空に呑まれた夢

柑橘 橙

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4.新しい生活

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  空賊の朝は意外と早かった。
  日の出の二時間後にはほとんど全員が仕事に取り組んでいる。イオの話で空賊の襲撃以外の時は別の仕事をきちんと割り振られ、時には物資運送の警護の仕事を裏で引き受けることもあるのだと知った。
 バーダル一家は切り立った崖に囲まれた平野に小さな町を作り暮らしていた。城は外側から見たらただの崖にしか見えず、町の内側から見て城と判る作りなっていた。人の手で作られたとしても、神の手による技のごとき美しい作りで、自然の岩をくりぬいて磨かれ、凛とした佇まいの小さな城だった。周りの山々は住人を見下ろし、その山々のあちこちから滝が流れ落ち、いくつかの流れが町の周りにのびている。この町に入るには山の中の隠れ道を通るか、空から入るしかなく、外界から隔絶されているに等しいのだ。
 川沿いには田畑が耕され、家畜も放されている牧場もあった。ここには農家も鍛冶屋も商店もあり、三千人近い人口のうち空賊船に乗るのは百人足らず。それ以外は普通の暮らしをしているのだ。
 ここは隠れ里として中央政府に知られずに存在していた。そして現ドナ・バーダルは三代目頭領になる。
 真っ赤に泣きはらした目で崖の中に作られた空賊の根城を案内され、コリンは現実を見た。家族も生活もすべて失ったのだ。だからこそ、やらないといけないことがある。
「オレ、空賊になるの?」
 孤児として施設に入れられたり親戚の家で惨めな思いをしたりするよりは、はるかに良いかもしれない。昨日もう一日泣いて、少しものを食べたおかげか、頭が働くようになった。しかし、体力は思った以上に失われていたようで、まだすこしふらふらする。
「それはお前が決めることだ」
 コリンは崖の城の最奥にあるイオの部屋の横の、小さな部屋を与えられた。部屋に行くと、どうやったのかコリンの大切なものや身の回りのものが置かれていた。
 一つ一つ手にとっては泣き、ベットにうずくまっては声をあげた。
 あまりにも泣きすぎてまぶたが重たい。だけど、そのおかげか覚悟が決まった。
「学校を卒業したら、何をするつもりだったんだ?」
 泣き終わるまで待って、イオは尋ねた。
「まだ、決まってない」
 後二ヶ月で卒業なので、進路をどうするか考えていたところだった。母親は勉強を、父親はどこかの省に勤められるように研究か勉強をと言っていた。
「働きたいのか、勉強をしたいのか、研究をしたいのか、技術を身につけたいのかを決めなさい」
 学校の先生のような口調でイオは言う。
「オレ、あいつを倒す技術を身につけたい」
 迷わず口にするコリンは、きっと反対されるとイオの言葉を待った。
「人生を棒に振るかも知れないぞ」
 だが彼女の声は素っ気なく、普通の女性より深くて低いだけで反対はされなかった。
「ぼうにふる?」
「駄目にする、無駄にするということだ。せっかく何でも選べるようにしてもらえるのに、業を背負うような……罪を負うかも知れないことのために人生を選ぶのか?」
「オレの……父さんと母さんを殺すのは罪じゃないの?誰が裁いてくれるの?」
 こみ上げてくるものを必死に飲み下し、コリンはイオを見た。イオは少年の塗れた瞳を見つめ返した。
「あいつを、軍はちゃんと裁いてくれるの?」
 イオは口を閉じたままだが、外されない目が答えている。
「オレは、あいつを――絶対に許せない!殺してやりたい!」
 想いを口にすればするほど怒りが収まらなくなってくる。
 止まったはずの涙が再び溢れて、まぶたがひりひりと痛み、目を開けているのも辛い。
「オレが……」
 袖で乱暴に涙をぬぐうコリンをしばらく見つめていたが、ようやくイオは口を開いた。
「子供には無理だ」
「大人になったら、できるの?」
「いや。勉強をして、技術を身につけなければ無理だ」
「じゃあ、やる!オレ、絶対にやる!」
「人生のすべてがそれに囚われることになる。それでもやるのか?」
「やるよ」
 まっすぐに見上げるコリンの瞳を見つめ返して、イオは頷いた。
「いいだろう。だが、素質がなかった場合に命を落とすのはお前だ。もう一度私が同じ問をした時に、きちんと答えられなければあきらめるんだな」



