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第三章:恋の試練 ― 過去の断片と感情の揺れ
第7話:悲しい真実
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数日が過ぎ、玲奈とルカの関係は自然に深まっていった。毎朝図書館で会い、午後は庭園を散歩し、夜は星空を見上げる。そんな穏やかな日々が続いていた。
玲奈にとって、この数日間は人生で最も幸せな時間だった。ルカと過ごすすべての瞬間が特別で、彼の微笑みを見るたびに胸が温かくなる。朝目覚める時も、彼に会えることを思うと自然と笑顔になってしまう。
ルカもまた、玲奈と過ごす時間を心から楽しんでいるようだった。最初の頃の硬い表情は消え、今では自然な笑顔を見せてくれる。時々見せる少年のような無邪気な表情に、玲奈は胸がキュンとしてしまう。
この日も、二人は図書館で並んで座っていた。ルカが古い書物の整理をする傍らで、玲奈は愛についての詩集を読んでいる。時折ページをめくる音と、ルカの羽根ペンが紙に触れる音だけが響く静寂の中で、二人は心地よい時間を過ごしていた。
玲奈は時々、こっそりとルカの横顔を見つめていた。集中している時の彼の表情は真剣で、長い睫毛が影を作っている。銀髪が光を受けて美しく輝き、まるで芸術品のような美しさだった。
「玲奈さんは詩がお好きなんですね」
ルカが作業の手を止めて、玲奈が読んでいる本を見た。
「はい、とても美しいです。特にこの詩が気に入りました」
玲奈が指差したページをルカが覗き込む。二人の顔が近づいて、玲奈は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「『愛とは二つの魂が一つになること』...いい詩ですね」
ルカの声は優しく、その言葉に特別な響きがあった。
「ルカさんは、愛についてどう思われますか?」
玲奈は勇気を出して聞いてみた。
「難しい質問ですね」
ルカは少し考えてから答えた。
「以前は理解できませんでした。でも、最近...」
彼は玲奈を見つめた。
「君と一緒にいると、愛というものが少しずつ分かってきたような気がします」
玲奈の頬が赤くなった。そんな風に言われると、心が溶けてしまいそうになる。
「玲奈さん」
ルカが作業の手を止めて声をかけた。今日の彼はいつもより真剣な表情をしている。
「はい」
「少し休憩しませんか?新しい本を見つけたんです」
ルカが手にしていたのは、他の本よりも古く、表紙に金の装飾が施された特別な書物だった。革の表紙は長い年月を経て深い茶色になっているが、丁寧に手入れされていることが分かる。表紙には古代文字で何かが刻まれていて、その文字が微かに光を放っているようにも見える。
「何の本ですか?」
玲奈は興味深そうに身を乗り出した。
「エテルナ世界の創世記です」
玲奈の心臓が早鐘を打った。世界の始まりについて書かれた本なら、きっと神様とエルシアのことも詳しく書かれているはずだ。
「これまで誰も読むことを許されていなかった書物です。でも、今なら君に見せても良いと思います」
ルカの表情には、何か重要なことを伝えようとする意志があった。
「読んでみたいです」
「では、一緒に読みましょう」
ルカが本を二人の間に置いた。玲奈は彼の隣に座り直す。ルカの近くにいると、彼の持つ独特の香りが感じられる。それは花の香りと、古い書物の香りが混じったような、知的で上品な香りだった。
本を開く前に、ルカは玲奈の手を握った。
「これから読む内容は、君にとって辛いものかもしれません。でも、知っておく必要があると思います」
玲奈は頷いた。ルカの手の温度が、不安な気持ちを少し和らげてくれる。
「大丈夫です。一緒なら」
「ここから始まります」
ルカが最初のページを開いた。そこには美しい挿絵と共に、古い文字で物語が記されている。
