GATEKEEPERS  四神奇譚

文字の大きさ
上 下
200 / 206
第三部

第九幕 境界

しおりを挟む
松理が手にした金色に鈍く光る鍵を鍵穴に差し込んで、そっと捻るようにして回すと微かな鍵の開くカチリと言う音が響く。扉の向こうがどうなっているか分からない上に、都合のいい場所に開くかどうかも分からないし扉の向こうに何がいるかも分からない。それを知っているから硬く緊張した顔で埃の舞う光の帯を横目に扉を開けた途端に、予想外に扉が勢いよく弾かれるように開かれてドサドサと人が倒れ込んで来た。流石に松理も驚いて乙女らしくはない悲鳴をあげたのと同時に、咄嗟に手を伸ばしたロウが扉から松理を庇い背後に向かって倒れ込んだりするのも抱きかかえて回避する。お陰で扉の向こうから倒れ込んできた方は、ドチャドチャと床に崩れ落ちるわけだが、

「あたしより、子供の方を押さえてよ!ロウ!」
「あのなぁ…………あんた、自分の体のこと分かってないだろ。」

恐らく扉の開く場所に寄りかかって眠っていたのを、気がつかずにこちら側から扉を開けてしまったらしいのだ。しかも彼らは倒れ込んできてもまるで目覚める気配もなくスヤスヤ眠り込んでいて、宮井麻希子と宇野衛の二人が発見してから全く目を覚まさなかったのが脳裏を過った。しかも人数が増えているという異様な状態に慌てている松理は、全くロウの話を聞く気にもなっていない。一先ず男の子ならとズリズリと室内に引き摺り込んだはいいが、流石に宮井麻希子は女の子だから引き摺るのもとロウに命令して抱き上げさせる。
倒れ込んできたのは三人。
見失って探していた宮井麻希子・真見塚孝…………は兎も角、何故ここに若瀬透がいるのかと、思わず松理は頭を抱えてしまいたくなっていた。一応見つける筈だったのは麻希子達以外は香坂智美とその他三名で、智美を探して欲しいと松理に頼んだ若瀬透・トールじゃないんですけどと呻いてしまう。何故に先程迄はこの異世界の範疇には居なかった筈が、また一人ここに来て増えたのかと脱力したくなる。

「あーもう!!何人、他の高校生まで巻き込んでんの?!何なの、もーっ!!」
「イライラするな、体に触るぞ。」
「あんた、さっきから何が言いたいわけ?」

その言葉にロウが目を丸くして呆れてしまうが、考えてみれば松理はこちらの呼び名ではロキではあるが、毛色は違ってもロウ達とは違う普通の人間でもある。異世界の住人のロウの眼にはこんなに明らかに見えても、彼女は実はまだ何も気がついていないのだろうと思い至った。軽々と抱き上げていた宮井麻希子を一旦ソファーにおろして歩み寄ったロウが、猫背を更に丸くして突然ポンと下腹部に触れたのに思わずセクハラと叫ぼうとした松理がそれの意味に気がついて固まっていた。

「有り、得ないわよ…………出来ないのよ?…………私。」

眼鏡越しの澄んだ瞳は宝玉のように光ながら、当然のように目の前で屈み込むように背を丸めて眼鏡を人差し指で押し上げた。

「……こっちは、一応妖精の眼なんだが?」

妖精の眼。異界の扉の鍵を持つとある少女の守護者でもあるロウは、同時に人の魂の生まれ変わりでもあるから人間の魂がその眼には淡く花のように光って見える。そのロウが松理の腹に魂が見えるからと、扉の危険から回避させ胎教に悪いから苛立つなという。だが松理は自分の体の事をよく知っているから、その言葉を鵜呑みにするわけがない。

子供は二度と望めない筈なのよ。

二藤久の残した大切な子供を死産した理由は、松理の体の免疫による特殊な不妊だと言われた。しかも死産の後松理は既に片方の卵巣も駄目になっているし、胎内に入る相手の精子を異物として松理の免疫が攻撃するから二度と母体として着床は難しいとも。それは原因不明で治療も出来ない最悪の不妊症だから、志賀松理は永遠に誰とも子供は作れないし誰とも結ばれない。志賀松理は永遠にロキとして、藤久の復讐だけに生きていく運命なのだ。そのために様々な活動をしてきたロキは突然にネット上で『ライコウ』と名乗る人物と出会い、そのやり方はよくないと忠告されて彼と交流を深めることになった。

大事なのは、時間と場所だよ、ロキ。

そういってまだ彼女が身に付けていなかった技術を与えてくれて、松理の話を全て聞いて彼は松理を気に入って様々な手助けをしてくれたのだ。それから顔をあわせる内に男女の関係にもなったのは随分と昔のこと過ぎて、もう二十年近くにもなるのに一度も妊娠の気配なんてなかった。

