Vanishing Twins 

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19.瀬戸遥

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真っ暗な暗がりの中で眼を覚ました。
嗅ぎ慣れないツンと刺激的な甘い香りが、暗がりの室内に漂っている。室内に満ちる香りに遥は、ぼんやりと何処から漂うのか探る。それはまるで直ぐ傍にその香りの元があるように、時に強く香り遥の思考に滑りこんでくる。

甘ったるい、花か果実のような香り……

表現しようがない甘い香りだった。
一度も嗅いだことがないのに、何処かで嗅いだことがある気がする。しかし、見知らぬ香りの存在は、香りに敏感な者にとって不快でもあった。遥は看護しという仕事上、匂いを放つものを身につけない。香りを纏うことである種の臭いを嗅ぎとれなくなる上に、患者に不快感を与える可能性があるからだ。
不快感に手をあげた遥は、その臭いの根元に気がついた。遥は咄嗟に目を開く。薔薇のような香りの奥でバニラのような甘い匂いを放つのが、自分の手首だと気がついて遥は飛び起きた。
起きた瞬間の体の怠さは、先日ほどではないが酷いものだった。まるで鉛が体に括りつけられているかのようだが、それでも起きずにはいられない。洗面所へ駆け込むと石鹸を擦り付け赤くなるほど手首を擦る。少しでも早く匂いを流し去りたいのに、室内や自分の嗅覚がその匂いを記憶してしまったのか甘い臭いが離れてくれない。

「何で、何なの?何で?何で?」

泣き出しそうになりながら同じ言葉を繰り返す。それでも何かがこびりついたように、甘い臭いがまとわりつき離れてくれない。恐怖に包まれながら目の前の鏡をみた瞬間、遥は何を見ているのかが分からなかった。

「誰?」

目の前の鏡の中の女が、同じ言葉を同時に放つ。
鏡の中に居るのは遥自身だった。しかし、まるでそうは思えなかった。
艶やかな唇、マスカラ、アイシャドー、チーク。
自分では同じく装うことなんて出来ないのは知っている。使い方の分からない色合いの化粧品が、目の前の自分の顔を別人に変えている。
思わず背後の扉に体当たりする勢いで後退る。鏡の中の自分が同じく後退り、遂には遥は悲鳴を上げていた。

暫し恐怖にへたりこんでいたが、自分の姿を遥は震えながら見つめ返した。化粧どころではなかった。遥は自分の化粧以上に、自分の着ている衣装にもう一度悲鳴をあげたいと思った。コスプレなのかと思ったはずの丈の短いワンピースはどうやって着るのかも分からない上に、ピッチリと体にくっついていて脱ごうとしても中々上手くいかない。半ばべそをかきながらやっとの事でそれを下から捲りあげ、頭から引き抜くと更に衝撃的な姿が鏡に現れた。乳房を半分隠して持ち上げられた黒いレースのブラはまだ我慢の範疇だった。しかし、黒いガーターベルトの上に、履いた下着の異様さに茫然とする。一見黒いフリルで縁取られたレースのショーツなのに、一番大事な部分に布地がない。下着を着ているはずなのに外気があたる陰部と、後ろの割れ目に食い込むゴムの感触がおぞましい。不意にその陰部に違和感があるのに気がついた。まるで何かへばりつくような違和感がそこにあるのに、遥はゾッと肌を粟立たせる凍りつく。内部までの違和感ではない。体の中に感じる違和感ではないが、それでもまるで何かを塗りたくられ、それが乾いて張り付くような違和感。
それが何か考えるのが怖かった。
こんな男を誘うような化粧と格好、媚びるような香水をつけて何をして来たのだろう。もしかしたら淫らなことをしたのだろうか。ずっと前から気がつかないうちに、はしたない姿で淫らなことをしてしまったのだろうか。
震えながらその下着を下げると、肌に張り付く布地がペリペリと肌から剥がれる。遥は泣き出しながら全てを取り去ると、全てをゴミのように丸め風呂場に飛び込んだ。何が起きているか分からない。だから、泣きながら全身を洗うことしか出来ない。淫らな行為を何処までされてしまったのかも分からないし、調べる術もないから泣きながら全身を洗うしかなかった。


しこたまシャワーの中で泣き尽くして、フラフラする足取りで部屋に戻る。臭いの根元が消えたことで少し室内は元に戻ったように感じ、遥の落ち着かない気持ちも僅かに収まった。そんな視線の先で暗闇の中で発行するスマホの着信ランプに気がついて遥は首を傾げる。
サイドのランプの色は青・直人からの電話だ。
それを手に取ろうとして、スマホにもあの香りが強くまとわりついているのに眉を潜める。

ここもあの香水、カナタなの?

