空に呑まれた夢

柑橘 橙

文字の大きさ
上 下
6 / 9

⒍気付き

しおりを挟む
「魔法には、大きく分けて三通りあるんだよ」
 ヨセルは大きな本を開いて持ってきてくれた。コリンには書いてある文字はさっぱり読めないが、描かれている絵が何となく理解できた。
「生まれつきの能力として持っている魔力を使うもの」
 人の胸のあたりに光るものが描かれた絵。
「契約により力を与えられ、それを使うもの」
 怖い悪魔のような絵と、天使や妖精のようなものから何かを与えられている絵。
「他から力を取り込み、自分のものとして使うもの」
 木や草や月から力を与えられている絵。
「だれがどの能力者かを解るには、『判別の書』を使うのが一番早い」
「はんべつのしょ?」
「そうだよ。二百年ほど前に開発され、魔法省で作られている秘伝の書さ。青く光る小さな本で、魔法使いの才のありそうな者は、『判別の書』に触れるとその特性が解るんだ。図や文字で事細やかに記される。すごい書だよ。あと……他には、魔法使い自身が計る方法ってのもある」
「へぇ」
 初めて聞いた。学校では魔法使いの才のあるものは、選別され魔法学校へ行くことを勧められた。学校へ月に一度派遣される魔法使いがそれを決めるのだ。
「魔力を持たない者でも、他からの力を借りることが得意な者がいる。でも、それをはかれる魔法使いは少ないんだ。だから、たまたまそのきっかけを得たり、『判別の書』を手にすることがなければ気づかれないままってこともある」
 ちろり、とヨセルは探るような眼差しをコリンに向けた。
「君は、どのタイプなのかな」
「え?オレ?」
「そう。イオ様が連れてきたってことは、才能があるってことだと思うんだけど」
 めがねの奥の目が油断なく全身を眺める。無意識に背筋を伸ばしたコリンから、ヨセルはすっと視線を外した。
「残念ながら、ボクには解らない」
「……そうなんだ」
 がっくりきたものの、コリンも自分が魔法使いの才能があるとは思えなかった。
「まあ、勉強を進めるうちに解るようになるかも知れないよ。それにどうしてもって時には……」
 言いかけてヨセルはやめた。
「まあとにかく、まずはこういった魔法書の類が読めるようにならなくちゃね」
 ヨセルが指すのは本の文字。公用語や地方語とは違う別の言語だ。
「魔法の呪文はこれで書かれているって、みんな思っていることが多いけど」
 ぺらぺらと本を捲りながらヨセルは説明する。
「別に魔法語じゃなくても良いんだよね。魔法語は、こういう本を読んだり契約に使ったり、新しい魔法を組み立てる時に使うものだから。実を言うと通常の簡単な魔法は呪文なしだったり、普通の言葉でできてたりするよ」
 ただ。
 ヨセルは肩をすくめる。途端にずれためがねをちょっと押し上げて、いたずらっぽく笑った。
「魔法書が読めないと、ほとんどの魔法のやり方が解らないようになってるんだよね」
 勉強しなくちゃいけないのは同じ。
「はい」
 コリンは素直に頷いた。初めから勉強するつもりできている自分にとって、嫌なことではない。けれどイオが魔法を学べと言った意図は推し量りかねる。告げられた時に聞いておけばよかったが、そんなことまで考えが至らなかったのだ。
「まずは文字から覚えていこう。書き物を出して」
「はい」
 ヨセルは学校の先生みたいだ。教え方もうまいし、話も聞きやすい。



「どうだ?」
 コリンが出て行った後、リビングに戻ったヨセルにアンディが尋ねた。
「うん……」
 ヨセルはアンディを見つめ返した。
「普通だね」
「やっぱりか」
 昨日の様子を見ていても、取り立てて才能があるようには見えなかった。
「イオ様がわざわざ言われた子ってことに、期待しすぎたのかな?」
「そうかもな。剣の才があるわけでもないようだし  他に何か持ってるのか?」
 ヨセルは首を降った。
「魔法の類は、感じられなかったよ」
「そうか」
 ふむ、とアンディは考え込む。
「イオ様に連れてこられた子が天才じゃなくて残念に思うのは、……ボクたちの嫉妬かもね……」
「まぁな。オレ達だってイオ様に連れてこられた子達だったんだけどな」
 嫉妬したのかな。
「もしかしたら、何か特別な力を持っているのかも知れない。他の誰もが気づかないような」
 ヨセルは自信なさげにそう言って微笑んだ。



