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そして新たな感染
174.
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身体はまだ殻から生まれ直したばかり。そして滓の底の闇に落ちたばかりの身体は疲弊仕切っていて、その殆ど何の力も残していない。それがちゃんと理解できているのに、一体に溶け込んでしまっていたと思ったリュウヘイの声が頭に響いていた。
頼む
そう告げる声が疲れはてている身体を突き動かして、我が子の元に引き寄せようとする。それがどんなに無謀で危険なことなのかは理解していたし、またこうして闇の底から這い出すための力だって今の鵺の身体には残されていない。それでも悲鳴のようなリュウヘイの声が鵺を突き動かしたのは、頼みたい事が残してきた唯一の我が子の為だから。カズキのため。
ギシギシと身体が軋み痛みどころではなく、何かがブツブツと切れる音がしていく。これ以上闇から這い出すのに力を使ったら、自分の存在事態が危うい。
すまない、頼む
それでもリュウヘイの言葉に、鵺は全力でカズキの元に向かう。
それなのに
何とか鵺が闇から這い出たとほぼ同時に目の前で、その魂は鵺の目の前で破裂して飛び散ってしまっていた。まるで一瞬で踏み潰された花弁が無惨に引きちぎられるように、パチンと弾けて四散して粉々に砕けて、咄嗟にリュウヘイの時のように手を伸ばすことも出来ない。
闇から這い出した鵺の目の前には滓の靄から生まれ落ちたのだろう名前もない異形の大蛇が存在していて、それがミウラカズキの身体ごと全てを飲み下してしまっていた。巨大すぎて現実味のない蛇は何処か滑稽に、ニタリと笑う道化にみえる。抱き締めることも、水面の底に流れるのを引き留める事も何一つできず、カズキの魂が鵺の目の前で砕かれキラキラと花火のように舞い散っていく。
カ、ズキ?
こちら側に連れ帰ってと願って、カズキを彼らに託したのは鵺自身。そして確かにここまでカズキの幼馴染みの青年だという彼らは、滓の靄の立ち込めているとはいえ現実世界までカズキを連れて戻ってきてくれていた。カズキを連れて帰れば、結果としてカズキが警察に捕まり死刑になるのだとしてもちゃんと約束通り、彼らの産まれた世界まで。それなのに今のここにはカズキの血の臭いが充満していて、目の前の異形のものが鵺の大事な我が子を…………
私の………………俺の………………
瞬間、鵺の胸は張り裂けんばかりの哀しみに呑まれていた。鵺自身の感じる深く暗い哀しみと残された魂も同調し、それは一瞬にして耐えがたい程の痛みに変わって鵺をあっという間に深々と呑み込んでいく。目の前の異形が自分よりも、力も存在も格上の存在だろうと関係がない。それは鵺とリュウヘイの大切な子供を目の前で殺したのだ。
ごめん
そうキラキラと舞い散る魂の欠片から、ほんの微かなカズキの囁く声がしていた。遠くて弱くて、リュウヘイの魂よりもずっと淡く消え去りつつある魂の言葉。それが遠退きながら、謝り、泣いている。助けて貰ったのに、アキコにちゃんと戻って大丈夫だったよと言わなきゃならないのに、こんなところで死んじゃってごめん。簡単には死なない筈だったけど、自分の腕から出てきた化け物に食われて死ぬなんて。でも、幼馴染みを守りたかったんだと訴える。失ったものの大きさを知る痛みが再び深く魂に刻み込まれて、それは自分に与えられる罰のように、大事なものをまた目の前で奪われてしまった哀しみが渦のように胸を支配していく。また強いどす黒い滓のような哀しみと怒りが、胸の中に沸き上がり満ちて鵺を変容させようとするみたいに支配する。
ヒョウ!!!
哀しすぎて、寂しすぎて、狂う。そしてそれを肯定するような和希の声が。
ごめん、アキコ、こんな風になっちゃって
目の前でガチンとカズキの血の臭いを撒き散らす大蛇の腮が咬み合わさり音を立てるのに、鵺が感じているのは止めようのない激しい哀しみと怒りだった。目の前のこの蛇は鵺とリュウヘイの大事な子供を目の前で食ってしまった、やっと友人達に連れ帰って貰えた筈の可愛い哀れな我が子を。骨が軋むほどの怒りと哀しみでギシギシと体の中が組み替えられるような、全身を流れる血脈が全て滓に変えられ焼けつくような苦しさ。だがそれすら凌駕する程に、鵺の激しい怒りと哀しみの方が遥かに勝る。
ビョウ!!!
