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豊潤な郷【31】
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馬車に揺られ、歩澄と澪は向かい合って座っていた。澪は初めての馬車に落ち着かず、そわそわとしている。
ときおり外を眺めては、様子を伺うように歩澄を見つめた。
「馬車に乗るのは初めてなのだな」
「はい。駕籠に乗った記憶もあまりありません」
「そうか。城下に降りる際には使っていると思うがな……。幼い頃の記憶は曖昧か」
「そうですね……あまり思い出したくないことばかりです。小菅村に行ってからの方がよく覚えています」
覇気なく笑う澪に、歩澄も困ったように笑う。これからは楽しいと思えるような思い出を増やしてやりたいと思った。
己で馬を走らせるよりうんとゆっくり馬車は進む。変わる景色もぼーっと見ていられる程だった。
時折馬車を停め、休憩を挟みながら潤銘郷へと向かった。途中再び眠くなれば、澪は歩澄の隣に移り、肩を預けて眠った。
潤銘城についたのは翌日の日が沈む頃であった。澪が馬車から降りると、長い間座っていたからか足元がふらついた。
歩澄は腕を掴んで支えてやり、肩を抱いて澪の自室へと向かった。
歩澄と澪が無事帰還した知らせを受け、重臣と五平達もやってきた。しかし、澪と話をする間もなく、歩澄が「明日にしろ。今宵は何も聞くな。構うな」そう言って澪を引きずるようにして連れ去った。
その様子に家来達は皆安堵し、笑いさえも起こった。
自室まで送られた澪は、湯浴みを終えたら寝所に来いと言われた通り、直ぐに湯へと向かった。
翠穣郷の風呂も大きく入り甲斐があったが、やはり潤銘城の風呂が一番落ち着くような気がした。
澪が寝所へ行くと、歩澄は既に寝間着に着替えており、座って書物を持ったまま目を閉じていた。
その表情は美しく、惚れ惚れするようだった。流れるような長い睫毛を顔を近付けて眺める。きめ細やかな白い肌が美しく、女人の澪でさえ羨ましくなる。
ふと澪の気配に気付いた歩澄は、ゆっくりと瞼を上げた。目の前に澪の顔があり、驚きのあまり目を見開いたが、すぐに頬を緩め「おいで」と言って手を引いた。
自然と歩澄の腕の中へ閉じ込められ、澪はその甘い香りを堪能するかのように大きく鼻から息を吸った。
翠穣郷では十分に感じられなかった歩澄の体温。今はすぐ側にある。そう思うだけで心は満たされた。
褥に誘われ、歩澄の腕に頭を預けた。じっと見つめられ、澪は目を逸らすことができなかった。
「梓月から傷の事を聞いた」
先に梓月の話を始めたのは歩澄である。二人きりの空間で梓月の名前を出されれば、澪の鼓動は一つ大きく跳ねた。
梓月にも迷惑をかけ、歩澄にも誤解を招いてしまった。己の不甲斐なさに心が痛んだのだ。
「まず私に相談して欲しかった……と言っても言えなかったのだな」
「申し訳ありません」
「私はお前を醜いなどと思った事は一度もない。私にも刀傷はある。いくらでもな」
「歩澄様のとは違います……」
歩澄にある刀傷は、言わば勲章のようなものである。澪の様に歪んだ感情を向けられたものではない。
涙が滲みそうになるのを堪え、澪は歩澄に背を向けた。歩澄はそのまま背後から澪の腕ごと抱き締めた。
背中の傷が気になり、澪はびくりと体を震わせた。
ときおり外を眺めては、様子を伺うように歩澄を見つめた。
「馬車に乗るのは初めてなのだな」
「はい。駕籠に乗った記憶もあまりありません」
「そうか。城下に降りる際には使っていると思うがな……。幼い頃の記憶は曖昧か」
「そうですね……あまり思い出したくないことばかりです。小菅村に行ってからの方がよく覚えています」
覇気なく笑う澪に、歩澄も困ったように笑う。これからは楽しいと思えるような思い出を増やしてやりたいと思った。
己で馬を走らせるよりうんとゆっくり馬車は進む。変わる景色もぼーっと見ていられる程だった。
時折馬車を停め、休憩を挟みながら潤銘郷へと向かった。途中再び眠くなれば、澪は歩澄の隣に移り、肩を預けて眠った。
潤銘城についたのは翌日の日が沈む頃であった。澪が馬車から降りると、長い間座っていたからか足元がふらついた。
歩澄は腕を掴んで支えてやり、肩を抱いて澪の自室へと向かった。
歩澄と澪が無事帰還した知らせを受け、重臣と五平達もやってきた。しかし、澪と話をする間もなく、歩澄が「明日にしろ。今宵は何も聞くな。構うな」そう言って澪を引きずるようにして連れ去った。
その様子に家来達は皆安堵し、笑いさえも起こった。
自室まで送られた澪は、湯浴みを終えたら寝所に来いと言われた通り、直ぐに湯へと向かった。
翠穣郷の風呂も大きく入り甲斐があったが、やはり潤銘城の風呂が一番落ち着くような気がした。
澪が寝所へ行くと、歩澄は既に寝間着に着替えており、座って書物を持ったまま目を閉じていた。
その表情は美しく、惚れ惚れするようだった。流れるような長い睫毛を顔を近付けて眺める。きめ細やかな白い肌が美しく、女人の澪でさえ羨ましくなる。
ふと澪の気配に気付いた歩澄は、ゆっくりと瞼を上げた。目の前に澪の顔があり、驚きのあまり目を見開いたが、すぐに頬を緩め「おいで」と言って手を引いた。
自然と歩澄の腕の中へ閉じ込められ、澪はその甘い香りを堪能するかのように大きく鼻から息を吸った。
翠穣郷では十分に感じられなかった歩澄の体温。今はすぐ側にある。そう思うだけで心は満たされた。
褥に誘われ、歩澄の腕に頭を預けた。じっと見つめられ、澪は目を逸らすことができなかった。
「梓月から傷の事を聞いた」
先に梓月の話を始めたのは歩澄である。二人きりの空間で梓月の名前を出されれば、澪の鼓動は一つ大きく跳ねた。
梓月にも迷惑をかけ、歩澄にも誤解を招いてしまった。己の不甲斐なさに心が痛んだのだ。
「まず私に相談して欲しかった……と言っても言えなかったのだな」
「申し訳ありません」
「私はお前を醜いなどと思った事は一度もない。私にも刀傷はある。いくらでもな」
「歩澄様のとは違います……」
歩澄にある刀傷は、言わば勲章のようなものである。澪の様に歪んだ感情を向けられたものではない。
涙が滲みそうになるのを堪え、澪は歩澄に背を向けた。歩澄はそのまま背後から澪の腕ごと抱き締めた。
背中の傷が気になり、澪はびくりと体を震わせた。
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