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第一章 おかしなお菓子の国

贈物

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宿屋、二階の角部屋。壊れた窓は修理中、砕けた壁も修理中。その修理費用は僕が払う。

『すまん』

「いいよ、別に……大丈夫」

『目に光が無いぞ、しっかりしろ』

「いつも通りだよ、死んだ魚の目ってね。よく言われたよ……同じ顔してるくせに、そっちの方が頭おかしいくせにっ……目が気に入らないってだけで何時間も殴りやがって……」

『ヘル……済まない。私が悪かった、正気に戻ってくれ』

「僕はいつでも正気全開だよ」

心配そうに僕を見上げるアルを尻目に僕は仕事紹介のパンフレットを捲っていた。お菓子の収穫の文字は見慣れた。お菓子の世話の文字にも慣れてきた。お菓子とはなんだろうか……おっとこれは考えてはいけない。
少し頭を休めるかとパンフレットから視線を逸らすとベッドの上に見慣れない本を見つけた。歴史書のようだ、こんな物買った覚えはない。

『ヘル! それに触るな!』

「うわっ! な、何?」

目次を見ることも出来ず、本はアルの尾に取り上げられた。

「あ、アル? それ何?」

『歴史書だ、書物の国から盗……いや、なんでもない』

書物の国。公共施設の九割が図書館、識字率十割、個人経営の店は十割本屋、というあの国。国連加盟非加盟問わず、本好きの権力者達が内容を問わず本を保護した末に出来た特殊な国。
以前から興味を持っていた、僕はそれなりに読書家なのだ。家に居て暇だったからとかではなく、純粋に。

「見せて!」

『ダメだ』

「どうして?」

『禁書だからな、貴方には危険すぎる。これはただの歴史書だが、悪魔や呪いについても多く書かれている。耐性のない人間が読めば二行で気が狂う代物だ』

「うわ……僕、大丈夫? 見てないし大丈夫だよね?」

『……大丈夫、だろう』

目を逸らされて不安を煽られる。尾の黒蛇は本に巻きつき、僕から少しでも遠ざけようとしている。

「……ぁ、それってさ、この国の呪いについても載ってるの?」

『ああ、それを調べる為に盗……いや、持って来て貰ったからな』

「ふぅん、じゃあ解き方とかは?」

『無い。言っただろう』

「そう、じゃあ……かけたのは? 誰?」

誤魔化すようにグミを頬張るアルの目を見つめる。根比べだ。いつもは真っ直ぐな黒い瞳も、誤魔化している今はよく泳ぐ。

『……『暴食の呪』などあの方しか居ないだろう? 貴方はあまり悪魔に詳しくないようだな、習わなかったのか?』

「学校行ってないからね、悪魔の事なんて何も知らない」

『天使は?』

「もっと知らない」

深いため息をつくアル、その仕草はどこかわざとらしい。グミを飲み込んでベッドの上に飛び乗ると僕の頬に頭を擦り寄せた。

『あぁ、私の可愛らしいご主人様。貴方の無知はとても愛らしいが、それは命取りとなる。それを防ぐのは私の役目なのだろうな』

自分に酔ったような演技臭いその台詞を聞き流してもう一度『暴食の呪』について質問する。

『あまりその呪いの名を口にするな。仕方ないな、本に載っていた訳では無い、私の憶測だぞ?』

「いいよ、当たってそうだし」

『その信頼は嬉しいがな。地獄の帝王、悪魔の最高司令官、名は……言いたくないな、勘付かれるのは避けたい。貴方もあまり悪魔や天使の名を呼ばないように、見つかってしまうぞ』

「見つかったらどうなるの?」

『貴方の力は珍しく、強力だ。それに気がついた者のする事は……なんだと思う?』

「殺されるの?」

『それは良ければ、だな。自我を消し力だけを利用しようとする輩が殆どだろう』

その後、淡々と自我を消す方法や廃人にする方法についてを聞かされた。聞いているだけで精神の磨り減るその話を最後まで聞けたのはアルがずっと体を擦り寄せてくれていたからだろう。

「怖いな、やだなぁ、そんなのされたくないよ」

『何の為に私が居ると思っている、安心しろ』

「うぅ……もふもふ……アル、信じてるよ」

『任せろ』

柔らかい銀毛を堪能し、昼寝を始めた。起きた頃には陽は落ちていて、仕事探しを忘れていたことに気がついた僕は絶望した。
請求書を見て絶望する僕の目の前に、女神……種族的には悪魔が現れた。

『もう! だーりんったらぁ、言ってくれれば良かったのにぃ!』

「メル……ごめんね、ホントにごめん」

『いーのいーの!』

修理代を全額肩代わりしてもらうという情けない真似をした。メルに気にした様子は全くなく、手のひらサイズのグミを齧っている。
宿屋の主人はこれでもかと目を見開いていた。当然だ、王女がやって来て金を払ったかと思えば僕の事を「だーりん」なんて呼んでいるのだから。
宿屋の客の目も痛かった、僕は早めにこの国を出た方がいいのかもしれない。まぁ、明日出国予定なのだが。

「ねぇ、メル。せめて僕を違う呼び名で呼んでくれないかな」

『だーりんダメ?』

「だーりんダメ、恥ずかしい。名前でいいから」

『じゃあだーりんで!』

「ねぇ、聞いて。僕の話聞いて、お願いだからさ」

『だーりんが恥ずかしがるならもっともっと呼んであげる。それに……もっと恥ずかしいこともね』

「アル、助けて」

開け放たれた窓から差し込む暖かい日差し、それで日向ぼっこをしている最中のアルに助けを求める。だがアルは片耳を上げ、興味無さげに一瞥して終わらせた。

「は、薄情者……」

『ねぇだーりん、逢いに行ってもいいかな?』

「へ?」

急に真面目な顔をしたメルに素っ頓狂な声を返してしまった。

『だって、明日行っちゃうんでしょ? もう逢えないなんて嫌よ。だから、いつか逢いに行ってもいいかな?』

「あ、あぁ勿論……いい、けど」

『やったぁ! じゃあコレ大事に持ってて! ワタシだと思ってってヤツ!』

そう言うとメルは真っ赤なリングを手渡した。ハートの彫刻が施された彼女らしく可愛らしい物だ。

「これって……」

『角アクセ! じゃあね、だーりん! 愛してる!』

メルはそう言うと窓から飛び立った。二対の蝙蝠のような羽は嬉嬉としてメルを浮かせている。

「ねぇ、アル」

『良かったな、この国では身につけてきた装身具を贈るのはこの上ない愛情表現だそうだ。大切にしてやれ』

そう言うアルはどこかぶっきらぼうで、静かに唸っている。

「……僕、角ない」

『そういえばそうだったな、腕輪にでもしておくといい。貴方の細さなら入るだろう』

「そうする……って、細いって言うのやめてよね」

『今まで見てきた人間の中で最も細い』

「へぇ、アルってあんまり人間見てないんだね」

半分に割れるように開くリングを腕にはめる。それは奇しくも僕の手首にぴったりで、決して外れる事はないだろうと思わせた。ただ、派手な赤と可愛らしいハートのデザインが僕には似合わなかった。
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