甘く性的な気配を感じさせる匂いの強さが、遥の神経に棘が刺さる感覚を残す。再び戻ってきた臭いに遥は自分の周りに漂う香りに神経がささくれ立つのを感じた。

カナタは言った私がしていると。

香水をカナタが使うとは思えないでいる自分に気がついた。この間カナタが放った言葉も嘘のようには思えない自分に困惑が深まるばかりだ。

私に何が起こっているというの?

遥は闇の中幽霊のように立ち尽くす鏡の中の自分を見つめ、先程の姿を思いだす。
遥はあんな化粧の仕方は知らない。たいして化粧に意欲を持ったこともない遥は、自分自身でネイルチップすらつけたこともない。ふと思い出したように指先を見ると先日はずした筈の指先は今度は紫と赤のグラデーションで飾られた爪がある。両面テープなのは分かったからはずせばいいだけだが、これをどうやってこんな風に綺麗につけるのかも分からない。
どうしたらあんなに鮮やかに膨らみ色気のある唇を作るのか、どうしたらあんなに長い睫毛を形作るのか別人のような媚のある目元を産み出すのか。調べたこともないし技術もない。

あれは本当に自分がしたのだろうか。

彼女は不意に不快感を覚え、スマホをベットに投げると
踵を返した。暗がりの中で不快な匂いのする服と化粧品を無造作に半透明のゴミ袋に突っ込みきつく口を縛る。そこまでして、やっと着信ランプの存在を思い出していた。

既に時刻は深夜1時を過ぎていた。
スマホに残る着信は既に一番最後が二時間ほど前の時刻表示。
数回の着信と、留守番電話。
そんな風に直人が電話を夜にかけてきたことはないから、訝しげに首を微かに傾げ遥は留守番電話に耳を傾ける。しかし、何度聞き返しても遥は理解できなかった。


22時―『今終わった、待たせてるよね、ごめん。すぐ向うから。』
22時10分―『怒ってるのかな?今向かってる所だから、ごめん。近くの喫茶店にでもいてくれる?』
22時20分―『後、10分で着く。返事がないけど、もう帰っちゃったかな?ホントごめん。』
22時23分-『もう帰ってるならいいんだけど、話したいことってこの間のことかな?そうだったら、今すぐ俺も話したい。これからの事も、話したいんだ。』
22時32分-『今ついた。何処にいる?もう家なのかな?家に行ってもいいのかな、遥……。……った…』

遥は漠然とした不安を覚えた。
最初に考えたのは直人が誰かとの約束を間違えて遥にかけてるのかもということだった。リダイヤルで最初に間違って遥にかけて、その後も間違いに気がつかず何度もかけてるのかもと考えたのだ。だけど最後の留守電で自分の名前を言った彼は、私と何か約束したのだろう。
一体どういうことだろう?夜から会うという約束をした事は今まで一度もないのに。まして、今日は私は電話をしていないはず、以前何か約束をしていたのか。そう思いながらもう一度留守電を聞き直す。もう一度暗がりの中耳を済ましていると、最後に遥の名を呼んだ直人の声の後に何かが聞こえた。音量を最大にしてもう一度再生する。

『……遅かったのね……。』

受話器の直ぐ傍ではなかった。
少し離れた場所で話し掛けられたものがタイミングよく録音されただけ。だけと、小さな声でもそれが誰の声なのかはよく分かった。
そう思った瞬間スマホが着信を知らせて、遥は驚きに悲鳴をあげてそれを取り落とした。おそるおそり携帯を取り上げ着信を確認する間もなくつい耳を向けた。


「…は……はい……、直人?」
『あぁ、すみません、夜分遅く瀬戸遥さんでいらっしゃいますね。』

聞き覚えのない声が語る言葉に遥の表情は見る間に蒼ざめ凍りつき自分の足元がガラガラと崩れていく。自分の足の骨が消えてしまう様に脱力していく感覚に包まれ、遥はその場にぺたんと座り込んだ。

