空に呑まれた夢

柑橘 橙

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⒊一歩

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 あらゆる世界の中央にある政府はその名の通り政の最高責任を担い、最高の権利と義務を擁してから、はや五世紀が過ぎた。その中央省庁から地方に至るまでのあらゆる機関の数はたったの五つ。働く人員は十万に及ぶ。
 その中でも軍省の陸海空魔軍においては、各責任者を『元帥』と位置づけている。
 政府の誇る四つの軍はそれぞれの連携にともない、制服以外の違いはさほどなく魔軍以外の三つの軍においては、すべての軍人が三つの軍席を移動することもあり得る。
 ヴィクトリア飛行艇襲撃のニュースは即時、元帥室に持ち込まれた。
 広く豪華なその部屋には四隅に四軍の元帥の席があり、中央にはソファーと机があった。それぞれの机の背後には、歴代元帥の写真が飾られている。そして他の三軍よりも極端に写真の数の少ない魔軍の初代元帥の場所には、額縁のみが飾られていた。
「きいたかね」
 ゆっくりと重々しく口を開いたのは陸軍元帥だった。
「もちろん聞いているわ。頭の痛いこと」
 もう四十はとうに越したはずの空軍元帥は、その若々しい美貌を持ったまま眉根を寄せた。空賊に日々悩まされ続けている彼女にとって、このニュースは正直かなりこたえる。
「しかも、またバーダル一家だ。奴らは空賊としても最もやっかいな一家だが、それにくわえて……」
 海軍元帥は言いかけて辞めた。ほんの一瞬気遣わしげな目線が魔軍元帥の方を泳ぎ、再び豊かに蓄えたひげのある口を開きかけたが、当の本人に遮られてしまった。
「イオリティ・シファードがいるからな」
 かるく肩をすくめた彼は、傍らの水晶玉を引き寄せた。バレーボールくらいの大きさのそれは滑るように空中を移動する。
 その中に映し出されたのは長く光る銀髪に金の瞳を持つ女性だった。
「世界最高の魔法使い」
 海軍元帥は呟いた。実際に見たことはなかったが、彼女と軍の三十年前の因縁は聞いている。並み居る魔軍の精鋭部隊をたった一人で壊滅させたという。
 陸海空軍に出向した魔法使いではなく兵士として鍛えられた魔軍の精鋭部隊は、通常の魔法使いの十人分の実力はあると見ていい。
 もっとも三十年前のその時に彼女の杖腕は失われ、魔力のこもったと言われる長い髪はすっかり短くなってしまい、かつてほどの力はないとさえ言われているのだ。
 元帥達の深いため息は何者かの足音によって遮られた。
「失礼いたします」
 ノックの音につづいて若い士官の声が聞こえた。
「お入り」
 空軍元帥の補佐官が許しとともに室内へすべりこんだ。優雅な身のこなし、颯爽とした歩き方が非常に魅力的ではあるが、戦闘に置いては非常に冷酷な男だった。
「お話中失礼いたします」
 この言葉はほかの三元帥に向かって発せられた。
「閣下、今回のバーダル一家ヴィクトリア号襲撃の被害者の死体から発見された弾丸は、空軍で支給されるものと判明いたしました。銃が空賊に奪われて発射されたものか、あるいは空軍のものが発射したものなのかは、判明しておりません」
 淡々とした物言いの奥に微かなふくみがあった。
「バーダル一家は殺しをやらない」
 空軍元帥の漏らした一言は補佐官の顔を一瞬ゆがめた。
「あなたもそう思うでしょう、ムトー」
「はい」
 補佐官は頷いた。だれもがよく知っている常識ともいえる。バーダル一家は不思議なくらい一般人に手を出さない。軍人のみが殺される。それだけに  
「空軍内の人間が、一般人を殺すなんて信じたくないけれど……」
 またも最後の言葉は深いため息をともなう。
「調査団を派遣しよう」
 そう申し出たのは魔軍元帥だった。
「……なぜだい?」
「もし、バーダル一家が殺しをやったとすれば、それなりの理由があるはずだと思わんか、ヘインズ」
 陸軍元帥は鼻を鳴らした。
「確かにな、奴らは何を企んだとしてもおかしくない連中だ。最高の犯罪者だからな。早く手を打たないとかなわなくなるかもしれん」
「ヘインズ、あなたって人は」
「いや、レイチェル。私は調べたことがあるのさ。そこで気になった」
「君がそんなことに興味を持とうとはな、ヘインズ」
「実を言うと、単なる好奇心だけど」
 陸軍元帥の顔はうっすらと赤かった。
「調べてみた方が、いいんじゃないかい?」
 海軍元帥が立ち上がった。
「空賊だろうが海賊だろうが……捕まえなくてはならないことは変わらない。ただ、イオリティ・シファードの件は極秘事項だ。何かが明るみに出てしまう前に、こちらで調べておくべきだろうな」
「そうね」
 報告書にある飛空挺護衛任務のマコビー大佐から話を聞くべきなのかもしれない。
「その、マコビー大佐ですが」
 控えめに補佐官が割り込む。
「昨日付で国務省へ異動となっております」
 元帥達が一斉にムトー補佐官を見つめた。
「それは……マコビー大佐は飛行艇を降り次第、国務省へ異動が決まっていたということか」
 海軍元帥の妙に持って回った言い方に、補佐官は頷いた。
「その決定について私には記憶がないのだけれども。一般の異動や配置換えならともかく、軍省から国務省への異動という異例な事態の報告が上がってきてないって……どういうこと?」
 穏やかな口調の裏に激しい怒りを込め空軍元帥は補佐官を見つめた。
「国務省への異動は統括省からの勅令のようです。人事部も知らされておらず、いつの間にかマコビー大佐という人物が軍省から消えることになっていたようです」
 統括省とはこの世界最小の機関にして最高権力機関である。統括省長は神王に次ぐ地位であり、神王の声を聞くことの許された数少ない人間であった。
 遙か昔にこの世界を創り治めた神王は、その平和の眠りから滅多に目覚めることがなく、各省の長を決め世界の方針を決める時のみ目を覚ますのだ。
 神王が完全に目覚め城から出る時は、世界が滅びの危機に瀕している時である。
「大統領の勅命ってことね」
 統括省長は『大統領』と呼ばれ、絶対の権力を持つのだ。
「統括省が何かを企んでいるということか」
 ふん、と鼻を鳴らして陸軍元帥は立ち上がった。
「ヘインズ、何をする気だ?」
 魔軍元帥は立ち上がった陸軍元帥を困ったように見やる。陸軍元帥は答えずににやりと笑ってみせる。
「午後は大統領の視察の警備について、統括省の次官と話をすることになっている」
「……おい、変なことを考えるなよ」
「大丈夫だ。マコビー大佐のことなど話題にはださん」
 海軍元帥の疑わしい眼差しをうけ、陸軍元帥は自信たっぷりに答える。




