鵺の哭く刻

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ヒョーウ…………ヒョウ…………

気がつくと時折その哭き声が、夢現のシュンイチの意識にも聞こえるようになっていた。それを聞くと何故か背筋が氷のように冷えて肌に鳥肌がたつのだが、同時にそれは物悲しく寂しげに美しくも聞こえる。何の鳴き声かは知らないし、その鳴き声の主を探そうとしたこともないがいつも聞こえてくるのは傍にいるからだろうか。そんな時ふっと夜の闇の中で目を覚ましても大概は薄ボンヤリと世界は藍色か群青色に満ちているだけで、漆黒の闇というものはそれほど経験がない。

それでも実は闇は存在するんだ…………

シュンイチが射干玉の闇を生まれてはじめて経験したのは、実はアキコの住んでいた土地へ泊まりに行った時が初めてだった。射干玉…………国語の教師の免許を持つ自分はその言葉を知っているが、これはヒオウギの実の事だ。万葉集にある黒にかかる枕詞で、実際のヒオウギの実は見たことがないが漆黒で艶があり美しい黒だという。それを闇の表現として使ったものなのだ。そんな闇を知ったのはあの乳白色の深い霧の中で、光を失って漆黒に沈んだ闇を直に体感したからだった。それが当然の環境で暮らしているアキコはまるで戸惑いもしない射干玉の闇の世界には、密かにシュンイチは恐怖を感じもしたのだ。

ヒヤリとした空気に何もかもが見えない闇

そんな世界が現実に自分を包んだ時知ったのは、射干玉の闇の中で目覚めて目を開けても何も見えないただの暗闇があるだけ。まるで孤独にあの土蔵の中に封じ込められたかのような一人きりの感覚に飲まれて、闇に慣れないシュンイチは思わず腕の中のアキコの体を確かめるしかなかった。

ヒョーウ…………

そんな中に小さく微かな哭き声で哭くものがいるのに気がつくのは、目が見えず耳だけに集中するからなのだろう。闇に微かに響く物悲しく憐れで寂しげな、弱い何かの哭き声。その哭き声がどんなものの放つ哭き声なのかは知らないが、それはあの射干玉の闇というものを知ってから関東に戻っても時折聞こえるようになった。恐らくは完全な闇で聴力だけが研ぎ澄まされる状況だからハッキリ聞こえるのであって、ずっと以前から微かに耳にしていたのかもしれないとは思うのだが。

暗くないと…………駄目なの……

アキコと暮らすようになって唯一アキコが折れなかったことは、この闇だった。アキコはほんの僅かな光源でも寝る時にあると眠れないというので、寝室は厳重に遮光されて人工的に射干玉の闇を作り出したのだ。確かに生まれついてあんな闇の中で育ってきたのだとしたら、関東の夜は明るすぎるに違いない。
そうしてこんなにも見事に遮光できるものなのかと驚くほど、それは完全に寝室に施されていた。
アキコがいうにはアキコの実家には雨戸があって、日々それを閉めて寝るからもっと暗く出来るのだというがシュンイチにとっては驚くほどの暗さ。二枚のカーテンで完全に遮光されただけとは思えない暗さで、夜中に目が覚めても本当に目が覚めているのか分からないほどだとシュンイチは思う。

ヒョウ…………

それなのにその闇の中でアキコはまるで迷いもなく立ち上がり、何もかも見えているように足元の段差も何も気にせずスタスタと何処かへ歩いていくのだ。しかもシュンイチが驚かされたのは、実はそれだけではなかった。普段のアキコは眼鏡を片時も手放さないのに、暗闇の中のアキコは眼鏡もかけないのだ。

ものを見ていないわけではないのは闇に慣れるシュンイチの視界の中で、アキコはドアノブや襖など手をかける場所をちゃんと見ているし、闇の中でもリモコン類を選別して手に取るのが分かったから。それが次第に慣れてきた闇の中で、シュンイチにもうっすらと見えるからだ。
まるで夜行性動物のように、アキコは闇の中では眼鏡がなくても生活できるみたいにみえる。そしてとても奇妙なことだと思うが、アキコ自身はそれにはまるで気がついていないのだ。

そんなことをないと思う…………

何度か指摘してもアキコはそう言うばかりで、自分が闇の中では苦もなく歩き回り活動していることにすら気がついていない。元々そう言う暮らしをしているから気がつかないのかも知れないと気がついたのは暫く経ってからで、あの土蔵の夢を見てからというものの今度はアキコは闇の中の方がいいのではないかなんて思い始めていた。
そして時折アキコは闇の中を歩いて暫く寝床に帰ってこないことがあるのにも気がついたのは、あの土蔵の夢を見た後の事だ。そんな時に限ってシュンイチの方は眠気はひどく強くて、何故かどうやっても寝床から体を起こすことも出来ない。

何処にいって…………るんだ?

