魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第五章 淫靡なるは酒食の国

魔というモノは

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コンクリートの壁が崩れ、アルは室内に叩きつけられる。アンテールは追撃に移ろうとして……やめた。

「……お母様?」

アンテールは空を見上げる。灰が、街中に広がっていく。
アルは隙だらけのアンテールに飛びかかろうとしなかった、罠ではないかと疑ったからだ。
そんな中、闇から溶け出したようにレリエルが現れ、アンテールの眼前ににロザリオを掲げる。

『アンテール、正直に答えろ』

「うわっ……十字架下げろよ、いくらダンピールでも肌ちょっとヒリヒリするんだよ」

『貴様は罪を犯したか?』

「罪……?  いや、何も」

アンテールは十字架を避けるように、レリエルの追求を逃れるように目を逸らす。

『あの魔獣と争っているようだが』

「そっ、それは……その、お母様がやれって……ぼくはいやなのに」

嘘くさい演技だ、例え幼子であろうと見抜けるほどに。レリエルはロザリオを闇に落とし、振り返ってアルを見つめた。

『聞いたか?  もう争いはやめろ、手当はしてやる』

『貴様、信じるのか?  吸血鬼もどきの言い訳を』

『無罪ではないが、死罪でもない。それに裁くのは私の仕事。魔獣にその権利はない。この争い分の罪は見逃す、請求も無しにしよう。だからもう帰れ』

アルの体にぐるぐると包帯が巻かれていく、その下手な手当は子供のお遊戯よりもお粗末な出来だ。

『……何を言っている』

『仲直りしろ』

『ふざけているのか!』

『大真面目だ。私はこの街の秩序を守る為に存在している。裁きは平等に、慎重に下さねば』

後日詳細を聞くと言いながらレリエルは振り向く。アルの手当はこれで終わりらしい。酷く下手な、しない方がマシな手当だ。

『アンテール?  帰ったのか』

姿の見えないアンテールは家に帰ったのだろうと結論付けられた。レリエルは闇に溶け込み消える、アルはすぐに包帯を外しアンテールを追った。これだから天使は……とぼやきながら。



狭い路地を行く。セネカはしばらく前に目を覚ましたが、まだ一人で歩く程には回復していない。肩を貸し、ゆっくりと歩幅を合わせる必要があった。

『ごめんね、ヘルシャフト君』

「謝らないでくださいよ、あなたは何も悪くないんだから」

セネカは僕にずっと謝り続けている、目を覚ました時からずっと。何度謝るなと言っても聞く耳を持たない。

前を見れば開けた道、大通りに出たらしい。いつもならば狭い路地をやっと抜けたと喜ぶところだが、追われている今では狭く細い道を選んでいたかった。だが、引き返す訳にもいかない。

大通りを横切り、向かいの路地に入ろう。
そう、考えて。
大通りの丁度真ん中に差し掛かった時。

空に無数のコウモリが現れた、逃げ込もうとした小道には人がいる。様子のおかしな人間が。
目は虚ろに赤く光り、反対に曲がった足を引きずって歩く。気味の悪い奇声を発して僕達へ手を伸ばす。

「な、なに……なんだよ、来るな!  向こう行けよ!」

『マズイね、死体だよ、吸血鬼が死体を操っているんだ、知性がない分凶暴だよ』

コウモリが嬉々として飛び回り、頭上を掠める。死体が僕の腕を引っ掻き、三本筋の傷をつけた。
ダメだ、この数で弓は意味をなさない。セネカを連れていてはそう自由には動けない。
この死体達には魔物使いの力が効いていない。魔物ではない、ということか。死体が動いているだけだと。

「どうしよう、どうしよう、アル……助けてよ」

アルはいない、来ない。助けに来てくれない。
一際大きい奇声をあげ、大柄な死体が飛びかかってくる。眼前に爪が迫り、もうダメだと諦めそうになったその瞬間。
目の前が真っ暗になった。
死体に目を潰された?  違う。攻撃されて気を失った?  違う。

