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63.外崎宏太

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俺の自宅のリビングに響くスピーカー越しの進藤の言葉に、俺も惣一も一瞬虚をつかれた。
真名かおるに仕立てあげるのに丁度いい?自分で寸前に真名かおるを架空の存在だと断言した癖に、何でまた進藤隆平は真名かおるに仕立てあげるのに丁度いい女が俺と久保田惣一の傍にいるだなんて言い出す?それと今こうして進藤がわざわざ久保田惣一に連絡を取る理由が結び付いているのかと思うと、俺は酷く嫌な予感がした。

『肩にかかる黒髪の、ぱっと見で、人目を惹くような女。スタイルがよくて……妖艶。』

栗色に近い茶髪の上原秋奈が、一瞬俺の脳裏を掠めていた。髪の色なんて正直なところ。黒だろうが茶だろうがどうとでもなるものだ。真名かおるのイメージとしては、実は上原秋奈は一番イメージに近いと俺は思う。何かしらの目的のために独り計画を練っていく用心深さや、そのためには最短を選択し手段に頓着しない合理性。無駄なことを切り捨てる事への躊躇いのなさ。ただ一つ違うとすれば、恐らくは言葉にすれば母性というやつを秋奈は持っていることかもしれない。真名かおるという女には、母性の欠片もなかったと俺は思う。あの女はある意味まだ子供と同じ、母性を持つほどの成長をまだしていないのだ。
進藤が秋奈を誤解するには大きな矛盾ももう一つあって、上原秋奈と俺達の関係はここ数ヶ月のもの。二年前の三浦事件当時は上原杏奈の存在を俺と惣一が知っていても全く関係はない。それは流石に進藤だって調べあげている筈だ。だとしたら、進藤が唐突にこんなことを言い始めた理由。

「まさか………。」

惣一の声が初めて剣呑なものに変わったのに、俺は自分の嫌な予感が的中しそうな気がする。電話口の声が初めて変わった惣一の声に痛快と言いたげに再び低く甲高く笑い出した。

『わざわざ、あの時電話がかかってきて、《random face》まで二人で駆けつけたものな?久保田さん。』

俺が三浦和希に襲われた時、俺からの無言電話に違和感を感じ《random face》に駆けつけてきたのは実は久保田惣一だけではなかった。一緒に駆けつけたのは、久保田惣一の内縁の妻でもあり、俺とは惣一と同じ位付き合いの長い女性。
志賀松理。
そう俺の義眼の眼にも傷にも全く怯みもせず、興味津々で逆に義眼を見たがるようなあの松理だ。確かに松理は片寄り少し長い艶やかな黒髪、パッと見で目を惹く妖艶な美女ではある。しかも《random face》の場所も知っているし、店に飲みに来たこともある。何しろ今は内密にとしているが、あの店舗がまだ惣一のものだった頃彼女は実は俺の一応同僚でもあったのだ。そんな松理は確かに雰囲気や容貌は年齢不詳で、真名かおるに通じる部分がないわけではない。

「………うちの松理に……何かした訳じゃないだろうな?隆平。」

普段とは全く質の違うドスの効いた惣一の低い声に、俺は一瞬気をとられる。惣一は俺と付き合いができてから、もう何年もこんな口調で話すことはなかった。だが進藤はそうそうそれと尚更楽しげに低く暗く笑い続け、惣一を煽るように話し出す。

『変な敬語じゃ落ち着かないよ、久保田さん。』
「そんなことどうでもいい、松理にちょっかい出したら殺すぞ。」

おやおやとスピーカーが楽しげに呟くのに、俺は咄嗟に惣一の腕を掴んで意識をこちらに向けた。このまま惣一が売り言葉に買い言葉では、進藤の思う通りの展開にこの電話はなってしまう。それでも惣一は苛立ちを押さえきれない様子で、俺が掴んだ腕を舌打ち混じりに見下ろす。久保田惣一にとっては、内縁の妻・志賀松理が唯一の弱点なのだ。

惚れたもんが何事も敗けなんだよ、宏太。

若い頃付き合い初めて暫くして久保田惣一が、唐突にアンダーグラウンドから引退した。まだまだ現役で金儲けもできたのにアッサリと手を引いたのは、志賀松理が惣一に自分と一緒にいる条件として引退を出したからだ。惚れた男が毎日危険な情報交換して気を揉んで待つ生活は真っ平ごめんよ、私をものにしたかったら真っ当な生活になって貰わないと。その一言にわかったと答えた惣一は、本当に引退して稼いだ金を不動産投資と多店舗経営に回した。そのうち一つの店舗が俺が買った《random face》だという訳だ。勿論松理だってそんな条件を出したのは、惣一に惚れてたわけで。だから今も時々惣一にアンダーグラウンドの仕事を手伝わせる宏太を、長い友人ではあるが松理は容赦なく罵倒する。まあ言われてもそれほど気にしないので、余計言われるのだが。