既に今までのような哭き声にはらなず、この音には誰も気がつきもしない。それは既にこの哭き声が変質して意図しないと耳には届かないものになり果てているからだ。哀しく寂しく辛く、それを与えたモノを許しはしない怨嗟の哭き声。
ビョウ!!ビョウ!!
その声は鵺の元であったアキコが生まれ育った東北の冬のように凍てつく風を孕んで、鵺の白銀の毛並みを激しく逆立てていた。
目の前で更にカズキが助けようとした青年に再び体をくねらせ蛇が襲いかかろうとした瞬間、鵺は地鳴りのように地面を踏み鳴らし蛇の尾に向かって全力で牙を剥き食いついていた。人面には不釣り合いに突き出した牙を突き立て、ギリギリとそれを食い込ませて口の中に不味い滓のような味のする蛇の体液が広がるのを無視する。雨と湿度で温く漂っていた筈の空気が、鵺の全身が放つ風で氷のように冷えて再び靄が地面から立ち上がっていく。それに驚いたように蛇が空気を震わせ、人とは違う音で闇夜に響くガラガラと言う声で叫ぶ。
《な、ぜ、じゃま……するぅううう、おまええぇぇ!》
何故?愚問だ。巨大な大蛇の尾の上でギラギラと怒りに震える碧く光り輝く宝石のような瞳をした鵺は、全力でその滑り逃れようともがく肌に深々と黒曜石の爪を突き立てていた。その姿を周囲にいたカズキの幼馴染み達にみられようが、もうなにも構うものか。
四つ足の銀の毛並みした虎、太く醜い蛇の尾、そしてそれに据えられたこの人面。それをカズキには曝したくなかったのは我が子にこの姿を見られたくなかったからで、その我が子はもうここにはいないのだ。闇の中から大きく身を乗りだした鵺は全身から更なる威圧の風を吹き出し、毛を逆立てながら苦悩に満ちた嗚咽の声をあげていた。
《私の子……私の子供…………………よくも………。》
《はなせぇえええ》
大蛇の腮がガチン・ガチンと音をたてて噛み合わされるのに、尾を抑え込んだ白銀の獣はギジギジと肌に爪を立てたまま自身の蛇尾を振り立てて更に鋭く高らかにヒョウと哭いた。そして改めて災厄を呼ぶ哭き声を叩きつけられた大蛇は、鱗を逆立てて、その場に不安げに凍りつく。
《お、おまえ、な、なんだ、おまええぇぇ!ぬえか?鵺……?》
《我が子を喰ったな……?大事な私の子を傷つけたな…………?》
ギラギラと憎悪に碧く光り輝く瞳をして、呻くように言う。そうしながら、鵺の瞳は今も滂沱のごとく涙を流してもいる。体内のリュウヘイの魂も鵺と等しく涙を流していて、それは全身を震わせる程に哀しく寂しく辛い。大事なカズキ、せめてこちらの世界で穏やかに死ねたら、そう思ったから彼らに託して返したのに。まさか自分の体から化け物を生み出して、それに食われるなんて、滓は自覚しなければ溜まらないのではなかったの?そう考えた途端、表には見えなかった滓がシュンイチの顔から噴水のように溢れだしたのを今更のように思い出す。
ああ、私が愚かだった、
そうなのだ、表には見えなくても滓は存在する。地の底の自分が生まれ落ちるほどの闇の中に溜まり淀み、流れることもない滓があることをちゃんと知っているのに、何故こんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。全てがそうではないにしろ、人間の身体は時に滓の淀みと無意識に繋がる扉になりうるのに違いない。タガアキコのように、『経立』の家系のように、ヤネオシュンイチのように、そしてミウラカズキのようにだ。そして滓の中からは自分や『件』や、ヤネオを呑み込んだニヤニヤと笑うような異形、そしてカズキの腕から生まれたらしい、この大蛇のような化け物を生み出す。
それにあの時、竹林の中で鵺は気がついていた筈だったのに、カズキだけは違うと何故過信してしまったのだろう。もしそうであれば共に朽ちるのも覚悟で向こう側に一緒に連れていったのに、一緒に何時までも向こうで朽ち果てるまで自分が傍に居てやったのに。
あの子は沢山滓を纏っていておかしくない子だったのに、扉となっていておかしくない子だったのに