松理に、俺の番になって欲しいんだ。

番なんて動物じみた表現を彼がするのは、彼が生粋の人間ではないから。一応は人間の血もひいているというが、間の子でも特に人間とは離れ向こう側に近い存在。それなのに感情や嗜好は人間臭くて、紅茶や珈琲の匂いや音楽の好きな奇妙な半人半妖。藤久が好きだからと答えればその気持ちごと全て君が好きだからと言うし、子供が出来ないから嫌も答えれば内縁でもいいと言う久保田惣一という名前の雷獣。嫌いな筈がない、藤久が死んでしまってからの人生の殆どを一緒に過ごしてきた。でも子供は

「そ、そんな場合じゃ、なないわよっ!今は!!ま、ま、まず、もう一人探さないと。」

混乱する頭で自分にそう言い訳して松理は無理矢理扉に視線を向けたが、改めて目にした扉の向こうに松理は眼を見開いていた。
そこに広がるのは扉のこちら側の光すら通らない射干玉の闇。漆黒に沈んだ空間は、扉を境界にして音もなく風もなく、思わず松理とロウは扉の向こうを見つめて立ち尽くす。目の前の高校生三人が眠りこけていられるような空間がそこには存在しなくて、あと数人を探しにその扉を潜るのには肌に粟が立ち酷く躊躇いが生じるのだ。しかも自分の中にもしかしたらと思うと、尚更松理の足は吸い付いたように床に張り付いたまま。

「…………行かないで。」

突然に話しかけられて二人は思わず振り返ると、そこにはソファーに腰掛けてボンヤリと宮井麻希子がいつの間にかクリクリとした丸い瞳で二人を見つめていた。窓から射し込む古めかしい光をその全身に浴びながら他の二人がコンコンと眠り込んでいる横で、彼女はまるで研ぎ清まされた刃物のようにキラキラと瞳を輝かせて扉を指差す。

「もう、そこは終わりなんです。だから行っても何もありません。」

それはその先を見てきて、もう行っても無駄と告げている。自分が眠っていたことなんて関係ない口調で彼女が淡々と先を続けるのに、松理は思わず眉を潜めていた。ロウのことに驚きもしないし同級生二人の様子にも麻希子が、一つも気にかけずに話し続けるのは異常だとしか言えない。

「終わり……?」
「私や皆から受け取ったから、もう終わった場所なんです。」

何時もの宮井麻希子とはまるで違う別人のように、淡々として大人二人を諭す口調。普段の宮井麻希子は人懐っこく穏やかではあるが、こんな風に冷静に諭すような口調で話すことは今まで見たことがない。十八歳の年相応の朗らかな声で話す麻希子しか知らない松理には、目の前の麻希子はまるで瓜二つの別人のように見えるのだ。

「彼って?マキマキ。」
「麒麟です。」

麒麟。ついほんの何時間か前に鳥飼信哉を麒麟児と称したのは自分だが、麻希子が麒麟と語るのに松理は息を詰める。麒麟は神話に現れる伝説上の霊獣で、王が仁のある政治を行う時に現れる神聖な生き物とされ千年生きるともいう。ただ宮井麻希子の彼氏の宇野智雪なら兎も角、麻希子が製菓ではなく神話に詳しいとは思えない。それなのに当然のように麻希子は言うのだ。

「三浦さんや、鳥飼さん達は、麒麟がちゃんと返してくれる筈です。」
「何故分かるの?」

当然の疑問だ。何しろ麻希子はずっと眠っていて三浦和希どころか、鳥飼信哉達となんか全く出会っていない。何しろ松理でさえ鳥飼信哉には、今夜はまだ一度も出会っていないのだ。