『太古の昔、虚無の中に一つの意識が生まれた。それが創世神アリエルである。アリエルは完全なる存在であったが、同時に深い孤独を抱えていた』
「神様も孤独を感じるんですね」
玲奈がつぶやくと、ルカは複雑な表情を見せた。
「完全であることと、幸せであることは違うのかもしれません」
『アリエルは自らの孤独を癒すため、美しい世界を創造した。しかし、美しい世界があっても、それを共有する相手がいなければ意味がない。そこでアリエルは、愛する人を創造することにした』
ページをめくると、そこにはエルシアの美しい挿絵があった。玲奈が記憶継承で見た姿と同じ、この世のものとは思えないほど美しい女性が描かれている。
『その人の名はエルシア。純粋で優しい心を持ち、すべての生命を愛する美しい人であった』
「エルシアさん...」
玲奈は挿絵を見つめた。自分の中にあるエルシアの記憶が、温かく反応している。
『アリエルとエルシアの愛は純粋で美しいものであった。二人は毎日を共に過ごし、世界の美しさを分かち合った。アリエルはエルシアのために花園を作り、エルシアはアリエルのために歌を歌った』
読み進めながら、玲奈の心は次第に重くなっていった。この美しい物語がどのような結末を迎えるのか、記憶継承の時に見た映像で知っているからだ。
『しかし、幸せな日々は永遠には続かなかった』
ルカの声が少し震えた。彼もこの物語の結末を知っているのだろう。
『エルシアに原因不明の病気が降りかかった。それは神の力をもってしても治すことのできない、運命という名の病気であった』
「運命の病気...」
玲奈は胸が締め付けられるような思いがした。愛し合う二人を引き離す残酷な運命。
『アリエルは必死にエルシアを救おうとした。世界中の英知を集め、ありとあらゆる方法を試した。しかし、運命の力は神の力を上回っていた』
挿絵には、病床に伏すエルシアを看病するアリエルの姿が描かれている。神としての威厳を失い、ただ愛する人を救いたい一人の存在として描かれたアリエルの姿は、見ている者の心を痛めた。
『エルシアは最後の時、アリエルに言った』
ルカが引用部分を読み上げる。
『「あなたと出会えて、本当に幸せでした。この愛を、永遠に忘れないでください。そして、いつか新しい愛を見つけてください」』
「新しい愛を...」
玲奈は涙を流していた。エルシアの最後の言葉が、自分の心に直接響いてくる。
『エルシアは光となって消えていった。残されたアリエルの悲しみは深く、その悲しみによって世界は色を失い始めた』
「それで世界が崩壊し始めたんですね」
「はい。愛によって創られた世界は、愛を失うことで存続できなくなったのです」
ルカは本を閉じた。
「でも、これで終わりではありません」
「どういうことですか?」
「この物語には続きがあります」
ルカが別のページを開いた。そこには、玲奈が見たことのない挿絵があった。
『神の悲しみによって世界は崩壊の危機に瀕したが、一筋の希望の光があった。エルシアが最後に残した言葉、「新しい愛を見つけてください」という言葉である』
「エルシアさんの言葉が希望に...」
『アリエルは悟った。エルシアとの愛を忘れるのではなく、その愛を基盤として新しい愛を育むことができれば、世界は救われるのだと』
玲奈の心臓が激しく鼓動した。これは今の状況そのものではないか。
『そのため、アリエルは二つの計画を立てた。一つは、エルシアの記憶を受け継ぐ純粋な心を持った人を呼び寄せること。もう一つは...』
「もう一つは?」
玲奈が身を乗り出した。
ルカは少し躊躇してから続けた。
『自らの分身を創り、人間として愛を学ばせることであった』
「分身?」
「神としてではなく、人間として愛することを学ぶための存在です」
ルカの表情が複雑になった。
『この分身には、エルシアへの愛の記憶の一部が宿る。しかし、それは不完全な記憶であり、分身は自分の正体を知らずに生きることになる』
玲奈は急に不安になった。