浅はかな過信で我が子を死なせてしまった現実に、そして同時に我が子から生まれ落ちながら自分自身を食い殺してしまった大蛇に鵺は怒り悲しみ嘆き叫んだ。何故こんなにも間違いばかり繰り返させるのか。ヤネオの『件』は、この災厄を予言していたのだろうか。それとも自分達の災厄は、ヤネオの災厄ではないから、予言はなされないものなのか。鵺は未だに止まることなく涙を流しながら、子を亡くした怨嗟を大蛇に向かって叩きつける。
《許さないぞ、人でなしが…………災厄に沈め。》
大蛇は黒く太く滑る尾を、突然背後の闇から現れた鵺に深々と喰いしめられていた。一見爪をたてただけに見えても、既にその爪は深々と地面に貫通するほどに突き刺さり肉を貫き脊柱を粉々に砕く。そして怨嗟の声の奥で鵺は、その蛇を許さないとあの世界に引きずり込む。
ズブリ…………
突然地面が豆腐のように脆く崩れながら、重さに耐えきれずに蛇の身体を呑み込み始める。それから逃れようと身をくねらせる蛇に胴体の上から怨嗟の声と共に、鵺は汚泥の底に蛇を引きずり込もうと力をかけていく。更なる力の行使にギシギシ・ゴチュゴチュと奇妙な音が体内に響くのを、鵺は完全に無視していた。もうそれでこの体か粉々に砕けて塵になっても、この存在が終焉を迎えても構わない。だから鵺は最後の灯火のように、自分の存在の全てをなげうって発光体のように白銀に体を光らせて全力で哭く。
《は、なせええぇえええ!!》
あの架空の世界の土蔵にこの蛇を投げ込む。自分事あそこに落ちこの蛇を土蔵の奥に投げ込み鍵をかけ、その鍵を永遠に外せないよう叩き壊す。そして二度と誰もよらないようにあの世界ごと鵺の中に封じ込めて、自分の亡骸と共に闇の底に沈めてしまうのだ。例え何千年か後に鵺の亡骸を他の異形が喰らって、土蔵への道を見いだしても鍵もなければ土蔵を出る条件も永遠の闇の中。二度とこの蛇はあそこから出られない。それが今の鵺に自分に出来る最大の報復で、ギラギラと碧く瞳を怒りで輝かせて、鵺は低く怨みの声を蛇に向かって放ち続ける。
《お前は、私の子を殺した…………、決して許さない………………決して!!》
人間でもない化け物の癖に、我が子…………子供の怨みだなどと馬鹿なことだろう。そんなことは自分でも理解しているが、それとこの母としての感情は言葉で説明できるものではない。子を失った親の怨みがどれ程深く強いか、他人には絶対に分かりもしない。そして目の前の化け物には、この鵺が全身全霊で呼び寄せた更なる災厄が迫っていた。
力を使い果たし残る体の全てを最後の怨みの焔に変えて、鵺は我が子を死なせてしまった悲しみを青い焔に変えて一気に蛇の頭を燃やし尽くす。それは我が身だけでなく胎内に残していたリュウヘイの魂も共に焼き付くして、我が子の体の臭いのする化け物の体を焦がし闇の中に勢いよく引き摺り込んでいく。焔に焼かれた場所を再成しようとする大蛇の細胞の気配は感じ取れるが、焼かれた頭の再成を待ってやるほど鵺だってお人好しではない。
射干玉の闇の中、あの土蔵に独り永久に封じる。
どんなに力が強くても、あの場所は約束を果たさない限り鍵は現れないし、閉じ込めた瞬間に鵺は鍵は叩き壊すつもりだ。そうしてあの土蔵の成り立ちを知る自分が燃え尽き消滅すれば、何もかもが終わる。
《沈め》
勢いよく身を焦がす青白い焔を全身から上げながら鵺は、自分ごと大蛇を泥のような闇の底に引きずり込んでいく。その時沈み行く鵺の世界の中で、悲しげに自分を見つめる陽光のような髪をした人影を鵺は思わず見上げていた。カズキが最後に色を変えていた双子のような髪、明るい金色の髪をしたカズキの幼馴染み。やはり似ていないのに、こうして見ると不思議とよく似ている。
カズキ…………
心の中で呼び掛けても意味はないのに、彼を見ると尚更哀しくなった。こんなことだったら例えこの醜い姿を見られてもいいから、ちゃんと最後にカズキとお別れをしておけばよかった。そう哀しく思うと心は揺れて、燃え尽きていく体の痛みよりも心が痛む。まるで人間のように何もかもを失った心の痛みに視界は、ユラリと万華鏡のように涙に揺れているのに感じる。
