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毒草事件【10】
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「……たくさんあると、迷ってしまいます」
そう言って澪は、袖の上から右腕をぎゅっと押さえ込んだ。胸の鼓動がうるさい程に激しく脈打った。
もう完全に塞がっている筈の傷口が痛むのだ。右腕と背中を突き刺すような激痛が襲った。
幼い頃、母親に背中を何度も切り裂かれ、そこに隙間がなくなると、切りつける場所は右腕へと移動した。利き手である左手は咄嗟に動く時に手が出る。よく使うその手は、動かす度に袖が捲れ傷口が露になる危険があった。
母親の伽代の目的はあくまでも憲明からの寵愛であり、その傷は憲明にだけ見せられればそれでよかった。
そのため、他者からは見えないところを集中的に傷を負わせた。それにより、他の者と同じように右手を主に使えば傷口が目立つ。よって澪は、その傷を庇うためにも自然と本来の利き手である左手を使うしかなかった。
憲明もそんな伽代の狂気にようやく気付き、距離を置こうとした。
せめて娘の澪だけは安全な場所へとも考えたが、憲明が暫く見ない間に澪は異常な発達を遂げていたのだ。
自分の娘のみる影もなくなった澪を憲明はどうしても愛せなくなってしまった。
狂った妻と、気味の悪い化け物へと変化した澪。憲明にとっては鬼の子にしか見えなかった。
父親からは気味悪がられ、母親からは毎日切りつけられる。背後に人が立つと、その時の恐怖が一気に蘇り、全身の傷口が悲鳴をあげるかの如く痛んだ。
ぎゅっと腕を握っている様子の澪に、梓月は深く聞かなかった。
(微かに震えている……)
毒で弱った体だ。
今梓月に攻撃されれば、確実に殺されてしまう。澪の体はそう言っていた。
梓月には、この場で澪を攻撃するつもなどなかったが、自らが背後に立った刹那から体を震わす澪を見て、少し間合いをとった。
「手に取って見るといい」
梓月は、丁寧に畳まれた衣装を幾つか取り出し、澪の膝の上に乗せた。攻撃する気はないと顕示するかのように、その場に胡座をかき、両手を体の後ろに置いた。
その様子を見てようやく安堵したのか、澪は強張った表情を崩し、衣装を手に取った。
「……初めて見ました。美しい布です」
「ああ、絹という」
「絹……。しかし、もっと動きやすいものの方がいいです」
「姫はおてんばだからね」
「なっ……」
梓月が笑って言えば、澪はむくれてみせた。
空気が穏やかに変化したことで、澪の痛みはすぅっと引いていった。
おてんばなのではなく、周りが敵だらけだから、いざという時のために動きやすい服装でいたいのだと言いたげに梓月の顔を見る。
「わかっているよ。それなら、これなんかどうだろう」
そう言って梓月は別の衣装を取り出し、澪と共に幾つかの衣装を選んだ。
「本当に何から何までありがとうございました。梓月様には何とお礼を言ったら……」
「いいよ。久しぶりに琥太郎の楽しそうな顔が見られたから。それと、様はいらない」
「え?」
「君は他郷の姫で、俺の家来ではないし」
「しかし……」
「いらない。そのかしこまった言葉も」
「……」
「俺がいらないと言ってる」
「ですが……」
敵郷の統主の元にいて、更に話しているのはその統主の重臣だ。いくら年下に見えたとしても、幾人もの家来を持つ重臣相手に失礼なのではないかと澪は思えてならない。
ましてや、毒で動けなかった澪を介抱し、食事や衣装まで与えてくれた人物だ。これ以上無礼なこともできないと言葉を失う。
「それならこうしよう。俺も澪と呼ぶ。だから梓月でいい」
「それは……」
「俺の上には歩澄様しかいない。他の重臣も役としては俺と同等だから。文句を言う者はいないよ」
「そうですか……」
「だから、いいね?」
「はい……」
「ん?」
梓月が首を傾げれば、催促されているようで「……うん」と澪は頷いた。
「よろしい。今夜はここで眠っていくといい」
「それはっ……」
「澪の部屋は、歩澄様が用意させてあるけど、恐らく毒を盛った張本人が彷徨いている」
「あー……」
あのほくそ笑んだ嫌な顔を思い出し、澪は顔をしかめた。
「今の澪では負けるよ。どれ程力が落ちているか、自分が一番よくわかっていると思うけど?」
(……この人の力に怯えていたことなどお見通しだったか)
澪は、先程背後に立たれた時、恐怖を感じたことを梓月に見破られていたと気付く。それでいて攻撃を仕掛けてこなかったのだから、この方は本当に殺す気などないのだろうと心遣いを感じた。
「ここに澪がいることは、俺と琥太郎しか知らない。俺は今から歩澄様のところに行ってくるから眠っていていいよ」
「……ありがとうございます、梓月様」
「……」
枕元にしゃがんで目を細める梓月に気付いた澪は、慌てて「あのっ、ありがとう……梓月……くん」と言い直した。
「どういたしまして。おやすみ、澪」