何も物音はしないし、ドアを開ける音もしない。それでもアキコの気配は家の中には感じ取れなくなって、まるで何処かに消え去ってしまっている気がする。もし何処かに出掛けているのだとしたら、自分が眠っている隙をついてということなのかもしれないのだ。

何か…………この間にしているんじゃないだろうか…………

そう感じてしまう程、アキコは何かしているのか闇の中で歩き去ったまま。時間がどれくらいかかっているのか、それとも全く時間が経っていないのかすら分からないのに、何故か微かに湿った空気を眠りの中で感じている自分がいた。湿り気の感覚はあの土蔵の夢を嫌でも思い出させて、しかもこの空間にはそぐわない空気でもあるのだが、それを考えるとどうしてもアキコがあの土蔵で犯されに出掛けているような気がしてしまう。

あれは夢だ…………夢の中に出かけていくなんて…………

あり得ないと叫びたいのに、湿った空気はシュンイチの夢から決して消えてくれない。やがてはまた眠りに落ちてあの土蔵でアキコを複数の自分で犯し尽くすのを、自分の中の何かが期待もしている。いや、こんなことはくだらない夢の中の妄想にすぎないのかと、シュンイチは身動きの出来ないまま考えていた。

アキコは何処かに出掛けていたりするのか?いや…………どうなんだろう、風呂にはいっているとか?

湿った空気もそれなら説明が出来ると頭が呟く。それよりも疑問ならばアキコ自身に問いかければいいのに今では余り二人の間に会話はなくなっていて、アキコが何を考えているのかはシュンイチには全くと言っていいほど分からない。それに時々コバヤカワ達が来ると、アキコが安堵の顔を浮かべているのをシュンイチほど鋭い男が見逃すはずがないのだ。ただ見逃さないけれどアキコは最近では飲みに出歩くことも減っていたし、自分が出掛けても家から余り出てこないのも分かっている。だから今はあえてそこは追求しないでやっているのだが、アキコがコバヤカワ達にすり寄るようなら容赦しないつもりだった。

容赦しない……が何を示しているかは、その時にならないと分からないけどな………… 

ただ放棄することはないと思うし、躾直すことになるのだとは考えている。何しろアキコは今のとこら唯一の奴隷で家政婦で、雌奴隷なのだ。そう言えばアキコは家の事は最低限はしているけど、前のように料理を作って二人で並んで一緒に食べることはなくなっている。それは………………自分が悪いのだとは実はシュンイチにもわかっていた。

お前は奴隷なんだから床で食え

そうコバヤカワ達が帰った後カッとした時に言ってからというものの、アキコは絶対にシュンイチとは一緒に食事をしなくなった。それに出来るだけシュンイチの機嫌を損ねないように、日々怯えながら過ごしているのも良く分かっている。アキコが以前のように当然のことを当然のようにしていれば何も言わないし痛め付けることだってしないでやるのに、そういう時に限ってアキコはシュンイチの勘に触ることを選んだようにするのだ。だからアキコがこうして躾られるのは仕方がないことなのに、アキコは言うことをきかなくなるばかりで遂に子供のような口答え迄身に付けてしまった。

だって…………一日中家に居るじゃない…………

この間も寝てるのを起こして食事を作れと言ったら、ボンヤリした声で体を起こして不満そうにそんなことをシュンイチにむかって言うのだ。料理はお前の仕事だろとシュンイチが言ったら、更にあからさまに不満そうな顔をしたからカッとして頭を拳骨で殴り付けてやる。するとアキコはそのまま気を失った。

…………そんな…………自分の出したものなのに…………

シュンイチの書斎を片付けろと命令しても同じでこんなことを口にしたのだった。雌奴隷の癖にシュンイチは一日中家にいて何もしてないんだからと非難して、主人の居心地の良い書斎にするよう常に整えて差し上げようとしない。何もしてないなんてそんなことはない、お前の調教道具の新調や手入れをしてるし他にアキコみたいな新しい奴隷がいないか探しもしてる。そうシュンイチが言うとまるで意味が分からないと言いたげに眉を潜める有り様で、再び殴られ蹴られて今度は床で気を失うふりを始める。