そうして、鵺は初めて誰にも災厄を引き寄せないようにと、そっと沢山の願いを込めて最後に一声だけ小さく哭いていた。
頼む
そう告げる声が疲れはてている身体を突き動かして、我が子の元に引き寄せようとする。それがどんなに無謀で危険なことなのかは理解していたし、またこうして闇の底から這い出すための力だって今の鵺の身体には残されていない。それでも悲鳴のようなリュウヘイの声が鵺を突き動かしたのは、頼みたい事が残してきた唯一の我が子の為だから。カズキのため。
ギシギシと身体が軋み痛みどころではなく、何かがブツブツと切れる音がしていく。これ以上闇から這い出すのに力を使ったら、自分の存在事態が危うい。
すまない、頼む
それでもリュウヘイの言葉に、鵺は全力でカズキの元に向かう。
それなのに
何とか鵺が闇から這い出たとほぼ同時に目の前で、その魂は鵺の目の前で破裂して飛び散ってしまっていた。まるで一瞬で踏み潰された花弁が無惨に引きちぎられるように、パチンと弾けて四散して粉々に砕けて、咄嗟にリュウヘイの時のように手を伸ばすことも出来ない。
闇から這い出した鵺の目の前には滓の靄から生まれ落ちたのだろう名前もない異形の大蛇が存在していて、それがミウラカズキの身体ごと全てを飲み下してしまっていた。巨大すぎて現実味のない蛇は何処か滑稽に、ニタリと笑う道化にみえる。抱き締めることも、水面の底に流れるのを引き留める事も何一つできず、カズキの魂が鵺の目の前で砕かれキラキラと花火のように舞い散っていく。
カ、ズキ?
こちら側に連れ帰ってと願って、カズキを彼らに託したのは鵺自身。そして確かにここまでカズキの幼馴染みの青年だという彼らは、滓の靄の立ち込めているとはいえ現実世界までカズキを連れて戻ってきてくれていた。カズキを連れて帰れば、結果としてカズキが警察に捕まり死刑になるのだとしてもちゃんと約束通り、彼らの産まれた世界まで。それなのに今のここにはカズキの血の臭いが充満していて、目の前の異形のものが鵺の大事な我が子を…………
私の………………俺の………………
瞬間、鵺の胸は張り裂けんばかりの哀しみに呑まれていた。鵺自身の感じる深く暗い哀しみと残された魂も同調し、それは一瞬にして耐えがたい程の痛みに変わって鵺をあっという間に深々と呑み込んでいく。目の前の異形が自分よりも、力も存在も格上の存在だろうと関係がない。それは鵺とリュウヘイの大切な子供を目の前で殺したのだ。
ごめん
そうキラキラと舞い散る魂の欠片から、ほんの微かなカズキの囁く声がしていた。遠くて弱くて、リュウヘイの魂よりもずっと淡く消え去りつつある魂の言葉。それが遠退きながら、謝り、泣いている。助けて貰ったのに、アキコにちゃんと戻って大丈夫だったよと言わなきゃならないのに、こんなところで死んじゃってごめん。簡単には死なない筈だったけど、自分の腕から出てきた化け物に食われて死ぬなんて。でも、幼馴染みを守りたかったんだと訴える。失ったものの大きさを知る痛みが再び深く魂に刻み込まれて、それは自分に与えられる罰のように、大事なものをまた目の前で奪われてしまった哀しみが渦のように胸を支配していく。また強いどす黒い滓のような哀しみと怒りが、胸の中に沸き上がり満ちて鵺を変容させようとするみたいに支配する。
ヒョウ!!!
哀しすぎて、寂しすぎて、狂う。そしてそれを肯定するような和希の声が。
ごめん、アキコ、こんな風になっちゃって
目の前でガチンとカズキの血の臭いを撒き散らす大蛇の腮が咬み合わさり音を立てるのに、鵺が感じているのは止めようのない激しい哀しみと怒りだった。目の前のこの蛇は鵺とリュウヘイの大事な子供を目の前で食ってしまった、やっと友人達に連れ帰って貰えた筈の可愛い哀れな我が子を。骨が軋むほどの怒りと哀しみでギシギシと体の中が組み替えられるような、全身を流れる血脈が全て滓に変えられ焼けつくような苦しさ。だがそれすら凌駕する程に、鵺の激しい怒りと哀しみの方が遥かに勝る。
ビョウ!!!
