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豊潤な郷【32】

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「背後を奪われるのは怖いか?」

「……少し」

 背部に気配を感じると、未だに背中を切りつけられた時の事を思い出すのだ。

「お前の背後は私が守ってやる。だから、背を私に預けろ」

「歩澄様……」

 背中から回された手は腹部で止まり、シュルっと澪の寝間着の帯を解いた。肩の圧力が抜け、澪の白い肌が現れる。

「ほ、歩澄様……何を……」

「傷を見せろ」

「い、嫌です!」

 澪は慌ててそれ以上背中が出ぬよう胸元を押さえた。

「私が全て受け入れる。約束したであろう? だから、他の男になど頼るな。私は、お前の背や腕に傷があることよりも、お前が私以外の男に悩みを打ち明ける方が嫌なのだ」

 歩澄は、澪の腕ごと背後から抱き締め、その背中に顔を埋めるようにして、額を擦らせた。まるで、親の温もりを求める赤子のようだった。

「歩澄様?」

「胸が苦しくなる。私は澪を独占したい。私が知らぬことを、私以外の男が知っているのは耐えられない」

「そ、そのようなこと……」

「慕情を抱いているのは己だけだと思っているのか? 私がこんなにも焦がれる程想っていることを何故わかってはくれぬ」

 歩澄の悲痛な訴えに、澪の胸はきゅうと締め付けられた。背中に伝わる歩澄の鼓動は速く、初めて想いを告げられた時の事を思い出した。

「澪のためなら何でもしてやる。身も心も全て私に預けて欲しい。それでないと、気が狂いそうだ。昨日とて、伊吹にあんなことを言わせた……。梓月に空穏に伊吹……。お前は人気があるのだな」

「私は歩澄様だけです。だから、こうして潤銘郷に帰ってきたのですから」

「しかし、側にいてもいつかいなくなるのではないかと気が気でない。傷も見せてくれぬ、体を委ねてもくれぬ……これでは私もあの者達と同じだな……」

 そう言う歩澄の声は、哀愁を漂わせていた。澪はその言葉にはっと顔を上げ、夜伽を断った事を歩澄はずっと気にしているのだの気付いた。
 傷を見て嫌な思いをするのではないか、嫌われるのではないか。そんな恐怖から歩澄を拒んだはずが、反対に歩澄を傷付けていた事を知ったのだ。

「……歩澄様……そのように悲しいことを言わないで下さい。私……歩澄様のことがとても好きです。お慕いしています。……私の傷は、近くで見るととても醜く、歩澄様に嫌われてしまうのではないかと怖かったのです……」

「嫌う? 私がか? そんなことあるわけがなかろう! 傷があろうとなかろうと、私はお前自身に惚れたのだ。お前を強くさせたのがその傷であれば、私にとってはそれも魅力の一つだ」

「……魅力?」

「勧玄の剣術を引き継ぎ、九重の技術を引き継いだお前だからこそ、二度好きになった。何不自由なくのうのうと生きてきたただの姫だったのなら、私は匠閃城で統主共々お前を斬っていただろう」

「そう……ですね」

「その傷があったからこそ、澪は強くなり、再び私達は出会うことができた。そんなふうには捉えられないか?」

 歩澄の言葉は優しく、澪を包み込んでいくようだった。後ろ向きに考えていた背と腕の傷。気持ち悪いと揶揄されてきた刀傷だが、歩澄が言うように、この過去がなければ九重とも勧玄とも出会えなかった。そして、歩澄とも。
 今の澪があるのは、壮絶な過去があるからである。そう考えると、澪の体に残る傷は自然の理であり、それを含めて澪を受け入れたいと申す歩澄の言葉が暖かかった。
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