹志は、奈々を止められなかったことを悔やんだが、それ以上に今、どうしていいのかがわからない。それは野保も同様だったようで、奈々と天を交互に見ていた。
やがて、ひくっと、しゃくり上げる声が聞こえた。はっと天の方を向いた時には、もう遅かった。
天の両目から、ぽろぽろと大粒の涙がいくつもこぼれ落ちているところだった。
「ねね……やってくれへん……うああああぁぁぁぁぁ!」
奈々もまた、はっとして天の泣き声を聞いていた。だが、朝とは違って抱き寄せることも、頭を撫でてやることもしなかった。できなかった。
代わりに野保が天の背中を撫でてやると、絡みつくように野保に抱きついた。
それを見た奈々は安堵したような、だが同時に、また複雑そうな顔をしていた。
竹志はどちらに声をかけるべきか、決めあぐねていると、玄関の方で音がした。そして――
「ちょっとどうしたの? 大きい声だして……外まで聞こえてるわよ」
「晶さん!」
入ってきたのは、スーツ姿の晶だった。そういえば今日は外勤先から直帰して、少し早く帰宅すると言っていた。
晶の声に弾かれたかのように、奈々は踵を返して居間から出て行った。そして、足音は玄関から出て行ったように聞こえた。
「晶! 追いかけてくれ」
「え? なに?」
野保から指示が飛ぶと、晶は困惑していた。
「奈々ちゃんが一人になっちゃいかん。追いかけて、話を聞いてやってくれ」
「わ、わかった」
切羽詰まった野保の表情に気圧されたのか、晶は珍しく文句一つ言わずに玄関から出て行った。慣れない土地を歩き回る奈々が相手なら、晶はすぐに追いつけるだろう。
竹志も野保も、そう思うことにして、今はひとまず天のことを宥めることに専念した。
居間には未だ、空を突き破るような天の泣き声が響き渡っているのだった。
10
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。
国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。
でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。
これってもしかして【動物スキル?】
笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。