かのじょの物語

文字の大きさ
上 下
66 / 74
30代の話 Terminal

66.私は私に

しおりを挟む
夏から秋・そして冬
三ヶ月の長い時間は我慢と苦痛との戦いの時間でもあった。
何も行動できず・相手を刺激しない為にも何もせず、ただ自分の体と心を癒す事だけに力を注いだ。
そんな無意味に思える時間だけが過ぎた。
八月のあの時全ては終わっていたのに、それに気がつかなかった彼の願いでこの空白の時間が生まれた。かといって彼自身が、その後自分から何かしようとたわけではない。何か状況を改善するためにと何らかの行動があるかと思えば、何一つ彼はしなかったのだ。
私は携帯の電源を入れていたし必要であれば話す事もしただろうが、私の意思表示は既にしていたのでこちらから働きかける必要性を感じなかった。
結局三ヶ月の間にあった連絡は一度。
私の誕生日を一緒に祝う為に来訪したいというメールだけで、しかも等の昔に私の誕生日は終わってからの事だった。半月以上も過ぎた頃に祝われたくない相手から言われて何と反応するだろう。勿論の事だが、私はにべも無くそれを突っぱねた。もうそんなことをする相手だとは私には思えなかったし、彼の言い張った期日である彼の誕生日ですらどうでもいいものだった。

もし私が戻る事を本当に願っているのだとしたら、その三ヶ月間の男の行動は怠慢だったとしか言いようが無い。もうとっくに私は意思を表明していたし、それを覆すには彼自身が動くしか方法が無かったのだ。しかし、彼は私と一度も話をしようともしなかったし、私に復縁を請い願う事もしなかった。
お陰で私の心は三ヶ月のうちで一時も揺らぐことも無く、その決意はよりしっかりとした基盤のように固まっていった。

私は私に戻る。もう前の姿には戻らない。

そう決意した私の心は明確な意思の元に、本来の私らしさを取り戻しつつあった。そうしてとうとう11月末の彼の誕生日が過ぎて、私はもう一度その家に来訪する準備を始める。
今度は一日ではなく数日の滞在の予定だった。
何故ならその数日で全てを終わらせるつもりだったのだ。全く連絡を寄越さない男に痺れを切らした私は、両親と日程を調整した上で彼に電話をした。

「来週の金曜にいきますから、必要な書類を準備しておいてください。」
《書類?》

電話口でくぐもって聞こえる声が、わざとらしく聞き返す。その言葉に微かな苛立ちを感じながらも私は努めて酷く冷静に言葉を繋いだ。

「離婚届とそれに必要な書類です。」
《本気で言ってるのか?》
「…貴方こそ、それ本気で聞いてるんですか?」

事務的で無駄の無い敬語で話す私に男は嘲笑を浴びせかけながら言葉を放つ。

《一応準備はしておいてやるよ。》
「不備のないようにしてください、金曜の内にけりをつけたいんです。」

予想していた反応と違ったのか冷ややかに続けられる言葉に二の句が告げなくなった男に、私は畳み掛けるように次の冷ややかな言葉を放つ。

「私の荷物も引き上げますから、そのつもりでいて下さい。」
《はぁ?》

離婚して身一つで帰るだけだと思っていたのだろうか。まだ、あの家には私の思い入れが強くて捨てられなかったものが幾つか残っているはずだ。大体にして、私の使っていたパソコン等も残っている。それは夫婦になる前から大事に使ったものもあるのだから、持ち帰るのは当然だとは思わないのだろうか。
相手が文句を言いたげに唸るのを聞いて、私は言葉の先を告げさせる隙も与えず受話器を置く。もう三ヶ月も大人しく待っていたのに、今更になって文句や暴言など聞いていたくはなかった。言いたかったらこの三ヶ月のうちに言う期間はあったのだ。

これで、全てが終われば私は私に戻る。
置いた受話器の上から手を離さずに私はそう心の中で呟いていた。

しおりを挟む

処理中です...