 ようやく皮むきを始めたのは、仕事終わり間近だった。
 ドリスのパン屋で働き始めてもう七日が経ったが、まだ皮むきまで終わらせることができないでいる。洗っている途中から、まるで終わりがないかのように皿がどんどん増え、日がすっかり昇って傾きかけたくらいにようやく皿が入ってこなくなる。
 洗い物をある程度済ませたら皮むきを……と思っても、ある程度にならない。
「急がなくて良いから、丁寧にやりな」
 手早くしようとした途端にドリスから言われる。
 そのたびにいつも以上に丁寧に洗い上げて、を繰り返すと、皮むきに取りかかれるのはやはり仕事終わり前だった。
 椅子に座り、箱の中から芋を取り出して小さなナイフで丁寧に芽をとり、皮をむき始めたところで、
「実がむかれすぎだよ。皮は薄くむかなくちゃもったいないのに」
 ドリスに言われた。
「薄く?」
「そう。貸してごらん」
 ナイフと芋を取り上げると、まるで魔法のようにするすると皮がむけていく。ナイフを芋にあててるだけのように見えるのに、向こうが透けそうな皮がどんどん足下にたまっていく。
「これが、正しいむき方だよ。初めは短かったり分厚かったりするけど、丁寧にやってたらうまくなるから、焦らずやってごらん」
「はい」
 ゆっくりゆっくり薄くむくようにナイフを動かすと、固いけれどさっきよりは薄い皮がぽとりと足下に落ちた。
「ふぅ」
 肩にも手首にも力が入りすぎて、がちがちだった。
「怪我しないように、気をつけてやるんだよ」
「はい」
 コリンは再びナイフを動かした。ぽとっぽとっと足下に固い皮が落ちていく。
 時々手に食い込んだナイフの柄の跡をほぐすように、握ったり開いたりしながら八個の芋をむき終わったら、茶碗をひっくり返したくらいの皮の小山ができていた。
「もう上がる時間だよ」
 ドリスに言われて顔を上げると、ガスとマリがじっと自分を見つめている。
「え?なに?」
「危なっかしくて目が離せなかったぞ」
 ガスがからかうように言うと、横でマリが頷いている。
「はあ……」
 そんなにがちがちだったんだろうか。
 ちょっと恥ずかしくなって下を向くと、ナイフをきつく握っていた真っ赤な手が目に入った。
(今日は、少しむけたけどまだまだやらなくちゃいけないんだよな)
 誇らしい気もして、そっと手を撫でてみたら赤いところが熱い。
「上がって良いよ、コリン。お給金とパンを持ってお帰り」
「はい」
 立ち上がったコリンはぱたぱたと服を払った。
「……悪いけど、今日はなんだか暗いから、マリを家まで送ってってくれない?」
「家?」
「そう」
 外の様子を見つめたままドリスは心配げな口調で言った。
「あんたの帰り道の途中なんだけどね。ちょっと暗い通りにあるから心配なのさ。いい?」
「はい」
 別に断る理由もない。
「大丈夫です、ドリスさん。一人で帰れます」
 マリは首を振って断ったが、ドリスは譲らなかった。大きなお腹を抱えるようにしながらマリの顔をのぞき込む。
「いいや、今日は送ってもらいな。何もないと思うけど、一応気をつけなくちゃ……女の子なんだから」
「――はい」
 小さく頷いて、マリは帰り支度を始める。コリンも急いで荷を持ち、二人そろって店を出たら外はもう真っ暗だった。
「ちょっと遅くなっちゃったわね」
 かわいい声でマリが言うと、普段店に出ている彼女とはあまり話す時間がないせいか、妙に緊張する。
 どうにか話を続けなくちゃ、と焦りはするが話題がない。
「うん。……家って遠いの?」
 沈黙が怖くて、質問がぽろりと口をついて出た。
「お城の近くなの。途中曲がってすぐなんだけど」
「一人で住んでるの?」
 続きそうな話題にしがみついて次の質問を続けたが、彼女の答えに一瞬の間があった。
「ママと、住んでるわ」
 聞かなきゃよかったかなと思ったが、打ち切ることもできない。
「そっか」
 ちくり、と胸が痛んだが涙は出なかった。
