魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第五章 淫靡なるは酒食の国

招かれざるは

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真っ暗な洋館でアンテールの高笑いが響く。

「お母様、見てくださいよ。この羽……なんて美しい!」

『分からん趣味だ』

血の滴る羽を抱き締め、嬉しそうにくるくると回る。コウモリを思わせるそれの飛膜は薄い桃色で、後ろの景色が微かに透けていた。骨の部分は漆を塗ったような美しい光沢のある黒だ。

「淫魔の羽でここまで美しいのは珍しいんですよ?  ほら、このピンクのところ。すごく薄いでしょう?  こんな薄いので飛んだらすぐに破れるでしょうね。骨のところも普通の淫魔よりずっとずっと細い、ぶつけただけで折れてしまいますよ」

『そんな物に価値があるのか?』

グルナティエは自分の息子を一瞥もせずに水晶玉を取り出し、指先に浮かべた。

「脆いからこそ美しい!  淫魔の羽は普通もっと赤っぽいんですよ、それなのにこれは薄桃色!  全く意味をなさないからこそこの羽はとても美しい!  不完全の美がある羽なんてこれ以外には見たこともありませんよ!」

興奮した様子で声を荒らげるアンテールを無視し、グルナティエは水晶玉の景色を睨む。闇色の髪の天使が淫魔の少女を手当てしている。羽がちぎれたその少女に意識はなく、天使は単調な呼びかけを繰り返していた。

『そんな物よりも、見ろアンテール。お前のおかげで天使が釣れた。この隙に魔物使いの血を頂くとしよう』

「え、ああ、そういえばそうでした」

黒のマントを羽織り、グルナティエは窓から飛び立つ。
その姿は大きなコウモリに変わる。アンテールも後を追うがこちらは人の姿のままだ。
二人の吸血鬼の後に無数のコウモリが続いた。


真夜中に理由もなく目が覚める、まぁよくあることだろう。物音がしたわけでも明かりがついたわけでもない、ただ目が覚めた。
目を閉じても開いても、景色は変わらない。
真っ暗だ。
横からは静かな寝息が聞こえてくる、愛しいアルのものだ。柔らかい銀色の毛をそっと撫で、起こさないようにそっとベッドから這い出る。

手探りで洗面所まで辿り着く、明かりをつけて顔を洗う。
すっかり目が覚めてしまった、時刻は午前二時、草木も眠る丑三つ時とやらだ。
まだセネカは戻っていないらしい、暇だからとアルを起こすわけにもいかないので、理由もなくカバンを漁る。面白い物がある訳でもないのに。

銀の輝きが見え、引っ張り出したのは弓だ。この弓も不審な点が多い、矢が勝手に生成されることから魔道具の類だろうとは予想している。
ぼうっと美しい銀を眺めていると、窓を叩く音がする。カーテンを閉めているために誰かは分からないが、きっとセネカかレリエルだろう。
僕はそんな甘い認識でカーテンを開いた。

「や、お久しぶり。魔物使いサン」

「アンテール……!」

この暗さで表情は見えないが、きっとあの嫌らしい笑みを浮かべているのだろう。招かれなければ入る事は出来ないというヴァンパイアの特性、だがこの男はダンピールだ。
その特性は薄まっている、ただカーテンを開けただけでそれは招待と見なされたらしい。
窓が叩き割られる。ガラスの破片が飛び散り、咄嗟に顔を庇った腕にいくつか刺さった。
伸ばされたアンテールの腕が僕を掴み、窓から外へ引きずり出される。
咄嗟に掴むことが出来たのはカバンの持ち手だった。

「あの犬は起きちまったかな?  ま、追いつかれる前にババアに渡しゃいいか」

重力を全く無視して屋根を踏みつけ空を飛ぶ。不安定な中、カバンからはみ出た弓を引き抜き男アンテールに向けた。

「うわっ!?」

弓を引く間もなくアンテールは僕を落とした。
叩きつけられたのは屋根の上、それ程の高さでは飛んでいなかったようで助かった。
背の痛みを堪えながら横に落ちたカバンに手を伸ばす。

