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第八章 堕した明星
無意味な軍勢
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遠くの方で爆発が起こった。
大気は震え、黒く染まった雲が吹き飛ばさられて赤い空がその全貌を見せる。
「アル、ねぇアル、カルコスは?」
『……さぁな』
何が起こったか理解しているのだろう、だがアルは僕にそれを教えてくれない。
草原はようやく終わりを迎え、岩山の横穴に滑り込む。
アルは入り口を叩き壊し横穴の中から光を消した。
『静かにしていろよ、ここでやり過ごす』
「あの堕天使はどうするの?」
『神か悪魔が手を打つだろう、人界が滅びるのなら天界にでも魔界にでも逃げればいい。私は貴方さえ生きてくれるのならば他がどうなろうと構わない』
「それは……自分も?」
『ああ、貴方の為ならば喜んでこの身を捨て命を捧げよう』
「ダメだよ! そんなの、僕の為にならないよ。僕は君がいないとダメなんだよ、お願いだから一緒に居てよ」
『……貴方が望むのなら』
嘘だ。
そんな事を言っても、いざとなったらアルはきっと僕を庇う、僕だけを逃がす。
約束なんて守ってくれない、僕はまた一人になるんだ。
地響きが近くなる。
アルが警戒を強めたのが暗闇でも分かる。
僕はまたアルを失わないように、何も出来ないままで終わらないように。
カバンから銀の弓を引っ張り出す、射る為ではない。
銀色の光が横穴を照らす、光がボコボコとした岩肌に反射して奇妙な影絵が作られた。
僕は弓をカバンに近づけ、中身を漁った。
財布だとかハンカチだとか、今は必要ないものを放り出し、底に敷かれた真っ黒い本を掴む。
禍々しいその本を開き、魔術陣の描かれたページを探す。
銀色の光はその為のものだ、手探りで本を見つけたとしてもページまでは分からない。
そしてようやく目当てのページを見つけ、僕はアルの口元に手をやった。
「アル、噛んで」
『突然何だ、そんな事出来るわけがないだろう』
「いいから早く、ちょっと血が出るくらいでいいから」
『何をする気か知らんが貴方を傷つけるなど私には出来ない、分かってくれ』
「……なら君は口を開けるだけでいいよ」
嫌がるアルの口を無理矢理開き、右手でアルの頭を掴んだままに左手を口の中に入れる。
上の歯の中から特に尖った犬歯を選び抜き、手の甲を当てて引いた。
僅かな痛みを伴って皮膚が裂けた。
「ごめんね、アル」
『……何をするんだ?』
魔法陣の上に手の甲を擦りつけると、僅かなシミができた。
まだ足りない。
傷口に爪を差し込み、開く。
数滴の血が落ちるが、まだ足りない。
自分では無意識の内に加減してしまってどうにも上手くいかない。
緊張と痛みで荒くなった息に音を乗せ、喘ぐようにアルの名を呼んだ。
『……分かった』
左手がアルの口の中に隠れる、アルは何度も縋るような目で僕を見上げた。
僕はその度に頷き、辛そうなアルの顔から目を背けた。
そして、数秒後に牙が僕の手を貫いた。
痛みに叫びそうになる口を押さえ、右手の親指を噛んで痛みを誤魔化す。
いつの間にか魔法陣は赤く染まり、微かな光を放っていた。
「マルコシアス様!」
禍々しい光は強くなり、その中からスーツ姿の女が現れた。
アルはあんぐりと口を開き、僕の手は解放された。
『ま、マルコシアス様? 何故?』
『やぁアルギュロス、しばらくぶり。雰囲気変わった? この本は僕のグリモワールの原本でね、お手軽に僕を呼び出せるんだよ。知らなかったの? で、お望みは何かなヘルシャフト君』
「僕達を助けてください」
『承知、任せてよ。君とアルギュロスだね、ところで何がいるのかな?』
マルコシアスは横穴が狭いと笑い混じりの文句を言い、僕の隣に腰掛けた。
左手に完璧な手当が施されていくのを見ながら、僕はこれまでの経緯を話した。