※※※



遥は焦ったようにナースステーションの窓辺に詰め寄った。電話の着信について警察呼び出され事情を聞かれたが、全く身に覚えがない事は話しようもなかった。相手に不信感を与えたかもしれないが、遥には本当に話すことは何もない。それを見てとったのかやっと解放してもらい、病院に駆けつけたのは既に朝日が登ってからの事だった。
文句を言われながらも仕事を休むと連絡して、直人が運ばれたという病院に駆け付ける。

時間外の家族外の面会に暫く渋っていた看護師が、遥の必死な様子に渋々本人に面会出来るか確認に行ってくれる。看護師が戻るまでにまた少し時間がかかり、遥は苛々としながら爪を噛みハッとしたようにその仕草を見下ろした。

私、爪を噛んでた……?こんな癖無いのに……。

ふと指を見ると何度も噛んでいたのだろう、爪の先が微かに歪んでいる。その時やっと戻ってきた看護師が遥に声をかけて、遥はその事を一気に忘れ去った。時間的には体を拭く頃なのだろう、慌ただしく動く看護師ばかりの廊下を通りすぎ、奥の個室の扉をそっと音をたてないように開く。

「……直人?」

部屋にはいりおずおずとベットに歩み寄る。
陽射しに溢れた室内には直人の姿だけで、完全看護で家族は誰も止まらなかったのだろう。室内はシンと静まり返っていて、遥の声が酷く奇妙に響いた。フッとその声に直人の視線が、入り口に立ちすくむ遥を見つめた。
その瞳は暫くまじまじと遥の姿を確認し、何故か安著の色を浮かべてホッと息をついた。そして、直人は蒼白い顔で弱々しく微笑んだ。


傷は深いものではなく筋肉と表面を縫うだけの物ですんだのだが、11月の路上で暫く放置された事で肺炎を起こしかけていると説明されたと直人は言った。肺炎もたいした事でなく、数日もすれば退院できるだろうと微かに微笑む。
遥は身を固くしてその言葉を病室に備え付けられたパイプ椅子の上に座りながら耳を傾けている。その心には先ほどの、彼の安著の表情が焼き付いて困惑に包まれていた。

「遥……?」
「警察に聞かれたの……、私からの電話であそこに行ったの?直人……。」

直人は暫く黙りこんで遥の不安げな表情を見つめる。麻酔のあと処置を受けて、疲労と眠気に朦朧とした意識でそう確かにそう説明した。事実彼女からの着信もあったし、ここにたどり着く前に遥も自分のスマホに残った発信歴を確認した。ただ、遥がそれをかけた記憶が無いというだけで、電話の証拠は残っているのだ。
彼はベットの上から遥の泣きそうな表情を見つめ、そっとひんやりとした手を毛布の下から伸ばした。きつく握りしめ血の気を失った遥の手を握り、その手を解く様に包み込んだ。

「遥に何か起こったんじゃないかと思った…。」

直人はそっと囁くように呟いた。
遥はその言葉に直人の顔をまじまじと見つめる。
彼は蒼ざめた顔の中で、熱っぽい瞳をして遥の顔をじっと見つめ返す。黙りこんだ二人の耳に、廊下での看護師たちの喧騒が微かに流れ込んで来るのが感じられる。穏やかに直人は、彼女の手を握りしめたまま目を伏せる。

「かかってきた電話は確かに君からだったんだ。」

その言葉に遥の瞳が揺れる。
6年間何度も交流してきた相手が、間違いなく自分だと思うには幾つものポイントがあるに違いない。それでも、彼にとって電話をかけてきたのは遥だったのだろう。

「ただ、少しだけ違和感はあった。元気というか、何時もより勝ち気っていうか、………上手く言えないけど、はしゃいでる時の遥みたいで……。」

その言葉に遥はまるで何かに確信を持ったかのように息を飲むと一筋の涙をこぼした。直人の心配そうな視線を感じながら遥は涙をぬぐう事もなく彼に向って重い口を開いた。

「退院したら、ちゃんと全部話すわ。」
「……今じゃ駄目か?」

直人が酷く心配してくれているのが痛いほどに分かる。それても今直ぐには話せないと遥は頭を降った。確信はあるが、ただ自分自身にも腑に落ちないところもある。それがはっきりしないと真実が見えない。それに、もし真実が分かったら、直人に今後の事を考え直してもらわないといけないかもしれないのだ。女性として、恋人として、彼が許してくれるかどうか聞かないといけないのかもしれない。

「それに、私もまだ調べなくちゃいけない事があるの。」

遥のその表情は今までになく厳しく険しいもので直人は、逆にその表情に不安を覚えていた。

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