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4月

閑話77.五十嵐海翔

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田舎の結束力は都会の高校にはない筈だ。そう思っていたけど、ヤッパリ高校はどこも同じ環境に過ぎない。少しテレビに出てるから調子に乗っていると蔑む奴と芸能人にお近づきになりたい奴と、後は教師のご機嫌とりをしたい奴。そんなことないと綺麗事を言う奴もヤッパリ何処にでもいるわけで、しかもこのクラスにはそんな類いの奴が揃っていたらしい。折角公園の彼女が同じクラスにいたのに、話しかけるのにも苦労する始末だ。

それにしてもヤッパリ他の奴とは違う。

宮井麻希子は他の同級生と比べても特殊だと思う。さっき上げた全くどれにも属さない相手ってのは、海翔にしてみればかなり珍しい。自分のファンだという他の女の子から聞き出したところによると、去年一つ上にいたイケメンの先輩から凄く可愛がられていたけど全く靡かなかったという。まあ表だって靡かなかったからと言って本当に靡いてないかは分からないし、その女の子の情報では映画館の前に二人でいたとか校外で並んで歩いていたとか、スーパーで一緒に買い物をしていたとか。

そいつが恋人ってことか?

一つ年上でイケメンで背が高くてモテ男。何か最近出会った外人を思い出させて無性に勘に障るフレーズだが、今は学校にはいない訳だから会えない時間が延びているはず。何でそんなに麻希子を気にしてるのと逆に問いかけられたが、それに答えてやる筋合いはないと思う。

ずっと昔、子供の頃一度出会った事のある女の子に似てる。

正直なところきっかけはそれだけ。当人かどうかも知らないし、あの時の出会った喫茶店が何処にあるのかすら記憶にない。母方の祖父母が以前住んでいたここいら周辺の喫茶店な筈だけれど、五歳前後の記憶だから全くもって確かなことは覚えていないのだ。それに、幾つかここいらの喫茶店を巡ってみたが、それらしい場所は何処にも見つからない。結局喫茶店自体がここいらの事ではないのかもしれないが、それは海翔にも説明しようがないのだ。その子によく似た雰囲気の宮井麻希子に一目惚れしたから、そう言っても他の人間にはきっと理解できない。
運良くその日は普段から邪魔な香坂と言う奴が、学校を休んでいて傍に行ってもあからさまな邪魔が入らないのだ。だから今日は彼女から話が聞ける。

「源川って先輩が彼氏?」
「違います。」

かなり食いぎみに速攻で否定された。この様子だと確かに彼氏ではなさそうだから、校内で仲良さそうな他の奴なのかもしれない。今のところ眺めていると香坂と真見塚に澤江。男でよく話すのはこれくらいだが、宮井の周りは人が絶えないからよく分からない。男子も女子も関係なく気がつくと人に囲まれていて、笑いが絶えない様子なのだ。

不思議だよな、誰も嫌な顔してないし

源川って先輩も態々年下の学年の教室まで来て構っていたと言うから、もしかしたらソイツも彼女に気があったんじゃないだろうか。

「校内にいるの?彼氏。」
「答える必要ないです。」
「いないのにいるって嘘ついてる?」

試しにそんなことを聞いてみると、呆気にとられた顔をして真ん丸な宝石みたいな瞳が海翔の事を見つめる。ほんと純粋そうに海翔の事を真っ直ぐに見つめてくる瞳が、あの子によく似てると思う。

「何でそんな事する必要ありますか。」
「ないなぁ。」

態々嘘をついてまで海翔を避ける必要は彼女には全くないし、そんな彼女が彼氏がいると話せば本当にいるのだ。それを聞いて本来なら諦めるべきなのだとは思う。思うけど、あの子によく似ていて構いたくなる。ふぅと溜め息混じりに彼女が、周囲を気にしたのに気がつく。