「松理を真名かおるに仕立てあげたとして、松理を拉致なんぞしたら惣一と全面戦争だよな?ん?進藤。」
『それは困るなぁ。流石にそっちの情報網には叶わないんだよな、警察とか病院とか、そっち方面はよ。』
「は、よく言う。警察にも病院にもいるだろ、お前の末端。」

どう考えてもどちらにも情報源があるのは明確で、金融関係の進藤の手下に金を借りている奴が警察の捜査一課に一人、都立総合病院の医者と看護師・看護助手に理学療法士と、まあ結構な数がいるのは知っている。それを知られているのは分かっているのだろう、鼻で笑いながら進藤は更に言葉を繋いだ。

『だけど、そっちには竜胆とか言う女もついてんだろ?どうやってあの女取り込んだんだ?やり方を教えてほしいな。』
「こっちは人柄がいいんでね。」

おや、こっちまでは話さなかったが、どうやら遠坂のやつ竜胆貴理子と何らかの情報網を作っていたか。この口ぶりを聞くと竜胆の奴、進藤と倉橋家の他の事件に関しても調べあげていた可能性が高そうだ。火災事故絡みの人死にばかり好んで食いついていたと調べたが、その中にどうやら進藤も関わるものがあると言うことか。

『くく、参るな……どこまで調べてたんだい?あの女。』
「二十三年前のホテル火災。」

実際に竜胆が何を調べてたか内容なんて知りはしないが、俺の言葉に忌々しげに進藤が舌打ちをした。どうやら進藤には不快な、こちらにすれば適切な答えと勘違いさせたらしい。俺は腕をとっていた惣一に、トントンと指でデスクを示すと惣一は我に返ったように足音もたてずに動き出す。ホテル火災の当時、こいつは少なくとも二十歳過ぎ。だが既に惣一とは決別した後で、荒稼ぎしている時分だ。

「後は、槙山家の火災。」
『くく……証拠はない。』
「証拠がなくても、お前の関連は見えてるもんだよな?な?惣一。」
「そうだね。」

暫しの無言。竜胆貴理子は警察と消防の発表では、昨年末の都立第三高校の爆弾持ち込みと体育館爆破の犯人と黙されているものの、その生死は不明のままだ。進藤としては竜胆がまだ生きていて、こちら側に情報をリークする立場で隠れている可能性を考えているのだろう。そして竜胆の調査は恐らく進藤にとっては、俺や惣一と同等に邪魔な存在なのだ。

『まあ、それくらい。』
「あともう一つ。十一年前の喫茶店強盗殺人と放火。」

ギリギリで友人・宇野智雪に竜胆の調査を頼まれていたのを思い出し、俺が口にした途端進藤は完全に沈黙した。沈黙は奇妙なほど長く、しかも今までとは違って電話口の向こうに怒気にも似た呼吸を引き起こした。
なんだ?進藤にとってはホテル火災やら槙山家火災みたいな多人数の焼死なんかより、近郊の小さな喫茶店の強盗殺人を誤魔化すための放火を調べられていたと言うことの方が問題か?

『……やっぱり………少しの間黙ってて貰わないと、……ならないな、おたくら二人は。』

低く呻く囁き声。意図よりもずっとこちらの情報網の範囲に、あからさまな警戒を示す声が今までとは違って慎重に言葉を選び始める。どうやら進藤にとっては、一番問題なのは俺の友人でもある宇野智雪の両親が巻き込まれた事件だったらしい。つまりはこちらの情報を得ようと駆け引きを仕掛けたつもりが駆け引きに敗けた様子の進藤は、やっとこちらを第三者ではなく敵と認識したわけだ。

「松理に何かあったら、惣一は黙ってないと思うけどな?俺は。」
『……まだ何も…してないがね……。』
「見返りもなく商談は出来ないぞ?隆平。そんな無様な商談の仕方は、私は教えてないな。」

電話口から再びちっと小さな舌打ちが聞こえるのに、ペースを取り戻した惣一が冷ややかに口を開く。進藤は拉致は恐らく命じているのだろうが、まだ松理の拉致後の確認はとれていない。それが鈍った言葉の端に見えたのを、惣一に直ぐ様見抜かれたのだ。

「対価は相応なもので補う。過不足なく、それがベストだ。」
『はは、おたく全然引退したように感じないな、久保田さん。』

唐突にブツリと電話の切れる音がして、向こうから通話を切られたことが分かる。舌打ちする俺に惣一は、十分時間稼ぎ出来たよと朗らかにすら聞こえる声で笑う。確かにボイスレコーダーは口約束とは言え動かせなかったが、パソコンのプログラムを動かすのには問題ない。俺は目が見えないし電話番号も知らないから今の状況ではパソコンの操作は出来なくても、惣一には音もなく操作できる。その横で進藤との電話が終わったのを待ち構えていたように、俺は空かさず松理に電話をかけ始めた。何時ものスマホには出ないが幾つか松理が携帯を持ち変えられるのは承知済みだから、次々と電話をかけていく。

