ガラスの靴をもらわなかった方は

櫻 左近

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27.夏の舞踏会 妖精

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 高価だが華美ではないソファにどかりと腰を下ろした王妃は、いらいらとパンプスの先を床に打ち付けた。絨毯のおかげで、音が響くことなくふんわりと受け止められただけであったが、彼女の怒りを抑える役には立たなかった。
「どういうことよ」
 誰も、自分のいうことを聞いてくれないなんて。
 この城の中で己の儘にならないことなど、無いはずだった。
「なんで、私がこんなところにいなくちゃいけないの?だいたい、エンは私を放ってどこに行ったのかしら!私は愛されて、大切にされるべきなのに、おかしいわ!──エン、なにしてるのよ。早くなんとかして頂戴!」
 いつものように妖精を呼ぶが、返答がない。
「エン!」
 もう一度強く呼ぶが、応えはない。
「なんなの!?」
 ここは聖域でもないはずだ。この城の中で妖精が入り込めない場所は僅かだ。周りから押しつぶされそうになる独特の感覚がないここは、妖精が入れる場所のはずである。
『……呼んだ……?……愛し子……』
 何かに邪魔をされたような聞き取り難さで答えたのは、妖精だった。
「エン」
 ほっとした王妃は、いつものようにお願いをしようと声の方に顔を向けたが、そこにあったのはぼんやりとした何かだった。
「エ、エン……?」
 わずかに感じた恐怖を飲み込むようにぐっと胸を張り立ち上がったが、そのぼんやりとしたものはゆらゆらと揺蕩うばかりでいつものように願いを聞いてくることはなかった。
『……』
 じっと見つめてもゆらゆらしたままのそれに、徐々に苛立ちが募ってくる。
「エン、おかしいのよ。私、愛されている私を、愛してないとか言うのよ」
『……』
 常ならば『それは、おかしい。愛されないなんてありえないよ』と慰めてくれ、愛されるようにしてくれるはずだった。すぐに誰かがやってきて、自分への愛や敬愛を示してくれるはずだった。
 そうして、妖精は満足気に微笑むのに。
『……』
 やはり、言葉もなくゆらゆらとしているだけ。
「エン、どうしたの?」
 いつもは直ぐに自分の願いを聞いてくれるというのに。
『……愛し、子……君の……を』
 ぼんやりとしたものが一層薄くなり大きく広がってゆく。王妃を包み込もうとするかのような広がり方に慌てて逃げようとするが、叶わなかった。
「エンっ」
 今まで妖精が自分を傷つけたり、自分の意に沿わないことをしたりしたことなどなかったはずだ。
『君の力が……必要なんだ……』
「ちょっと、どうしたのよ?やめなさいってば」
 言うことを聞いてくれない。いつも自分を優先してくれていた妖精が。
(――本当に?)
 優先されていた……?