 翌日から新しい生活が始まった。この町では勉強や技術など何かしらを学ぶ者は夜明けから真昼まで時間を与えられた。昼過ぎからは家事や手伝いや仕事をするのが決まりで、誰もが原則十日に一日は休みだった。休みは皆それぞれの都合で決められるが、コリンは八の付く日を休みとして決められ、朝は訓練を行い昼からは飯屋兼パン屋で夕方まで働き、それ以降は自由となった。
「訓練って、何をするの?」
 イオとコリンは人気のない通りを町の中心から外れへと進んだ。
「まずは体力と学力造りだ。一日おきに戦いの専門家と魔法の専門家から教えを受けると良い。一年で見込みが無いなら、別の道を探して貰う」
 立ち止まったイオは一冊の分厚い本を手渡した。
「一年で結果を出す?」
 厳しい条件だと、さすがのコリンにも解る。いや、できるならすぐにでも殺してやりたい。だが、現実にマコビー大佐を一年以内に……となると。
「結果を出す必要は、まだない。見込みがあるかどうかを示せるかだな。たかが一年でどうにかなるようなことではないからな。――さあ、その本を開いてみなさい」
「これ?」
 手元を見ると、えんじ色の本の表紙に金の文字が刺繍されていた。コリンには読めない文字だが、長そうなタイトルだった。
(こんなの読めないよ。中の文字も解らないかも)
「ん?」
 表紙に指を引っかけたが、表紙はページに吸い付いたように動かない。
 インクが張り付いたのかと思って力を込めたが、やはり表紙もページも閉じられたまま開かなかった。
「開かない……。んん。くっ……」
 顔を真っ赤にしながら無理にこじ開けようとすると、本を取り上げたられた。そしてイオは、こともなげにページを開く。
 中にはびっしりと文字や図が書き込まれている。
「どうなってんの?」
 ぺらぺらと軽やかに捲られていくページのすべてに、見たことのない文字が並んでいた。
「お前にまだその見込みがないということだ。この本が開けられるようになれば、少なくとも望みは出てくる」
 パタンと本を閉じてイオはコリンの手にそれを乗せた。
「頑張りなさい」
「はい」
 イオは上級学校の先生のようにぴりっとした雰囲気を持っている。前に立っていると自然と背筋が伸びた。再び歩き出したイオに付いていくと、広場の前のこぢんまりとした一軒家にたどり着く。看板が出ているわけでも、造りが変わっているわけでもない。
「毎朝ここに来て、授業を受けなさい」
「ここで?」
 学校でも何でもなさそうな、単なる二階建ての家だった。
「そうだ。ここに住んでいるのは、戦いの専門家と魔法の専門家だ。ここできちんと基礎を学び、見込みがあることを示してみなさい」
 でなければ、復讐など無理だ。
 はっきりと言い渡され、コリンはぐっと拳を握った。
 ここで頑張らなければ、自分には復讐はできない。だけど、頑張ればチャンスが巡ってくるのだ。
 そこまで考えてコリンははたとイオを見つめた。たかが飛行艇に乗り合わせただけの自分に、何故ここまで親切にしてくれるのだろう。
 それを尋ねようとした途端、ばたばたと階段を駆け下りてくる足音が聞こえ、乱暴に玄関の扉が開かれた。
「おっ、お待ちしてました、イオ様!」
 めがねをかけゆったりとしたローブを着た優しそうな細身の少年が、肩で息をしながらコリンの前に立った。
「ヨセル。めがねがずれてるぞ」
 そう言われ慌ててめがねを直す少年の後ろから、長髪長身の青年がひょいと顔を覗かせた。ヨセルと呼ばれた少年より頭一つ分背が高く、すっきりした見の身のこなしや引き締まった体に整った顔。コリンの目が、青年に釘付けになった。
(この人、すげぇかっこいい)
 指先から髪の毛まですべてがきらきらと輝いて見え  こんな人が世の中にいるなんて  まるで王子だ。
「元気そうだな、ヨセル、アンディ。この子がコリンだ。コリン。魔法を教えてくれるヨセルと、戦い方を教えてくれるアンディだ」
「よ、よろしくお願いします」
 見とれていたことを悟られまいと、慌ててぺこりと頭を下げたコリンに、二人はにっこりと笑った。
「ばっちり仕込んでやるから、安心しな」
 そう言ってにやりと笑ったのはアンディだった。
「しっかり勉強していこうね」
 優しく微笑んだのはヨセル。
「はい」
 コリンは二人から教えられたことをしっかり学ぼうと自分に言い聞かせた。それしか、見込みを示せる道はないのだ。
「明日から一人でここに来て、彼らからしっかり学びなさい」
「はい」
「大丈夫ですよ、イオ様。オレらだってできたんですから」
 アンディは嬉しそうにイオを見つめる。
「僕たちに任せていただいて、光栄です」
