フォークロア・ゲート

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海の底の妖精の里

14.ロウ・フォード

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気がつくとそこは平らで巨大な珊瑚の階段の上だった。ロウは呆れたように緑の蔦が縁に彩られた眼鏡を中指で押し上げ、ユックリと辺りを見回す。見上げた頭上には水面が逆さまにキラキラと光を反射して揺らめき、辺りは射し込む光の帯がユラユラと揺れながら照らし出している。

これはまた、随分と奇妙な世界に落とされたもんだな。

微かに水に気泡が沸く音が立ち上ぼり、ここが水の底なのだとは感じるが体は濡れる気配がない。その上呼吸も問題なく出来ている時点で、ただの水の底では無いことも明らかだ。思わずポケットに手を入れて、再びポケットの中にタバコがないのに落胆する。

まあ、水の中で駄目にするよりましか。

溜め息混じりに辺りを眺めたロウは、カツンと足音をさせて珊瑚の階段を降り始めた。サクリと足元が柔らかい砂地に変わり、両側を宝石のような色とりどりの珊瑚の林が挟む。紅梅や白梅とか言う東洋の庭園のような景色に、ロウは感嘆の視線を向け眼鏡を押し上げた。

『貴方、何処からいらしたの?』

不意にかけられた声にロウが振り返ると、そこには珊瑚の木の枝に女性が天女のように腰かけている。美しいプラチナブランドだが、瞳は青水晶のように深い海の色をして唇はサファイアの色。普通の人間とはかけ離れているが、その見目は東洋的でかなり麗しい。女性は東洋の衣装の様な前あわせの、着物の裾を木の枝の上でユラユラと揺らめかせロウの事を見下ろしている。

「さて?自分でもわからんね。ヴァイゼの奴に井戸に突き落とされたんでね。」
『ああ、貴方ブルンネンの扉からいらっしゃったのね。旅の方?』

女性のたおやかな声に、井戸の事をそう呼ぶのかとロウは微かに口角をあげ苦笑いを浮かべた。異世界を渡るのを旅と言えばそうかもしれないが、ほぼ無理矢理に巻き込まれている自分は旅をしていると言えるのだろうかと思い口にしかけたのだ。女性は不思議そうに首を傾げ、その様子を眺めた。

「そう言うあんたは、誰か聞いても?」
『ワタクシ?ワタクシはグウレイグよ。旅の方。』

彼女は柔らかく微笑むと珊瑚の枝に頬杖をついて、珍しそうにロウの事を眺め続ける。

『それにしても、稀人に貴方まで。最近は海の底の里を訪れる方の多いこと。』
「稀人は今何処に?」

珊瑚の枝に頬杖をついたまま、グウレイグは微笑みを浮かべながら首を傾げ金糸のような髪を掻きあげた。そうして彼女は周囲に金魚を舞わせ、ロウに問いかける。

『ワタクシ、まだ旅の方のお名前を伺っていないわ。』

そう言われればロウは自分の名前を告げてはいない事に気がつく。

「ロウ、ロウ・フォードだ。グウレイグ。」
『ロウ……。』

グウレイグは何が思案するように黙りこんだが、やがて柔らかく微笑みを浮かべながらロウを見下ろした。金糸の髪を掻きあげてグウレイグは、微かに目を細めながら顔を少しロウに寄せる。

『ミスター・フォード、ワタクシのお願いを一つ聞いていただけないかしら?』
「出来ることに限るがね、グウレイグ。あと、ミスターは不要だ、ロウと読んでくれ。」
『簡単なことよ、ロウ。』

グウレイグは顔をあげて砂地の小道の先を、青い爪の指先で指し示した。

『この先にセルキーと呼ばれる種族がいるの、ロウ。』

セルキーは海豹の皮を被った妖精で、瞳はグウレイグと同じく青い瞳をしているのだと彼女は説明する。時には皮を外して人の姿に変身もするようだが、大概穏やかな種族で海豹の姿で過ごしているらしい。

『彼らにグウレイグの使いできたと言ってくれれば、品物を渡してくれるわ。これが対価よ。』

彼女の伸ばした指先の下にてを差し出すと、そこに幾つかの金色の塊が転がり落ちる。どうやらお使いに行って欲しいと言うことらしいと、ロウが見上げると彼女はそのうちの一つを指差した。

『貴方にもそれを差し上げるわ、その中の一つは元々貴方のものですものね、ロウ。』

どう言うことかと見下ろすとそこには金色のネジが一つ紛れ込んでいるのに気がつく。摘まみ上げ眺めている内に、ポケットの金の懐中時計を思い出した。ポケットから取り出した金の懐中時計の天辺にあいたネジ穴にそれを差し込むと元々そこに嵌められていたものらしく噛み合うのが分かる。

