破滅を避けた悪役令嬢、余生は未亡人になりまして

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1話

第1話 紅茶かぶりとモブ執事

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――もう、どうでもいい。


立ち上がって、カップを掴む。
中に残った紅茶を、そのまま頭上でひっくり返した。
冷めきった紅茶がゆっくりと首筋を流れ、気持ちが悪い。
赤い液体は髪を伝い、庭園に集まった令嬢たちの前で白いドレスを濡らしてゆく。
お母様が社交界デビューのために用意してくれた一張羅。
それすら、今の私には価値を持たなかった。


――全部、どうでもいい。


「……あんまり美味しい紅茶でしたので、頭で飲んでしまいました」

沈黙したまま見つめてくる令嬢たちに、スカートの裾を軽く持ち上げ一礼する。

「それでは皆様、ごきげんよう。さようなら、クソ社交界」

空に向かって、中指を立てた。
この世界にこのポーズの意味を知る者などいないだろう。
だが、やらずにはいられなかった。
この世界が、あまりにもクソだったからだ。


――数日後、私は両親から五か月の謹慎を言い渡された。



***

「お嬢様。……そのような行為はおやめください。淑女としての品格に欠けます」

声をかけてきたのは、名前も知らぬモブ執事。
屋敷の庭にある噴水に腰を下ろし、足を水に突っ込んでいる私に向かって。

草津の足湯なら立派な観光資源なのに、庭の噴水では“品格に欠ける”と言うらしい。
よく言ったものだ、モブのくせに。

「煩いわね。用があるならさっさと済ませなさい。私は足湯で忙しいのよ」

――もちろん嘘だ。
暇すぎて噴水の足湯がはかどっているだけ。
初夏に入りかけたこの季節には、足に触れる噴水の冷たさが心地いい。

紅茶を自ら浴びた社交界デビュー事件は瞬く間に広まり、今では屋敷の中ですら私に声をかける者はいない。
唯一こうして話しかけてくるのは、父の部下の、そのまた下にいるであろう量産型の執事だけだ。

オールバックに整えた髪。真面目そうな眼鏡。
どこにでもいる「顔のない執事」。
今も少し離れた場所からじっとこちらを見ているのは、私が足湯をやめるまで“無言の圧力”をかけるつもりなのだろう。

ならば、私にも考えがある。

「ちょっと、そこのモブ執事。
こっちに来なさい。面白い話を聞かせてあげるわ」

――なぜ、十八歳の娘がここまで絶望しているのか。
なぜ、この世界に“悪役令嬢”として転生して“今まで生きているのか”。

その理由を、今から語ってやろう。
どうせ、暇なのだから。




***

オフィーリアは、誰が見ても絵画から抜け出してきたような美貌を持っていた。

陽光を透かすプラチナブロンドの髪は、緩やかに波打ちながら背を覆い、白磁めいた肌をより際立たせる。
翡翠のような瞳は冷たく澄み、長い睫毛が影を落とすたび、令嬢たちは思わず息を呑んだ。
整った輪郭に紅を差した唇――それは貴族社会の理想そのもの。

誰も、彼女が「悪役令嬢」として設計されたキャラクターとは思わないだろう。
 ……私だって、本当は思いたくなかった。

私の名前は雪村灯子(ゆきむら・とうこ)。
どこにでもいる、ごく普通のオタクOLだ。

悪役令嬢モノの小説や漫画は数あれど、実際に“悪役令嬢”が登場する作品は意外と少ない。
そんな現実を打ち破るかのように発売されたのが、乙女ゲーム『ロザリア・クロニクル』だった。

「ホントに悪役令嬢が出てくる乙女ゲー」として、当時SNSを賑わせた話題作。
中でも評判を呼んだのは、悪役令嬢オフィーリアに仕掛けられた“破滅フラグ”の多さだ。

王子との政略結婚は悲惨なもので、側室に追いやられて孤独死する。
親の権力が失墜した瞬間に「邪魔者」として追放、あるいは暗殺。
学園や社交界では「高慢」「冷酷」と噂され、孤立無援に。
他人が犯した罪を、証拠を捏造されて背負わされる。

極めつけは神託。
「オフィーリアは十八歳で破滅する」――そう定められていた。
さらに好いた相手は必ず死ぬ、あるいは裏切る。そんな噂までついて回る。

彼女が歩けば破滅フラグに当たる、とSNSでネタにされるほどだった。

……そう、そんな悪役令嬢に――私は転生してしまったのだ。

仕事の過労で命を落としたと思った次の瞬間、目を覚ました私は、豪奢な天蓋つきのベッドに横たわっていた。

 「……あ、これは、死んだな」

第一声はそれだった。

だってオフィーリアだもの。
ゲーム本編の攻略動画より、ネタ動画の方が多い、悲劇の悪役令嬢。
まともに生きていけるはずがない。

死ななかったとしても、破滅の道は免れない――そう思った。

けれど、ひとつだけ希望があった。
それはゲームの知識だ。

『ロザリア・クロニクル』は、私が学生時代にどっぷり浸かった作品。
どのイベントで、どんな選択肢が破滅に繋がるのか。
どうすればオフィーリアが生き残れるのか。

――私は、その全てを熟知していた。


そこからの行動は早かった。
いや、早くしなければならなかった。

一日ごとにスケジュールを立て、破滅フラグの芽を摘み、主要キャラクターの好感度を管理する。
現実では数値が見えるわけもない。だから私は――瞳の色や声の調子から、ひたすら目視で確認した。