そうだ、最近なおのこと腹が立つのは、その気を失うふりだ。

殴ったり蹴ったりすると突然グッタリしてピクリとも動かなくなるのだが、脈はユックリ打ってるし呼吸だってユックリちゃんとしてる。乱暴した時だけじゃなく日々の調教の後にもなるから、シュンイチにしたら尚更に腹立たしい。

気を失ったら終わるとでも思ってるんだろ?どうせ。

人間が気を失うとどうなるかなんて正直言うと知らないが、アキコの気絶は頻回過ぎるし目が覚めてから特に異常もないみたいだからふりなんだと思って間違いない。だから無理矢理起こすつもりで髪の毛を引っ張ったり強く蹴りつけたりしてやるが、アキコも強情だからそれでも身動きしないのだ。仕方がないし面倒だから最近ではそのまま気がすむまで放置してやることにしたのだが、それが頻回だと思うように調教も出来ない。

以前と同じように大人しくいうこと聞けよ。

そう思うからこそ再三シュンイチがあの傑作の奴隷契約書を書かせようとすると、アキコは露骨に嫌な顔をして拒否する。調教を喜ぶはしたない体の癖にシュンイチの専属奴隷にはなりたくないなんて、我が儘にもほどがあるだろう?ここまで何年調教してやったと思っているんだ。それにここまで手間をかけて嫁にまでしてやったんだから、泣いて喜びサインを書かせて頂きますと自分からお願いするのが本来の筋ってもの。

いや…………サインは…………いや

そう言ってアキコは後退り絶対にサインをしようとしない、その強情さは何なんだとシュンイチは苛立ちばかりが増していく。何故奴隷の癖に契約書にサインをしたがらないのか、シュンイチに従うのが喜びの筈なのにアキコは従わないままでいる。

《フィ:何でかね、サインだけは言うこときかないんだよな。後は言いなりなんだけどな。》

本当はそれ以外も完璧とは程遠いけれど、そう答えるのは悔しいからあえて契約書だけに従わないと口にする。それでもSMチャットの友人達はシュンイチがその契約書を作った事に賛辞の言葉を口々に言うし、アキコが自分を焦らしてお仕置きされたいんですよというのだ。

確かにそうかもしれない、日々逆らうようになってるのはマンネリだと思っていやがるのか?

そうなのかもしれないとシュンイチはモニターを見ながら考える。シュンイチはの好みの調教には力が入るが、好まないことは余りしないから調教の内容が片寄ってしまうのはあり得るのだ。それに不満だからあんなにも言うことをきかない駄目な女になりつつあるのか、そう考えると何か新しい方法で虐め尽くしてやらないとアキコだって満足しないのかもしれない。

本当にそう思うか?

不意に頭の片隅でそうささやく声がして、シュンイチは思わず辺りを見渡してしまう。アキコは仕事から帰ってシュンイチの分の夕食を作り終えた後、全く寝室に籠って出てきもしない。シュンイチが適当に夕食を食い散らかして置くと、また闇からゴソゴソと出てきて食器を洗って今度は自分が食べるものを持って寝室に閉じ籠るのだ。来いと呼べば確かに来るが、最近では来ても不満そうな顔をやめることもなく、無言でただじっとシュンイチの顔を眺めるばかり。

本当に、アキコがそう思ってると思えるのか?

当然と突っぱねたいのに、何故か心の中の声に逆らえない。そうは思っていないのだろうと心の中で囁く声に苛立ちが増していくのを感じながら、シュンイチははあえてモニターに集中して心の声を無視する。

《テイ:あー、いいなぁフィさん、俺もそんな雌奴隷欲しい。》
《コウ:乱交したい、まわして捩じ込んでやりまくりたい》

再三こんな風にネットの友人達は、アキコと乱交したいと騒ぐ。それに密かに半分は乗り気になりながらも実行に移さないのはアキコが他の男に気を向けるのもアキコが他の男に組み敷かれるのも妄想では良くても、現実に起こるとしたらシュンイチには不快だからだ。

だってそうだろう?もし他の男のチンポがいいなんて、馬鹿な奴隷が罷り間違って言い出したらどうするんだ?
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