鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

190.

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最近の榊恭平は凄く急激に交友関係を始めとして世界が広がり始めていて、それは彼にとって良い傾向なのだとは思っている。自分が長く見つめてきた恭平は何処か世捨て人のように内に籠っていて隠者のようにひっそりと日々を過ごしていたし、明るい日々に暮らす人々をまるで別世界でも見るように遠くに見つめていた。何度か自分にとって考える明るい日々に暮らす世界に彼を引き込もうとしてきたけれど、事実で言えばそれは大きなお世話で、全くもって彼のためになっていなかったという現実もこうして月日を重ねていくと理解できてしまうようになってしまった。

兄さんにしてみたら、とんでもなく振り回されて迷惑し続けてきたってことなんだよな…………。

そう理解できるようになったのは恭平が幼馴染みの源川仁聖と付き合い始めたという、破格の衝撃的事件が発端で、自分が彼がどんな風に周囲に扱われて苦悩をしてきたか理解しようともしていなかったのを突きつけられたからだ。まだ宮内慶太郎が小学生になるかならないかの頃榊恭平は、東の鳥飼・西の榊なんて表現をされる稀代の天才と呼ばれていた。年齢的に鳥飼の方は10も離れていて実際には演武すら見たことがなくて、一年程前に真見塚孝と高校でやりあった時に初めて鳥飼信哉と接したのだが確かに彼の動きは自分達とはまるで格が違う。だけど、ついこの間その鳥飼とやって見せた恭平の演武も、また別格の美しいものだった。

あれで本当に十年も鍛練を一度もしたことないなんて…………

正直恭平が本当に鍛練をしていないというのを信じなかった人間の方が遥かに多い。そう恭平に教えたらきっと恭平はポカーンとして、何を言われたか理解しないに違いないと慶太郎は思う。というのも恭平が嘘をつく必要はないし、日々の暮らしを見てきた仁聖や自分には恭平が鍛練どころか合気道にすら目を向けなかったのは知っている。知っているけど、実際のところ恭平が鳥飼と手合わせして演武を最初から最後までやり終えたという事実は、恭平の過ごしてきた現実とはそぐわないのだ。
あの時演武が終わって直ぐ恭平は仁聖とそそくさと帰途についたから知らないのだが、あの後数人の師範代クラスや自分や真見塚孝が鳥飼信哉と同じ演武をした。その内鳥飼信哉と榊恭平がやったものを完璧にこなせたのは、実は真見塚の師範代一人だけ。

そうなんだ…………僕も孝も、最後まで辿り着けなかった………………。

古武術の組打を鍛練し始めている孝と慶太郎は、恭平よりと体力はある筈なのに最後迄実は辿り着けずに道場で延びてしまった。組打以外も鍛練しようという師範代レベルなら流石にこなせるかと言えば、彼らですら相互に投げられるわけでなく全て投げられながら流れるように次の技を受けに行くことは出来なかったのだ。

何なんだ…………榊は…………

そう師範代達が言うのも仕方がないのは、合気道では普通は相互に技を掛け合うから片方だけが投げられ続けることはそうそうない。それでも恭平はそれをこなして、しかも演武の形を崩さずやりきって見せ、しかも最後まで何一つ遅れることなく鳥飼信哉にあわせたのだ。それがどれだけ稀有なことかは彼が全く十年関わりもしていない間、しかも恭平の年よりも長い年月合気道を修練してきた師範代がこなせなかったことからも理解しやすい。

稀有…………

確かに鳥飼信哉も稀有な天才であって天武の才能の持ち主だが、榊恭平だって引けを取らない稀有な天才なのだと慶太郎は思う。その稀有な存在を傷つけ続けたのは自分の祖母を始めとした、彼にとっては身内であるべき人間ばかりだった。あの時宮内慶周が話した言葉を聞いてしまったら、祖母が何をしてきたのかも分かってしまう。

祖母は自分が過ちを犯したことを認めたくなかったんだ…………

稀有な跡継ぎになるべき子供を産めた筈の女性を自分から排除してしまった上に、彼女が子供を産んでいましたと申し出た時には慶太郎の母が既に妻としていて、しかも祖母が榊美弥子を追い出したことは祖母だけの秘密だったのだ。そしてその後密かに道場で鍛練を始めた榊恭平が鳥飼信哉と同等の稀有な天才だと知った祖母は、嫉妬し親子を逆恨みめいた感情に任せて憎悪したに違いない。
それに振り回され母親を失ったことで更に傷つけられた恭平が、その根元にある合気道なんてやりたくもないと思ったのは想像に容易いのだ。