「ママは、ずっと寝ていて……私が居ないと心配して探したり、時々私がだれかも判らなくなることがあって……働くこともできなくて、病気なの」
 ぽつりぽつり、とマリは説明した。
「だから、驚かないでね。本当は良いママなの。あんな病気になったのだって……」
「生きてるだけでも、良いよ!」
 励まそうとしたつもりが、思いもかけずきつい口調になって、コリン自身が驚いてしまった。
「そうよね」
 なんだか泣きそうになってしまったマリの顔を見て、謝らなくちゃと思ったが、言葉が出てこなかった。
「ごめんね」
 マリがぽつりと言った。別に彼女を責めたかったワケではないのに、謝られてほっとした。
「こっちこそ」
 だが「ごめん」とは言えなかった。
 母親がいるというだけでも、マリがうらやましかったし、自分より幸せだと思う。だけど一方で、イオに拾われて恵まれているのもわかっている。
 胸の中にもやもやとしたものが産まれて、消えてくれなかった。
「晩ご飯、買って帰る?」
 マリがおかず屋の前で声をかけた。
「え、おかず?」
「ここのおかずがおいしいのよ」
 彼女は袋から弁当箱を出して店の親父に声をかけた。
「今日のシチューはなに?」
 ちょっと背伸びをして親父を見上げるマリは、まだまだ子供だった。
「よう、嬢ちゃん。今日は鳥と野菜のシチューだよ。オフクロさんの好物だろ?」
 親父はたっぷりと弁当箱にシチューをよそい、金を受け取った。ガラは悪そうなのに、親切な口調だった。
「ありがとう」
「そっちの坊主は、何にする?今日は野菜炒めもシチューも焼き肉もあるぞ」
「えっと……じゃあ、シチューと肉を……あ、容れ物がないや」
 野菜炒めは、よく母親が作っていた。
「容れ物を貸してやるから、明日持ってきな。ついでに自分のも持ってくるんだぞ」
 親父は代金と引き替えに、小さな弁当箱にシチューを入れ、大きな葉っぱに焼いた肉を包んで渡してくれた。あつあつの容れ物をパン袋に入れ、抱えるようにして持つとほんのり暖かい。
「ありがとう」
「おう、気をつけてな」
 城のシルエットが大きくなるにつれ、人通りが少なくなってきてた。二人の足は自然と速くなり、話し声も途絶えがちになってくる。
「家、どの辺だっけ?」
 薄暗い影に立つ人の、鋭い目線が向けられているようで怖かった。
「ここを曲がったらすぐ……」
 マリが言葉を飲み込む。曲がろうとした角に、目つき悪い若者が数人腕を組んで立ち、見下ろすように睨んできた。
 ごくり、とつばを飲み込んだコリンはちらっと周りに目をやった。
(どうしよう……)
 助けてくれそうな人はいない。物取り、強盗、人殺し……物騒な言葉が頭の中を駆け巡る。叫べば助けは来るだろうか。この町に警察のような組織があるのは知っているが、基本的に悪人は居ないときいていたのに。ここは明らかに違うようだった。
 マリは短く息を吸うと、顔を上げ真っ直ぐ歩き出した。
 決意を込めた表情に率いられるように、コリンも一歩踏み出した。
 若者達がゆっくりとひろがり、邪魔をするように道をふさいだ。
(わざとだ……!)
 無性に腹が立って、怖さを忘れたコリンは彼らを睨み上げた。だが誰一人としてコリンを見ることなく、マリを凝視している。
 マリは彼らの後ろの方を睨むようにして、ゆっくりと進んでいく。
 このまま進んだらどうなるのかという不安よりも、どうすれば良いかという焦りに駆り立てられる。
 まるで住人の誰もが知っていて窓や戸を閉ざしているような感覚に襲われ、油断無く若者達を見渡したが、コリンに勝算はない。
 いざとなったら、叫んで、シチューをぶつけて、マリを引っ張って逃げる……。それで、なんとかしなくちゃいけない。
 荷物を持つ手に力を込めて、コリンはゆっくり進み出した。
 若者の手の届く距離までマリが進み、コリンは荷物を抱え直した。
 真ん中の背の高い青年が組んでいた腕をほどき、ゆっくりと腰へ持って行く。
 コリンが大きく息を吸った時、
「何をしている」
 聞き覚えのある穏やかな声が背後から降ってきた。
