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第八章 堕した明星
離別なんて許さない
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呼吸が落ち着くとリンに水を手渡された。
水を飲むと話せるようにもなって、僕は早速アルの名を呼ぶ。
だが、アルはドアの前から動こうとしない。
「落ち着いたみたいだね、庭で何してたの?」
「えっと……アルを、追いかけてました」
「どうして?」
「遊び……ですかね」
アルは走り出す前に鬼事をしたと話していた、思い出して遊びたくなったのかもしれない。
僕を翻弄していた時のあの表情は……心の底から楽しんでいる時のものだった。
「でも、僕は……アルが離れていくのが怖くて、嫌で、それで……気がついたら」
「……やっぱり精神的なものだね、走ったのも悪かったのかもしれない。しばらくはゆっくりしてなよ? 俺も大人しくしてないとだし」
そう言ってリンは右腕を見せた。袖の中に腕はない、肘の上からは自前の肉体だと言う。
義手を作るのには時間がかかる。二、三日の間はこのままなのだと。
リンはアルを押しのけてドアを開け、もう一度振り返って安静にするようにと釘を刺した。
ドアが閉まるとアルは再びドアの前に陣取った。
「アル、おいでよ」
『………断る』
「僕のこと、嫌い? そりゃそうだよね、何にも覚えてないんだから。僕みたいな鬱陶しい奴嫌いだよね」
『……私はそんな!』
『でもごめんね? 僕は君が居ないとダメなんだよ……お願い、傍に居てよ。僕を嫌っていてもいいから、隣に居てよ』
僕を哀れんだからなのか、それとも僕が魔物使いの力を無意識に使ってしまったのか。
アルはベッドの隣に座り込み、顎を縁に乗せて僕を見上げた。
「僕、魔物使いだって話したよね」
『ああ、聞いた』
「だから、君がいくら嫌がっても僕は君を無理矢理傍に置くよ。君がどんなに僕を嫌いでも、無理矢理好きだって言わせてやるから」
髪をかきあげて右眼を見せる。
説明した時にも見せたが、アルの耳は跳ね上がった。妙な模様でも出ているのだろうか、アルはとても驚いている。
無理矢理だなんて本気で言っているのか? それは自分でも分からない。
「だからね、嫌だったら僕を食べちゃっていいからね。今までにも何度も色んな魔物に食べられかけたから……多分、僕はすごく美味しいんだと思う」
『……私が貴方を喰えると思うのか!』
「…………アル?」
『嫌いなどと言った覚えはないぞ!』
「呼んでも……来なかった。僕の隣に、来てくれなかった」
アルはベッドに飛び乗り、僕の首に頭を擦り寄せる。
『貴方が苦しそうだったから、私が近くに居ては休まらないだろうと。私のせいで倒れてしまったのだから、私が傍に居ては気が休まらないだろうと。そう考えて、私は……!』
「ずっと言ってるじゃないか、僕は君が居ないとダメなんだって。君が居てくれないと治らないよ」
『私はもう貴方の隣から離れない、ずっと貴方の傍に居よう、だから……もう泣かないでくれ』
いつの間にか泣いていたようで、涙で歪んだ視界いっぱいにアルの辛そうな顔が映る。
そんな顔をさせないために、必死に涙を拭って無理矢理に笑顔を作る。
アルを抱き締めて、みっともない顔を見せないようにする。
「ねぇアル、僕の名前……分かる?」
『悪いが貴方の事は何も分からない』
「……そっか」
『だが、貴方は私の大切な主人だ。それだけは分かる』
「認めないって言ったくせに」
『それは……忘れてくれ。貴方は弱いままでいい、私が守ってやる』
アルは僕を押し倒して毛布をかけた。もう寝ろとでも言いたげに横に伏せる。
僕を見張るようなアルの頭を撫でて、先程の言葉と思い出を反芻する。
守る……アルはずっと僕を守ってくれていた。けれど僕がアルのために何かをしたことはなかっただろう。
そのせいでアルは何度も傷ついて、その果てに………僕の、せいで。
真っ赤な光景が瞼の裏で明滅する、誰の血なのかはもう分からない。
僕を守ってくれた。僕を守って倒れた。僕のせいで死んだ。
『……なんて顔をしている、私はずっと隣に居るぞ、安心して眠れ』
「アル、本当に僕の傍に居ていいの? 怪我するよ、死んじゃうよ、僕なんか守ってたら」
『有り得ない……とも言えないな、事実私は一度滅びたのだから。だがこのアルギュロスに二度はない、約束しよう』
「……ありがとう、ごめんね。ごめん……ごめんなさい」
『もう寝ろ、眠っている間に消えたりはしない』
「僕なんかが魔物使いじゃなかったら良かったのにね」
『…………』