 ヨセルがほんのりと赤く頬を染めながら早口で言った。
「信頼してる」
 イオはそう言い、さあ次へ行くぞ、とコリンに頭を下げさせた。
「明日から、よろしくお願いします」
「待ってるよ」
 名残惜しげに手を振る二人を残して、イオとコリンは再び町中に向かう。「オレらだってできたんだから」と格好良く笑うアンディ。
 少しだけ、すっと胸の重しが軽くなった。人の心を軽くする笑顔を見たのは初めてだ。狭くなった視界が開けた気がして、コリンは町並みをぐるりと見回した。
 人気がないと思っていたが、それぞれの家の中に人の気配がする。仕事をしている者や学んでいる者が居るのだ。
 みんな頑張っているのだ。
 町の中心を通り抜けて少し行くと、いい匂いが漂ってきた。
「ドリスのパンの匂いだ」
 ふっと口元をほころばせてイオが呟いた。
「この匂いは変わらないな」
 いくぞ、とコリンを促してかわいい作りの店へ向かった。
 家の前に立てかけられた板看板には、おいしそうなパンと女の人の笑顔が彫ってあった。パンのようにつやつやしたほっぺがかわいい。
「いらっしゃーい」
 からんからんとドアベルを鳴らしながら入ると、看板とそっくり同じ笑顔がカウンターからこちらを見ていた。
「イオ様!」
 その笑顔がさらに輝いた。
「元気そうだな、ドリス」
「勿論ですよ~。あたしも旦那も、昨日連絡を貰ってから今か今かと待ってたんですよ」
 いそいそとカウンターを越え、ドリスは二人に店の奥の椅子を勧めた。
「あんたぁー。イオ様がいらしたよ!早く持ってきとくれ」
 奥からへーいとくぐもった声が聞こえる。
「元気か?」
 コリンに目で座るように伝え、イオは椅子に座った。
「勿論ですよ!この子も順調そうでね」
 ぽんとたたかれたお腹はまるまるとしていた。
「そうか……」
 そっとドリスのお腹を触るイオ。
「確かにかなり元気そうだな」
「……でしょう?」
 心なしかほっとしたようにドリスは微笑んだ。
「後二月か三月で産まれるな。準備はすんだのか?」
「ええ、ウチのがなんだかんだと揃えてくれたみたいですよ。産まれる前から親バカでどーすんだって、言ってるんですけどね」
「何言ってやがる。早くしとかなきゃ、間際でばたばたすることになるだろぅよ」
 おいしそうな焼きたてパンとスープと飲み物を持って、ずいぶんと大柄な男が奥の暖簾をくぐって現れた。空賊かと思うくらいのたくましさと、固く分厚い筋肉。なにより顔にある大きな切り傷。
「お久しぶりです、イオ様。ドナ様はお元気ですかい?」
「ああ、相変わらずだ」
「そりゃあ良かった」
 どんとテーブルにパンを置き、男はコリンを見つめた。
「この子ですか?」
「そうだ。コリン、この店の店主ガスと妻のドリスだ。もう一人マリという少女が昼から働いている。お前はガスについてパンを焼く仕事を手伝う」
「はい」
 コリンは頷いた。この町で生きていくためには、昼から働いてちゃんと自分の生活を支えなさいとイオに言われていた。
「コリンです。よろしくお願いします」
「ああ。宜しくな」
 ガスの見た目が怖くないわけはないが、コリンの心はまだ幾分かぼんやりしているのもあって、特に何も感じなかった。
「さあ、ウチの自慢のパンを食べてとくれ。明日からあんたにも手伝って貰うんだから」
 大きな腹を抱えて、ドリスは微笑んだ。
「いただきます」
 こんがりと茶色いパンを手でちぎると、綿のようにふんわりした白い生地が出てきた。
 添えられたバターもつけずにかぶりつくと、ほんのり甘くて香ばしい。
 コリンは大きなパンを夢中で食べた。朝ご飯はちっとものどを通らなかったのに、このパンを食べれば食べるほど、お腹に暖かいものがたまっていき、なんだかとっても満たされた。
「良い子だねぇ」
 ドリスが小さい声で呟いた。
「どんな不幸があっても、食べられれば大丈夫だ」
 ガスも小さく答える。
 コリンは夢中でパンをほおばりながら、頬を伝って流れる涙をぬぐった。
「おいしくて、幸せだろう?」
「……はい」
 イオに問われて、コリンは頷いた。
 体の中から暖かさを感じる。悲しくて辛くて流れるのではない涙が、後から後からこぼれる。
 大きなパンとスープをぺろりと平らげたコリンは、イオに促されて席を立った。
「ごちそうさまでした」
 少しすっきりした瞳で、コリンは二人に頭を下げた。
「明日から待ってるよ」
 ドリスは笑顔で手を振った。
「はい、お願いします」
 もう一度コリンは頭を下げる。
「では行くぞ、コリン」
 再びドアベルを鳴らしドアを開けると、太陽が真上にあった。もう昼だ。