「食べないのか?」
 ベットにうずくまって呆然と宙を見る少年に、イオは声をかけた。
 もう三日。ずっとこの調子だった。湯の中で泣き、そのまま気を失ったコリンをベットに運ぶと丸一日眠り続けた。叫びながら目を覚まし、まわりを見つめ、呆然と宙を見つめることを何度か繰り返した。 
 元々住んでいた所へ送り返すべきだというドナの提案を退け、イオはコリンをここへ居させたが今日は迷いが生じた。
「ずっと、そうして同じことを思い出すつもりか?そうやっても、親は戻ってこない」
 コリンの瞳に憎しみの色が現れ、イオに向けられた。
「私を恨むか?それでも構わないが……」
 イオはそう言ってコリンを見下ろした。三日ぶりの光が目に宿ったのだ。このまま消えなければ、持ち直すはずだ。
「……う……う」
 コリンは身をよじった。
 腹の底が熱く焼けただれるような痛みを感じる。内臓が引き絞られて、ひっくり返ってしまいそうだ。
「あいつ、殺してやる……」
 絞るような声で、コリンは呻いた。
「そうか」
 イオは食事の皿を手に取った。特別に柔らかく作られたスープがまだ湯気を出している。
「ならば、食べることだ。生き抜かなければ、何もできない」
 少年は射貫くような眼差しを向け、イオを睨みつける。
「本当にやりたいなら、明日の朝起きてくるが良い。食事もちゃんととってからな」
 イオは皿を元に戻し、そのまま部屋から出た。
 コリンは体の奥底から来る震えを抑えられなかったが、それでも、ゆっくりとスープへ手を伸ばす。
「うっ」
 胃がひっくり返りそうなむかつきを覚えて、皿に届く前に手が口元へと当てられる。
「ううっ。うっ……うぅ」
 そのまま再び涙をこらえられずうずくまって泣き始めた。
 本当にやりたいなら。
 しばらくの後、コリンの耳にイオの声が響いた。
 少年の瞳がスープの皿に向けられる。湯気は出ていなかったが、陽の光を受けて皿の縁が光り、とろとろのスープが浮かび上がって見える。
 再びコリンの手が伸びた。




 
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