『ハローぉ、トノ?』

なんとまあ暢気な声で志賀松理は電話に出たが、暢気だったからと言ってこの女が拉致されていないとは全く言い切れない。何しろ人の義眼をネタに小説を書こうとするような女が、自分の拉致換金をネタにしない筈がないのだ。

「マツリ!お前今何処にいる?!拉致られたか?」

呑気すぎる松理の声に俺が怒鳴り付けるように言うと、相手は拉致監禁されてて電話なんか出ないわよと吐き捨てる。その言葉に惣一もホッとしたように、松理は何ともないのと声をかけてきた。

『あんたねぇ、まぁた家の惣一君を面倒に巻き込んだの?腐れ外道が!』
「松理、今回は私が巻き込んだんだよ?昔の不肖の弟子がね?」
『惣一君もよ!何やってんの!馬鹿なの?!本宅のアラーム鳴りっぱよ?何チンピラと遊んでんの!!』

おっと最初の電話口で暢気だと思ったのは大きな間違いで、既に松理は激怒の範疇だったか。惣一と同じく多数の不動産オーナーでもある志賀松理は、自宅も複数持っていて防犯設備投資は万全。一応本宅と決めているらしい家の防犯アラームが、夕方から鳴りっぱなしなのだと言う。

「ごめんね、松理。ちゃんと始末つけておくから。」
『馬鹿言わないの!惣一君は大人しくなさい!!』
「でもねぇ。」

どうやら本気で志賀松理拉致には至らなかったようだが、拉致にかかっていたのは事実の様子だ。ただし進藤隆平も知らないのは松理の方が一枚も二枚も上手で、実は最早久保田惣一よりも情報収集も分析も勝っているということ。松理は事前に状況を察知して、あっという間に本宅から脱出して別宅に移動したに違いない。何しろこの女は現在有名な小説家で推理物を主体に書いていて、現実に編集者を撒き奈落に落とすと有名なのだ。そのために惣一ですら知らない別宅を幾つか持っているし、恐らく逆探知をしようものなら現場に辿り着く前に姿を消すに違いない。

『全くもう!朝からチンピラが彷徨いて、仕事にならなかったわよ。』
「どこら辺中心に屯してるチンピラだ?マツリ。」
『あんたねぇ?ごめんなさい、教えていただけませんか、マツリ様は?』

あー面倒臭いと内心思うが、恐らく松理ならそれくらい把握して逃走場所を選択している。しかも推理小説家なせいか、後ろ暗い人間を嗅ぎ付けるのにも警察官も目じゃない程の抜群の嗅覚なのだ。

「あーあー悪かった。教えろ。」
『言葉が足りない。後で事と次第包み隠さず話す?トノ。』
「ネタにするにも、全員仮名にしろよ。」

俺の言葉がネタモトの承諾と取ったのだろう、松理は最初の暢気な口調に戻って駅北口から東側の花街周辺で最近彷徨く奴等のしたっぱねと言う。惣一が調べあげた進藤が出没した場所には全く被っていない範囲だが、こうなると進藤が何かで使っている可能性は高そうだ。何しろ花街と表現されるのは一つの通りだけで、そこから一本通りを外れれば後ろ暗い商売が横行しててもおかしくない。既に幾つかはテナントすら入らない廃ビル状態の場所もある。

『惣一君、髪の毛一本でも怪我してたら、お仕置き覚悟で帰ってきてよ?いいわね?』
「うん、分かってるよ、松理。」

お仕置きって惣一がされるのかと内心思うが、全くもって素直な返答を返した惣一に満足したのかそれじゃまた潜るからと平然と松理は電話を打ち切った。またと言うことは、恐らく現状で泣きを見ている編集者が誰かいるに違いない。

「なんだ締め切り前か?」
「うん、一昨日からかな。」

ある意味そのお陰で周囲の察知がより早かったようだ。松理は現在の潜伏場所から更に場所を変えると言っているのに、一応心配した俺と惣一は正直呆れ顔で溜め息をつく。恐らく進藤にはまだ拉致が失敗した件までは、伝わっていないのかもしれない。何しろ恐怖政治だけあって末端から進藤まで、情報を直ぐ流せるような風通しのいい組織ではないだろうし。一先ず風間の情報はないからパソコンで調べていた電話の中継局から、進藤の居場所も絞り込むしかない。

「で?どこら辺に潜伏してる?」
「松理が話してたチンピラの行動範囲かな。絞り混むには範囲が広いけど。」

惣一が範囲を話し始めたのと殆ど同時に、俺のスマホにメール着信が告げられる。なんだってまたこの時間にメールだとは思うが、隣に惣一がいるから迷う必要もない。差し出して確認させると惣一がおやまぁと更に呆れた声をあげた。

「何だよ?」
「宏太、杏奈嬢が丁度その目的地らしいビルを見つけたみたいだよ?」

予期せぬこと続きの俺はもう迷うことなく、はぁ?と大きな呆れ声をあげてしまっていた。
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