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失われた村【42】

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 澪はいつまでも丁寧に万浬を研いでいた。その間、澪の許可を得て歩澄と秀虎は家の中を見て回った。
 押し入れには勧玄の召し物を見つけ、二人は目を輝かせた。

 歩澄、秀虎にとっても勧玄は英雄であり、憧れの剣豪である。顔こそ見たことはないが、ここで生きていた証を見つけ心が踊らないわけがない。

「九重浬と大剣豪勧玄か……改めて思うととんでもない組み合わせだな」

「はい。して、その孫が澪だというのですから、それも奇妙な巡り合わせです」

「ああ……匠閃郷統主の娘か……」

「ゆくゆくは澪を娶るつもりですか?」

 秀虎は勧玄の遺品を見つめながら、歩澄に尋ねた。

「ああ……幼き日の約束だからな」

 そう言った歩澄の顔は穏やかであった。

「左様でございますか……」

「何だ、納得いかぬか?」

「いえ……そうであるならば、此度の王にはやはり歩澄様がならねばならぬと思いまして……」

「ああ、正妻のことであろう?」

「はい……」

 歩澄は眉を下げて微笑を浮かべた。それに対して秀虎もつられるようにして微笑む。

 統主の制度ができた時から王の正妻となるのは、その時期に対象となる郷の出身であると決められていた。
 これは、郷の侵略を防ぐためである。王が己の出身郷を贔屓する目的で妻を娶る可能性があるため、王座を手にする者は国の法に則り、公平に正妻を決めることとなっていた。
 次期王の正妻は匠閃郷から選ばれる。此度歩澄が王となれば匠閃郷出身である澪を正妻として迎えることができる。然れど、此度の機会を逃し、王の世継ぎが生まれなければ再び次期王は各統主から選ばれることとなる。
 その時には迎える正妻は翠穣郷出身となる。仮にそれ以前に歩澄が澪を正妻に迎え入れていたとしても、澪を側室に置き、新たに翠穣郷から正妻を選ばねばならぬのだ。

 歩澄が王となればその制度も変えることができる。然れど、王となった途端すぐに法を変えれば民は王の権力を私利私欲のために使う暴君ではないかと疑いを持つ。他郷からも信頼を得るまでは、安易に法を変えるべきでないことは明らかであった。
 無論、王座を諦め潤銘郷統主として生きるのであれば、時期はどうあれ澪を正妻として置いておくのは可能である。

 しかし、歩澄は王座を諦めるつもりもなければ、澪以外の女人を正妻に迎えるつもりもない。故に、何がなんでも此度の王に這い上がる必要があるのだ。

「問題ない。いずれ、澪は私が娶る。誰にもくれてやる気などない」

「……はい。ですが……」

「わかっている。もしも他統主が王になった時、私を駒に使うために澪を娶ろうとする奴がいるだろうな……」

 既に歩澄の恋仲である澪が匠閃郷の姫であることは他郷に知れ渡っている。歩澄以外の統主が王となった時、正妻を匠閃郷から選ばなければならないという法は変わらない。たとえ歩澄と恋仲であろうとも、既に妻であろうとも王の命令であれば澪を正妻として差し出さないわけにいかなくなる。
 更に既に正妻のいる皇成と煌明の場合、澪を正妻に迎えたとしても名ばかりの正妻となり、不当な扱いを受けることは目に見えている。そこへきて、澪への待遇を餌に歩澄が脅されることも十分考えられることであった。
 故に、歩澄が王となること以外に澪を守る術はないのだ。そのことに澪はまだ気付いていない。

「どちらにせよ、もう引けぬことだ。あやつらを納得させ、私が王となる他ない」

「皇成様、伊吹様は話し合いができても、煌明様はどうなるか……」

「ああ、わかっている。私も先を急ぐつもりはない。まずは準備を入念にし、一つずつ制覇していくしかなかろう」 

「……はい」

 歩澄と秀虎は暫し今後のことについて話し合った。
 その内に鞘師が現れた。万浬の鞘を造った者だという。歩澄から見ればただの老いぼれにしか見えなかったが、澪はえらく感激していた。
 更に澪が速度を落とさぬまま万浬を研ぎ続け、鞘師は鞘の修復を喜んで行った。

 二人の作業は丸二日かかり、その間歩澄と秀虎は銀次の酒の相手をするはめになった。

 歩澄が潤銘郷統主と知っても郷の土地柄か、村人達は以前と変わらず歩澄と嬉しそうに会話を楽しんだ。
 歩澄にとっても、敬遠せずに接してくれることを嬉しく感じた。


ーー

「直ったー!!」

 ついに澪の弾むような声が聞こえ、歩澄と秀虎は駆けつけた。澪の手には、華月同様の輝きを放つ万浬が握られていた。皇成のもとで錆び付いていた面影は微塵もない。

 澪は、万浬を持って嬉しそうに歩澄と秀虎を森の奥へと誘い込んだ。その後を村人達も目を輝かせてついていく。

「何だ……こんなところに何があるというのだ……」

 何もない森を見渡して不思議そうな顔をする歩澄に、澪はにんまりと笑う。

「万浬の素晴らしさを見せて差し上げます。何故この刀が幻の刀と言われているのか……」

 薄く柔らかくしなる万浬は、妖しく光を反射させている。澪は、万浬と華月を抜くと逆手に持って顔の前で構えた。

「何だ……そんな構えで何を……」

 秀虎は、短刀でも持っているかのような構えの澪に、解せないと言ったように顔をしかめた。

 村人達は、今か今かと目を輝かせ、首を傾げる歩澄と秀虎を余所に澪は勢いよく地面を蹴った。数歩走り、勢いよく飛び上がる。空を駆け登り、素早く両手が舞う。
 目で追えない程の刀の動きは、光だけを反射させ、澪の周りをきらきらと輝かせて見せた。

 まるで女神が天に舞うようだ、と歩澄と秀虎は思った。その美しさに目を奪われている内に、辺りはざわざわと騒がしくなる。それはいくつもの葉が擦れる音であり、その刹那、数十本の木樹が次々に薙ぎ倒された。

「なっ……」

 歩澄と秀虎は唖然として言葉を失った。
 しかし村人達は「これでまた角材と薪ができるぞ!」と喜んでいる。
 村人達にしてみれば、一本の木を切り倒すこととて大変な労力である。しかし、澪の手にかかれば数十本の木が一度に倒され、そこから良質な角材を作り、他郷に売ることもできる。

「澪ちゃん、悪いんだけど適当な大きさに切ってくれるかね」

「はいよ!」

 澪は元気に返事をすると、それらを適当な長さで更に斬り、枝を全てとり払った。

「ありがとよ! またこんなに大量に角材がとれるとは思わなかったよ! 澪ちゃんがいなくなってからこの作業が大変でね」

 村人達は嬉しそうに枝を集め、切られた木を撫でた。
 
「やっぱり万浬はこうでなくちゃ!」

 誰よりも嬉しそうな澪は、村人達にお礼を言い、未だに放心状態の歩澄と秀虎を連れて潤銘郷へと向かうのだった。
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