話が進むにつれマルコシアスの顔から余裕が消えていく。
『……元天使長の堕天使って、まさかルシフェルじゃないよね?』
「名前は知りません」
『十二枚の翼を見ました、ルシフェルで間違いありません』
『堕天と同時に封印されたって聞いたけど、出てきていたとはね』
「色々……ありまして」
僕のせいでとは言えずに、ただ俯く。
難しい顔をしていたマルコシアスはいきなり僕とアルの首根っこを掴んで横穴の奥へ投げた。
その直後無数の閃光が走り、岩山は跡形もなく消滅した。
七色の炎を纏い防御したマルコシアスの後ろの部分だけは残ったが、そこもじきに崩れるだろう。
『きっついなぁ、腕痺れちゃった』
顔の前で十字に組んでいた腕を下げ、ぷらぷらと揺らす。
微かに焦げたその手の甲はあの閃光の威力を物語る。
余裕そうに笑って見せたマルコシアスだが、その顔は引きつっている。
『貴様等、ここで何をしている!』
薄紫の鋭い瞳が僕を射抜く。
書物の国で見た、人を襲いマルコシアスに石に変えられたあの天使だ。
『せっかく綺麗な石像にしてあげたのに、解いちゃったの?』
『マルコシアス……っ!? い、いや、今は貴様に構う暇はない! 見逃してやるからさっさとどこかへ行ってしまえ!』
『そうしたいんだけどね。こんな見晴らし良くなっちゃったら走っても飛んでも見つかりそうだし……ところで君、ちょっとは後ろ見ればぁ?』
悪態をつきながらもカマエルは素直に振り返る。
禍々しい暗褐色の翼を広げたルシフェルがすぐそこまで迫っていた。
『馬鹿な! あの包囲を抜けたというのか!』
カマエルは即座に剣を抜き、振り下ろされた腕を止めた。
包囲、というのは地に散らばっている天使らしき残骸のことだろうか。
無数の白い羽根が散っていた。
『雑魚引き連れてきても無駄みたいだね、四大天使とか熾天使とか来ないの?』
『地上に居る天使は呼んでいる! だが天界から上位の者を降ろすのは不可能だ、魔界が何をしてくるか分からん』
剣が砕け散り、毒針も弾かれる。
ルシフェルの前に展開された魔法陣のようなものから光線が放たれる、牢獄の国でアルを撃ち抜いたものと同じだ。
マルコシアスは七色の炎とカマエルを盾にそれを防ぎ、僕達をさらに後ろに下がらせカマエルに耳打ちした。
『ね、協力しない? 僕はあの子達を守れば契約成立なんだけどさ、アレを放置する訳にもいかないんだよね』
『貴様のような悪魔に何が出来ると?』
『そこで転がってる君の部下共よりは役に立つよ』
『どうだかな、悪魔は天使と違って完全な不死身ではないだろう』
カマエルは首に回されたマルコシアスの腕を振りほどき、聞き慣れない言葉で号令をかける。
地に落ちた無数の天使達が起き上がり、ルシフェルに向かう。
『二回戦といこうじゃないか、裏切り者』
『…………雑魚が』
マルコシアスは素早く天使達から離れると僕達を抱えて岩山の影に飛ぶ。
その直後に目が潰れてしまうかと思うほどの光が辺りを包み込んだ。
羽根が、血が、飛んでくる。
『やっぱり役に立ってないじゃん、カマエルでさえ歯が立たないのにその部下に何が出来るってんだか』
「あの、マルコシアス様。戦うんですか?」
『どうしようかな、アーちゃんは来てないし、暴いたとしても石化とか効かなさそうだし。黒狼の姿に戻ったところで通用するとも思えないんだよねぇ』
もはや山と呼べなくなった岩の残骸から顔を覗かせ、マルコシアスは天使達の様子を伺う。
状況は芳しくないらしく、その表情は暗い。
『まぁ、契約は守るよ。どんな手を使ってでもね』
そんなマルコシアスの言葉が耳に届くと同時に、空から降り注いだ熱線が地上を焼く。
『彼奴等……無差別だな。ヘル、手足を折り曲げておけ』
膝を抱き、頭を抱き込む。
そんな僕にアルが覆いかぶさり、それをマルコシアスが守る。
七色の炎はなんとか熱線を打ち消した。