「女の子の視線が痛いんですよね、他の子とも均等に差別せず仲良くして下さい。」

え?と思うが、確かに教室の入り口に自分を眺めに来ている女子はいる。でも、あんなのはパンダを見に来ているのと同じで、別に気にする事もないんだと海翔は思う。それより誰よりも優先して話しかけられるのには、彼女は何にも感じないんだろうか。

「何で宮井さんは喜ばないのかなぁ?こんなにアプローチしてて。」

苦笑いでそう呟いた瞬間、間に割ってはいられたのに海翔は一瞬香坂が遅れて学校に来たのかと思ったくらいだ。ところが間に割ってはいったのは須藤とか言う、普段から彼女と仲の良さそうな女子だった。

「五十嵐に魅力がないからだよ。」

カチンと来ることを平然の言ってのけて、しかも折角の会話を断ち切られたのに憮然としてしまう。どうにも香坂とか須藤とか、彼女と仲良くなろうとすると邪魔してくる人間が多すぎる。まるで保護者のつもりで親切にしてやってるみたいな顔で、しゃしゃり出てくる奴が何でか多いんだ。

「宮井さんの彼氏は魅力的ってこと?」
「少なくとも麻希子が困ることは絶対しないから、今のあんたよりは魅力的だね。」

香坂かと思うような辛辣さで言い放たれたが、困ると言う言葉が気にかかる。この須藤の口ぶりは、まるで困らされた経験が彼女にはあるみたいに聞こえるからだ。須藤はクラスの入り口に屯している他のクラスの女子に、チラリと視線を投げる。

「あのギャラリーの前で麻希子だけ構われたら、麻希子が嫌な思いするとか考えれないの?あんた、芸能人でしょ?少しは状況見なよ。」

自分を見に来ているだけの女子が、何故彼女を困らせるのかと聞かれると正直なところよく分からない。今までだってクラスに覗きに来る女子はいたが、それが何か問題を起こした経験はないのだ。それでも彼女を守ろうと口を出した須藤の言葉は、海翔も少し検討しないといけない気がする。
直後に彼女が慌てて須藤を連れ出したけど、他のクラスメイトが入り口にいる女子を威嚇しているのが分かる。後から見に来ていた女子に話を聞くと、去年も同じように眺めに来ていた女子に彼女は虐められた事があったのだという。

なんで、彼女を虐めるんだ?

客寄せしてるのは自分であって、宮井麻希子ではないのにとつくづく思う。以前の学校ではそういうことは起きなかったのに、ここでは下手に放置も出来ない。

「ってことがあって、栄利さんはどう思う?」
「その女の子の言うの当然じゃない、あんた鈍いわねぇ。」

栄利彩花は事務所の先輩で稼ぎ頭の一人だが、海翔にとっては話しやすい姉御といった立ち位置だ。事務所に顔を出したら一人で休憩していた栄利に昼の話を話すと、鈍いの一言で笑われてしまった。

「だって、今までは何も起きてない。」
「あんた一人だけ話しかけてるんでしょ?女って嫉妬すると男にじゃなくて女に攻撃するもんよ?」
「でも、彼女と付き合ってる訳じゃない。」
「お子ちゃまか、あんた相変わらず人付き合い下手なのね。」

うっと言葉に詰まる海翔に、栄利は呆れ顔だ。元々余り人とのコミュニケーションが上手くないから、モデルでもやってみたら社交的になるかと両親は思ったらしいのだ。でもそう簡単に社交的になって友達になれるような仕事ではない訳で。しかも、前の学校ではモデルや俳優のせいで、余計に同級生からは遠巻きにされてしまっている。

「挨拶から始めたら?」
「出来るかよ。」
「そこで出来ないとこが、お子ちゃまだっての。」

そう栄利に笑われても、既に新学期が始まって挨拶をしてくれていたクラスメイトも次第に遠巻きになり始めているのが現実なのだ。それを思うとつい溜め息が溢れ落ちてしまっていた。