「ありがたいね、グウレイグ。」
『構わなくてよ、ロウ。ワタクシの頼みも聞いていただくんですもの。』

そう言われてロウは頷くと、グウレイグの指し示した道のりを進み始める。何気なく懐中時計を手に、嵌められたネジの頭を押すとカチンと音をたてて蓋が開く。手の中の懐中時計には、錆びもない綺麗な真っ白な文字盤がある。しかし、そこには大事なものがないのに、砂地の道を歩きながらロウは眉を潜めた。

役にもたたないな、これじゃ。

やっとのことで開いた懐中時計の中には、短針どころか長針もない。ただ秒針だけが規則正しく文字盤の上で動き出している。ロウは呆れたようにそれを閉じると、何気なく耳に押し当てる。カチコチと中で音が微かにしていて、金のネジのお陰で時計の内部が動き足したのが分かった。フムと思案しながら、ロウはコートに手を入れてサクサクと足音をさせながら先を急ぐ。

『おい!お前!』

暫く歩き続けたロウに唐突に声がかけられた。それは子供のような甲高い声で、ロウは何気なく辺りを見回した。

『おい!そっちじゃない!お前!』

グルリと巡らせた視線に声の主らしきものが見当たらず、ロウは顎に指を当てながら辺りを囲む珊瑚の木々の枝を眺める。グウレイグの使いと考えていたせいか、木の枝に何かがいるのかと探している自分に気がつく。

『おい!いい加減にしろ!足元だ!!』

偉そうな口振りの声につられて、ロウは足元に視線を落とす。そこには写真などでよく見る真っ白な海豹の子供が、必死に頭を持ち上げロウの事を見上げている。思わず首元を摘まみ持ち上げると、海豹の子は慌てたように短い手足をバタつかせた。

『何だ!何する!お前!!』

見た目は確かに海豹の子供といった様相だが、瞳はグウレイグと同じ青い水晶のように輝いている。猫の子のようにぶら下がった体勢で、ジタジタと短い手足をバタつかせているのをロウは物珍しげに眺めた。

「海豹が話すのか。」
『海豹じゃない!セルキー様だ!』

成る程これがグウレイグの言っていたセルキーかと納得しながら、グウレイグは海豹の皮を被っていると話していたなとその体を眺める。見た限りジッパーの様なものはないようだがと眺めていると、海豹擬きはロウに届かない手足で空を掻く。

『お前ぇ!セルキー様の体を舐めるように見るなんて、何て奴だ!』
「人聞きが悪いな、セルキーとやら。グウレイグが皮を被っていると話したから見ただけだ。」
『グウレイグ?何だ、お前グウレイグの使いか?』

グウレイグの名が出た途端、セルキーの態度が軟化してそれでも偉そうな口ぶりで早く下ろせと命令する。砂地に下ろされたセルキーは、ロウに向かって短い前足を差し出した。ロウは思い足したように、その前足にグウレイグから渡された金色の塊を乗せてやる。暫く手の中のそれを眺めたセルキーは、それを体毛の何処かに隠すと短い手を使って甲高い口笛を吹いた。

何だ?

珊瑚の木の合間から、ピョコピョコと同じような海豹擬きが顔を出し始めその内の一頭が篭のようなものを頭に乗せてヨチヨチと砂地に這い出した。

『グウレイグの品だ。使いの男。』

篭には油紙のようなもので綺麗に包み込まれた塊が、一つ乗せられている。ロウが篭からそれを取り出すと、篭を乗せたセルキーはヨチヨチと珊瑚の木の群れの中に戻っていった。どうやらあの偉そうな口ぶりのセルキーが、この群れのボスなのかとロウは手にした包みを見下ろす。多数のセルキー達が興味津々でロウを眺めているのを肌で感じながら、ロウはセルキーに礼を言う。

『お前、使いは始めてだな?』
「ああ、そうだな。」

セルキーがその言葉に、少し頭を持ち上げ命令するような口調で話し始めた。

『いいか、そいつの匂いに引かれて、ウォーター・リーパー達がやって来る。食われないように気を付けろよ?』
「なんだと?!」

手にした包みからは何の匂いもしないが、海豹擬きが嘘を言う必要もない。ということはさっさとグウレイグにこれを渡す必要が出来たことになる。急げよとセルキーが告げて砂地を戻っていくのを見届け、ロウは再びサクサクと砂地の道を戻り始めた。

ウォーター・リーパーとやらはどんな奴か聞いておくんだったな。

そう頭の中で考えた瞬間、頭上に影が射して日を遮ったのに気がついた。思わず頭上を見上げると今まで泳いでいた魚とは似ても似つかない、巨大な魚影が頭上に群れをなして泳いでいるのをロウは呆然と見上げる。

まさか、こいつか?