空を見れば、今まで黒い雲に隠れていた太陽が姿を現していた。
大気は震え、黒く染まった雲が吹き飛ばさられて赤い空がその全貌を見せる。
「アル、ねぇアル、カルコスは?」
『……さぁな』
何が起こったか理解しているのだろう、だがアルは僕にそれを教えてくれない。
草原はようやく終わりを迎え、岩山の横穴に滑り込む。
アルは入り口を叩き壊し横穴の中から光を消した。
『静かにしていろよ、ここでやり過ごす』
「あの堕天使はどうするの?」
『神か悪魔が手を打つだろう、人界が滅びるのなら天界にでも魔界にでも逃げればいい。私は貴方さえ生きてくれるのならば他がどうなろうと構わない』
「それは……自分も?」
『ああ、貴方の為ならば喜んでこの身を捨て命を捧げよう』
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『……貴方が望むのなら』
嘘だ。
そんな事を言っても、いざとなったらアルはきっと僕を庇う、僕だけを逃がす。
約束なんて守ってくれない、僕はまた一人になるんだ。
地響きが近くなる。
アルが警戒を強めたのが暗闇でも分かる。
僕はまたアルを失わないように、何も出来ないままで終わらないように。
カバンから銀の弓を引っ張り出す、射る為ではない。
銀色の光が横穴を照らす、光がボコボコとした岩肌に反射して奇妙な影絵が作られた。
僕は弓をカバンに近づけ、中身を漁った。
財布だとかハンカチだとか、今は必要ないものを放り出し、底に敷かれた真っ黒い本を掴む。
禍々しいその本を開き、魔術陣の描かれたページを探す。
銀色の光はその為のものだ、手探りで本を見つけたとしてもページまでは分からない。
そしてようやく目当てのページを見つけ、僕はアルの口元に手をやった。
「アル、噛んで」
『突然何だ、そんな事出来るわけがないだろう』
「いいから早く、ちょっと血が出るくらいでいいから」
『何をする気か知らんが貴方を傷つけるなど私には出来ない、分かってくれ』
「……なら君は口を開けるだけでいいよ」
嫌がるアルの口を無理矢理開き、右手でアルの頭を掴んだままに左手を口の中に入れる。
上の歯の中から特に尖った犬歯を選び抜き、手の甲を当てて引いた。
僅かな痛みを伴って皮膚が裂けた。
「ごめんね、アル」
『……何をするんだ?』
魔法陣の上に手の甲を擦りつけると、僅かなシミができた。
まだ足りない。
傷口に爪を差し込み、開く。
数滴の血が落ちるが、まだ足りない。
自分では無意識の内に加減してしまってどうにも上手くいかない。
緊張と痛みで荒くなった息に音を乗せ、喘ぐようにアルの名を呼んだ。
『……分かった』
左手がアルの口の中に隠れる、アルは何度も縋るような目で僕を見上げた。
僕はその度に頷き、辛そうなアルの顔から目を背けた。
そして、数秒後に牙が僕の手を貫いた。
痛みに叫びそうになる口を押さえ、右手の親指を噛んで痛みを誤魔化す。
いつの間にか魔法陣は赤く染まり、微かな光を放っていた。
「マルコシアス様!」
禍々しい光は強くなり、その中からスーツ姿の女が現れた。
アルはあんぐりと口を開き、僕の手は解放された。
『ま、マルコシアス様? 何故?』
『やぁアルギュロス、しばらくぶり。雰囲気変わった? この本は僕のグリモワールの原本でね、お手軽に僕を呼び出せるんだよ。知らなかったの? で、お望みは何かなヘルシャフト君』
「僕達を助けてください」
『承知、任せてよ。君とアルギュロスだね、ところで何がいるのかな?』
マルコシアスは横穴が狭いと笑い混じりの文句を言い、僕の隣に腰掛けた。
左手に完璧な手当が施されていくのを見ながら、僕はこれまでの経緯を話した。
話が進むにつれマルコシアスの顔から余裕が消えていく。
『……元天使長の堕天使って、まさかルシフェルじゃないよね?』
「名前は知りません」
『十二枚の翼を見ました、ルシフェルで間違いありません』