アンテールのそばに大きなコウモリが現れた。アンテールは深々と頭を下げ、コウモリはそれを冷たく見下す。

「すみません、その……銀に見えたもので」

『銀?  お前には私ほど効かないだろう。やれ。一滴も血を落とさずに連れてこい』

「……自分でやれやクソババア」

『何か言ったか?』

「いえ何も、しばしお待ちくださいな、お母様」

向かってくるアンテールに対し弓を引く。アンテールは生成された銀の矢を全て躱し、僕の腕を蹴って弓を弾き飛ばした。

「てめぇに興味はねぇんだけどよ、ババアがうるせぇんだよな。ま、ちょっと血を吸われるだけだ、すぐに済むから大人しくしてくれよ?」

アンテールの足が降ってくるのが見えて、頭に強い衝撃を感じた。
それを最後に僕は意識を失った。

「出来ましたよ、お母様」

猫なで声を取り繕い、大きなコウモリに話しかける。コウモリは女の姿に変わると上機嫌でヘルを掴みあげた。
首筋をなぞり血管の位置を確かめる、皮膚を裂いて牙を突き立てれば新鮮な温かい血が飲める。
それに至上の喜びを感じるグルナティエは、口が耳まで裂けるのではないかと思わせる程の笑みを見せあ。

『魔物使いの血、飲めば更に眷属が増えるだろうな』

魔物を使役する魔力を秘めた血だ、この国を支配するのだって夢ではない。

「早くした方が良いのでは?  天使がいつまでもセネカに張り付いているとは限りませんし」

『あの天使はこの街の秩序を守るモノ、あの傷を手当した後は原因を調べ始めるだろう。まだまだ時間はあるさ、あの天使もまた夜の間しか働かないのだからな』

そう言いながらグルナティエはヘルの首に顔を寄せる。
急ぐ必要はないと言ってもこのご馳走を目の前にいつまでも待てるほどの忍耐は持ち合わせていない。
牙が突き立てられるまさにその時、グルナティエに突進する銀色の影が一つ。

『チッ、魔獣如きが!  鬱陶しいぞ!』

餌を取り上げられ恨みを吐く、その体は霧と化している。
これもヴァンパイアの特性の一つだ、体を霧に変え一切の物理攻撃を無効化してしまう。

『吸血鬼か……十字架でも持って来るべきだったか?  ああ、それとも白木の杭かな?』

アルは挑発的な態度を取りつつ、油断なくヘルをその体の下に庇った。アルは吸血鬼への有効打を持っていない、諦めさせて帰らせるのが最上の策だ。
その為には自分が手強く面倒な相手だと思わせなければならない、だから吸血鬼の弱点を並べ立てる。

『貴様では私は殺せんぞ?』

『かもしれんな、だが考えろよ。日の出までに私を倒せるのかどうかを』

吸血鬼は弱点の多い種族だ、それを知っているのだとアルは訴えかける。反対に言えば決められた方法以外で殺すことは出来ない、なんて思わせてはいけない。

『二人だけだと思わない方がいい』

グルナティエが指を鳴らすと、空を覆うほどの無数のコウモリが現れる。その全てはただのコウモリではない。
吸血鬼の眷属、魔獣の一種。吸血蝙蝠。

『一体の強敵よりも無数の雑魚、一撃の致命傷よりも無数の擦り傷だ。塵も積もれば山となる、とな。せいぜいその子供を守るといい、自分の命を捧げる覚悟があるのなら日の出までは持つかもしれんぞ?』

『塵がいくら集まろうと塵に過ぎん、本物の山にはならんさ』

翼を振るえば落ちる程度のコウモリだ。
アルはヘルを庇いながら、吸血鬼達への反撃の隙を伺った。
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