「……おやすみ」
褥に横たわる澪の姿を確認してから、梓月は部屋を後にした。
そう言って澪は、袖の上から右腕をぎゅっと押さえ込んだ。胸の鼓動がうるさい程に激しく脈打った。
もう完全に塞がっている筈の傷口が痛むのだ。右腕と背中を突き刺すような激痛が襲った。
幼い頃、母親に背中を何度も切り裂かれ、そこに隙間がなくなると、切りつける場所は右腕へと移動した。利き手である左手は咄嗟に動く時に手が出る。よく使うその手は、動かす度に袖が捲れ傷口が露になる危険があった。
母親の伽代の目的はあくまでも憲明からの寵愛であり、その傷は憲明にだけ見せられればそれでよかった。
そのため、他者からは見えないところを集中的に傷を負わせた。それにより、他の者と同じように右手を主に使えば傷口が目立つ。よって澪は、その傷を庇うためにも自然と本来の利き手である左手を使うしかなかった。
憲明もそんな伽代の狂気にようやく気付き、距離を置こうとした。
せめて娘の澪だけは安全な場所へとも考えたが、憲明が暫く見ない間に澪は異常な発達を遂げていたのだ。
自分の娘のみる影もなくなった澪を憲明はどうしても愛せなくなってしまった。
狂った妻と、気味の悪い化け物へと変化した澪。憲明にとっては鬼の子にしか見えなかった。
父親からは気味悪がられ、母親からは毎日切りつけられる。背後に人が立つと、その時の恐怖が一気に蘇り、全身の傷口が悲鳴をあげるかの如く痛んだ。
ぎゅっと腕を握っている様子の澪に、梓月は深く聞かなかった。
(微かに震えている……)
毒で弱った体だ。
今梓月に攻撃されれば、確実に殺されてしまう。澪の体はそう言っていた。
梓月には、この場で澪を攻撃するつもなどなかったが、自らが背後に立った刹那から体を震わす澪を見て、少し間合いをとった。
「手に取って見るといい」
梓月は、丁寧に畳まれた衣装を幾つか取り出し、澪の膝の上に乗せた。攻撃する気はないと顕示するかのように、その場に胡座をかき、両手を体の後ろに置いた。
その様子を見てようやく安堵したのか、澪は強張った表情を崩し、衣装を手に取った。
「……初めて見ました。美しい布です」
「ああ、絹という」
「絹……。しかし、もっと動きやすいものの方がいいです」
「姫はおてんばだからね」
「なっ……」
梓月が笑って言えば、澪はむくれてみせた。
空気が穏やかに変化したことで、澪の痛みはすぅっと引いていった。
おてんばなのではなく、周りが敵だらけだから、いざという時のために動きやすい服装でいたいのだと言いたげに梓月の顔を見る。
「わかっているよ。それなら、これなんかどうだろう」
そう言って梓月は別の衣装を取り出し、澪と共に幾つかの衣装を選んだ。
「本当に何から何までありがとうございました。梓月様には何とお礼を言ったら……」
「いいよ。久しぶりに琥太郎の楽しそうな顔が見られたから。それと、様はいらない」
「え?」
「君は他郷の姫で、俺の家来ではないし」
「しかし……」
「いらない。そのかしこまった言葉も」
「……」
「俺がいらないと言ってる」
「ですが……」
敵郷の統主の元にいて、更に話しているのはその統主の重臣だ。いくら年下に見えたとしても、幾人もの家来を持つ重臣相手に失礼なのではないかと澪は思えてならない。
ましてや、毒で動けなかった澪を介抱し、食事や衣装まで与えてくれた人物だ。これ以上無礼なこともできないと言葉を失う。
「それならこうしよう。俺も澪と呼ぶ。だから梓月でいい」
「それは……」
「俺の上には歩澄様しかいない。他の重臣も役としては俺と同等だから。文句を言う者はいないよ」
「そうですか……」
「だから、いいね?」
「はい……」
「ん?」
梓月が首を傾げれば、催促されているようで「……うん」と澪は頷いた。
「よろしい。今夜はここで眠っていくといい」
「それはっ……」
「澪の部屋は、歩澄様が用意させてあるけど、恐らく毒を盛った張本人が彷徨いている」
「あー……」
あのほくそ笑んだ嫌な顔を思い出し、澪は顔をしかめた。
「今の澪では負けるよ。どれ程力が落ちているか、自分が一番よくわかっていると思うけど?」
(……この人の力に怯えていたことなどお見通しだったか)
澪は、先程背後に立たれた時、恐怖を感じたことを梓月に見破られていたと気付く。それでいて攻撃を仕掛けてこなかったのだから、この方は本当に殺す気などないのだろうと心遣いを感じた。
「ここに澪がいることは、俺と琥太郎しか知らない。俺は今から歩澄様のところに行ってくるから眠っていていいよ」
「……ありがとうございます、梓月様」
「……」
枕元にしゃがんで目を細める梓月に気付いた澪は、慌てて「あのっ、ありがとう……梓月……くん」と言い直した。
「どういたしまして。おやすみ、澪」
「……おやすみ」
褥に横たわる澪の姿を確認してから、梓月は部屋を後にした。
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