「僕なんか、生まれてこなきゃ良かったのにね」
『…………ヘル』
「ごめんね、アル……ごめんなさい。生まれてきて……君に会って、ごめんなさい。僕なんかいなきゃ君は幸せだったのに」
『もうやめろ』
「……うん、ごめんね、おやすみ」
目を閉じるとアルに頭まで毛布を引っ張り上げられた。不器用な優しさに胸を締め上げられながら僕は後悔していた。
僕なんかが魔物使いじゃなかったらアルはもっと幸せだったのに。もっと違う、もっと良い人がそうだったらアルはきっと幸せになれたのに。
僕がいなければ、生まれて来なければ、僕なんかが……
元々酷かった自己嫌悪の癖は、アルを一度失ってから悪化した。
瞼の裏が熱くなってきた、また泣いてしまう。
堪えようのないそれを止めてくれたのはアルの声だった。
『……おい、眠ったのか?』
返事はしない、僕が眠ったのを見計らって逃げるつもりならばそれで良かった。
いや、そうして欲しかった。
僕が魔物使いの力を振るって止めてしまう前に、逃げて欲しかった。
『貴方の名前をきっと呼んでみせる。貴方との思い出をきっと取り戻してみせる。もう少し待っていてくれ、全て元に戻してやるからな』
顔にかけられた毛布が沈み、こつんと額に何かが当たる。
『これだけは分かる、記憶の無い今でもこれだけは言える』
その何かはアルの頭だと直感した、微かな体温が毛布越しに伝わる。
『貴方を最も愛しているのは私だ』
聞き覚えのある言葉だ、忘れる筈のない言葉だ。
アルが最期に伝えた言葉だ、それを今再現してみせた。
僕の最後の杞憂、今のアルと前のアルは全く別物ではないかという杞憂は、今消え去った。
頭の上の毛布が剥ぎ取られる。
微かな光が瞼を透して伝わり、柔らかい毛の感触が直接頬に伝わった。
『ふ……子供らしい寝顔だな』
目のあたりにアルの舌が触れた、涙の跡を舐めているのだろう。
頬を擦り寄せられて、幸せな重みを感じた。
『……私の可愛いご主人様』
アルはそうっと毛布に潜り込み、僕の腕を枕にした。
『貴方の全ては私のものだ』
毛布よりも温かく柔らかい、馴染みのある翼。
足に絡むひんやりとした尾、肌に触れた柔らかい毛。
『……誰にも渡さん』
その全てが懐かしく愛おしい。寝たふりをしながらそっとアルを抱き締めた。
そして僕は確信する。
アルが僕の元に戻って来てくれたのだと。
そして僕の決意は固まる。
もう絶対に離さないと、逃げようとしても離さないと。
水を飲むと話せるようにもなって、僕は早速アルの名を呼ぶ。
だが、アルはドアの前から動こうとしない。
「落ち着いたみたいだね、庭で何してたの?」
「えっと……アルを、追いかけてました」
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「遊び……ですかね」
アルは走り出す前に鬼事をしたと話していた、思い出して遊びたくなったのかもしれない。
僕を翻弄していた時のあの表情は……心の底から楽しんでいる時のものだった。
「でも、僕は……アルが離れていくのが怖くて、嫌で、それで……気がついたら」
「……やっぱり精神的なものだね、走ったのも悪かったのかもしれない。しばらくはゆっくりしてなよ? 俺も大人しくしてないとだし」
そう言ってリンは右腕を見せた。袖の中に腕はない、肘の上からは自前の肉体だと言う。
義手を作るのには時間がかかる。二、三日の間はこのままなのだと。
リンはアルを押しのけてドアを開け、もう一度振り返って安静にするようにと釘を刺した。
ドアが閉まるとアルは再びドアの前に陣取った。
「アル、おいでよ」
『………断る』
「僕のこと、嫌い? そりゃそうだよね、何にも覚えてないんだから。僕みたいな鬱陶しい奴嫌いだよね」
『……私はそんな!』
『でもごめんね? 僕は君が居ないとダメなんだよ……お願い、傍に居てよ。僕を嫌っていてもいいから、隣に居てよ』
僕を哀れんだからなのか、それとも僕が魔物使いの力を無意識に使ってしまったのか。
アルはベッドの隣に座り込み、顎を縁に乗せて僕を見上げた。
「僕、魔物使いだって話したよね」
『ああ、聞いた』
「だから、君がいくら嫌がっても僕は君を無理矢理傍に置くよ。君がどんなに僕を嫌いでも、無理矢理好きだって言わせてやるから」
髪をかきあげて右眼を見せる。
説明した時にも見せたが、アルの耳は跳ね上がった。妙な模様でも出ているのだろうか、アルはとても驚いている。
無理矢理だなんて本気で言っているのか? それは自分でも分からない。
「だからね、嫌だったら僕を食べちゃっていいからね。今までにも何度も色んな魔物に食べられかけたから……多分、僕はすごく美味しいんだと思う」