「その分身の人は、自分が分身だということを知らないんですか?」
「はい。知らずに生きることで、より人間らしい愛を学ぶことができるとされています」
「それって...とても残酷なことではないですか?」
玲奈の声に怒りが混じった。
「自分の正体も知らずに、偽りの人生を送らされるなんて」
ルカは黙っていた。彼の表情には深い悲しみがあった。
「でも、その分身の人にも感情があるはずです。愛する人ができたら、その人はどうなるんですか?」
「それは...」
ルカは答えに詰まった。
『計画が成功すれば、世界は救われる。しかし、それは大きな犠牲を伴うものであった』
玲奈は本の続きを読んだ。
『分身が真の愛を学んだ時、その愛の力によって世界は救われる。しかし、その時分身は神として昇華し、人間としての存在は失われることになる』
「昇華...」
玲奈の声は震えていた。
「つまり、分身の人は消えてしまうということですか?」
「神として完全な存在になるということです」
「でも、それでは愛する人が残されてしまいます」
玲奈は立ち上がった。
「そんなの、エルシアさんの時と同じじゃないですか!また誰かが愛する人を失って悲しむことになる」
ルカも立ち上がった。
「玲奈さん...」
「神様は、どうしてそんな残酷なことを考えるんですか?愛によって世界を救うと言いながら、誰かを犠牲にするなんて」
玲奈の目から涙があふれ出た。それは単なる同情の涙ではない。もっと深い、個人的な恐怖と悲しみの涙だった。
「もしかして、その分身の人って...」
玲奈はルカを見つめた。彼の青い瞳に、深い悲しみと諦めが見える。
「ルカさん、あなたまさか...」
「玲奈さん」
ルカが彼女の手を握った。その手は冷たく震えていた。
「僕は...まだ自分が何者なのか確信が持てません。でも、最近自分でも気づいていることがあります」
「何ですか?」
「君といると、胸の奥で何かが動くんです。それが何なのか分からないけれど、とても大切なもののような気がして」
玲奈の心は混乱していた。もしルカが神様の分身なら、彼はいずれ神として昇華してしまう。愛すれば愛するほど、失う痛みが大きくなる。
「怖いです」
玲奈は正直に言った。
「愛することが怖くなりました」
ルカは玲奈を優しく抱きしめた。
「僕も怖いです。でも、君と出会えたことを後悔したくありません」
二人は図書館の静寂の中で抱き合っていた。周りには何千冊もの書物があるが、そのどれにも彼らの未来について確実な答えは書かれていない。
「どうすればいいんでしょう」
玲奈が小さくつぶやいた。
「分からない」
ルカも同じように答えた。
「でも、今この瞬間は確かにここにある。それだけは間違いありません」
玲奈はルカの胸の中で泣いた。愛することの喜びと、失うことの恐怖。その両方が心の中で激しく渦巻いている。
外では鳥たちが美しい歌声で鳴いているが、今の玲奈には悲しげな調べにしか聞こえなかった。エテルナの美しい世界も、いつか失われてしまうかもしれない儚いものに思える。
「ルカさん」
「はい」
「私たちの恋は...本物になれるでしょうか」
ルカは玲奈を見つめた。その瞳には迷いがあったが、同時に強い決意も見えた。
「本物にしましょう」
「でも、結末は...」
「結末がどうなるか分からないからこそ、今を大切に生きるんです」
ルカの言葉には力があった。
「君が僕を愛してくれるなら、僕はどんな運命でも受け入れます」
玲奈は驚いた。これは代役の恋愛を超えた、本物の感情の告白だった。
「私も...」
玲奈は心の奥底からの気持ちを口にした。
「私も、あなたを愛し始めています。エルシアさんの記憶ではなく、私自身の気持ちとして」
二人は再び抱き合った。今度は恐怖ではなく、愛情による抱擁だった。
図書館の窓から差し込む午後の光が、二人を優しく包んでいる。古い書物に囲まれた神聖な空間で、二人の本物の恋が静かに始まった。
