続・都市街下奇憚

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集まってくるんです。

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いやいや、こういう仕事を長くしてますとね?色々な話が勝手にね、本当に自然と手元に集まってくるんですよ。

そこには異様なほどに大量の書籍が堆く積み重ねられ、日向の匂いにも似た乾いた紙の匂いが室内には満ちていた。とある大きな国立大学の広大なキャンパスの一角、日々数えきれない程の大勢の学生が窓の下を交差するのだが、積まれた書籍が窓の2/3を塞いでいるせいで全く下は覗けない。とはいえ一棟の建物の一角に、わりと広い個室を与えられている目の前の男。微妙な均衡を保って積み重ねられている書籍の合間から射し込む窓の逆光は、今はその姿を暗い影のようにみせている。その影の口元だけが笑みを浮かべているのが、うっすらと逆光の中で見えていた。

何せ私も……ここで、もう20年以上もこんな話を集めてきたわけですからね。

興味がある人にはそう言う話の方から集まってくるみたいですよと、ヒソリと日の影になったこの部屋の主でもある文学部の教授・勅使河原叡が穏やかな口調で微笑みながら告げる。
穏やかな日の陽射しの中で見れば、勅使河原の講義の際にはきちんと撫で付けられ纏められるグレーがかった髪はこの部屋では無操作に掻き回されて乱れているのが分かった。それに普段なら陽射しに輝く瞳は、まるで少年のような強い好奇心に満ちているだろう。
ところがこの逆光の影になった彼は、何処と無く胡散臭いようにすら見える影の塊に、童話の笑う猫のような三日月に白く浮かぶ笑顔を浮かべて見える。
文学部教授なんていう大きな要職にいて、勅使河原が収集するのは都市伝説とか呼ばれる胡散臭い寓話擬きなのは有名な話。その執拗な調査はまるで畑違いの民俗学でも極めようかとするようなものばかりだと、密かに他の学部の教授達から眉を潜められることも屡々だとか。それでも勅使河原が変わらずこの地位にいるのは、主たる文学でも多才な才能を遺憾なく発揮して止まないからだという。こう見えてただの都市伝説オタクではなく、完全な文学の研究者で探求者な訳だ。そうして言うまでもなく勅使河原は交遊関係が広く、少し社会的にも後ろ暗い仕事をしているような友人も実は多いとも聞く。

ここら辺はね……随分と不思議な街でね。

不意に話を変え自分に視線を引き付けるように影がいう。その口元は相変わらず、影の中の白い月のように浮かび上がったまま。

………度々説明のできないような不思議なことが起こるんですよ。

デスクの上で肘をついて、手の甲に顎をのせながら勅使河原は穏やかな形の変わらない笑みを強いて言う。その姿だけ見てしまうと、まるで今にも授業を行おうとする教師のようだ。彼は穏やかな顔をしてそれとなくデスクに摘まれた書籍を片手にする。実は室内に積まれた多くの書籍の中には、彼自身が書き記したものが幾つか含まれているのを知る人はあまり多くない。それにしてもデジタル化の昨今で今時紙面書籍をこんなにも所蔵しているのも珍しく、大量に積まれた書籍の中には執筆者が分からないようなものも多いのだと言う。音を立てて立ち上がった勅使河原は、自分の執筆したものではないかなり古びた書籍を片手にしている。

今時、紙面書籍っていうのも、珍しいですよね。

そう柔らかな声でいいながらも、古いからといって何でも新しくすればいいものでもないんですよと珍しく低く声を立てて笑う。確かにデジタルの画面にはない紙の上の印刷された文字には、彼が言うように古いからこそ伝わるものがあるのかもしれない。こんなことを当然のように口にしたキャンパス自体にも多くの文学を学ぶ学生が溢れているのだし、文学部なだけあってこの部屋には将来を文字に関わろうとする学生が訪れることも多いのだろう。

本がお好きですか?

思わず自分が尋ねると、そう見えますか?と勅使河原は低く呟くように言う。文学部の名前を冠する教授なのだしと思って問いかけたのだが、実際には先に言った通り彼は型に嵌まらない多様性を発揮する男でもある。

実際には……そんなに好きなわけでもないんですよ。でもね、読むと色々解ってくることも多くてね、知ってますか?紙書籍の良さは所有欲なんですよ?

確かに物として存在する書籍を手にするのには、所有したと言う実感が沸くに違いない。そう心の内に思っていたのを見透かすように、勅使河原は少し楽しげに見える光を瞳に浮かべた。

物があるから所有欲を満たすだけではないんですよ?紙面の書籍にはね、他の欲望も満たす効果があるそうですよ。ま、諸説ありますし手に取れる実感というのは確かですがね。

古めかしいその手の中にある書籍にふと視線を落として、文字と言うものは不思議なものですよねと勅使河原は呟く。その文字が生まれるための何かしらが、様々な場所に偶発的に存在するなんて不思議だとは思いませんか?そう囁いた勅使河原はまるで自分が読みたいと言ったのを聞いたかのように、手にしていた古い書籍を差し出す。『試しに読んでみますか?』そう穏やかな声で差し出された本を、自分は誘われるように手を伸ばして受け取っていたのだ。
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