「…………セネカさん?  何、してるんですか」

『大丈夫、何も出来ないボクでも盾くらいにならなれるから。あの狼はきっと君を助けに来るよ、それまでくらいは耐えてみせるから』

セネカが僕に覆いかぶさって庇っている。死体の爪が、歯が、肌を裂いて肉を落とす。頭に回された腕が震えている、頭上で痛みに耐える押し殺した悲鳴が聞こえる。地面に血が広がっていく。

「セネカさん!  ダメ……どいてよ!」

その声を聞いて、僕を掴むセネカの力は強くなる。
離す気はない、どく気はない、見捨てる気はない。どうせ死ぬんだから最期くらい良いことさせてよ、そんな声が聞こえた気がした。

「あ、あ……やだ、だめだ、やめてよ」

どうにかしなければと辺りを見回し、血に染まる地面に一冊の本を見つける。倒れた拍子にカバンの中身をぶちまけたのだ、見れば弓も、その他の物も道に散らばっている。
黒い本、そうだあの本はマルコシアスを呼び出すグリモワール。
手は届かない、でも声は届くはず。
これだけの量の血だ、きっと中まで染み込んでいる。僕の血でなくとも応えてくれるはず。

「助けて……マルコシアス様」

弱々しい声は確かに届いた。黒い本が禍々しい黒い光を放つ。
恐ろしい唸り声をあげ、巨大な黒狼が姿を現した。鷹の翼に、蛇の尾、光を吸い込む黒い体。
蛇の尾は死体を薙ぎ、口から七色の炎を吐く。七色の炎は死体を、そしてコウモリを焼き払い石に変えた。
あっという間に僕達を襲ったモノ達は動かなくなった。

『こんなとこかな?  ヘルシャフト君、君の血でなかったのは残念だけど、たぁっぷり貰ったから仕事はちゃんとするよ』

黒狼はスーツを身にまとった女の姿に変わり、優しい微笑みを浮かべた。

『おやおや……酷い怪我だね』

マルコシアスはセネカを抱き起こし、まじまじと眺めた。セネカをゆっくりとガードレールにもたれさせると、今度は僕に手を差し出した。

「マルコシアス様!」

『おっと……んふふ、熱烈な歓迎はありがたいねぇ。よしよし、可愛い可愛い』

僕はマルコシアスにすがりつくように抱きつき、これまでの経緯を手短に話した。セネカを救う方法はないのか、とも。
焦りもあってまともに話は出来なかったが、それでもマルコシアスは僕の話を理解してくれた。

『生まれつき生気を吸い取れない淫魔ねぇ。全く可哀想なことだ、体質ってのは自分ではどうしようもないからねぇ』

「なんとかなりませんか?」

『なるよ、魔物使い──ヘルシャフト君の力ならね。でも禁咒だよ?  あの仔……アルギュロスはきっと怒るね』

少し意地悪な笑みを浮かべて、マルコシアスは続けた。

『責任を持てるかい?  この子の人生を引っくり返すんだ、この子はそれを望むだろうか。もしかしたら……このまま消えてしまった方が良いと言うかもしれないよ?』

「そんな事……!  セネカさんは、生きたがってるはずです!  ずっと元気なふりして、楽しそうにして、倒れた時は何回も謝って落ち込んで……セネカさんは、きっと……いや絶対。こんな終わりなんて、望まない、はず……ですよ」

マルコシアスはおかしくてたまらないと言うふうに笑い出す。それでこそ、そう言っている気がした。

「笑ってないで教えてくださいよ!」

『ああ、君の望みとあらば勿論。でも……代償が欲しいなぁ』

「好きなだけどうぞ!  ほら、早く教えてください!」

擦り傷だらけの両腕を差し出すと、マルコシアスは恍惚とした笑みを浮かべ、セネカを助ける方法を話した。そして僕の血を舐め、健闘を祈ると言って本に吸い込まれるように消えてしまった。

腕の痛みなど気にならない。僕は地に落ちたコウモリの石片で手の甲を傷つけた。
そしてそれをセネカの体に垂らす。
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