 ゴーン。ゴーン。

 小さな鐘の音が風に運ばれてくる。
「少し急ぐぞ」
 イオは早足で城へ向かう。何でそんなに急ぐんだろうと思いながら、コリンは後を追った。
 あちこちから人の動きだす気配を感じる。家々からおいしそうな匂いも漂ってきて、にわかに活気付いてきた。
 コリンは人目をさけるように進むイオの後を必死に付いていく。明日から、自分もこの町で生きていくのだ。


 コリンは部屋に戻るなり机の引き出しを開けた。イオが身の回りのものを持ってきてくれているなら、ここにあるはずだ。
「あった」
 父親がくれた鍵つきの日記帳。少し高価なそれは、早めの卒業祝いだった。
 卒業して新しい人生を歩み始めたら、毎日の出来事や想いを綴りなさいと言われていたのを思い出したのだ。   
 最初のページに今日の出来事を書こうとして日付を書いたところで、ペンが止まった。 どうしても最初に書かないといけないことがある。これを書かなければ後のすべてが始まらないのは解っている。
 でも書いてしまったらそこから始まってしまうし、その事実を認めることになってしまう。
  だけど、書かないと始まらない。
 コリンはペンを持ち上げた。
 少し震える手元を必死に抑えながら、書いた。
『父さんと母さんがマコビー大佐と魔法使いに殺された。』
 再び何かがせり上がってくる。
『だから、オレはあいつらをたおす。一年後、イオに見こみをしめして、ふくしゅうする。』
 そこまで書くのが精一杯だった。
 泣いちゃ駄目だ。
 ぐっと奥歯を噛みしめて、コリンは自分に言い聞かす。
 オレは、強くなって復讐するんだ。


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