それは世界を救うための計画された恋ではなく、二人の心から生まれた純粋な愛だった。たとえその先に別れが待っていても、この愛だけは本物だった。
悲しい真実を知った今、二人の恋はより深く、より切ないものとなった。しかし、同時により美しく、より価値のあるものにもなったのだった。
玲奈にとって、この数日間は人生で最も幸せな時間だった。ルカと過ごすすべての瞬間が特別で、彼の微笑みを見るたびに胸が温かくなる。朝目覚める時も、彼に会えることを思うと自然と笑顔になってしまう。
ルカもまた、玲奈と過ごす時間を心から楽しんでいるようだった。最初の頃の硬い表情は消え、今では自然な笑顔を見せてくれる。時々見せる少年のような無邪気な表情に、玲奈は胸がキュンとしてしまう。
この日も、二人は図書館で並んで座っていた。ルカが古い書物の整理をする傍らで、玲奈は愛についての詩集を読んでいる。時折ページをめくる音と、ルカの羽根ペンが紙に触れる音だけが響く静寂の中で、二人は心地よい時間を過ごしていた。
玲奈は時々、こっそりとルカの横顔を見つめていた。集中している時の彼の表情は真剣で、長い睫毛が影を作っている。銀髪が光を受けて美しく輝き、まるで芸術品のような美しさだった。
「玲奈さんは詩がお好きなんですね」
ルカが作業の手を止めて、玲奈が読んでいる本を見た。
「はい、とても美しいです。特にこの詩が気に入りました」
玲奈が指差したページをルカが覗き込む。二人の顔が近づいて、玲奈は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「『愛とは二つの魂が一つになること』...いい詩ですね」
ルカの声は優しく、その言葉に特別な響きがあった。
「ルカさんは、愛についてどう思われますか?」
玲奈は勇気を出して聞いてみた。
「難しい質問ですね」
ルカは少し考えてから答えた。
「以前は理解できませんでした。でも、最近...」
彼は玲奈を見つめた。
「君と一緒にいると、愛というものが少しずつ分かってきたような気がします」
玲奈の頬が赤くなった。そんな風に言われると、心が溶けてしまいそうになる。
「玲奈さん」
ルカが作業の手を止めて声をかけた。今日の彼はいつもより真剣な表情をしている。
「はい」
「少し休憩しませんか?新しい本を見つけたんです」
ルカが手にしていたのは、他の本よりも古く、表紙に金の装飾が施された特別な書物だった。革の表紙は長い年月を経て深い茶色になっているが、丁寧に手入れされていることが分かる。表紙には古代文字で何かが刻まれていて、その文字が微かに光を放っているようにも見える。
「何の本ですか?」
玲奈は興味深そうに身を乗り出した。
「エテルナ世界の創世記です」
玲奈の心臓が早鐘を打った。世界の始まりについて書かれた本なら、きっと神様とエルシアのことも詳しく書かれているはずだ。
「これまで誰も読むことを許されていなかった書物です。でも、今なら君に見せても良いと思います」
ルカの表情には、何か重要なことを伝えようとする意志があった。
「読んでみたいです」
「では、一緒に読みましょう」
ルカが本を二人の間に置いた。玲奈は彼の隣に座り直す。ルカの近くにいると、彼の持つ独特の香りが感じられる。それは花の香りと、古い書物の香りが混じったような、知的で上品な香りだった。
本を開く前に、ルカは玲奈の手を握った。
「これから読む内容は、君にとって辛いものかもしれません。でも、知っておく必要があると思います」
玲奈は頷いた。ルカの手の温度が、不安な気持ちを少し和らげてくれる。
「大丈夫です。一緒なら」
「ここから始まります」
ルカが最初のページを開いた。そこには美しい挿絵と共に、古い文字で物語が記されている。
『太古の昔、虚無の中に一つの意識が生まれた。それが創世神アリエルである。アリエルは完全なる存在であったが、同時に深い孤独を抱えていた』
「神様も孤独を感じるんですね」
玲奈がつぶやくと、ルカは複雑な表情を見せた。