 ――エンが叶えてくれたのは、愛されていることだけ。

 ――それ以外のすべては、愛してくれた皆が叶えてくれた。

 王妃が気付いた時には、視界のすべてが妖精だった何かに覆われていた。





 
 曲が終わりかけると、サンドレッドの靴が光を放たなくなってきた。
(さすがに、魔法をかけ続けるのは難しかったの?)
 イオリティには諦めたようには見えないけれど、第二皇子の魔力自体が尽きかけているのかも知れない。
「殿下、サンドレット様への魔法攻撃が止んだようです」
 こそりと囁くと、再びぎゅっと手を握られた。
「そうか」
 返事とともに力が緩められる。
(いや、だから、なんでいちいち……いちいち握る必要が?!)
 耳が熱い。
 動いてできる風がもう少し冷たければ良いのに、と思ってしまった。
(真っ赤だな)
 ユアンから見たら、イオリティの耳が真っ赤になっているのが丸分かりだった。そのままそこに口づけてもよさそうな熟れ具合である。
 後もう数小節ほどで曲が終わってしまう。
 最後を決めるための動きをなぞっていた時、ぐらり、と空気が揺れた。
『ああ、ここにあった……』
 奇妙にぶれた声が会場に響く。
 甲高い女性のような、穏やかな少年のような声にはどこか聞き覚えがあった。
『愛し子の魔力、足りないと思って困ってたんだけど、君も持ってたんだね。良かったよ』
 びしり、びしり、と大きな音をたてて空間にひびが入る。
「きゃっ」
「うわぁ!」
 驚いた人々がその場から距離をとり、楽団は手を止めたまま呆然と様子を見ていた。
「こちらへ!」
「お下がりください!」
 近衛や会場の護衛の一部が貴族たちを守るように素早く前に出て、武器を構えた。
 徐々に広がるひびを護衛達が囲むのを嘲笑うかのように、ひび割れからぽろぽろとが剥がれ落ちる。
 剥がれ落ちた向こうに見えるのは、真っ黒いようにも見える淀んだ色の空間だった。
 さっと王太子の背に庇われたイオリティの目には、ひび割れからちらちらと紫の光が見えた。
(あれって、王妃の紫の光?)
 剥がれ落ちた空間にできた穴から子供のような手が出てくる。
「きゃぁぁあああっ」
「ひぃっ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
 真っ白い、どことなく紫がかった気味の悪いその手の向こうには、少年のような――けれども白目の無い紫の瞳と桃色の髪を持つ決して少年ではない何かがいた。
「ひっ!」
 白目が無いせいかどこを見ているのかがわかりにくいその瞳が、ぐるりと会場を見回したような気がして、皆は一斉に身構えた。
『愛し子だけだと、足りなくて困ってたんだ』
 紫のの瞳をもつ少年は、ひび割れをまたいでふわりとサンドレットの前に降り立った。
『やあ、サンドレット。愛し子のお気に入り』
 それは、無邪気に笑顔をサンドレットに向けた。
『僕は、愛の妖精だよ』
 そう微笑まれても、サンドレットは反応を返せなかった。
『この間、突然攻撃を受けちゃってね。危うく消えかけたんだけど、少しだけ回復したから何とか愛し子から魔力を貰って……ここまで回復したんだ。そのせいで、いとし子の魔力は尽きちゃって、加護も消えちゃったけど』
 ざわり、と会場の空気が騒めいた。
『仕方ないよねぇ。元々僕の力だし』
 それに、と妖精はサンドレットに手を伸ばした。
『全然力が足りなくてどうしよっかと思ってたんだけど、君が愛し子の力を吸い取って持ってるのを思い出せて、本当に良かった』
「え?吸い取って……?」
『あれ、気づかなかったの?君には自分に向けられた魔力を吸い取る能力があるんだよ。ただし、それを使いこなすことはできないけどね』
 周りの視線がサンドレットに向いた。
『ため込む貯蔵庫みたいなものだけど、普通の人間には取り出せない。人間に使いこなせる能力じゃないからね。だけど、面白いから、すこーしだけ僕の力を君の望むように使わせてあげたんだよ。人間は預かり賃って言うんだっけ?手間賃?――まあ、いいや。そんな感じ。それに、ため込んだ力によって性格にちょっと影響が出ちゃうし、ため込んだ魔力は限界を超えると周りを巻き込んで爆発しちゃうけど、――でも、仕方ないよね?』
 短い悲鳴とともに、周囲の貴族がサンドレットから距離を取った。アラビアール皇子もそっと手を放そうとしたが、サンドレットにしっかりと握られていて、離すことができずにいた。顔には焦りが浮かんでいる。
『ん?そこの懐かしい気配のするヤツ、オイレンシアの血筋かぁ。昔、魅了の力を与えたんだっけ?――あれ、もしかしてサンドレットに魔法をかけちゃった?駄目だよ、結構限界が近いんだから。爆発しちゃうよ』
「なっ!」
 アラビアール皇子の顔は、真っ赤になり真っ青に変わった。
「限界……」
「大丈夫です。皇子の魔法は魔道具が防いでいます」
 王太子の呟きに、イオリティが囁いた。今すぐ爆発はしないと思いたい。
『とはいえ、あんまり変な魔力を混ぜないでほしいなあ。影響が出たら困るんだよね』
「妖精殿。声を掛けることをお許しいただきたい」
 ぶつぶつと不平を溢す妖精に、国王が声を掛けた。
『んー?なんだい、オウサマ。愛し子の夫だし、話くらいは聞いてあげるよ』
「感謝いたします。――妖精殿は、なぜ王妃に加護をお与えになったのでしょうか」
『愛し子の求める愛を見てみたかったからだよ。僕は愛の妖精なんだ。様々な愛の形を求めて、味わうんだよ。あの子の愛をもとめる欲求はここ数百年ほどお目にかかれなかったくらい激しかったし、濃厚だったよ』
 うっとりとした眼差しで、妖精は答えた。
「愛をもとめる欲求、とは」
『あらゆる愛を、愛し子へ向けて集めたんだよ。集めても集めてもあの子は満足しなかったけど、僕はたくさん味わえて良かったなぁ』
「そ、れは、他者へ向ける愛を王妃にむけた、ということでしょうか」
 絞り出すような声で国王は続けた。
『そうだったものもあるよ』
 ふふふっと妖精は嗤った。
『愛の種類は無限だからね』
 妖精は周りを見回した。
 伴侶へむける愛。友人への愛。家族への愛。家臣や領民への愛。君主への愛。自分への愛。愛。愛。愛。
 世界には、愛が溢れている。
 愛し子は周りの愛すべてが自分へ向くことを望んでいた。見えない部分はどうでもよかったらしいが、周りに愛を捧げられることを何より求めていた。妖精は、自分の望みとも合致するそれを叶えたに過ぎない。
『愛は至高だよ』
 うっとりと傲慢に、妖精は答えた。 
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