※※※



「五十嵐。」

真正面から話しかけられたが、出来ることなら聞かなかったことにして通りすぎてしまいたい。担任の土志田悌順は体育の教師で、正直熱血漢な雰囲気が鬱陶しいと思う。よくある熱血教師の典型みたいに、海翔にことあるごとに話しかけてきたりする。しかも、会話の内容が体育教師だけあって、慣れてきたかとかほんの他愛のない日常会話なのがムカつく。

「何ですか。」
「お前、部活どうする?」

部活動なんかやるつもりはないし、正直忙しくてそんなのやってられるわけないのがこいつは分からないのだろうか。舌打ちしたくなるのを堪えながら、廊下を塞ぐようなデカイ担任の足元をみる。

立端が百九十って何食ったら育つんだよ、脳筋の癖に。

実際には何歳なのか知らないが、担任と並ぶと自分は二十センチ近く低い気がする。あの時のウィルとか言う外人もムカつくけど、こいつも担任だけでなく生徒指導なんてものまでやってるというから、ノホホンと体育だけやってりゃいいのにと心の中で悪態をつく。

「お前忙しいのは分かるが、部活動しないなら申請、書きにこい。」
「は?」

何処にも所属しない場合は申請を書かないとならないのだという。だったら最初から用紙を持ってきて渡せよ、そう心の中で呟くと、それがまるで聞こえたみたいに担任は職員室に来るだけだ、たいしたことないだろと言う。

「なら先生が書いておいてくれたら良いんじゃないですか?」
「手続きは自分でやる、その年なら必要なことだと思うがな。社会に出ると当然だろ?」

いちいち勘に障る言い方をする奴だ。何処にもこんなタイプの教師は一人か二人はいるものだけど、土志田は痛いところをついてくる割合が高い。まるで子供扱いされているようで、言われたことが尚更勘に障る。だから夕方の事件の時は、少し困らせてやろう位にしか考えなかった。

「関係者以外は校内に立ち入り禁止です!」

態々出てきて土志田がそんなことを言う。直前彼女の保護集団がまた迷惑かけるなという趣旨の発言してきたせいで、海翔自身苛立ちもしていた。偶然一緒に帰れそうなタイミングをあからさまに邪魔されて、面白いはずがない。そこに偶々自分のファンらしき女性三人が加わった後の土志田の言葉に、黙ってろよと心の中で悪態をついてしまう。

「うるせぇな、先生面してんなよ。校門からほんの数メートルだろ?!」

そう口から出たら、自分のファン達がそうだそうだと調子に乗り始める。高々入り口からほんの数メートル入った程度で、何でここまで煩いのか理解できない。校舎に入ったわけでもないし何も壊したりしてるわけでもないそう思うけど、心の片隅には自分がくだらない八つ当たりしているだけだとも思っていた。三人の女性はあっちいけとかファンの熱意を踏みにじってただですむと思うなとか訳の分からない悪態を土志田に投げつけ始める。土志田は言いたい放題言われていても手が出せるわけでもないし、関係者以外校内から出てくださいとしか言えない。手を出したら生徒もいるわけだし、大問題というわけだ。案外ちゃんと物事を分かってるんだなと、うっすら感心してしまう。繰り返される土志田の言葉に甲高く女性が叫ぶ。

「うっさいな!あっち行けよ!おっさん!」

流石にこの騒ぎに他の教師が気がついて昇降口から出てくるのにも、勢いづいた三人は口汚く罵り続けている。女ってどうしてこう口が達者なんだろうなと、思わずにやけてしまう。教師の立場では怒鳴ることも手を出すことも出来ない土志田に、見ている海翔としては胸がスッとする。

「何なんですか!あんたら!」

貧相な教頭が駆けつけてきて怒鳴り声が響いた瞬間、女の一人が苛立ちに興奮してバックから取り出した円筒みたいなものの蓋を開けるのが見えた。何で女って水筒持ち歩くのかよく分からないが、こういう時に使うもんじゃないだろと思った時点で既に遅かったのだと思う。女は止める間もなく水筒の中身を、そこらにいた彼女達にまでめがけてぶちまけていた。その時女の背後で見ていた自分の目には、とても奇妙な光景が広がっていたのだ。瞬時に彼女や生徒の目の前に体を盾にした土志田に、弧を描いて振られた水筒の先から放射状ではなく塊のように煌めいて飛び出した液体の塊。まるで最初に飛び出した水滴に吸いつけられるように一塊になって、辺りに飛び散ることなく盾になった土志田の顔と体に塊がぶつかっていく。

あんな風に液体が固まって飛び出すって、中身なんなんだよ?