もちろん主人公キャラクターとも仲良くなった。
いじめるどころか、今では「お姉さま」と呼ばれて慕われている。

そう。私は破滅フラグを折りまくった。
折って、折って、折って――折って折って折りまくった。

全ては、生き延びるため。
そして、生きて元の世界に帰るために。

……だって、この世界にはゲームがない! アニメもない! 漫画もない!
 SNSも、ツイッター(X)も、スマホも、テレビすら無い!

帰りたい。あの場所に。

確かに、現実の私は安月給でこき使われて、幸せとは呼べない日々を送っていた。
けれど――娯楽はあった。楽しみがあった。推しがいた。

この世界には、それが無い。

確かに、目の前にいるキャラクターたちは美形ぞろいだった。
だが、実年齢三十を超えた私の目には、彼らはどうしても子供にしか映らない。
若すぎて、とても恋愛対象とは思えなかった。

ゲームが現実になった途端、推しすら推せなくなる。
二次元オタクの、悲しい性だろう。

だから私は生き延びた。
ただひたすらに、破滅フラグを折り続け、三年間の学園生活を耐え抜いた。

そして――帰れなかった。

破滅フラグを全て回避し、王子との婚約も円満に解消し、普通の令嬢としての人生を手に入れたはずだったのに。
運命の女神が現れて「あなたを元の世界に返します」と告げてくれることも、
目覚めたら元の世界に戻っている奇跡も、何も起きなかった。

待てど暮らせど、何も。

そこで私は悟った。
 ――二度と元の世界には帰れないのだと。

当たり前だ。私はもう現実で死んでいるのだから。

気づけなかった。いや、気づこうとしなかった。
考えないようにしていた。
そうでもしなければ、あの膨大なフラグを回避しながら生き延びることなど不可能だったからだ。

でも――ついに気づいてしまった。

この世界には、もはや絶望しかない。

社交界デビュー? どうでもいい。
くだらない貴族社会? 知ったことか。
謹慎? むしろ歓迎。

だって、もう二度と帰れないのだから。



***

私は、モブ執事にすべてを語り尽くした。
この世界がゲームだなんて言っても、彼に理解できるはずがない。
それでも執事は、ただ黙って耳を傾けていた。

鉄面皮のような顔。何を考えているのか、一切読み取れない。

「……以上が、私の不幸な転生人生ってわけよ。
 クソゲー世界に閉じ込められて、推しも娯楽も無くて、もうやってられない!」

噴水の水をばしゃりと蹴り、溜息をついた。
返事など、期待していなかった。
けれど執事は、少しだけ目を伏せて言った。

「……お嬢様。人は時に、この世界を檻のようだと嘆きます」

淡々とした声色。
だが、その一言で空気が変わった。

「失ったものばかりを数えてしまえば、行き先は閉ざされるでしょう。
けれど――まだ手に残っているものを見つめれば、歩みは続けられるのです。
どうか、そのことを忘れないでください」

言い終えた彼は、再び無表情に戻る。
 ……まるで自分自身を諫めるように。

「な……何よそれ、急に説教じみちゃって」

言いながらもこのモブ執事の言葉に、妙なざわめきが残った。
何なんだ、この執事は。

「ところで、お嬢様。他にこの話を誰かにされましたか?」

「え……? いや、あんたが初めてだけど」

「それは安心いたしました。そのまま誰にも話さず、胸の内に留めておいてください」

かすかに口角が上がった。
 ……表情筋、あったんだ、この人。

「この件は、私にお任せください」

「まあ、別にいいけど……」

任せるも何も、今の私にはどうしようもない。

そう言うと、執事は踵を返して歩き去ろうとする。
何を考えているのか。いや、そもそも、モブに何が出来るというのか。
茫然と考えながら彼の姿を見送る事も出来た。

でも、その背に声をかけずにはいられなかった。

咄嗟に服の袖を掴む。驚いたように振り返った執事と目が合った。
 ……あれ? よく見れば、この人、イケメンかもしれない。

「あんた、名前は?」

「私の名は――ジルバート・ヴァンデンベルグと申します」

「ジルバート・ヴァデ……ヴぁ……何それ、舌を噛みそうな名前!
モブのくせに贅沢よ! あんたのことは、ジルって呼ぶから」

「畏まりました。お嬢様」

そう言って彼――ジルは静かに一礼し、その場を後にした。
あまりに素っ気ない退場に、私はよく分からない喪失感を覚えた。

「何なのよあいつ……変な執事」

慌てて呼び止めようとしたせいで、噴水から出た足は土まみれになる。
……早く足湯に戻らないと。

そんなことを茫然と考えながら、私はまた水面を眺める“忙しい仕事”に戻った。

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