巨大な蛙の体に魚の長い尾ひれ。手の代わりのひれを翼のようにはためかせた、大型犬ほどの大きさの化け物がロウの頭上に群れを作り始めている。巨大な蛙の口では下手すると、包みどころでなく体にまで食いつかれそうだ。ロウは咄嗟に砂地を蹴って駆け出したが、思った通りそれは群れのままロウの後を追いかけ始めた。

何てこった!泳ぐのと走るのじゃ速度が違うぞ!

柔らかい砂地がロウの蹴り足を鈍らせ、本来よりも速度が上がらない。それを知っているようにひれを力強く動かすウォーター・リーパーの群れが、ロウの背後から勢いよく迫ってくる。

くそっ!追い付かれるぞ?!

先頭のウォーター・リーパーがコートの裾に噛みつこうと口を開けたのを感じて、咄嗟にコートを引くと裾に弾かれて一匹がゴムボールのように跳ばされた。息を切らせて駆け続けながら、時折コートの裾と足で群れから飛びかかってくるウォーター・リーパーを撥ね飛ばす。
やっとのことで砂地の道の終点が見え始めると、砂地の道の真ん中に佇むグウレイグの金の髪が靡いている。

「グウレイグ!危ないぞ!」
『構わなくてよ?ロウ。早くワタクシの後ろに。』

ユッタリとした様子のグウレイグに眉を潜めながら、言われたとおり背後に滑り込む。グウレイグはその場に佇んだまま、青い瞳で真っ直ぐにウォーター・リーパーの群れを眺めたかと思うと突然口を開いた。その口の前に唐突に小さな渦が巻いたかと思うと、渦は真横に巨大に膨れ上がってウォーター・リーパーの群れを全て呑み込んだ。パクンと口を閉じたグウレイグの先で、大量のウォーター・リーパーを巻き込んだ渦が道の先へ駆けていく。

あの渦、セルキーの群れまで飲まないだろうな。

一瞬そんなことを考えたロウを気にするわけでもなく、グウレイグの放った大渦はあっという間に道の先に消え見えなくなった。そんなことをして見せたことなどスッキリ忘れたかのようにグウレイグが、微笑みながら振り返る。呆れ果てたように砂を払いながら立ち上がったロウが、差し出された手に包みを手渡すと彼女は満足そうに微笑んだ。

「一体そりゃなんなんだね?グウレイグ。」
『チーズよ、ワタクシの大好きな。』

一包みのチーズのために巨大な蛙に襲われたのかと呆れたように彼女を見下ろすと、グウレイグは気にもとめない様子で満足そうにロウを見上げた。

『貴方、稀人をお探しだったわね、ロウ。』

そう言われて先にグウレイグに稀人の事を問いかけていたことを、ロウも今更のように思い出した。グウレイグはたおやかに微笑みながら、珊瑚の階段の上を指差す。

『彼女はここを上がって駆けていったわ、途中ペグ・オネルに出会ってしまったけれど。』
「ペグ・オネル?」

グウレイグは悪戯めいた表情を浮かべ、声を潜めたかと思うと少し首を傾げて見せる。

『哀れな女、海の底をさ迷い探し物を続けている。』
「何を探してるんだ?」
『さあ、わからなくてよ?ペグ・オネルは何を探したいのかワタクシ達には教えないもの。』

微笑んだグウレイグは包みを抱え、宙にフワリと舞い上がる。天女が宙を舞うように見えるが、ここは水の底をなのだから正確には泳ぎだしたのだ。

『ロウ、貴方にお使いの対価がまだだったわ。』
「金のネジを貰っただろう?グウレイグ。」
『それは元々貴方の物だから、対価にならないと思わないこと?』

律儀な事だとロウが肩を竦めるのに、グウレイグは舞うように泳ぎながら先程まで腰かけていた珊瑚の枝から一揃えの馬の手綱を取り上げた。

『これをあげるわ、この先で役に立つ筈。気をつけて先をお進みなさいな、ロウ。』

そう言うとロウの手に手綱を滑り込ませる。礼を言おうとロウが視線を上げた時には、グウレイグは遥か遠くまで離れてしまっていた。世にも珍しい水中の天女の姿を見送って、溜め息をついたロウはコートの中の金の懐中時計を握るようにして取り出すともう一度眺める。

シルキーもグウレイグもこれをロウのものだと言った。

こんな金時計を手にした記憶があっただろうか、しかも、この島の様々な場所から辿り着くこの奇妙な世界で自分の物を見つける何てありうるのだろうか。考えても答えはでないし、この珍妙な世界は何処からでも扉さえあれば辿り着ける可能性が無いわけではない。とは言え、情報は少なく、稀人と呼ばれる人物が何を求めてここにいるのかも未だに分からない。
ロウは深々と溜め息をついてコートのポケットに貰った手綱と金の懐中時計を突っ込み、最初に降りた珊瑚の階段を今度はユックリと登り始めた。
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