バシャンと音を立てた直後に、仄かな甘い嗅いだことのあるような匂いがして、土志田の体を伝って足元に滴る飛沫が教頭の足元に飛んだ。

「あっつ!!」

飛沫の一部がかかった教頭が驚愕の悲鳴を上げて飛び上がり、初めてそれが高温の液体だったのに気がつく。なんでそんなもん入れてんだよと呆れもするが、土志田が盾になってくれたお陰で彼女達にかからなかったのには安堵してしまった。ただ、土志田が諸にそれを顔から被ったのに気がついてしまう。海翔の視界では黒々と光る土志田の瞳が、液体の向こうに見えていたのだ。

もしかしなくても……目にかかったよな……

目の前では言葉を発することなく顔を、手で覆った土志田が見えた。これはヤバいんじゃないか?冷水なら兎も角どう考えても熱湯ではなかろうが、五十度とか六十度位はあったような気がする。それを直に目にかけてしまったら、目は大丈夫なんだろうか。いや、まともに考えたら大丈夫な筈がない。

「先生!」

咄嗟に駆け寄った真見塚の声に、顔を覆ったまま屈みこんだ土志田は全く答えることもできないでいる。しかもかけた方の女は思っていたより中身が熱かったのに気がついて、逆に自分のしたことに青ざめ凍りついて泣き出しそうになっている始末だ。土志田が屈んだせいでやっと見えた彼女と志賀は、それ以上に事の重大さに真っ青になっている。そして海翔自身もこんな筈ではなかったと同じくらいに青ざめていたのだ。
昇降口近くの水道で冷水を浴びている土志田の姿を遠目に、他の教師に囲まれて逃げ場がない。しかも、あっという間に土志田は救急車で運ばれるし、こっちはこっちで保護者かわりの社長・藤咲しのぶを呼び出されるし。ファンの女の方は警察にそんなつもりじゃなかったと泣きながら訴えていたらしいが、自分が入れた茶の温度が分からないとは正直なところ言えない。

「……海翔、お前なにやってんだ?」

普段はおネエ口調の藤咲が真顔で、しかも男言葉で話すなんて殆ど聞いたことがない。今更だかメンズモデルの経歴がある藤咲は、身長で言えば担任と殆ど代わりがないと思う。都立第三のOBでもある藤咲に薦められて転入したのに、一ヶ月もしない内にこの騒動。騒動になるような行動は慎むという約束で、マンションから一番近い学校を選んだのに。

「すみません……ファンの子だったから……。」
「そうじゃねぇだろ、お前わざとファンの好きにさせただろ。」

図星を刺す社長の口調に思わず黙りこむ。言い訳しようにも藤咲は案外鋭いから、もう誤魔化しようがなかった。確かに意図しなかったとは言え事態を巻き起こす原因になったのは自分で、しかも土志田は直に目に熱湯をかけられている。このまま何も無かったことにはしょうがない事態で、下手をすれば警察沙汰は免れない。そう覚悟しとけと冷ややかに告げられた直後、姿を見せた教頭が口にしたのは予想外の発言だった。

「土志田先生の火傷はそれほどではなさそうですから、今回のことは大事にはいたしません。ただし今後は校内での芸能活動は禁止します。」

あの熱湯でそれほどではない?唖然としてしまった海翔ににこやかに見えるが全く笑っていない教頭の視線に気がついていた。
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