「彼が約束してくれたからです。」

また麒麟。そんなにも信用していいものなのか?懐疑的なのは自分がそれに出会わない人間だからなのかと、密かに眉を潜める。でも少なくとも麻希子は嘘を言う人間ではないし、デタラメにのせられるような人間でもないんでもない。しかも麻希子はとんでもなく危険な事態に陥っても、そう例えば殺人犯に誘拐されて命の危機に陥ったのに、逆に何でか犯人を絆す妙な奇妙な才能がある。そう気がついた瞬間、松理は奇妙な符合に気がついていた。ロウは彼らを知らないから気がつく筈もないが、こちら側に捲き込まれている彼らの、それぞれがちょっとずつ普通と違う。
真見塚孝は兄弟の鳥飼信哉のお陰でそれほど目立たないが、実際には国内で同じ年代の合気道をしている人間とは比較にならない才能の持ち主で。既に早期の海外遠征を依頼される程の天才児なのは、あの業界では有名なこと。その両親まで遡るのかはどうなのか分からないが、大体にして真見塚成孝も普通とは違うし、妻の杜幾子だって体は弱いが戦闘力として考えれば………………あのオットリに世の中の誰もが穏やかな人間だと思っているが、彼女は薙刀と剣道の有段者なので下手なことはしないほうがいい。
若瀬透は一見表には出していないが、多彩なプログラミングを作成する天才的ハッカーだ。ロキやライコウ程ではまだないだろうが、恐らく遥かに多彩にパソコンを操る。それも一つの天才といえる。
宮井麻希子は言うまでもなく天然の人たらしで、しかもふったちや惣一を始め向こう側に近い人間ほど絆される。これもある意味天才的な能力で、誰かに真似できるものではない。
それにトールすら出し抜く香坂智美。松理がどんなに調べても経歴の分からない、若干十七歳の院という巨大組織の統率者。それをここ何年かから始めたのだろう智美も一種の天才だ。
それに捲き込まれている友村礼慈も特殊な能力があるようだし、三浦和希が普通の人間でないのは言われなくても十分分かっている。まあふったち曰く多賀亜希子は間の子だというからこちら側の人間として、鳥飼信哉を始めとした四人は特殊な・なんて言葉では済まない相手だ。
その彼らか麒麟に何かを渡す。その対価として皆を返すと約束したということか。

「皆…………は何を渡したの?香坂は?」
「麒麟に………………それぞれ、…………。」

それを説明するのは言葉には出来ないとでも言いたげに、麻希子が言葉を言い淀む。そして同時に何かに気がついた麻希子を、その何かを受け取った大きな力を持ったものがそれ以上を話すのを押さえ込もうとするみたいに松理にもロウにも見えるのだ。

「マキマキ……?」
「だから、…………麒麟は…………智美君は…………。」

見る間に麻希子の言葉がトロリと夢現に溶けていくと同時に、二人の意識を逸らそうとでも言うように松理とロウの背後で暗闇に繋がっていた扉が何時になく大きな軋む音を立てて閉じていく。そうしてやがて重苦しい音をたてて扉が閉じると、触れてもいない金の鍵が鍵穴から滑り落ちる音が室内に乾いた音を響かせていた。

「…………何なの…………。」
「扉の向こうが虚無に変わった……。」

呟くようにロウが言う。入らなくて正解だったなと苦い顔で言うロウと、ならどうしたらいいのと叫びだしたくなるのを松理は押さえ込むので精一杯だった。



※※※



気がつくとそこは深い霧の中で、細かな雨が全身に降りかかる夜空の下だった。そこに彼等が辿り着いたのが一瞬だったのか、それとも長い時間だったのかは自分でも分からない。それでもまるで長い夢の後のようにその雨を四人はそれぞれに見上げて、周囲を見渡しここがどこなのかを眺める。雨のせいなのか霧は少しずつ晴れては来はじめているが、まだ辺りを見渡すには程遠い乳白色の世界の中には煉瓦の建物と幾つかの木立。人気のない空気が漂う建物からは中が水没でもしたのか、チョロチョロと水が流れ出していて悌順が眼を丸くしている。
ゲートに飛び込む時、地下施設を完全水没させてしまった。そうここは自分達が閉じ込められた施設の敷地で、しかも両側に建物があるが目の前は瓦解した建物の残骸だ。

「ここは…………。」

潮の微かな臭いがするような気がするし湿度の高い空気は野山にいる気配ではなくて、思わず辺りを見渡す視線が雨の中で雨に濡れることもなく立ち尽くすモノを見上げた。光に飲まれたと思ったら衝撃も何もなく気がついたら元の場所。夢オチと聞きたくなる容易さだが、つまりは目の前のモノはそれくらい容易いほどの桁違いの力を持つ異世界の生き物だ。
麒麟は足掻いたのだと告げ、彼らを包み込むようにして連れて帰ると告げた。本来なら四人の全てを吸収して四人はあの場で死に絶えた筈なのに、呆然としながら立ち尽くしているのは麒麟のいう足掻いた結果なのだろう。草すらも踏むことなく金色の瞳をした身の丈でも五メートルもある異形のモノは頭を垂れると、突然に鬣に埋まるようにして背負っていた青年を義人に向かって滑り下ろした。

「わっ!」
《…………怪我はない。それに、悌順。》

そう呼び掛けられて思わず視線を向けると、悌順に向かって金色の瞳が突然揺れてぶれたかと思うとほんの一回の瞬きの間にそこにはもう一人・人の姿が空間に現れる。まるで手品のように次々と、空間すらねじ曲げる容易さに息を飲んでしまう。




しおりを挟む

処理中です...