続・都市街下奇憚

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1冊目 『穴』

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そこは白々と陽射しの射す光の帯が埃を反射して浮かぶ、騒がしい音のない静かな空間。それほど広大とは言えはないが溢れんばかりの膨大な書籍が壁の一面を埋め、それでも収まりきらない書籍は書架から溢れて至るところに堆く積まれていた。
甘いようにすら感じる日向めいた乾いた紙の匂いに包み込まれたその室内で部屋の主でもある勅使河原叡が、躊躇い勝ちにドアをノックして訪れた自分を逆光の陽射しを背にして穏やかな笑顔で迎え入れる。
待ってたよと言わんばかりに微笑む勅使河原は、当然のようにデスクの上から一冊の本を取り上げてこちらに歩み寄ってきていた。そうして頼んだわけでもないのに全く題名すら知らない……それどころか背表紙にも表表紙にすら題名のない古びた本を差し出され、何故か断ることもせずに自分はそれを受けとる。そうして言われたわけでもないのに、パラリとページを捲って…………



※※※




穴がある

自分がふと気がついた時には、そこには既にその『穴』があった。壁にポッカリと開いた真っ黒な穴。いやいや、壁に穴?!何度見直してもそこにあるのは、壁に穴。ええ?穴だよな?穴。何度も何度も繰り返して『穴』を言い続けているのには、当然の理由がある。穴が開く筈のない場所に穴があるからだ。

この世の中、そんな風に穴が開いているなんて。

目の前にあるのは、やはりどう見ても穴。しかも正直に言うが、この家は建て売りでもなければ、中古住宅でもない。何しろ至って普通の1ルームで、しかも両隣にだってちゃんと住人がいる。なのだから、この穴の存在がどんなに異質か分かることだろう?いやいや、物をぶつけて壁をへこませた訳じゃないし、目の前の穴はまるで機械でくり貫いたような正円なのだ。

そうコンパスで描いて、ポカンとくり貫いたみたいな

キチンとした円。それが白い壁にポカンと黒い空間を浮かばせているのに、自分は唖然として室内のソファーから眺めているわけなのである。
いや、本当におかしな事だとは思わないか?だって、現代社会では建築素材は人工的に加工され尽くしていて、昔の建材のような木材を加工した建材を使うのは逆に高級住宅ぐらいなものだ。金のない一般人は大概加工された一枚板のような模造建材を利用するから、木目どころか節目なんてあり得ない。大体にして節目があるような材木自体が、この世の中で最新の建築物に建材として使用されるなんて。それに節目ってのは正円な筈がないから、どう見ても目の前の穴は人工的な穴に違いない。

でも穴だ

どんなに目を擦っても、どんなに見つめ直しても穴はその場にいる。何処まで穴が貫通しているか、確認しないと敷金で直せないほどの穴だったらどうなるのか。勘弁してくれと唸りたくなるのは、最近ここにきたばかりで余分な金なんかないからだ。

こんなに駅近が空くなんて、ここらじゃ早々ないんだから。

確かに駅の北側に繁華街を持つこの駅周辺は人気の土地で、独り暮らししやすい環境だからか駅の南側にはマンションが多い。繁華街があるにしても割合治安……まぁ世の常で人が集まるところには、都市伝説めいた犯罪の噂があるものだけど……今のところ数ヶ月暮らしていて危機感を覚えるような事態には何一つ出会ったことがない。
話はズレたが穴があるのは、自分の視線よりは僅かに下側。足下の台の真横に、これ迄気がつかない筈のない場所にあるのだ。思わずジリジリと床を這うようにして真っ黒なその円に近づいていくと、何でか背筋が冷えてくる気がしてしまう。何でかって?そりゃ、こんな分かりやすいところに穴が空いてたら誰でも気がつく筈なのに、昨日今日引っ越して来たわけでもない自分がこれにこれ迄全く気がつかなかったんだ。しかも、壁の建材って奴は大概が均一のパネルみたいなもので、こんな風に意図的な穴が開くような代物じゃない。

大きさは直径約3センチほど。

まるで覗き穴のような大きさの穴。染みではなくて完全に穴で、恐る恐る手を伸ばして縁に触れる。滑らかな縁の感触が指の腹でなぞられ、そこに完全な穴かあると言うことがハッキリしてしまう。

穴だよ………………………マジでか………

どうやっても完璧な穴がある。基礎の確りした部屋だから、昔の昭和アパートみたいに隣室が覗けるなんてことはない。でも少なくともこの壁をパテとかで埋めて、壁紙を張り替えることは必要だ。しかし、家の中で一番に壁面積の大きな壁に開かなくても良いじゃないか。そんな愚痴を溢したくなるような見事な穴の存在に溜め息を通り越して呆然としてしまう。自分で埋めるには余りにも完璧すぎる穴に、これはもう諦めて明日にでも誰か補修ができる人に相談しておくべきなのだろうと肩を落としながら眠りについたのだった。

そして………………何か酷い夢を見た。

部屋の壁に空いた穴から、何やら不気味なものが現れるとかなんとか…………きっと余りにも壁に穴が空いたということが衝撃的過ぎて、そんな夢を見たのだと思う。が、結果論としては今日にでも連絡をとるしかないのは変わらない。そう思いながら眠気で重怠い頭を抱えて、あるべき筈の壁の穴に視線を向けた筈だった。

…………は?