「完全であることと、幸せであることは違うのかもしれません」
『アリエルは自らの孤独を癒すため、美しい世界を創造した。しかし、美しい世界があっても、それを共有する相手がいなければ意味がない。そこでアリエルは、愛する人を創造することにした』
ページをめくると、そこにはエルシアの美しい挿絵があった。玲奈が記憶継承で見た姿と同じ、この世のものとは思えないほど美しい女性が描かれている。
『その人の名はエルシア。純粋で優しい心を持ち、すべての生命を愛する美しい人であった』
「エルシアさん...」
玲奈は挿絵を見つめた。自分の中にあるエルシアの記憶が、温かく反応している。
『アリエルとエルシアの愛は純粋で美しいものであった。二人は毎日を共に過ごし、世界の美しさを分かち合った。アリエルはエルシアのために花園を作り、エルシアはアリエルのために歌を歌った』
読み進めながら、玲奈の心は次第に重くなっていった。この美しい物語がどのような結末を迎えるのか、記憶継承の時に見た映像で知っているからだ。
『しかし、幸せな日々は永遠には続かなかった』
ルカの声が少し震えた。彼もこの物語の結末を知っているのだろう。
『エルシアに原因不明の病気が降りかかった。それは神の力をもってしても治すことのできない、運命という名の病気であった』
「運命の病気...」
玲奈は胸が締め付けられるような思いがした。愛し合う二人を引き離す残酷な運命。
『アリエルは必死にエルシアを救おうとした。世界中の英知を集め、ありとあらゆる方法を試した。しかし、運命の力は神の力を上回っていた』
挿絵には、病床に伏すエルシアを看病するアリエルの姿が描かれている。神としての威厳を失い、ただ愛する人を救いたい一人の存在として描かれたアリエルの姿は、見ている者の心を痛めた。
『エルシアは最後の時、アリエルに言った』
ルカが引用部分を読み上げる。
『「あなたと出会えて、本当に幸せでした。この愛を、永遠に忘れないでください。そして、いつか新しい愛を見つけてください」』
「新しい愛を...」
玲奈は涙を流していた。エルシアの最後の言葉が、自分の心に直接響いてくる。
『エルシアは光となって消えていった。残されたアリエルの悲しみは深く、その悲しみによって世界は色を失い始めた』
「それで世界が崩壊し始めたんですね」
「はい。愛によって創られた世界は、愛を失うことで存続できなくなったのです」
ルカは本を閉じた。
「でも、これで終わりではありません」
「どういうことですか?」
「この物語には続きがあります」
ルカが別のページを開いた。そこには、玲奈が見たことのない挿絵があった。
『神の悲しみによって世界は崩壊の危機に瀕したが、一筋の希望の光があった。エルシアが最後に残した言葉、「新しい愛を見つけてください」という言葉である』
「エルシアさんの言葉が希望に...」
『アリエルは悟った。エルシアとの愛を忘れるのではなく、その愛を基盤として新しい愛を育むことができれば、世界は救われるのだと』
玲奈の心臓が激しく鼓動した。これは今の状況そのものではないか。
『そのため、アリエルは二つの計画を立てた。一つは、エルシアの記憶を受け継ぐ純粋な心を持った人を呼び寄せること。もう一つは...』
「もう一つは?」
玲奈が身を乗り出した。
ルカは少し躊躇してから続けた。
『自らの分身を創り、人間として愛を学ばせることであった』
「分身?」
「神としてではなく、人間として愛することを学ぶための存在です」
ルカの表情が複雑になった。
『この分身には、エルシアへの愛の記憶の一部が宿る。しかし、それは不完全な記憶であり、分身は自分の正体を知らずに生きることになる』
玲奈は急に不安になった。
「その分身の人は、自分が分身だということを知らないんですか?」
「はい。知らずに生きることで、より人間らしい愛を学ぶことができるとされています」
「それって...とても残酷なことではないですか?」
玲奈の声に怒りが混じった。