『……私が貴方を喰えると思うのか!』
「…………アル?」
『嫌いなどと言った覚えはないぞ!』
「呼んでも……来なかった。僕の隣に、来てくれなかった」
アルはベッドに飛び乗り、僕の首に頭を擦り寄せる。
『貴方が苦しそうだったから、私が近くに居ては休まらないだろうと。私のせいで倒れてしまったのだから、私が傍に居ては気が休まらないだろうと。そう考えて、私は……!』
「ずっと言ってるじゃないか、僕は君が居ないとダメなんだって。君が居てくれないと治らないよ」
『私はもう貴方の隣から離れない、ずっと貴方の傍に居よう、だから……もう泣かないでくれ』
いつの間にか泣いていたようで、涙で歪んだ視界いっぱいにアルの辛そうな顔が映る。
そんな顔をさせないために、必死に涙を拭って無理矢理に笑顔を作る。
アルを抱き締めて、みっともない顔を見せないようにする。
「ねぇアル、僕の名前……分かる?」
『悪いが貴方の事は何も分からない』
「……そっか」
『だが、貴方は私の大切な主人だ。それだけは分かる』
「認めないって言ったくせに」
『それは……忘れてくれ。貴方は弱いままでいい、私が守ってやる』
アルは僕を押し倒して毛布をかけた。もう寝ろとでも言いたげに横に伏せる。
僕を見張るようなアルの頭を撫でて、先程の言葉と思い出を反芻する。
守る……アルはずっと僕を守ってくれていた。けれど僕がアルのために何かをしたことはなかっただろう。
そのせいでアルは何度も傷ついて、その果てに………僕の、せいで。
真っ赤な光景が瞼の裏で明滅する、誰の血なのかはもう分からない。
僕を守ってくれた。僕を守って倒れた。僕のせいで死んだ。
『……なんて顔をしている、私はずっと隣に居るぞ、安心して眠れ』
「アル、本当に僕の傍に居ていいの? 怪我するよ、死んじゃうよ、僕なんか守ってたら」
『有り得ない……とも言えないな、事実私は一度滅びたのだから。だがこのアルギュロスに二度はない、約束しよう』
「……ありがとう、ごめんね。ごめん……ごめんなさい」
『もう寝ろ、眠っている間に消えたりはしない』
「僕なんかが魔物使いじゃなかったら良かったのにね」
『…………』
「僕なんか、生まれてこなきゃ良かったのにね」
『…………ヘル』
「ごめんね、アル……ごめんなさい。生まれてきて……君に会って、ごめんなさい。僕なんかいなきゃ君は幸せだったのに」
『もうやめろ』
「……うん、ごめんね、おやすみ」
目を閉じるとアルに頭まで毛布を引っ張り上げられた。不器用な優しさに胸を締め上げられながら僕は後悔していた。
僕なんかが魔物使いじゃなかったらアルはもっと幸せだったのに。もっと違う、もっと良い人がそうだったらアルはきっと幸せになれたのに。
僕がいなければ、生まれて来なければ、僕なんかが……
元々酷かった自己嫌悪の癖は、アルを一度失ってから悪化した。
瞼の裏が熱くなってきた、また泣いてしまう。
堪えようのないそれを止めてくれたのはアルの声だった。
『……おい、眠ったのか?』
返事はしない、僕が眠ったのを見計らって逃げるつもりならばそれで良かった。
いや、そうして欲しかった。
僕が魔物使いの力を振るって止めてしまう前に、逃げて欲しかった。
『貴方の名前をきっと呼んでみせる。貴方との思い出をきっと取り戻してみせる。もう少し待っていてくれ、全て元に戻してやるからな』
顔にかけられた毛布が沈み、こつんと額に何かが当たる。
『これだけは分かる、記憶の無い今でもこれだけは言える』
その何かはアルの頭だと直感した、微かな体温が毛布越しに伝わる。
『貴方を最も愛しているのは私だ』
聞き覚えのある言葉だ、忘れる筈のない言葉だ。
アルが最期に伝えた言葉だ、それを今再現してみせた。
僕の最後の杞憂、今のアルと前のアルは全く別物ではないかという杞憂は、今消え去った。
頭の上の毛布が剥ぎ取られる。
微かな光が瞼を透して伝わり、柔らかい毛の感触が直接頬に伝わった。
『ふ……子供らしい寝顔だな』
目のあたりにアルの舌が触れた、涙の跡を舐めているのだろう。
頬を擦り寄せられて、幸せな重みを感じた。
『……私の可愛いご主人様』
アルはそうっと毛布に潜り込み、僕の腕を枕にした。
『貴方の全ては私のものだ』
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足に絡むひんやりとした尾、肌に触れた柔らかい毛。
『……誰にも渡さん』
その全てが懐かしく愛おしい。寝たふりをしながらそっとアルを抱き締めた。
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