あんなに確認していた筈の穴がない。あれほど近づいて指で触れて確認までして、壁一面補修したらと冷や汗までかいて見つめた筈の穴がないのだ。思わずズリズリと床を這い壁に近より手で撫で回してみたけれど、ヤッパリ壁は平坦で凹みすらない。

え?……何で?

何でというか、無ければ無いで喜んだらいいのだろうけれど、何でない?なんでないんだ?昨日はあったろ?というか、あったと思ったのは実は夢か?あんなに触れて確認までした筈なのに?独り呆然としながら壁に向かったまま、暫し同じことをグルグルと考え込んでしまう。結局無いものはないので仕方がなく考えを切り替えはしたものの、その後もずっと考えるのは穴のことばかりだ。

あっちが夢だったのか?そんなに寝ぼけてた?

結論としたら無いものは無いので、穴があった方が夢ということになりそうだ。それでもあの時確りと指で穴の淵をクルリと撫で回した感触は生々しくあって、あれが夢だとしたら随分な夢だと思う。それとも今が夢なのか、いや、穴が無いのなら無いにこしたことはないのだ。何度も言うけれど。
それでも結局四六時中ずっと穴のことばかり考え続けて、頭の中は穴のことばかり。もしまた見たら同じとこに穴があったらとか、いやあの穴自体が夢なのかとか、穴のことに取り憑かれたみたいに延々と考え続けて。そして結局、壁と言う壁を撫で回して『穴』を探し続けている。

何でだ?なければないでいいんじゃないのか?

自分でそう頭の中で繰り返しても、どうしても探すことが止められない。いつまでもいつまでも壁を撫で回している自分の姿は、狂気染みているように見えるに違いないと思う。でも何故かその穴を探し出さないとと、閉塞感で息が詰まるような不安感に飲まれてしまうのだ。そして何時間も壁を撫で回して探り回して、食事すら取らないまま倒れ込むようにして眠りに落ちる。

そして…………また、何か酷い夢に魘されて

気が付いたら寝ぼけたのか、壁に頬を押し付けて両手が壁を撫で回している。まるで狭い場所に閉じ込められているかのように、ビッタリと壁に身体を押し付け両手で壁を探り回して。何をしているんだ、そう驚くけれど両手は探るのを止めないし、壁から身体を離すこともできない。

穴だ…………穴を見つけないと…………

そればかりが頭の中に反響して、逃げ道すら見つけられない。ただ自分は何気なく壁に穴を見つけただけの筈だったのに、どんどん自分が『穴』の存在に侵食されて狂い始めている。そもそも何で壁の穴を見つけないとならないのかすら分からないのに、狭い部屋の壁を延々と小さな穴を求めて探り撫で回しているのだ。

そして、やっと…………やっと、見つけた

正円の3センチの穴。こんなところにいたんだと安堵しながら、その穴の縁をユックリと指で撫でる。こんなところに移動していたから見つけられなかったんだ。そしてなぜ探さないとならなかったのか、やっとこうして穴に触れられた事で理解した。

これは…………どうしても自分に必要な穴だったんだ…………

ためしに穴に片目を押し当てて、向こうを覗いてみるが穴の先は闇に包まれて何も見えない。それでもまだこれが見つかっただけでも、ましなのだろうとそこに口を押し当ててストローを吸うように空気を吸う。湿った土の臭いが混じる空気の味。こうなると分かっていて、何度も何度も呼吸を繰り返す。これからどうしたら良いのだろうと指が壁を探り、枯れてしまった筈の涙がジワリと滲む。いや泣くわけにはいかないし、穴を見つけたのだから何とかしなくては。せめてここから叫び声でも上げたら良いだろうか?でも、それでは無駄に体力を消耗する可能性もあるし、あえて無視されてしまうかもしれない。そう思えば思うほど、穴から一瞬でも離れるわけにはいかないと思う。

お願い…………誰か助けて…………

土の中なのが幸いだなんて考えもしなかったけれど、少なくとも火に巻かれるよりは遥かにましだ。ここの風習がこうだったことに感謝しないと、そう考えた自分の咥えた3センチの穴から唐突に微細な雫のようなものが滴り落ちてくる。自らの呼吸での結露かとも思ったが、それは次第に穴の中を通り完全な水滴になりつつあった。
それが何を意味するか気が付いて、自分は恐怖に震えながら穴の縁から滴り始めた水滴を飲み干す勢いで飲み下す。そうしないとここでジワジワと水に浸かってしまうかもしれない。いや、もうこの穴に支配されている時点で終わりなのかもしれない。悲鳴すら上げることも出来ず穴に身を寄せながら、自分はただ只管に穴を見つめ続けているのだった。



※※※



これは…………?

そう問いかける自分の戸惑いに満ちた声に、勅使河原は別段答えることもなく微笑みながら本を受けとる。最初はマンションか何処かに空いた『穴』の話しかと思ったのに、次第にそれがまるで何処かに閉じ込められた人間の『空気穴』のようにすら思えてしまった。しかも最終的には何故か、その穴が物語の主には唯一の命綱のようにすら思えてくる。

面白いものですよね?文字1つで表現は様々ですから

そう意味深に勅使河原が笑うのを、自分は何故かヒヤリと細い穴から空気を吹き掛けられたような気分で見つめていたのだった。
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