憂い視線のその先に

雪村こはる

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糖度150%、スパイス多め

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「あの……さ」

「うん」

「……律のベッドで一緒に寝るの?」

 律の手を握ったまま、上目がちに律を見つめた。恥じらうその表情に律の心臓が大きくドクンッと跳ねた。

「そうだよ。俺にソファーで寝かせるつもり?」

「あ、ちがっ」

「ふふ。緊張してるの? 今更? 千愛希のベッドで散々一緒に寝たのに」

「……律のベッド……」

「うん」

「初めてだから……」

「……うん。ベッドで抱いてあげればよかったね」

 軽く頬に口付けを落とした律。ピクンと体を震わせた千愛希は、我慢していた熱を放散させるかのようにボンッと音がしそうなほど顔を真っ赤にさせた。

 友達のままでいたら千愛希のこんな表情は一生見ることができなかった。お互いに恋愛感情のないままあの関係を続けていたら、こんなにも愛しく感じることなどなかった。

 律は、慈しむ思いで優しく触れるだけのキスをした。千愛希はきゅっと下唇を噛む。

「さっきの……嬉しかった」

「うん?」

「周くんに言ってくれたの……。傷付けたら許さないよって……」

「ああ。……嬉しかったんだ?」

「うん。……まどかさんの前で言ってくれた」

「そうだね。俺にとっては千愛希だけが特別だよ」

「……律」

 不意に訪れる優しい言葉に、千愛希の目頭は熱くなった。じわっと視界が滲むと、律はおかしそうに笑った。

「ねぇ千愛希。俺、さっき思い出したんだけど」

「……うん?」

「俺ね、高校の時、ちょっと千愛希のこと気になってたかもしれない」

「へ!?」

 驚いて勢いよく顔を上げた千愛希の髪を1束すくうと、律はそこにも唇を寄せた。

「ちょっとだけね」

 目を伏せてはにかむ律の顔は、ちょっとだけだなんて言っていなかった。
 千愛希は両手を広げると、律の胸に飛び込み顔を埋めた。

 律の憂い視線のその先には確かにまどかが映っていた。けれど熱い視線のその先には昨日も今日もきっと明日も千愛希がいる。
 千愛希の初恋は、苦くて味わい深いコーヒーのようだった。

「明日はいつものカフェに行こうか」

「……うん」

「とりあえず今は風呂入って……やっぱり俺も一緒に入ろうかな」

「えぇ!?」

 冷静沈着で他人に無関心のビターな彼は、恋人だけには極上の甘さを与える。
 すっかり骨抜きにされた律に困惑しながらも、くすぐったそうに身を捩る千愛希。

 拗れてすれ違った分だけ、残された未来は素直で思いやりに溢れたものに変わる。
 2人は照れ笑いを浮かべながら、きつく手を握りしめ、空を舞うように自室に続く階段を駆け上がった。





【完】

→おまけ
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