既に今までのような哭き声にはらなず、この音には誰も気がつきもしない。それは既にこの哭き声が変質して意図しないと耳には届かないものになり果てているからだ。哀しく寂しく辛く、それを与えたモノを許しはしない怨嗟の哭き声。
ビョウ!!ビョウ!!
その声は鵺の元であったアキコが生まれ育った東北の冬のように凍てつく風を孕んで、鵺の白銀の毛並みを激しく逆立てていた。
目の前で更にカズキが助けようとした青年に再び体をくねらせ蛇が襲いかかろうとした瞬間、鵺は地鳴りのように地面を踏み鳴らし蛇の尾に向かって全力で牙を剥き食いついていた。人面には不釣り合いに突き出した牙を突き立て、ギリギリとそれを食い込ませて口の中に不味い滓のような味のする蛇の体液が広がるのを無視する。雨と湿度で温く漂っていた筈の空気が、鵺の全身が放つ風で氷のように冷えて再び靄が地面から立ち上がっていく。それに驚いたように蛇が空気を震わせ、人とは違う音で闇夜に響くガラガラと言う声で叫ぶ。
《な、ぜ、じゃま……するぅううう、おまええぇぇ!》
何故?愚問だ。巨大な大蛇の尾の上でギラギラと怒りに震える碧く光り輝く宝石のような瞳をした鵺は、全力でその滑り逃れようともがく肌に深々と黒曜石の爪を突き立てていた。その姿を周囲にいたカズキの幼馴染み達にみられようが、もうなにも構うものか。
四つ足の銀の毛並みした虎、太く醜い蛇の尾、そしてそれに据えられたこの人面。それをカズキには曝したくなかったのは我が子にこの姿を見られたくなかったからで、その我が子はもうここにはいないのだ。闇の中から大きく身を乗りだした鵺は全身から更なる威圧の風を吹き出し、毛を逆立てながら苦悩に満ちた嗚咽の声をあげていた。
《私の子……私の子供…………………よくも………。》
《はなせぇえええ》
大蛇の腮がガチン・ガチンと音をたてて噛み合わされるのに、尾を抑え込んだ白銀の獣はギジギジと肌に爪を立てたまま自身の蛇尾を振り立てて更に鋭く高らかにヒョウと哭いた。そして改めて災厄を呼ぶ哭き声を叩きつけられた大蛇は、鱗を逆立てて、その場に不安げに凍りつく。
《お、おまえ、な、なんだ、おまええぇぇ!ぬえか?鵺……?》
《我が子を喰ったな……?大事な私の子を傷つけたな…………?》
ギラギラと憎悪に碧く光り輝く瞳をして、呻くように言う。そうしながら、鵺の瞳は今も滂沱のごとく涙を流してもいる。体内のリュウヘイの魂も鵺と等しく涙を流していて、それは全身を震わせる程に哀しく寂しく辛い。大事なカズキ、せめてこちらの世界で穏やかに死ねたら、そう思ったから彼らに託して返したのに。まさか自分の体から化け物を生み出して、それに食われるなんて、滓は自覚しなければ溜まらないのではなかったの?そう考えた途端、表には見えなかった滓がシュンイチの顔から噴水のように溢れだしたのを今更のように思い出す。
ああ、私が愚かだった、
そうなのだ、表には見えなくても滓は存在する。地の底の自分が生まれ落ちるほどの闇の中に溜まり淀み、流れることもない滓があることをちゃんと知っているのに、何故こんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。全てがそうではないにしろ、人間の身体は時に滓の淀みと無意識に繋がる扉になりうるのに違いない。タガアキコのように、『経立』の家系のように、ヤネオシュンイチのように、そしてミウラカズキのようにだ。そして滓の中からは自分や『件』や、ヤネオを呑み込んだニヤニヤと笑うような異形、そしてカズキの腕から生まれたらしい、この大蛇のような化け物を生み出す。
それにあの時、竹林の中で鵺は気がついていた筈だったのに、カズキだけは違うと何故過信してしまったのだろう。もしそうであれば共に朽ちるのも覚悟で向こう側に一緒に連れていったのに、一緒に何時までも向こうで朽ち果てるまで自分が傍に居てやったのに。
あの子は沢山滓を纏っていておかしくない子だったのに、扉となっていておかしくない子だったのに