俺のことはもう放っておいてくれ

そう彼に願わせたのは祖母の行為と、それに気がつきもせずのうのうと暮らしてきたもの達の心無い行動だ。それに知らなかったではすまされない自分の子供染みた干渉に、榊恭平はどれだけ傷つけられたのだろうと今では思う。それでもこうして穏やかに微笑みながら幼馴染みと暮らし始めるようになり、時には自分を受け入れもしてくれる恭平の優しさに胸が揺さぶられていく。

………綺麗な人だった…………美弥子さんは…………

そう宮内慶周は呟くように言い目を伏せたまま、自分の初恋の人だったともポツリと話した。恭平のスマホを拾ったから連絡を取れないだろうかと問いかけられたのに正直違和感は感じていたし、何故自分が恭平と連絡を取れるのか知っているのかとも思いもしたのだ。宮内家では表立っては榊恭平と連絡は取り合っているとは話さないし、宮内家と分家の慶周の家は実は慶太郎が産まれてから余り仲が良くないのもある。慶太郎が産まれる前に密かに慶周を養子にするような動きが祖母主体であったようなのだが、慶太郎が産まれたことで祖母が話を不意にしたのが切っ掛けで両家は余り交流しなくなったというのが本音なのだろう。

ここでも家……か。

宮内家がそんなに大事なのだろうかと思うのは、最近の経験が慶太郎の感覚を変えつつあるからだと思う。古風な家系を守るのは確かに大切なことで道場を継ぐための努力は怠ってはいないつもりでいるけれど、だからと言って人をこんな風に傷つけながら守らなきゃいけないものなんてあるのだろうか?血筋を守るために誰かを押し退け、人を排除して迄の家系の繁栄なんて意味があるのだろうかと思うようになったのだ。

「あれ?宮内先輩ですよね?」

不意に声をかけられて振り返ると、そこに立っていたのは今は一番会いたくない人間。何しろ同じ流派から派生した合気道の道場の同じく跡取り息子で、自分とは違ってこんな悩みなんてあり得ないという筈の真見塚家の跡継ぎの真見塚孝。その真見塚孝が珍しく制服ではなく私服で、デイバックを肩にかけて自分をキョトンとした顔で見ているのだ。

「真見塚。」

どうしたんです?と言いたげな真見塚の言葉も当然で、ここいらは自分の家よりも真見塚家の方が近いし卒業したとはいえ高校も延長線上から考えれば徒歩圏内だ。幾ら人気の無い時間だとはいえそんな場所でこんな風にいつまでもウロウロしていたら顔見知りに出会うのも当然だし、以前ならこんな風に誰かに出会う前に会いたい人の家まで迷いもなく押し掛けていた。しかも何故かじっと自分の顔を眺めていた真見塚孝ときたら、突然何かに気がついたみたいに自分を引き連れて歩きだしたのだ。
そうして歩くこと数分。
当然の事だがなんでまたこうして真見塚に素直についてきてしまったのか、慶太郎自身でも正直なところ理解はできていない。出来てはいないのだが何故か良いとこに連れていきます等と真見塚孝がいうのに、流されてついてきてしまっている。

「こんにちは!」

しかも良いところとか言われて連れてこられたのは普通のファミリー型マンションで、真見塚は平然とオートロックを開けてもらいズンズンと上階に向かうのだ。

「ま、真見塚?ここは?」
「あ、兄さんの家です。」
「は?」

一人息子の筈の真見塚孝が平然と口にした言葉に、しかも当然知っていると思っていたと言わんばかりに真見塚は慶太郎のことを眺めて目を丸くする。その上当然みたいに辿り着いた最上階の角部屋にズンズンと迷いもなく進んだ真見塚は、ドアベルなんか気にもせずにドアを開くと声をかけながらズカズカと上がり込む有り様。こんな無作法なことする奴だったとは思わなかったと慶太郎が唖然とするのも放置して、奥まで上がり込んだ真見塚はリビングに向かって声をかけた。

「兄さん、宮内先輩がいたので連れてきました。」
「あ?なんで宮内だって?」
「鳥飼信哉?!」
「慶太郎?!」

慶太郎がリビングの光景に呆気に取られるのは当然。真見塚に兄と呼ばれてリビングから答えたのはあの鳥飼信哉で、しかも何故かリビングには会いに行こうか迷いに迷っていた相手の榊恭平迄いるのだ。ポカーンとして慶太郎をみている恭平の様子がおかしかったのか、何処かで見覚えのある金髪の不良染みた青年が腹を抱えて笑っている。でも、慶太郎の方だってこの状況が理解できなくて、呆然と立ち尽くしてしまっていた。