『堕天と同時に封印されたって聞いたけど、出てきていたとはね』
「色々……ありまして」
僕のせいでとは言えずに、ただ俯く。
難しい顔をしていたマルコシアスはいきなり僕とアルの首根っこを掴んで横穴の奥へ投げた。
その直後無数の閃光が走り、岩山は跡形もなく消滅した。
七色の炎を纏い防御したマルコシアスの後ろの部分だけは残ったが、そこもじきに崩れるだろう。
『きっついなぁ、腕痺れちゃった』
顔の前で十字に組んでいた腕を下げ、ぷらぷらと揺らす。
微かに焦げたその手の甲はあの閃光の威力を物語る。
余裕そうに笑って見せたマルコシアスだが、その顔は引きつっている。
『貴様等、ここで何をしている!』
薄紫の鋭い瞳が僕を射抜く。
書物の国で見た、人を襲いマルコシアスに石に変えられたあの天使だ。
『せっかく綺麗な石像にしてあげたのに、解いちゃったの?』
『マルコシアス……っ!? い、いや、今は貴様に構う暇はない! 見逃してやるからさっさとどこかへ行ってしまえ!』
『そうしたいんだけどね。こんな見晴らし良くなっちゃったら走っても飛んでも見つかりそうだし……ところで君、ちょっとは後ろ見ればぁ?』
悪態をつきながらもカマエルは素直に振り返る。
禍々しい暗褐色の翼を広げたルシフェルがすぐそこまで迫っていた。
『馬鹿な! あの包囲を抜けたというのか!』
カマエルは即座に剣を抜き、振り下ろされた腕を止めた。
包囲、というのは地に散らばっている天使らしき残骸のことだろうか。
無数の白い羽根が散っていた。
『雑魚引き連れてきても無駄みたいだね、四大天使とか熾天使とか来ないの?』
『地上に居る天使は呼んでいる! だが天界から上位の者を降ろすのは不可能だ、魔界が何をしてくるか分からん』
剣が砕け散り、毒針も弾かれる。
ルシフェルの前に展開された魔法陣のようなものから光線が放たれる、牢獄の国でアルを撃ち抜いたものと同じだ。
マルコシアスは七色の炎とカマエルを盾にそれを防ぎ、僕達をさらに後ろに下がらせカマエルに耳打ちした。
『ね、協力しない? 僕はあの子達を守れば契約成立なんだけどさ、アレを放置する訳にもいかないんだよね』
『貴様のような悪魔に何が出来ると?』
『そこで転がってる君の部下共よりは役に立つよ』
『どうだかな、悪魔は天使と違って完全な不死身ではないだろう』
カマエルは首に回されたマルコシアスの腕を振りほどき、聞き慣れない言葉で号令をかける。
地に落ちた無数の天使達が起き上がり、ルシフェルに向かう。
『二回戦といこうじゃないか、裏切り者』
『…………雑魚が』
マルコシアスは素早く天使達から離れると僕達を抱えて岩山の影に飛ぶ。
その直後に目が潰れてしまうかと思うほどの光が辺りを包み込んだ。
羽根が、血が、飛んでくる。
『やっぱり役に立ってないじゃん、カマエルでさえ歯が立たないのにその部下に何が出来るってんだか』
「あの、マルコシアス様。戦うんですか?」
『どうしようかな、アーちゃんは来てないし、暴いたとしても石化とか効かなさそうだし。黒狼の姿に戻ったところで通用するとも思えないんだよねぇ』
もはや山と呼べなくなった岩の残骸から顔を覗かせ、マルコシアスは天使達の様子を伺う。
状況は芳しくないらしく、その表情は暗い。
『まぁ、契約は守るよ。どんな手を使ってでもね』
そんなマルコシアスの言葉が耳に届くと同時に、空から降り注いだ熱線が地上を焼く。
『彼奴等……無差別だな。ヘル、手足を折り曲げておけ』
膝を抱き、頭を抱き込む。
そんな僕にアルが覆いかぶさり、それをマルコシアスが守る。
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空を見れば、今まで黒い雲に隠れていた太陽が姿を現していた。
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