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8月

102.フリージア

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8月20日、水曜日
朝の光の中で校門の前で早紀ちゃんと挨拶していると、制服姿の香苗が登校してきた。

「おはよう、須藤さん。」
「おはよ、香苗。」

私達の声に香苗は朝日が眩しいのか、目を細めて私達の姿を見つめて一瞬戸惑うように黙りこむ。制服姿に戻ったらまた前みたいに話さなくなるのかなんて、頭の中で訳のわからない事を心が呟いているのが聞こえる。でも、やがて香苗は昨日の事を思い出したみたいに、躊躇いがちに微笑んだかと思うと小さな声で「おはよう」と答えた。

「昨日は楽しかったね、須藤さん。」

早紀ちゃんがあどけない微笑みで言うと、香苗は笑顔で頷く。昨日は水族館の後にビルの中にあるテーマパークにいって、皆で大騒ぎしながらアイスを食べたりテーマパークのアトラクションを楽しんだ。巨大お化け屋敷に入って悲鳴をあげてる私達に、予想外に孝君がお化けが苦手だって知ってお腹を抱えて笑い転げもした。
だって、あの孝君がお化けが出た瞬間、猫が飛び上がるみたいに本当に飛び上がったんだもん。笑い上戸な智美君なんか笑いすぎて杖を持ってられなくて、衛に杖を拾ってもらう始末だった。

「香苗でいいよ、私も早紀って呼ぶ。」
「うん。」

親愛の情が生まれたみたいに2人が話してるのを見てると、いきなり仲良くなったって少しだけ嫉妬みたいな気持ちも感じるけど倍以上も嬉しくなって私は微笑む。良かったって私が笑ってるのに、少し恥ずかしそうな香苗が笑う。

「補習受けさせてもらえるかな、サボってたし。」
「先生に謝ってお願いしてみるしかないかな?」
「そうだね。頑張って、香苗ちゃん。麻希ちゃんと応援してるから。」

私達の応援の言葉に、香苗が苦笑混じりに頑張ってみると呟く。今までの人の話も聞かない香苗と違って、目の前の香苗は少し大人びて見える気がして私は目を細めた。フッと校舎の入り口に見える人影に、香苗の視線が止まる。校舎の入り口で朝早くからジャージ姿で、他の生徒に声をかけて話をしているのは土志田センセだ。いつもと変わらないセンセは、白のTシャツ姿って朝日に反射してちょっと目が痛い。柔道部の子達と朝練が終わった後らしく、タオルを首に脇が甘いとか何とか言ってるセンセが気がついたように近寄る私達3人を見た。

「センセー、おはよー!」
「おう、おはようございますだろ?宮井。」

朝早いとは思えない爽やかさだなぁ、センセ。きっともう1時間前くらいから活動してるから、完全に体も頭も活動してるんだ。

「おはようございます。」
「おはよう、志賀も選択か?」

はいと答える早紀ちゃんの横で私は、センセって沢山生徒の顔と名前と覚えなきゃいけないから大変だなぁって内心考えてる。と、突然センセが手をあげたかと思うと、香苗の頭をポンと撫でて優しく声をかけた。

「おはよう、須藤。先生方には俺からお願いしておいたから、大変だろうけどな補習頑張れよ?」

その言葉に香苗が目を丸くして、センセの顔を見上げる。私も早紀ちゃんも驚いたんだけど、私は何となく香苗を助けてくれたセンセだからって納得もしていた。何となく思うんだけど、ちゃんと今日から香苗が補習に来るのを、センセはもう分かっていたんじゃないかな?でも、香苗の顔がミルミル薔薇色に変わったのに、私は正直におやって思った。

「あ、汗くさい手で頭撫でないでよっ!」
「はは、朝練して手は洗ってるぞ?頑張れよ?赤点分キツいぞ?」
「わ、分かってるわよ!あんたに言われなくたってやりますぅ!」

あれ?なんかこの応酬って何?私が目が点になってるのを、香苗が怒ったように私達2人の腕をとって昇降口に引きずり込む。香苗怒ってる?って早紀ちゃんに目で聞くけど、早紀ちゃんも首を傾げて香苗の様子を眺めてる。校舎の中に入った途端、いきなり視野が暗くなったせいで私達は一瞬視界が確認できなくて立ち止まったけど香苗の足は止まらなかった。慌てて2人で追いかけたら、香苗は直ぐ下駄箱の陰に背中を押し付けるように膝に顔を埋めてしゃがみこんでいる。

「香苗?大丈夫?具合悪いの?」

プルプルと顔を横にふる香苗に、早紀ちゃんが少し目を丸くしているのが分かった。補習が始まる時間が近くなって来たから、帰りにまた話そうと別れたけど私には香苗の態度の理由がよく分からない。
香苗の補習が終わるのに一時間あるから、先に早紀ちゃんと『茶樹』で待ってるからってLINEすると香苗から了解ウサギが跳んでくる。2人でのんびりお茶していると、香苗は幾分げっそりした様子で姿を表して私達に歩み寄った。

「くそー、越前ガニ、1時間嫌味言い続けたよ。」
「まぁまぁ、ご苦労様。」

私の隣に座った香苗を労ると、香苗は溜め息混じりに自業自得なのは分かってるよと呟く。アイスティを注文した香苗の事を、早紀ちゃんは微笑ましい感じで眺めていて私は首を傾げる。早紀ちゃんはもう気がついて納得してるみたいだけど、私には今一香苗の行動も言動も理解できない。

「で?今朝なんで怒ってたの?」
「怒ってなんかないよ。全然怒ってない。」
「うん、香苗ちゃんは怒ってないよね。」

早紀ちゃんの呼び方に、香苗がちゃん付けはむず痒いと笑ってる。怒ってないって言うけど真っ赤になって怒ってたじゃんと、言いかけて私も黙りこむ。そう言えば怒ってたって感じじゃなく、あれ?

「香苗って土志田センセのこと好きなの?」

あ、思ったままが口からつい。でも私の言葉で香苗の顔は、完熟トマトみたいに綺麗に真っ赤に変わった。え?あれ?そうなの?香苗の好きな人って土志田センセのことなの?私の驚いた視線に香苗が不貞腐れたように、頬を膨らませる。確かに土志田センセは私服になったら結構なイケメンだけど、やっぱり土志田センセは学校の先生だ。私の視線に香苗は分かってると言いたげに、アイスティのグラスを見下ろす。

「言わなくても分かってるよ、あいつから見たら、私は子供だしただの問題児の生徒だってくらい。」

ポソリと呟いた香苗はあの時公園で見たのと同じ、少し可愛い顔でグラスの中の氷をストローでつついてる。グラスの中の氷は浮いたり沈んだりしながら、クルクルと光を反射しながら香苗の表情を見上げているみたいだ。
純潔とか古めかしい言葉で言うけど、その時私は香苗の赤ちゃんはどうなったんだろうなんて全然別のことを考えていた。
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