「イオ?」
 振り返ったコリンの背後で、若者達が固まるのが解った。
「遅いから迎えに来た。寄り道をするなと言ってあっただろう」
 軽くたしなめるような口調だった。
「うん……その」
 事情を説明しようしたが、どう言えばいいのか。実際何かをされたワケじゃない。
「イ、イオ様」
 若者の一人が驚いたように呟いた。
「この子は私の養い子だ。何かあったのか?」
「い、いえ。とんでもありません!あなたに迷惑をかけるつもりは、全然ないです」
 もう一人の若者が慌てて首を振った。あくまでも穏やかなイオだが、大きな存在がその場の空気をぴりっとさせる。
「そうか」
 彼女が答えると、一気に空気の緊張が解けた。その途端、だっと駆け出したマリが若者の横を通りすぎて、家の中へと駆け込む。
「何を迷惑とするかだな」
 イオはゆっくりと言ったが、若者達は殴られたかのように真っ青な顔で頷いた。
「帰るぞ、コリン」
「うん」
 マリが気になったが、なんだか聞きづらい。イオはくるりと背を向ける。
「お前達も早く帰りなさい」
「はい……」
 若者達はしゅんとなって頭を下げた。
 すたすたと歩き出すイオについて歩きながら、コリンはちらりと後ろを振り返った。若者達が困ったようにイオの姿を見つめ、そしてマリの消えた方を睨みつけるように見やった。
「あの、イオ。どうして」
「門番のイアーゴじいさんが、小僧が帰ってこないと大騒ぎをしていてな」
 口の悪いイアーゴじいさんは、朝が遅いだの、帰りが遅いだの何かとやいやい言ってくる。
「あれなりに心配しているのさ。明日、礼を言っておきなさい。いつも自分の持ち時間よりも長くあそこに立っているのは、お前を心配してのことだ」
 思いがけないことを言われて、コリンは黙り込んでしまった。煩いじいさんだと思っていたのに、実は良い人だったなんて。
 申し訳ないような、有り難いような。
「今日は早く寝なさい。皆忙しいからな。では、おやすみ」
 城の手前で、イオはすうっと闇に溶け込んでいった。はじめて見た時はびっくりしたが、魔法使いなんだから姿を消すことぐらいはできるよな、と納得した。
「お休みなさい」
 誰もいない空間に返事をして――しなかったら、イオが戻ってきて注意をしてくれそうだったからだ――コリンは誰もいない門を外から叩き、夜番に入れて貰った。
 マリのことを聞きそびれたまま、コリンは部屋へ戻った。シチューを温め直して、豪華な夕食にありつきながら、やっぱりあの若者達の表情が気になった。
 危ない地域だから、マリを送っていくように言われたのかもしれない。それとも、今日は曇りで薄暗いから?
 ちがう。それなら昨日は雨だった。
 訳がわからなくなって、皿を洗い始めたコリンは、城の中がいつもと違って騒がしいことに気づいた。ドナの空賊艇が出撃してその後宴会をすると聞いていたが、なんだか違う慌ただしさだ。
 変だなぁと思いながら風呂へ向かっていると、イアーゴじいさんが大量の布を持って歩いていた。
「なんじゃ、かえっとったんか」
「うん。……あ、あのありがとう。じいさんのおかげで、イオが迎えに来てくれて、助かったんだ」
 ふん、とじいさんは鼻を鳴らした。
「だから、言ったんじゃ。子供は遅くまで出歩くもんじゃないわい」
 いつもなら耳痛いこの憎まれ口も、今は親切に聞こえる。
「今日、何かあったの?」
 向こうのほうでばたばたと人の走る気配がしていた。
「ああ、ドナ様達が空軍とやり合ったとかで、けが人が多いんじゃ。邪魔にならんように、さっさと風呂に入って寝とれ」
 イアーゴじいさんは大股で布を持っていった。そのむこうからばたばたと人が大声を出しながら走っている。
「おい、医者がたりねぇ」
「町へ降りて起こしてこい!」
「じーさん、早く布を持ってってやってくれ」
 コリンの横を大柄な男達が駆け抜ける。廊下の端へ避け、足音を忍ばせるように風呂へ向かう。妙に長く感じた廊下が、歪んで見えた。
しおりを挟む

処理中です...