浅はかな過信で我が子を死なせてしまった現実に、そして同時に我が子から生まれ落ちながら自分自身を食い殺してしまった大蛇に鵺は怒り悲しみ嘆き叫んだ。何故こんなにも間違いばかり繰り返させるのか。ヤネオの『件』は、この災厄を予言していたのだろうか。それとも自分達の災厄は、ヤネオの災厄ではないから、予言はなされないものなのか。鵺は未だに止まることなく涙を流しながら、子を亡くした怨嗟を大蛇に向かって叩きつける。
《許さないぞ、人でなしが…………災厄に沈め。》
大蛇は黒く太く滑る尾を、突然背後の闇から現れた鵺に深々と喰いしめられていた。一見爪をたてただけに見えても、既にその爪は深々と地面に貫通するほどに突き刺さり肉を貫き脊柱を粉々に砕く。そして怨嗟の声の奥で鵺は、その蛇を許さないとあの世界に引きずり込む。
ズブリ…………
突然地面が豆腐のように脆く崩れながら、重さに耐えきれずに蛇の身体を呑み込み始める。それから逃れようと身をくねらせる蛇に胴体の上から怨嗟の声と共に、鵺は汚泥の底に蛇を引きずり込もうと力をかけていく。更なる力の行使にギシギシ・ゴチュゴチュと奇妙な音が体内に響くのを、鵺は完全に無視していた。もうそれでこの体か粉々に砕けて塵になっても、この存在が終焉を迎えても構わない。だから鵺は最後の灯火のように、自分の存在の全てをなげうって発光体のように白銀に体を光らせて全力で哭く。
《は、なせええぇえええ!!》
あの架空の世界の土蔵にこの蛇を投げ込む。自分事あそこに落ちこの蛇を土蔵の奥に投げ込み鍵をかけ、その鍵を永遠に外せないよう叩き壊す。そして二度と誰もよらないようにあの世界ごと鵺の中に封じ込めて、自分の亡骸と共に闇の底に沈めてしまうのだ。例え何千年か後に鵺の亡骸を他の異形が喰らって、土蔵への道を見いだしても鍵もなければ土蔵を出る条件も永遠の闇の中。二度とこの蛇はあそこから出られない。それが今の鵺に自分に出来る最大の報復で、ギラギラと碧く瞳を怒りで輝かせて、鵺は低く怨みの声を蛇に向かって放ち続ける。
《お前は、私の子を殺した…………、決して許さない………………決して!!》
人間でもない化け物の癖に、我が子…………子供の怨みだなどと馬鹿なことだろう。そんなことは自分でも理解しているが、それとこの母としての感情は言葉で説明できるものではない。子を失った親の怨みがどれ程深く強いか、他人には絶対に分かりもしない。そして目の前の化け物には、この鵺が全身全霊で呼び寄せた更なる災厄が迫っていた。
力を使い果たし残る体の全てを最後の怨みの焔に変えて、鵺は我が子を死なせてしまった悲しみを青い焔に変えて一気に蛇の頭を燃やし尽くす。それは我が身だけでなく胎内に残していたリュウヘイの魂も共に焼き付くして、我が子の体の臭いのする化け物の体を焦がし闇の中に勢いよく引き摺り込んでいく。焔に焼かれた場所を再成しようとする大蛇の細胞の気配は感じ取れるが、焼かれた頭の再成を待ってやるほど鵺だってお人好しではない。
射干玉の闇の中、あの土蔵に独り永久に封じる。
どんなに力が強くても、あの場所は約束を果たさない限り鍵は現れないし、閉じ込めた瞬間に鵺は鍵は叩き壊すつもりだ。そうしてあの土蔵の成り立ちを知る自分が燃え尽き消滅すれば、何もかもが終わる。
《沈め》
勢いよく身を焦がす青白い焔を全身から上げながら鵺は、自分ごと大蛇を泥のような闇の底に引きずり込んでいく。その時沈み行く鵺の世界の中で、悲しげに自分を見つめる陽光のような髪をした人影を鵺は思わず見上げていた。カズキが最後に色を変えていた双子のような髪、明るい金色の髪をしたカズキの幼馴染み。やはり似ていないのに、こうして見ると不思議とよく似ている。
カズキ…………
心の中で呼び掛けても意味はないのに、彼を見ると尚更哀しくなった。こんなことだったら例えこの醜い姿を見られてもいいから、ちゃんと最後にカズキとお別れをしておけばよかった。そう哀しく思うと心は揺れて、燃え尽きていく体の痛みよりも心が痛む。まるで人間のように何もかもを失った心の痛みに視界は、ユラリと万華鏡のように涙に揺れているのに感じる。
そうして、鵺は初めて誰にも災厄を引き寄せないようにと、そっと沢山の願いを込めて最後に一声だけ小さく哭いていた。
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