「自分の正体も知らずに、偽りの人生を送らされるなんて」
ルカは黙っていた。彼の表情には深い悲しみがあった。
「でも、その分身の人にも感情があるはずです。愛する人ができたら、その人はどうなるんですか?」
「それは...」
ルカは答えに詰まった。
『計画が成功すれば、世界は救われる。しかし、それは大きな犠牲を伴うものであった』
玲奈は本の続きを読んだ。
『分身が真の愛を学んだ時、その愛の力によって世界は救われる。しかし、その時分身は神として昇華し、人間としての存在は失われることになる』
「昇華...」
玲奈の声は震えていた。
「つまり、分身の人は消えてしまうということですか?」
「神として完全な存在になるということです」
「でも、それでは愛する人が残されてしまいます」
玲奈は立ち上がった。
「そんなの、エルシアさんの時と同じじゃないですか!また誰かが愛する人を失って悲しむことになる」
ルカも立ち上がった。
「玲奈さん...」
「神様は、どうしてそんな残酷なことを考えるんですか?愛によって世界を救うと言いながら、誰かを犠牲にするなんて」
玲奈の目から涙があふれ出た。それは単なる同情の涙ではない。もっと深い、個人的な恐怖と悲しみの涙だった。
「もしかして、その分身の人って...」
玲奈はルカを見つめた。彼の青い瞳に、深い悲しみと諦めが見える。
「ルカさん、あなたまさか...」
「玲奈さん」
ルカが彼女の手を握った。その手は冷たく震えていた。
「僕は...まだ自分が何者なのか確信が持てません。でも、最近自分でも気づいていることがあります」
「何ですか?」
「君といると、胸の奥で何かが動くんです。それが何なのか分からないけれど、とても大切なもののような気がして」
玲奈の心は混乱していた。もしルカが神様の分身なら、彼はいずれ神として昇華してしまう。愛すれば愛するほど、失う痛みが大きくなる。
「怖いです」
玲奈は正直に言った。
「愛することが怖くなりました」
ルカは玲奈を優しく抱きしめた。
「僕も怖いです。でも、君と出会えたことを後悔したくありません」
二人は図書館の静寂の中で抱き合っていた。周りには何千冊もの書物があるが、そのどれにも彼らの未来について確実な答えは書かれていない。
「どうすればいいんでしょう」
玲奈が小さくつぶやいた。
「分からない」
ルカも同じように答えた。
「でも、今この瞬間は確かにここにある。それだけは間違いありません」
玲奈はルカの胸の中で泣いた。愛することの喜びと、失うことの恐怖。その両方が心の中で激しく渦巻いている。
外では鳥たちが美しい歌声で鳴いているが、今の玲奈には悲しげな調べにしか聞こえなかった。エテルナの美しい世界も、いつか失われてしまうかもしれない儚いものに思える。
「ルカさん」
「はい」
「私たちの恋は...本物になれるでしょうか」
ルカは玲奈を見つめた。その瞳には迷いがあったが、同時に強い決意も見えた。
「本物にしましょう」
「でも、結末は...」
「結末がどうなるか分からないからこそ、今を大切に生きるんです」
ルカの言葉には力があった。
「君が僕を愛してくれるなら、僕はどんな運命でも受け入れます」
玲奈は驚いた。これは代役の恋愛を超えた、本物の感情の告白だった。
「私も...」
玲奈は心の奥底からの気持ちを口にした。
「私も、あなたを愛し始めています。エルシアさんの記憶ではなく、私自身の気持ちとして」
二人は再び抱き合った。今度は恐怖ではなく、愛情による抱擁だった。
図書館の窓から差し込む午後の光が、二人を優しく包んでいる。古い書物に囲まれた神聖な空間で、二人の本物の恋が静かに始まった。
それは世界を救うための計画された恋ではなく、二人の心から生まれた純粋な愛だった。たとえその先に別れが待っていても、この愛だけは本物だった。
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