※※※



「なんだ?知らなかったんですか?流石に榊さんも知ってるから、先輩も知ってるかと。」

平然とそう口にされたのは、恭平と慶太郎のように鳥飼信哉と真見塚孝が実は異母兄弟で、実は鳥飼信哉は真見塚成孝の息子なのだということ。噂話で鳥飼は何処かの道場の師範の息子なんてのは聞いたことがあったが、事実を確認するほどの興味をもって無かったというのが慶太郎の本音。しかも鳥飼信哉自身を慶太郎は噂でしか聞いたことがなかったものだから、尚更調べもしてこなかったのだ。

「…………純粋というか、やっぱり孝と似てるな、そう言う思考過程。」
「どういう思考過程ですか?似てませんよ!」
「似てるよな?戦国武将。な?恭平さん。」
「いや、まぁ…………ですかね……。」

唖然としたままの慶太郎に散々の評価なのだが、流石に武将扱いに慶太郎も我に帰る。良いところに連れていきますなんて真見塚に誘われて連れてこられたのが、鳥飼信哉の自宅で丁度榊恭平も来ていて、これは一体と考えてしまう。

「宮内。」
「は、はい!」

思わず姿勢を正して返事をしてしまう慶太郎に、鳥飼信哉は何が面白かったのか思わず吹き出す。しかも恭平までその姿に吹き出して、隣にいた金髪の槙山忠志という青年には堅くなりすぎと笑われ指摘される有り様。

「恭平はうちの門下生になるからな。」
「え?」

鳥飼の門下生という言葉に目を丸して恭平に顔を向けると、恭平も仄かに苦笑いを浮かべながらそれを肯定する。つまりは十年も辞めていた合気道を再開するつもりになったということだし、しかも通うのは鳥飼の道場…………鳥飼?!

「再興するんですか?!鳥飼道場!」
「お前、本当に情報に疎いな?抜刀術の辺りで気がつけよ。流石に孝だって理解してたぞ?」

宮内慶恭と慶太郎は都合が悪くて参加しなかったが、抜刀術の指南は実はその前段階の近郊への周知の意味もかねていたのだ。道場をたたんだことで習得出来なくなってしまった筈の抜刀術を鳥飼信哉は身に付けていて、しかももう一人唯一鳥飼流の抜刀術を身に付けている人間・外崎宏太にも指南を受けた。つまり鳥飼信哉が技術を身に付けているのを確認する意図でもあるし、今まで表舞台に出てこなかった鳥飼があえて近郊に抜刀術を演武すると連絡したのだ。しかもそこには分派した流派の人間も呼び出され、確りと目の前で実践をして見せる。

道場を再興する技術を身に付けているのを証明して見せた

それにあえて客人として呼ばれた榊恭平も、恐らく鳥飼の門下に入るのだと誰もが考えた筈だ。だからこそ宮内慶周は恭平を追いかけ声をかけたのだし、同列の道場である真見塚の跡継ぎである孝が分家筋の宮内に牽制をかけたことでよりそれは可能性としては高まる。

「それくらい気がつけ。」
「は、はぁ…………。」

にこやかに笑われながらそう言われて慶太郎は思わず真見塚孝のことを眺める。余りにも新しい情報が多すぎて頭がついていかないが、少なくとも孝と自分は道場主の子供というだけでなく、天才的な異母兄ということまで同じ立場だということになってしまうのか。それなのに孝は稀有な天才である兄を、何とかして自分の家系に鳥飼を連れ込むことを考えなかったのかとも内心では思う。
そしてこうして和やかに何人も集まって話している中に、あの余り人と接していない姿しか記憶にない恭平がいる。

「でも、確かに言われると少し似てるよな?孝と信哉程じゃないけど。」
「そうかな…………あんまり言われたことがない。」
「こうして並べば似てるかもな、確かに。」

呆然のしたままの慶太郎を置き去りにして、何故か恭平と慶太郎の二人が似ているかいないかなんて話題になっていく。そんな大混乱から復旧出来ていない慶太郎の混乱の最中に呑気なただいまという女性の声がして玄関先でしていて、その後リビングには大きな腹を抱えた黒髪の女性が帰宅の言葉と共に姿を見せたのだった。

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